第五十五伝: Knight's Second Advent
<王都ヴィシュティア>
雷蔵は平重郎とクレアが追手の二人を挟み撃ちにした様子をじっと見つめる。
椛の殺意は相変わらず雷蔵に向いたままだが、あのハインツという騎士は即座に相手をクレアに変えていた。
「その声……!? クレアなの!? 」
「左様でございます、お嬢様。またこうしてお目に掛かれる日が来るとは思いませんでした。ですが時間がありません。ここは私たちに任せて先にお逃げ下さい」
「で、でも……! 」
元々旧知の仲であったのか、シルヴィは彼女を見捨てられないとその場で立ち止まる。
雷蔵は固まったままの彼女の手を引き、再びスラム街へと走り出した。
「ダメです、雷蔵さんっ! 」
「今はお主の無事が優先だ! 」
「でも! 」
「お主が死ねば、我々も死ぬ! この意味が分かるか、シルヴィ! 」
彼の言葉にシルヴィは下唇を嚙み締めながら囮となったクレア達から視線を背け、前を向き始めた。
象徴となる人物を失えば、組織は瞬く間に崩壊する。
その事は、前王である父を失ったシルヴィにとって痛感させられる事であった。
「……雷蔵! ここは俺たちに任せなァ! なァに、直ぐに追い付く! この嬢ちゃん連れて二人で帰って来てやるさァ! 」
「その言葉、信じるぞ! 平重郎! 」
当たり前よ、と平重郎が口にする頃には既に雷蔵たちは背後を向けて走り出しており、もう既に椛たちも見えない距離まで引き離している。
隣で走るシルヴィの事が気がかりであったが、今は彼女の生存を最優先すべきだ。
周囲に気を配りながら人気のない小道を走り抜け、兵士の気配を感じ取った彼はシルヴィの身体を胸に引き寄せてから裏路地に身を隠す。
「くそっ、あの男……! 面倒な事しやがって……! 」
「どうする? もし見つからなきゃ俺たち……王に殺される……」
「言うな! 俺だって怖い……でも、やらなきゃ……」
壁の陰に隠れつつ雷蔵は兵士たちの会話を耳にした。
どうやら彼らは王の名の下に圧制を引かれているらしく、少なからずの不満はあるらしい。
抱きしめたシルヴィの鼓動を感じつつ、壁から目だけを出す。
「……シルヴィ、ここにいろ」
「えっ? 何を……」
彼女の言葉を一瞥し、雷蔵は壁の陰から飛び出した。
三人の兵士たちは雷蔵の姿を見た途端、顔を引き攣らせながら槍や剣を手にして睨み付ける。
対する彼は腰に差した刀の柄に手を掛けず、両手を広げて敵意がない事を示した。
「な、何をしている……? 抵抗しないのか……? 」
「今のお主らの話、聞かせてもらった。王に殺される、とはどういう事だ? 」
「う、うるさい! この逆賊め! 質問する権利があると思っているのか!? 」
「では、お主らはここで死ぬか? 拙者を取り逃がして苦しめられながら死ぬか、拙者に一瞬で殺されるか。どちらが良い? 」
雷蔵は刀の柄に手を置く。
先頭に立っていた兵士の一人が、悲鳴に近い声を上げながら恐れ慄いた。
「……交渉しよう。もしお主らがここで拙者と協力してくれるのなら、この先にあるスラム街で身体の安全を保証しよう」
「ふざけるな! そんな事、聞くわけが――――! 」
その時、背後に立つ槍を手にした兵士が武器を地面に落とす。
「……それは、本当か? 」
「ミハエル!? 正気か!? 」
「考えてみろ! どのみち俺たちは殺されるんだ! だったら……だったら俺はムカつく連中に一矢報いてから死にたい! なあそうだろ! エド、お前は嫁さんや娘を人質に囚われてるだろ! クルス、お前だっておふくろさんを守る為に不本意に騎士団に入れられたじゃないか!? 」
エドとクルスと呼ばれた若いエルフの兵士たちは、ミハエルの言葉に俯いた。
どうやらヴィルフリート王は、こういった若い兵士たちが兵役から逃げないようにするため身内を人質にして強制的な圧制を布いていたらしい。
「……町にあまり若い男を見かけなかったのは、そのせいか」
「あぁ。男手はほとんど兵役に取られちまってる。町にいるのは団結してもすぐに鎮圧できる女子供だ。ヴィルフリート王は、表面上は良い顔をしてるが同胞殺しを平気で命じる奴なんだよ。セベアハの村のようにな」
雷蔵は柄から再び手を離し、三人との距離を詰める。
彼らも敵意が無い事を汲み取ったのか、すんなりと彼を受け入れた。
「お主らの家族は? 」
「俺のもこいつらのも、みんなディアテミスだ。あそこは町長が王の腰巾着だから、平気で市民殺しを隠蔽する」
「……看過出来んな。分かった、もし解放者に協力してくれるならお主らとその家族も保護しよう。だが、共に戦う時は武器を取ってもらう。それでも良いか? 」
「俺は賛成だ。エドとクルスは? 」
「……くそっ、やってやる! リリィとミラの為だ! 」
「分かったよ……協力する。ここからスラム街に続く近道があるんだ。そこなら他の兵士の目もない」
分かった、と相槌を打つと雷蔵はシルヴィを呼ぶ。
彼女は隠れていた路地裏から恐る恐る姿を現すと、細剣を抜き払って兵士たちを睨み付けた。
「止せ、シルヴィ。彼らは協力者となってくれるそうだ」
「う、嘘でしょう? そんな事が……」
「姫様、無礼を許してください。俺たちはみんな、あのヴィルフリート王には我慢の限界なんです」
「……分かりました。一先ずスラム街へ向かいましょう。お話はそこで伺います」
シルヴィの言葉を合図に5人は走り出し、クルスという男の案内の下で雷蔵とシルヴィはどうにかスラム街に辿り着く事が出来た。
彼の言う近道は本当に信憑性のあるもので、ギルベルト達で立てた作戦よりも遥かに少ない時間である。
スラム街の入り口に入った瞬間、武装した解放者の一員が3人の騎士達に武器を向けた。
「止せ! 彼らは協力者だ! 拙者たちをここまで案内してくれた! 」
「何だって……? 」
「その人の言う通りだ。俺たちはもうヴィルフリート王の圧政にはうんざりなんだ……」
「あんた達が必要としてる情報ならある程度は教えられる。だから頼む、俺たちの家族を保護してくれ! 」
突然の事態に困惑した表情を浮かべている青年の横を、燕尾服を身に纏った男性が通り抜ける。
その男を見るなり雷蔵の隣にいたシルヴィが目を見開きながら彼の下へと駆け寄り、抱きしめた。
「ギルっ! 」
「ほっほっほ、これはこれはお嬢様……よくぞ御無事で」
「はいっ……! ギル……生きていたなんて……あぁ、神様……」
彼女に抱きしめられた状態のままギルベルトは立ち上がり、守衛の青年の肩を叩く。
「彼らをお通ししなさい。貴重な協力者だ。皆には私から言っておく」
「はっ。了解いたしました。お三方、こちらへどうぞ」
ミハエル達はその場で頭を下げてからスラム街の奥へと消えていき、雷蔵とギルベルト、シルヴィのみが残された。
ギルベルトはシルヴィを地面にゆっくりと下ろすと、雷蔵の背中を優しく撫でる。
「……この御恩。決して忘れませんぞ、雷蔵さん」
「まだ御礼を申されるのは早い。平重郎とクレア殿、それにラーズとエル殿が気掛かりだ。状況は? 」
「ラーズさんとエルさんは無事に城内へと侵入し、平重郎とクレアは未だに交戦中です。兵を送るのにはもう少し時間が掛かるかと」
そうか、と雷蔵は言い残すと自身が先ほど通った道を不安げな目で見つめた。
出来れば誰一人として失いたくはない。
しかし、強い人間でも時の運というものがある。
雷蔵はそれだけが心配だった。
「皆……無事でいてくれ……」
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<西の大通り>
「ちいっ! おいハインツ! 無事か! 」
「なんとかな。しかし想像以上にこの連中……強い……! 」
平重郎は互いに距離を取ったまま、光を映し出さない両目で対面する椛とハインツを睨み付けながら笑みを浮かべる。
隣のクレアは三本の投げナイフを指の間にそれぞれ挟み、臨戦態勢をとっていた。
彼の腕に付けた鈴が凛とした音色を周囲に響かせ、脳内には周囲の光景が反映される。
目の前の敵は騎士と女の戦士の二人。
特にあの少女の方は昔故郷で見た忍と動き方や武器が一致している。
「……お前さん、和之生国の出身だなァ? 」
虚を突かれたように椛の目はわずかに見開かれた。
「言わなくても分かるよォ、その音を消しながら相手に接近する動きと急所だけを正確に狙った反撃……まさしく俺の知っている忍者と同じなんでィ」
「……貴様……やはり……鬼天狗……! 」
「姉ちゃんみてェな美人さんに覚えられてるとは嬉しいねェ。人間、長く生きているといい事の一つもあるもんだ」
反対方向から武器を取り出す僅かな金属音を察知し、平重郎は手にしていた仕込み刀の鞘と柄を握る。
だが、椛からの足跡は聞こえない。
(……投擲武器か! )
空を切る音と共に真っ直ぐに向かってくる3本の苦無。
いくら平重郎ほどの達人でも、音を立てない遠距離武器を回避するのは難しい。
加えて、彼の魔法具が周囲の状況を脳に送信するのは1秒ほどのタイムラグが生じる。
数回剣を交えて近距離戦では歯が立たない事を相手が理解したのであろう。
しかし、それを黙って見ている程彼の仲間は呆けてはいない。
風切り音と共に苦無が投擲されたナイフによって叩き落され、周囲に甲高い金属音を縦ながら地面に落ちた。
「……平重郎様。彼女は私がお相手致します。貴方様はあの騎士様を」
「あいよォ。歳を取ると判断力が鈍って嫌だねェ」
「ハインツ、あの老人には気を付けろ! 」
「分かっている……! そちらもな! 」
瞬間、先手を取ろうとハインツが手にした騎士剣を平重郎の脳天目掛けて振り下ろす。
何も準備していなかった彼はその光景を一瞥しつつ、口角を吊り上げた。
「正面か」
「!? 」
武器を構えていない状態から仕込み刀を瞬時に抜き払い、逆手に持った刀と両刃の剣が鎬を削る。
目の前の出来事に脳の理解が追い付いていないようで、ハインツは茫然とした表情を浮かべていた。
「おい兄ちゃん、良い事一つ教えてやるよ。老いぼれからの忠告だ」
左手に握った鞘をハインツの顎目掛けて振り上げるが、間一髪のところで肉薄される。
「そんな阿呆みてえな面してっと、あっという間に死んじまうぞォ? 」
「その通りだな、ご老体」
では、とハインツは口笛を吹いた。
突然の行動に理解が及ばない平重郎は、目の前の騎士から視線を離さない。
――――その時であった。
突如として上空から殺気を感じ、咄嗟に彼は得物をその方向へ突き出す。
何か鋼の擦れる音が聞こえ、今までとは違う血の匂いが彼の鼻孔に充満した。
魔法具が新たな敵を映し出す直前に彼の左足から鮮血が噴き出し、顔を歪ませる。
「……私とて奥の手は準備してある。本当は貴殿のような強者と一騎討ちで剣を交えたかったが……止むを得ん」
「平重郎様! 」
「俺の事ァいいッ! 嬢ちゃんはその忍者抑えてろォ! 」
目の前の敵も椛と同じような黒装束に身を包んでいたが、和之生国の忍のような出で立ちではない。
そもそも鍔競り合っている得物もこの国のもののようだ。
日本刀よりも刀身が真っ直ぐに伸び、剣幅も広いこの武器はファルシオンの名で慣れ親しまれている。
「おいハインツ、こんなジジイに手こずってのんかよォ? 」
「油断するなよ、フィオドール」
「へッ、まだケツの青いガキにジジイ呼ばわりされると腹が立つねェ……」
フィオドールと呼ばれた目の前の青年は平重郎の言葉に青筋を立てた。
黒の長髪を揺らしながら隠れた片眼を露わにし、ファルシオンを握る力を強める。
「俺に喧嘩売るたぁ良い度胸してんじゃねえかジジイ……」
「そうかい? お前さんの方がよっぽど勇気あると思うよォ」
抜かせ、とフィオドールと平重郎は再び互いの武器を弾いた。
型に嵌らない剣術を駆使する彼の動きはとても捉えにくく、尚且つ音の立つ方向も不規則である。
加えて仕込み刀よりも大きい刀身を持つ得物。
平重郎にとって、この男は相性が最悪と言っても過言ではない。
「取らしてもらうぞ、ご老体」
「まあ、アンタも出てくるよねェ」
至近距離で睨み合っていたフィオドールの身体を蹴り飛ばし、側面から迫って来ていたハインツの剣撃を受け流す。
騎士剣が仕込み刀の刃と火花を散らしつつ一度だけ交え、平重郎は横殴りに刀を振るった。
身を屈ませつつその一撃を回避するハインツの隣に、先ほど距離を取ったフィオドールが再び彼の目の前に接近した。
即座に胸の前で鞘と刀を交換し、左手に持ち替えると縦一文字に振り下ろされた大刀の一撃を防ぎ切る。
がら空きであったフィオドールの胸目掛けて鞘の先を突き出すも、体勢を立て直したハインツによって遮られてしまう。
「貰ったァッ!! 」
横殴りに振るわれた大刀は平重郎の喉笛を的確に捉えている。
咄嗟に刀を縦に構えて致命傷は避けるも、両足が地面から離れた。
空中で一回転しつつ体勢を立て直し、無事に着地するもハインツがその隙を逃すはずもない。
気迫の咆哮と共に突き出される騎士剣の切っ先が平重郎の頬を掠め、数滴の赤い雫が宙を舞う。
石畳の間に突き刺さった剣を弾き上げ、空いた胸部目掛けて刀の柄頭を突き出した。
ハインツの鳩尾に漆塗りの木がめり込み、目の前の男の口から酸素が強制的に吐き出される声が聞こえる。
「余所見してんじゃねえぞォッ!! 」
「ちいッ! 」
止めを刺そうと思ったところでフィオドールからの素早い一撃が平重郎に見舞われ、右肩をファルシオンの刃が掠めた。
だがその傷をもろともせずに刀を袈裟斬りの要領で振り下ろし、フィオドールの身に着けていた革製の胸当てを切り裂いた。
「おいハインツ! 寝てんじゃねえ! 」
「分かっている……! 」
二人という人数差の圧力を以てしても未だに平重郎は致命傷を負ってはいない。
しかし、このままでは確実に負ける。
腕を一本犠牲にしてでも一人を潰し切るしか手段はない、と腹を決めてフィオドールに向かっていった。
「舐めるんじゃねえぞッ!! 」
「やるねェ……ッ! 」
口ではそう言っても、実際かなり押されているのは事実。
鎬を削っている平重郎の背筋に、悪寒が走る。
殺気のする方向へ顔を向けると、そこには騎士剣を突き出そうとしているハインツの姿が。
まずい。
このままでは、やられる。
ゆっくりと魔法具が死にゆく光景を映し出した。
――――だが。
「跳べッ!! エルダンジュッ!! 」
背後から聞こえる馬の蹄の音が聞こえたと思うと、迫っていたハインツの身体は大きな白馬によって遮られる。
白馬の身体によって体勢を崩された彼は、突如として現れたもう一人の騎士によって平重郎から無理やり引き離された。
同時に鎧の擦れる音と女性物の石鹸の匂いが鼻を刺激し、馬の嘶きが聞こえる。
「――――二人で一人の戦士と戦うなど、騎士の風上にも置けん。そこまで堕ちたか、ハインツ」
「貴公は……! レーヴィン・ハートラント……ッ! 」
今、銀騎士が戦場へと舞い降りた。




