第五十八伝: 青い果実
<解放者本部>
雷蔵が負傷したラーズを救出する事に成功し、無事に基地へ送り届けたその数分後の事。
ラーズの身体はすぐに緊急治療室へと運び込まれ、医師たちが駆け込む様子を雷蔵は見守ることしか出来なかった。
「雷蔵さん! 」
突如として背後から掛かった呼び声に振り向くと、其処にはブラウス姿のシルヴィが不安げな表情を浮かべている。
息を切らしているあたり、彼女もラーズの事が心配であったのだろう。
「シルヴィ、その姿は……」
「もう守られているだけでは嫌ですから。それより、ラーズさんの様子は? 」
彼女の問いに雷蔵は顔を顰めた。
彼がラーズを地下水道で見つけた時には既に意識があったが、それ以上に憔悴しきっていた。
何があったのかは分からない。
だがあの時の彼は誰にも見せた事のない涙を流し、まるで幼い子供のように恐怖に怯えていた。
「……ひどく憔悴していた。何かに怯えていたような……そんな様子だった」
「そんな……あのラーズさんが……」
「その時の状況は彼に聞かねば分からん。これはあくまでも拙者の憶測に過ぎないが……彼はギルゼン殿と戦ったのではないか? 」
治療室の椅子に腰かけながら雷蔵は、隣のシルヴィに視線を向ける。
顎に手を当てながら考える素振りを見せる彼女は、何か思いついたかのように目を見開いた。
「そう言えば……私が処刑台に連れて行かれた時にロイさんの姿を見かけませんでした。彼は国王側についていたのに、その傍に居なかったんですよ」
ふむ、と雷蔵は相槌を打ちながら数時間前の光景を思い出す。
確かにロイの姿は見えなかった上、彼が阻止してくる事も無かった。
少なくともインディスやギルゼンが行く手を阻んでくるとは考えていたが、それも実際には無かった事だ。
「確かに。拙者も奴の姿は見かけていない。それにあのロイの事だ、もしや我々の作戦を読んでいたのかもしれぬ」
敢えてロイたちを表舞台に出さない事で、緊急時の実働部隊として行動させる。
それ故ゼルギウス皇太子の奪還にラーズとエルは失敗し、このような事態に陥ったのではないか。
「となると、私達は想像以上に厄介な相手と戦っているのかもしれませんね……。こちらの行動を予測されている上に、相手の方が圧倒的に兵力は大きい……」
「策はまだある。ああいう連中は上に立つ人間を失えば、瞬く間に崩れ去るものだ。それにシルヴィ、考えてみろ。拙者たちが今助け出すべきなのは皇太子とエル殿のみ。前王の正統な後継者がまだ生きているとするなら、民衆の声はこちらに向くはず。無闇に戦う必要はない」
でも、と不安げな表情で彼女は雷蔵を見上げた。
そんなシルヴィの頭を彼は優しく撫で、目線を同じ高さまで下げる。
「またこうして一緒にいる事が出来たのだ。エル殿だって、皇子殿だってきっとそうなれる。だから安心しろ、シルヴィ。……何があっても、君は俺が守る」
「き、急にそんな声出さないで下さいよ! 恥ずかしいじゃないですか……! 」
白い彫刻のような頬を紅潮させながらシルヴィは雷蔵から視線を外し、膨れながらそっぽを向いた。
その時、彼女を呼ぶ声が背後から聞こえる。
「シルヴィお嬢様、ここにおられましたか」
「クレア! 」
相変わらずロングスカートのメイド服に身を包み、眉一つさえ動かさない無表情っぷりを披露するクレア・ウィルソンは飛びついてきたシルヴィを抱きしめ返した。
「お、お嬢様……苦しいです……」
「あぅ……ごめんなさい……。貴女にまた会えるなんて夢にも見てなくて……」
「先ほどの助太刀、感謝致す。クレア殿の助けが無ければあのまま拙者は斬られていたであろう」
「お気になさらず。お嬢様をお助けするのは使用人の務め。それに……未来の旦那様候補を見殺しには出来ませんから」
「ち、ちょっとクレア!? 」
一瞬彼女が何を言っているのかが理解できなかった雷蔵だが、ようやく事態を理解したのか彼は僅かばかり頬を赤らめる。
隣のシルヴィへ視線を向けると彼女も同じように顔を真っ赤に染めており、目があった瞬間にお互い気まずい空気が流れた。
「……? 雷蔵様、お嬢様、何をそんなに赤くなっていらっしゃるのですか……? 」
「なんでも御座らん。クレア殿、ここに来たのは拙者たちに用があって来たのではないか? 」
「はっ、そうでした。お嬢様に雷蔵様、ギルベルト様が呼んでおりました。おそらく今後の作戦会議であると思います」
「済まぬが拙者はラーズの容態が気になるのでな……。先に行ってはくれぬか? 」
「分かりました。先に指令室に行ってますね! 出来ればラーズさんも一緒に……」
「善処しよう。では、またあとで」
そう言うとクレアはシルヴィの手を引きながらその場を離れ、治療室の前にただ一人雷蔵が取り残される。
賑やかな人間がいなくなると静かなものだ、と彼は内心ため息を吐いた。
「ラーズ……エル殿……」
二人がいなければあのままシルヴィと雷蔵はロイの魔の手によって命を落としていただろう。
セベアハの村に着くよりももっと早く、そして何も知らぬまま。
機関船の上でもグリフォンを倒せなかったはずだ。
だから、雷蔵は二人を助けたかった。
ラーズもエルも、命を救ってくれた恩人には変わりないのだから。
「……! 」
その時であった。
治療室の扉が開き、そこから手術衣を纏った医師の一人が出てくる。
「お医者様、ラーズの容態は? 」
「一命も取り留めていますし、呼吸も安定しています。あと数時間したら麻酔魔法が切れて起きてくるはずです」
「委細承知いたしました。彼の命を助けて頂き、御礼申し上げます」
深々と頭を下げ、医師はその場を後にしていく。
その後すぐにラーズを乗せた担架が現れ、彼もその後に付いて行く事にした。
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<ラーズの部屋>
そして、数時間の時が流れた。
雷蔵は彼が目覚めるまで傍にいようと部屋の椅子に腰を落ち着け、壁に寄り掛かりながらラーズの様子を見つめる。
太く岩石のような肩には傷を覆うように包帯が巻かれ、彼の身体には幾つもの傷跡が見えた。
一先ず安定した呼吸をしている事を確認した雷蔵は安堵のため息を吐き、再び壁に凭れ掛かる。
先ほどの陽動作戦で気が抜けたのか、彼の身体を睡魔が襲う。
眠くなるのも無理はない。
雷蔵の意識が一瞬だけ眠りに落ちたその時、ラーズの寝ていたベッドから呻き声が聞こえた。
「ラーズ! 目が覚めたか! 」
「こ、ここは……」
彼は身体を起き上がらせ、周囲を見回す。
その時肩に痛みが走ったのか、顔を顰めながら傷口に触れた。
「安心せい、お主の部屋だ。なんとか無事に連れ帰る事が出来たよ」
「……そうか。すまねえ、雷蔵……」
意気消沈した様子を見せながらラーズは視線を落とす。
「気にするな。お主には幾度となく命を助けてもらった」
「ありゃあエルの助けがあってこそさ。俺はただ……前でぶん殴ってただけだ」
「そう己を卑下するな。お主の無事をどれだけ皆が心配していた事か」
「それでも……俺は任務に失敗したんだ。エルは連れ去られ、目的の皇子も助けられなかった。間違いなく、俺が原因で戦いを長引かせちまってる」
拳を握り締め、悔し気な表情を浮かべながら深い溜息を吐いた。
「……あの場には、ギルゼン殿やインディス殿もいたそうだな」
「あぁ。……あの二人の方が、何枚も上手だったよ。俺は兄貴を本気で殴れなかった。躊躇しちまったんだ……」
唯一生きている肉親と袂を分かち、すぐに戦えと言われて戦える人間など早々居る筈もない。
ギルゼン達が仕掛けてくるとは分かっていたが、まさかラーズ達の方へ向かうとは運命は皮肉なものだ。
「はは、ダセぇ奴だよな。普段は兄貴に反発してたのに、いなくなると途端にこれだ。情けねえよ、まったく……」
ラーズの乾いた笑い声だけが部屋に響く。
「……お主は情けなくなどないさ。今もギルゼン殿を殴る事に躊躇しているのは、それがお主が本当に優しい心の持ち主だからだ」
「優しい心を持ってたって、みんなは救えない。エルや皇子……それに仲間のみんなだって」
「ならば手を伸ばせ。自分の伸ばし切れる限界まで広げろ。お主のその強靭な腕は何のためにある? 誰かを傷つける為か? 己を守る為だけのものか? ……否、その腕はお主の大切なものを守る為に在る。お主の大切なものを、連れ戻す為にある」
雷蔵はラーズの肩を優しく叩いた。
「お主にはそれが出来る。自分の力を見誤るな、ラーズ。ここで泣いている暇など無い。男なら……誰かの為に強く在れ」
それだけ言い残し、彼は椅子から立ち上がる。
ラーズからの返答は何も聞こえなかったが、それでも雷蔵は彼の部屋を後にした。




