第六十六伝: その剣は、愛した彼女を守る為に
<城下町・南の大通り>
レーヴィンとハインツのいる南の広場の周りにはあちこちに火の手が回っており、灼熱の炎によって住居の数々が燃えている。
戦うだけのスペースは確保できてはいるが、崩れ落ちるのも時間の問題であろう。
それでもレーヴィンは睨み合った嘗ての友を見据える。
愛用の両手半剣を片手で握り締め、彼女は一歩前へ踏み出した。
「でぇぇぇぇィッ!! 」
気迫の咆哮と共に剣を振り下ろし、ハインツの騎士剣と一度だけ交える。
周囲に火花が散る光景を一瞥するとそのまま身体を右方に捻転させ、心地の悪い金属音を響かせた。
剣を握る掌に走った固い感触が無くなる寸前にレーヴィンは騎士盾を身に着けた左腕を横殴りに振るい、迫っていたハインツの反撃を防ぐ。
「はァッ!! 」
それでも尚ハインツの剣は止まる事を知らず、彼女の盾に一筋の傷を付ける。
なりふり構わずレーヴィンは更に一歩踏み出し、目の前の敵に当て身を食らわせた。
「ぐゥッ……! このォッ!! 」
普段は物静かな雰囲気を漂わせている彼が感情をむき出しにして剣を振るっている。
それほどレーヴィンの裏切りが堪えたのだろう。
だが彼女も退く事は出来ない。
国に反旗を翻した以上、彼のとの戦いが避けられない事はレーヴィンが一番良く理解していた。
「何故! 何故貴様はあの時国を裏切った!? 前王も暗殺され、主を失った貴様に選択肢など無かった筈だ! 」
「私の主はまだ生きている! それに、騎士は自らの命と共に正しい道を判断しなければならない! 私はシルヴァーナ様にその道を見出したのだッ! 」
「戯言をォッ!! 」
両手に握られた剣の切っ先が風を纏いながらレーヴィンの頬を掠める。
同時に彼女は右手で剣先を振り上げ、首元に迫っていた凶刃を弾き上げると手首を一回転させてから振り下ろした。
それを易々と受け入れるハインツでもなく、弾かれた騎士剣を振り上げる事で彼女の刃と交える。
横殴りに攻撃が来ると予測した彼女は得物を構えるが、眼前に迫るのは銀色の剣先であった。
咄嗟に身体を後方へ引いて肉薄すると、彼女の金糸のような髪が周囲に舞い落ちる。
すかさずレーヴィンは愛剣を胸の位置まで戻して銀の剣をはたき落とし、更に左方から迫っていた剣撃を防いだ。
その反動を利用してハインツの脳天を狙った一撃を見舞うも、その攻撃は当たらない。
「貴公こそ、この国の事を一番に思っているのならば何故反旗を翻さなかった! どうして私と共に姫様を守る事を選ばなかったんだ! 」
「私には死んでいった部下や友の故郷を守る義務がある! だから私は国にこの身を捧げた! すべてを捨てた貴様などに、この重みが分かるものか! 」
「馬鹿野郎がッ!! 」
ハインツの放った言葉に激昂し、レーヴィンは彼の腹部を蹴り飛ばした。
「国を思うのなら何故あるべき姿に戻そうとしなかったんだ、お前は! お前の言う部下や友の故郷は、今も燃えている! それが在るべき姿か!? お前はただ自分の思いこんだ宿命に囚われているだけだッ!! 」
「それ以上、ほざくなァァァァッ!!! 」
両者は再び激突する。
一合。
レーヴィンの握った剣が縦一文字に振り下ろされ、彼の剣と鎬を削る。
周囲に火花が散るも、迷わず彼女は柄を握る両手を後方へ引いた。
ハインツの剣先がレーヴィンの剣腹に移動した瞬間に彼女は両腕の向きを変え、空いていたハインツの右わき腹目掛けて横一文字に振るう。
二合。
右方への攻撃を防がれた拍子に剣先を上げ、今度は左の肩口を狙った袈裟斬りの要領で剣を振り翳した。
だがこれも防御されたレーヴィンは再びハインツと剣を交えながら睨み合う。
「貴様は私にとって憧れだったんだ! その若さで人の上に立ち、騎士の誇りを胸に戦う貴様は皆にとって憧れであった! だから私はこの国に残り、貴様がいつ戻って来ても良いように親衛隊の長になった! 」
「ハインツ……お前……! 」
「しかし貴様は裏切った! 今の貴様は嘗て私の憧れたレーヴィン・ハートラントではないッ!! 」
火花を散らしていた得物を弾かれ、レーヴィンの胸部ががら空きになった。
咄嗟に左腕の盾を構え直すも強烈な刺突が騎士盾の表面に直撃し、鋼の破片が周囲に飛び散る。
「そんな人間はこの国には必要ないッ! 魔物になった王も、反旗を翻した反乱者共もなァッ!! 」
「ッ! 国の長にでもなったつもりかァッ!! 」
再び迫る剣先を肉薄しつつ剣を右方へ振るうレーヴィン。
しかしそんな彼女の攻撃を読んでいたのか、攻撃が当たる直前にハインツは彼女を蹴り上げて地面に叩き付ける。
「ぐぅっ!? 」
地に伏した彼女の目の前に映るのは、今にも止めを刺そうとしているハインツの姿。
本能的に剣を構えて防御の体勢に移るとレーヴィンはそのまま身体を横に回転させ、両脚を彼に向けた。
ハインツの膝を左足で抑えながら彼の動きを制限しつつ、繰り出される斬撃を愛剣で捌く。
そして剣腹を手に握りながら騎士剣を突き立てようとしていたハインツの左ひじを右脚で蹴り上げ、剣先を逸らした。
その隙を突くようにレーヴィンは上体を起こしつつ地面に手を着き、その勢いのままハインツの頬を蹴り上げる。
「ッおォッ!? 」
そうか、この男は――――。
ずっと、ずっとレーヴィンを待っていたのだ。
自分の力だけではフレイピオスを正しい方向へ進ませる事が出来ない。
ならばせめて、自らの手で憧憬の念を抱いた人物を再びこの地へ呼び戻そうとした。
何と謙虚な男か。
そしてあまりも、今の彼は弱々しい事だろうか。
思わずレーヴィンは次の反撃に移ろうとする手を止める。
真っ直ぐに伸びてくる白刃が彼女の眼前に迫り――――。
――――剣腹を掴み取った。
「……つくづく、馬鹿だな。お前も、私も」
「な、何をしている!? 」
籠手の掌を覆う部分が裂け、銀の刃が彼女の手に食い込む。
瞬く間に鮮血が溢れ、地面に幾つもの深紅の雫が零れ落ちた。
「ハインツ。お前は何の為に騎士になった? 私と言う壁を超える為か? 国の頂点に立って支配する事か? 違うだろう……。嘗てお前は私にこう言った」
彼の剣を退かし、距離を詰めていく。
「守りたいものを守れる人間になる為、そして大切な国を守る為……。そう言ったはずだ」
ならば、とレーヴィンは更に付け加えた。
「その剣を退け。今のお前は主を、国を失った哀れな騎士に過ぎない。……昔の、私と一緒だ」
前王であるアルフィオ=ボラット=リヒトシュテインがヴィルフリートによって誅殺された時、レーヴィンは酷い喪失感を抱いた。
職を失ってしまったという不安からではなく、純粋に愛していた国が無くなってしまったという事から。
そして本来の騎士の務めも果たせず、彼女は国が滅んでいく様を指を咥えて見ざるを得なかった。
「仕えていた人間が死んでいく様を見ている事しか出来なかった私に、もう一度シルヴァーナ様はチャンスを与えて下さった。だから私はこうしてここに立つ事が出来ている。あのまま彼女に出会う事が無ければ、私は一生燻ぶったまま人生を終えていただろう」
「じゃあ失った人間はどうすればいいんだ!? 私には何もない! 家族も死に、仕えていた主でさえも人間ではなくなった! 貴様は私にどうしろと言うんだ!? 」
レーヴィンは空いていた左手をハインツに差し出す。
「一緒に戦ってくれ。この国を救う騎士として、そして私の背中を預けられる戦友として」
愕然としたようにハインツは肩を震わせる。
握り締めていた剣を地面に落とし、弱々しく彼は地面に膝を着いた。
ハインツがヴィルフリート国王の悪政を黙って見ている男ではない事は確信していた。
国を一番に思うからこそ、あるだけの手札を使ってフレイピオスをここまで守り切った。
それは間違いなく、彼の功績を言えるだろう。
「……こんな私に、貴様は手を差し伸べるのか? こんな、情けない騎士に……」
「無論だ。お前ほど騎士という言葉が似合う男は居ない」
ゆっくりと、レーヴィンの手にハインツの手が触れる。
その時だった。
王城の方から魔力の爆発が聞こえ、二人の耳に轟音が響いたのは。
同時に魔物の鳴き声が響き渡り、両者の緊張を更に強める。
飛行型の魔物、ガーゴイル。
背中に禍々しい黒の羽を生やしたこの灰色の悪魔は、二人を見るなり赤い目を光らせた。
「ガーゴイル!? なぜこんなところに……!? 」
「四の五の言っている暇は無いッ! 来るぞ! 」
上空高く舞い上がった魔物は細長い両手に握った三つ又槍を掲げ、トップスピードで二人に急接近する。
同時に王城へと続く道の方から地鳴りの音が聞こえ、毛皮に包まれた中型の魔物が幾つも姿を現した。
「ミノタウロス……! くそッ、まずいぞレーヴィン! 」
「分かっている! だが、彼奴等も厄介だ! 」
周囲を飛び交うガーゴイルの槍を躱しつつ、呻き声を上げながら突進してくる牛頭の魔物にも気を配らなければならない。
冷や汗を額に滲ませ、腹を括ったその時。
「レーヴ!! 」
背後から聞こえる、聞き覚えのある声と馬の蹄の音。
瓦礫と炎を掻き分けて各々の馬を駆るシルヴィと雷蔵の姿が現れ、すかさず二人はその方向へ駆ける。
「姫様!? なぜここに!? 」
「貴様は、あの時の侍……! 」
「説明は後だ! 早く乗れ、二人とも! 」
黒馬に跨った雷蔵に急かされ、二人の焦燥感は掻き立てられた。
だが、この二人に付いて行って逃げ切れる保証もない。
冷静かつ迅速な判断が必要とされるこの状況で、ハインツは名乗りを上げた。
「……私は遠慮しておく。姫様は二人を連れて、先にお逃げ下さい」
「何を言っているんだハインツ!? 馬鹿な真似は止せ!! 」
ハインツはレーヴィンの手を握る。
「騎士は仕える主の為に命を賭してお守りする。そう言ったのは貴様だ、レーヴィン。そしてシルヴァーナ様はこの国の未来を約束するお方。ならばこの身果ててもお守りする次第」
「ハインツ!! 」
必死に抵抗するレーヴィンの腕を雷蔵が無理やり掴み取り、彼の馬の背中に乗せた。
妙に安らかな笑顔を浮かべるハインツをシルヴァーナは見つめ、馬を降りてから彼の額に口づけをする。
「……姫様。今までの御無礼、この時を以て返させて頂きます。馬鹿な騎士を、お赦し下さい」
「はい。貴方に、王の御加護が有らん事を」
「離せ雷蔵!! 私は彼を連れて帰るんだ!! 」
「お主は男の覚悟を踏み躙る気か、レーヴ」
その言葉だけを浴びせ、雷蔵はレーヴィンを黙らせた。
一度だけハインツに視線を向けると、彼は頷く。
「……その生き様、誠に天晴れ也。お主の事は、決して忘れん」
「礼を言う、異国の侍よ。貴様とは一度、刃を交えたかったものだ」
それだけ告げた雷蔵は馬の進行方向を翻し、迫り来る魔物から逃げるように立ち去っていく。
同じようにしてシルヴィもその場から姿を消し、取り残されたのはハインツと幾つもの魔物だけとなる。
「来い、異形の魔物どもッ!! 我が雄姿、しかと目に焼き付けよォッ!! 」
愛剣を手にしながら、ハインツは大喝と共に魔物の群れへと向かって行く。
彼の背中は正しく、騎士の姿を映し出していた。




