第五十七伝: 二虎相反
<ダラムタート城・地下牢>
時は、約1時間前に遡る。
シルヴィを奪還した雷蔵たちが攻防を繰り広げている最中、エルとラーズは潜入部隊として王城の地下に潜入していた。
"解放者"の隠密部隊が見つけ出した地下水路から牢獄へと続く秘密の通り道を通過し、彼らは保護対象であるゼルギウス皇太子を見つけ出す事に成功する。
牢番を無力化し、弱っている皇子を連れ出す。
――――筈だった。
あの、二人がここに来るまでは。
「……兄貴」
「姉さん……」
隠密行動用の黒い軽装に身を包んだ二人は、地上から降りてきた一組のオークと女エルフの姿を睨み付けた。
ゼルギウスの身体を背負っていたラーズは彼の身体をエルに受け渡すと、両手に装備した籠手を露わにする。
目の前に立ちはだかっているのは唯一無二の肉親だ。
そして、今自分たちの命を脅かす最大の敵でもある。
「ロイの言った通りだな。あの侍の行動は陽動に過ぎなかった」
「そうね。つくづく彼が恐ろしいわぁ」
そんな軽い会話を交わしながらギルゼンとインディスは、ゆっくりと近づいてきた。
「エル、皇子を連れて逃げろ! 」
ラーズはそう言い残すと、彼女が向かう方向とは逆の方へ掛けていく。
背後から靴底を鳴らす音が聞こえた、きっとエルなら皇子を無事に脱出させてくれるだろう。
一気に目の前のオークと距離を詰め、籠手と相手の持つ戦斧が鎬を削った。
時間稼ぎにはなるはずだ、とギルゼンの背後へ視線を傾ける。
――――しかし。
既にインディスの姿は無い。
目を見開き、驚愕の表情を露わにするラーズ。
そんな大きな隙を奴が逃すわけもない。
後方へ大きく吹っ飛ばされるが、空中で身体を一回転させて衝撃を殺す。
石畳の床に両足を着けた時、前方から寒気がするほどの殺気をラーズは感じ取った。
「ぐっ……! 」
「あの女と皇子ならインディスが追い掛けてる。助けたきゃ、俺を倒せ」
「んな事……分かってらぁッ!! 」
迫り来る上方からの一撃。
殴撃に近い唐竹割りを両腕を交差して受け止め、弾き返す。
反撃の右ストレートも難なく躱され、ラーズは一歩後方へ退いた。
すかさず伸びてくる戦斧の石突を肉薄し、上体を回転させながらギルゼンの左方へと入り込む。
彼の顎先目掛けて左腕を振り上げるが、斧刃と衝突する激しい衝撃が拳に走った。
だが、そのアッパーカットはブラフに過ぎない。
右腕に力を込め、がら空きになったギルゼンの右頬目掛けて拳を振り下ろした。
手全体に走る肉を殴りつけたような生々しい感覚を感じながら、ラーズは後方へ吹っ飛ばしたギルゼンから視線を離す。
急いでエルの援護に回らなければ。
そう考え、ギルゼンへ背後を向けたその時だった。
「――――待てよ」
一瞬で全身を地面に叩き付けられ、ラーズは目の前の光景に茫然とした視線を向ける。
彼の双眸には、得物である戦斧を捨てて今にも拳を振り上げんとしているギルゼンの姿が映った。
本能的に両腕を交差させ、その一撃を受け止める。
二の腕にまで痺れが伝わる程の拳に舌を巻きつつも、右脚でギルゼンの身体を蹴り上げてからハンドスプリングで立ち上がった。
「俺に一撃食らわせるたぁ成長したな、ラーズ」
「だったら退けよ、クソ兄貴」
「嫌だ、って言ったら? 」
質問に答えず、ラーズはギルゼンとの距離を一気に詰める。
神速の飛び膝蹴りを回避され、背後からの殺気へ振り向くと顔面に衝撃と痛みを感じた。
鼻を殴られた、と認識する頃には次の攻撃が迫る。
本能的に肘を突き出し、膝蹴りを防いだ。
「相手から目を離すな。お前はいつも相手を殴る事に夢中になる癖がある」
「ッ!! うるせぇッ!! 」
「殴る時に腕を振りかぶる癖も直ってない」
「黙れッ!! もうあんたは、俺の敵なんだ!! 」
自分にそう言い聞かせるようにラーズは拳を振り上げる。
目の前にいる男は自身の任務を遮る敵で、排除すべき人間だ。
そんな彼を嘲笑うかのようにギルゼンの腕は攻撃を受け止め、関節に肘鉄を叩き込む。
骨が折れはしなかったが、軋むような感覚と激しい痛みに襲われた。
そのまま腕を掴まれ、ラーズの身体は大きく後方へ投げ飛ばされる。
石畳の床に叩き付けられるが、笑みを浮かべながら立ち上がった。
「喧嘩に夢中なのは……俺だけじゃねえみてえだなぁ……! 」
「…………」
ラーズは地下水道へと続く道へ我武者羅に走り、先に逃げたエルの後を追う。
足元に流れる汚水など気にも留めず、ただ彼女の安否が気がかりだった。
トップスピードで走っているうちにどんどん喉が渇いていくのを感じる。
それでもラーズは背後から迫り来る刺客から逃れようと、ひたすらに走り続けた。
「はぁっ……はぁっ……! エル! 皇子! どこだ! いるんだろ! 」
緊急の待ち合わせ場所に辿り着いても、聞こえるのは流れる水音と彼の声が反響する音のみ。
躍起になって周囲を捜索するも、二人の姿は見当たらない。
その時だった。
「もうあの子たちはいないわぁ、ラーズ。厳密には私が捕まえた、が良いのかしら」
背後から声を掛けられた瞬間、彼の右肩から氷柱が伸びている。
絶対零度の氷に貫かれながらも、熱した鉄板を体内に押し付けられたような痛みが走った。
思わず声を上げてその場に倒れ、肩を抑える。
笑みを崩さずにインディスは目の前に現れ、右手に魔法の檻を出現させた。
「イン……ディス……ッ! 」
「久しぶり、元気にしてたかしら? 再会を喜びたい所だけど、生憎そうもいかないの」
檻の中に閉じ込められているエルと皇子は気を失っており、ラーズの呼びかけにも答えない。
「どうする? ここで死ぬ? それともエルちゃんたちを見捨ててここから逃げる? 」
嘲笑するかのような彼女の問いにラーズは肩を震わせ、怒りを露わにした。
正直言って、今の状態ではどう足掻いても勝てない。
それでもどうにか抵抗しようと、彼は立ち向かっていった。
「この野郎……ッ!! 」
「そう。じゃあ……そこで朽ち果てなさい」
浮かべた笑みとは裏腹に、インディスの翳した手から無数の風の刃がラーズに殺到する。
透明に近いその刃は彼の屈強な体を易々と切り裂き、所々から鮮血が噴き出した。
全身から力が抜け落ちるような感覚を覚え、地面に前のめりに倒れる。
幸い水が流れていない石畳の上であったが、それでもラーズが立ち上がれる事はなかった。
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<地下水道>
そうして、今に至る。
気を失っていたラーズはゆっくりと起き上がり、朦朧とした意識のまま彼は歩き始めた。
肩口から流れる大量の血を一瞥しつつ、葦に覆われた壁を伝って来た道をゆっくりと引き返す。
自分は非情になり切れなかった。
エルは自分の感情を押し殺して肉親と戦ったというのに、彼には出来なかった。
結局任務は失敗に終わり、尚且つエルという貴重な戦力を失ってしまう最悪の結果に終わってしまった。
自分の情けなさに泣こうとしても涙さえ出てこない。
徐々に地下水道が日光に照らされていき、自分の歩いている床が露わになっていく。
その先に立っている一人の男の姿が、彼の目に映った。
「ラーズっ!! 」
その男は満身創痍の姿を見るなり、ラーズに駆け寄ってくる。
黒い長髪の髪を後ろで結びながら腰に刀を差しており、彼に肩を貸した。
「ら、雷……蔵……? 」
「あぁ、そうだ! お主たちが任務に失敗したと聞いて駆けつけたのだ! もう安心しろ、傷は浅い! 今連れて帰ってやる! 」
正直なところ、もう自分はここで死ぬのかと思っていた。
命を落とす事を覚悟していた。
それでも、仲間が助けに来てくれた。
安心感を覚えたのか、ラーズの瞳から自然と大粒の涙が零れ落ちる。
雷蔵は泣いている彼の方へは視線を向けず、歩調を合わせて下水道から脱出した。
「お、俺……任務に……失敗して……! なのに……! 」
「何も言うな、ラーズ。今は回復することに専念しろ」
段々と彼を助けにきた解放者の兵士たちの姿が見え始め、ラーズの悲惨な様子を見た途端駆け寄ってくる。
回復魔法を使う者もいれば、応急処置を行おうと治療器具を手にした者もいる。
「すまぬ、ラーズを最優先で連れて行ってくれ。拙者は後から向かう」
雷蔵がそう兵士たちに告げると担架に乗せられたラーズの身体は瞬く間に下水道の入り口から遠ざかっていった。




