第七十四伝: 別れの時は直ぐ其処に
<王都ヴィシュティア>
雷蔵達の凱旋から数か月の月日が流れた。
戦死者の埋葬や取り残された市民たちの保護を最優先に行動してきた彼らの手によって、魔道連邦フレイピオスは新たな一歩を踏み出そうとしている。
既に共和制を導入したフレイピオスは初代大統領をゼルギウスに指名し、数日前に演説を終えたばかりであった。
大統領の候補は一先ずゼルギウスとシルヴィの名が挙がっていたらしいが、その詳細は不明だ。
加えて新政府設立前の"解放者"の指導者であったギルベルトを求める声も多数出現しており、選定はより一層困窮を極めていたという。
そんな中雷蔵は一人ゼルギウスに呼び出され、修復中の城下町を歩いていた。
怪我をした右腕に巻かれた包帯を一瞥し、次第に活気づいていく市場へ視線を向ける。
「おう雷蔵さん! 今日は一人かい? 」
「あぁ、だが生憎用事があるものでな」
「そっかぁ、またうちの酒場で飲んで欲しかったんだけどねぇ」
「はは、今日の晩にでも寄らせて貰うよ。これから人と会うから酒臭くてはいかんな」
この期間で雷蔵も随分と王都の人間と打ち解ける事が出来ていた。
彼も王都の復興に尽力する復興支援省の職員として能動的に指名され、建造物の修復や避難民のケアに当たっている。
雷蔵の他にもラーズやアルカードがその施設に従事しており、新政府としての機能を発揮しつつあった。
また、新政府の構成は国の総合的な政治を取り仕切る大統領庁、国の財務の指揮を執る貨財省、他国との外交を務める国外省……などといった5つの省庁で構成されている。
これらの機関の代表者は生存していた王政時代の大臣たちが務める施設も多く、現存していた勢力からも新政府の設立は一定の支持を得られていた。
雷蔵が市場の出口に差し掛かった時、彼の腹部に誰かがぶつかる。
「あっ、雷蔵おじさん! 」
「おお、カルヴィンではないか! もう病気は治ったのか? 」
「うん! おじさん達が持って来てくれた薬のお蔭で元気になったよ! 」
そうか、と雷蔵は駆けよった銀髪の少年の頭を撫でた。
フレイピオスの崩壊を聞きつけ、隣接した機甲帝国ヴァルスカや農業共和国イシュテンから多くの救援物資や救助部隊が駆けつけていた。
数か月という短い期間でこのような復興にかこつけられたのも、二国の支援があったからこそである。
しかし、そんな雷蔵にも気がかりな事があった。
"大樹の戦乱"後に捕らえられた捕虜への対応である。
政府が設立した直後にギルゼン、インディス、椛の身柄が拘束され、今も牢屋に投獄されているという。
彼らの待遇は新政府の幹部の数人しか知らず、共に戦った雷蔵たちにも知らされてはいなかった。
「近衛雷蔵様! お疲れ様です! 政府官邸に御用でしょうか? 」
建設された仮設官邸の門に配属されていた衛兵二人が雷蔵に敬礼し、身に纏っていた鎧の擦れる金属音が周囲に響く。
「そう緊張なさるな。ゼルギウス大統領と会談の予定が入っている筈だが……」
雷蔵の言葉と共に衛兵の一人が関所のデスクに戻り、今日一日の予定が記されたクリップボードを手に取って戻ってきた。
彼との予定が確認できたのか、兵士は再び敬礼を見せる。
「確認できました! どうぞお入り下さい! 」
「忝い。ではこれにて失礼」
音を立てて開いた鉄柵の門を下を潜り、雷蔵は役所のエントランスホールに辿り着く。
内部では選出された政府職員が忙しそうに働いており、受付嬢が雷蔵の存在に気づくと頭を下げた。
「ゼルギウス様が既に二階でお待ちです。応接室へご案内します」
「頼む」
彼女の後を付いて行った雷蔵は階段を上がり、大理石製の床を歩き始める。
履いたブーツの靴底が心地良い音を鳴らし、彼は応接室に辿り着いた。
「失礼します、大統領」
「入り給え」
聞き覚えのある若い声が聞こえたかと思うと木製の扉が開き、部屋の奥から黒いコートを羽織った銀髪の青年が姿を現す。
雷蔵の姿を見るなり彼は笑顔を浮かべ、互いに握手を交わした。
「忙しい中よく来てくれた。さあ、入ってくれ」
「では、お言葉に甘えて」
受付嬢は二人の様子を窺うと一礼してから部屋を退出し、雷蔵は応接室のソファに腰かける。
「町の様子はどうだ? あまり市場の方にも顔を出せてはいないが……」
「このわずかな期間で復活しつつあるな。ディアテミスからも定期的な復興支援員が来ており、食料品や日用品などが多く出回ってきている。人々も活気を取り戻しつつあって、この調子で活動を行えば間違いなく王都は以前の姿を取り戻すだろう」
そうか、とゼルギウスは傍にあった棚から二つのティーカップを取り出して茶葉を煎じていたポットを傾けた。
赤みが掛かった液体が湯気と共に注がれ、紅茶の香りが部屋に広がる。
ゼルギウスとはこうして幾度となく茶や酒を飲み交わしており、その都度互いの状況を伝えあう仲にまで発展していた。
「其方は? 最近では大統領の仕事が忙しいと聞くが」
「イシュテンのミカエラ首相とヴァルスカのヴォルト皇帝との会談が連日のように続いている。国が崩壊しかけた理由や我々政府の構成……それに救援物資の手続きまで話題は尽きないな。余程三国間の不可侵同盟が大切と見える」
「それがあるからこそ彼らは協力を惜しまないのであろう。して、今日拙者を呼びつけた理由は? 」
雷蔵の言葉に呼応するかのようにゼルギウスは手にしていたティーカップを机の上に置き、深く息を吐く。
「……要件は一つ。君の戸籍をこちらで作らせてほしい 」
「拙者は放浪の身。冒険者の証がある以上……そう簡単に作る訳にはいかぬ」
今はフレイピオスの復興に努めているが、いずれ自分の力が必要でなくなる時が来るだろう。
それを本人は一番に理解しており、その時こそ自分が国を去る時であろうと考えていた。
加えて、雷蔵には新たな目的が出来てしまった。
ロイに復活させられた親友をもう一度殺す事と、親友の命を弄んだロイを殺す事。
それは、今まで共に戦ってきた仲間たちとは何ら関係がない。
故に彼は、戸籍を必要とはしていなかった。
「……違う目的があるようだな? 」
「……無論。拙者の友を侮辱した男を殺す為だ」
では、とゼルギウスは口を開く。
「これは友人としての言葉ではない。魔道連邦フレイピオス大統領、ゼルギウス=ボラット=リヒトシュテインからの正式な依頼として告げる。国を崩壊に陥れた逆賊、ロイ・レーベンバンクの拘束及び殺害を君に頼みたい」
「……断る、と言ったら? 」
「君を拘束する。私の依頼を請けると言うまで、ずっとな」
不敵な笑みを浮かべながらゼルギウスはティーカップの縁を傾けた。
深い溜息をつきながら雷蔵は額を手で押さえ、そして顔を上げる。
戸籍の話はこの依頼の件を潤滑に進める為のものでしかないのだろう。
「……何故そこまでして拙者に固執する? 他の手もあるだろう? 」
「君はこの国と我が妹の恩人だ。雷蔵がいなければ、間違いなくヴィルフリートを打ち倒せはしていなかったし、シルヴァーナも途中で命を落としていた。そんな男へ何もせずに国から追い出すなんて、君の友人として許せないのだよ。それに、多くの政府の人間が君に感謝している。この申し出は言わば、政府の総意と言っても過言ではない」
そう口にするゼルギウスが雷蔵には眩しく映った。
差し出された彼の手を見つめ、渋々その手を握る。
その間、ゼルギウスの表情は僅かばかり明るいものとなった。
「……分かった、拙者の負けだ。その依頼、請けさせて頂く。だが戸籍を作るのはこの依頼を完遂してからにしてほしい」
「君ならそう言ってくれると思っていた。この件を遂行する上で、君は政府の人間として扱った方が何かと都合が良い。それで構わないか? 」
雷蔵は頷く。
「それと、もう一つ。任務を遂行する上で、君は誰でも連れて行ける」
「……本当に? 誰でもいいのか? 」
そう尋ねる雷蔵の姿に、ゼルギウスはどことない不安を抱いた。
そんな彼の表情を一瞥し、雷蔵は言葉を続ける。
「志鶴椛と霧生平重郎を指名したい」
「……そう来ると思った。分かった、手続きはこちらで済ませておく。話も私から伝えておこう。他に要望は? 」
「一つだけ。これは個人的な頼みだ」
雷蔵の言葉にゼルギウスは眉を顰めた。
「……拙者の出立を、シルヴィには秘密にしておいてほしい」




