第七十五伝: 昨日の敵は今日の友
<新政府・拘置所>
ゼルギウスとの会談を終えた雷蔵は単身地下にある拘置所へと足を運んでいた。
自分の取った行動が正しいかを自問自答しながら、地下へと続く階段を下りている。
この旅にシルヴィは同行させない。
雷蔵が以前からそれは決めていた事であり、何も後悔は無かった。
今回の依頼は、シルヴィには何も関係がない。
むしろ彼女が関わる事で、彼女自身が危険に晒される可能性が更に高まるだろう。
ロイという男はそれほどに手強い事はフレイピオスの大戦で思い知らされた。
もう自分がシルヴィに関わる理由もない。
だが彼の胸の奥で、確かに閊えているものがあった。
「……貴様ほどの男が何を悩んでいる」
「椛……」
突如として掛けられた声に、雷蔵は顔を上げる。
既に志鶴椛の牢屋に到着していたようで、腕を組みながら彼女は壁に寄り掛かってベッドに座っている。
今回雷蔵がここに来た理由は椛に会う為であり、彼女に依頼の話を持ち掛けようとしていた。
現在椛はフレイピオスの新政府に身柄を確保された罪人として投獄されたが、復興の支援や連合軍に投降したお蔭で幾分かは減刑されていた。
「牢番から話がある事は聞いていたが……意外な来客だな、雷蔵」
「……いい加減、その話し方は止めた方が……」
「う、うるさいっ! 大体貴様と私が最後に故郷で会ったのは5年以上も前だろう! 口調も変わる! 」
頬を紅潮させながら椛は怒り、鉄牢越しに雷蔵と対面する。
段々彼女と打ち解けられている事に内心喜びを覚えながら、雷蔵は鉄柵に背中を預けた。
「……で、話とは何だ? 貴様が私にわざわざ話を持ち掛けるなど、相当な用事と見たが」
「拙者と共に旅に出てほしい」
一瞬、二人の間に沈黙が生まれる。
冷や汗を額に滲ませつつ、雷蔵は椛の返答を待つ。
そっぽを向いていた彼女の顔が驚愕の表情を浮かべながら雷蔵の方へ向いた。
「……今、何と言った? 聞き間違いでなければ、私と共に旅へ……と聞こえたのだが」
「間違いではない。拙者は旅の供にお主と平重郎を選んだ」
「断る」
即座に彼女から要望を突っ返され、雷蔵は僅かばかり眉を顰める。
無理もないだろう、今まで憎んでいた相手と共闘するだけでも譲歩しているのに今度は旅をしろなどとは言えまい。
「だいたい、貴様はこの国の役人に就いたのではないのか? 何度か貴様の姿を政府官邸で見かけたぞ」
「それは拙者にこの地の復興を手伝う義理があった為。今は拙者の力は要らぬほどに王都は以前の機能を回復させておる」
「では何故シルヴァーナ王女ではなく私を選んだ? 王政が廃止された以上、彼女が王女という立場に縛られる必要もあるまい。旅も以前のように続けられる筈だが」
椛の言葉に僅かばかり雷蔵は言葉を失った。
内心痛い所を突かれた、と彼は思いながら無精ひげの生えた顎に手を当てる。
「…………拙者の因縁に、彼女を巻き込む心算は無い。長政や藤香、そしてロイとの因縁は拙者と椛……二人だけに関連がある。頼む、お主の力が必要だ」
「そうか。では鬼天狗の方はどうなっている? 受け入れたのか? 」
「あぁ。彼は我々の因縁の末を見届けたいと……そう言っていた」
物好きな男だ、と椛は吐き捨てた。
事実椛の方も兄夫婦の事が気がかりで仕方がなかった。
雷蔵の手によって処刑されたと知らされていた長政が、こうして生を受けて彼らの前に立ちはだかった事。
そして兄がロイに恩義を感じており、それをロイが利用している事。
今でもロイの顔を思い出す度、椛の腹の底から怒りが沸き上がる。
「……はぁ。雷蔵、取引だ。貴様は私を旅の仲間に加えたい。ならばそれ相応の報酬というものが要る。それは分るな? 」
「あぁ。お主の釈放と心身の自由を――――」
「そんなものは要らん。兄上の処刑の真相を、聞かせてくれ」
雷蔵の言葉を遮って、椛は彼をまっすぐに見つめた。
ヴィルフリート国王の忍でも、近衛雷蔵の命を追う暗殺者としてでもなく、彼が以前知っていた志鶴長政の妹、志鶴椛として。
雷蔵の困惑した様を汲み取った椛は、再び壁に寄り掛かる。
そして、彼は口を開いた。
「……拙者が彼を処刑したことは事実だ。だが……それは全てある役人の策略によるものだった。国の貿易を取り仕切る人間が己の不正を彼に押し付け、悪事をもみ消そうとしたのだ」
椛の表情は唖然とした様子のまま動かない。
自分の信じてきた事実が罪を隠す為のものだと知れば、誰でも彼女のようになるだろう。
「長政は国に仕える刀鍛冶。当時外国との関わりを禁じられていた和ノ生国にとっては、御法度を犯したも同然だ。それに、彼の身分も作用してその役人から起訴され、理不尽と言える形で長政は死刑判決を受けたんだ。……それでもあいつは、俺と会うときじゃ笑顔を崩さなかった」
「……それで貴様は兄上に死刑を執行した後、その役人の屋敷へ乗り込んだ……という訳か? 」
雷蔵は頷く。
藤香が違う処刑人によって殺された事は彼が国を出る寸前に知り、結果的に志鶴家は崩壊の一途を辿ってしまった。
過去の記憶を掘り起こしたせいか、自然と彼は拳を握り締めていた。
「これで満足したか? 長政の死の真相は、決して変わらない。拙者が殺し、そしてお主はそれを憎んでいる。今更許して欲しいなどとは言わない。……首が欲しければくれてやろう」
しばらくして椛は立ち上がってクソ、と吐き捨てながら壁に拳を打ち付けた。
それこそ拳から血が滲むまで何度も壁を殴り、最後に深く息を吐く。
「……全ては私の得た情報が間違っていた、という事だな。貴様は決して人為的に兄上を殺した訳ではなく、貴様も兄上と同じようにあの役人に嵌められて殺さざるを得なかった……。ああクソっ、そんな話を信じると思うか!? 」
「嘘だと思っても構わん。ただ拙者はその役人を殺す寸前、確かに奴の口からそう聞いた。自らの罪を長政に擦り付け、その始末さえも拙者に行わせた……とな」
気が動転した様子の椛とは反対に、雷蔵の様子は酷く落ち着いていた。
それこそ、彼女が今聞いた話の全貌を新たな真実だと受け入れなければいけないほどに。
「……仮に私が、お前と旅を共にすると言ったらどうする? お前は……可笑しいと笑うか? 」
「決して。変わるのは人間の性だ。それを受け入れただけの事……むしろ拙者は素晴らしい事だと思うが」
椛は雷蔵の方へ振り向き、ムッとした表情を向けながら詰め寄る。
「いいか、まだ私はお前を信用した訳じゃない。先ほどお前の告げた事が真実でないと分かれば、即刻首を刎ねる。……分かったなら、直ぐに私の目の前から失せろ」
「で、では共に来てくれるという事か? 」
「何度も言わせるな! 直ぐに失せろと言っただろう! 」
顔を紅潮させながら怒る椛に気圧され、雷蔵は渋々彼女の牢屋から足早に足を動かし始める。
牢番に彼女の釈放がある事を告げると、彼はそのまま地上へと続く階段を登っていった。




