第五十四伝: 大脱出
<王都ヴィシュティア・大広場>
首に巻いた白い襟巻が風に靡く様子を一瞥しながら、雷蔵は右手に握った愛刀・紀州光片守長政の峰を肩に担ぐ。
彼の足元には先ほど手首に一撃を加えた処刑人が膝を着きながら雷蔵を睨み付けており、一度だけ視線を交わした。
「……峰打ちだ、安心せい。お主も上に逆らえず、仕方なく多くの首を斬ってきたのだろう? 」
「な、何を……? 」
「ここから疾く去れ。さすれば命は見逃してやる」
「で、でも俺は命令無視に……」
怯えたような目を向ける処刑人の男に雷蔵は口角を吊り上げる。
「なに、いずれにせよあの下賤な輩は堕ちる。お主は身を隠せ。なぁ! そうであろう、ヴィルフリートとやら! 」
肩に担いだ愛刀の切っ先を少し離れた場所で座っているヴィルフリートに向けた。
彼の虚を突いた行動のせいか、周囲の騎士達は唖然としたまま雷蔵とシルヴィを見つめている。
周囲を囲んでいた市民たちも同様に、口を開けたまま二人から視線を離していない。
「この場にいるヴィシュティアの民達よ! 聞け! このヴィルフリート国王は前王であるアルフィオ=ボラット=リヒトシュテインを暗殺し、無理やり王座の地位にのし上がった男だ! 」
観客たちの間から一斉にざわめきが起き、当の本人は血を登らせながら雷蔵を睨み付ける。
「そのような不正を行った男に、王になる資格はあるのか! 否! 断じてないッ! 魔法の全てを統べるこの国の長は、まだ存命しているゼルギウス皇太子こそ相応しいッ! 」
「えっ……? 嘘……お兄様は……死んだと……? 」
「何をしているッ! 貴様ら! あの逆賊を捕らえろ! 我々の宿敵である"解放者"の一員だぞ!? 」
ヴィルフリート国王の大喝により固まっていた兵士たちは一斉に処刑台へと押し寄せ、雷蔵を捕らえようと手にした得物の先を向けた。
幾つもの槍の穂先を向けられても雷蔵は笑みを崩さず、刀を鞘に納める。
気でも違ったか、という一人の怒号を合図に胴着の懐から魔法陣の描かれた球を数個取り出し、地面に叩き付けた。
直後、雷蔵の足元から白煙が立ち込め二人の姿を覆い隠す。
瞬く間に煙は広場全体を覆い始め、ヴィルフリートをはじめとした全員が雷蔵達の姿を見失った。
「好機! 」
その言葉と共に雷蔵は処刑台から飛び退き、僅かな間を縫ってケルトゥナの西門へと駆けだす。
煙幕が晴れる頃には既に姿を消しており、彼の背後から大きな怒号と騒めきが聞こえた。
「口と鼻を塞いでおけ! 拙者の腕から離れるなよ! 」
「は、はいっ! 」
彼の強靭な両足によって生まれた速さを身体で感じながら、シルヴィは雷蔵の腰に手を回した。
対する雷蔵は彼女の両手を握り締め、自身から離れないように固定しながら走り続ける。
「追えっ! 奴らを逃すな! 」
「解放者たちの好きにさせてたまるか……ッ! 」
そうしてシルヴィを抱えながら走る事数分、雷蔵は街角の裏路地に入り身を隠す。
狭い路地には気づかなかったのか、後を追っていた兵士たちはそのまま西門へと姿を消した。
壁と壁の間から顔を出し、周囲の状況を確認しつつ雷蔵はシルヴィへと視線を落とす。
彼女は何か言いたげな視線を向けていた。
「……どうして、私を助けてくれたんですか? 雷蔵さん、あの時はもう関係ない赤の他人だって……」
「……拙者が恩を返したかった、では納得してくれぬか? 」
「恩……ですか? 」
可愛らしく首を傾げるシルヴィの頭を撫でながら、雷蔵は微笑む。
「シルヴィが連れ去られてしまった時、お主と初めて出会った時を思い出してな。アテも無く旅をしていた拙者にシルヴィは第二の名前をくれた。武士として、何より男として可憐な女子から受けた恩を仇で返す訳にはいくまい。だから拙者は、いや……俺は君を助けに来た」
「そ、そんな昔の事なんて忘れちゃいましたよっ! 」
そっぽを振り返りながらシルヴィは腕を組んだ。
でも、と言葉を続ける。
「……助けに来てくれて、有難うございました。貴方がいなかったら私……」
「気にするな。お主と拙者の仲だろう? 」
話を整理した所で雷蔵はよし、と会話を一旦切る。
「この先のスラム街で解放者の本隊と合流する手筈となっている。そこに到着するまで、おそらく何人かの兵士と戦う事となるだろう」
「武器はありますか? 」
無論、と雷蔵は背中に差していた刀袋をシルヴィに手渡した。
紫色の包みを解くと、其処には彼女の生家リヒトシュテイン家の代々伝わる細剣と短剣が一振りずつ姿を現す。
「宝剣・リヒトシュテイン……? どうしてこれを? 」
「……説明は後でする。走れるか? 」
雷蔵の問いにシルヴィは身に纏っていた純白のドレスのスカートを破り捨て、走りやすいように裾を細剣で斬り落とした。
履いていたハイヒールのかかと部分ももぎ取り、彼女の白い両足が露わになる。
「はい! 生きてここから逃げましょう、雷蔵さん! 」
「委細承知仕った! 」
同時に二人は路地から飛び出し、周囲を捜索していた数人の騎士たちと鉢合わせた。
突然の出来事に脳の処理が追い付かなかったのか、彼らの身体は固まったままだ。
手にした刀の刃を返し、峰の部分で一人目の騎士の首元を殴打する。
まず気絶させた事を確認した瞬間に雷蔵の双眸は次の獲物へと向いており、左の肩口目掛けて刀を振り下ろした。
鈍い音と共に両手に走る骨を折った感触を一瞥しながらシルヴィの方へ視線を向けると、彼女は既に最後の一人を無力化している。
互いに頷き、両者は再び西のスラム街の方へ駆け出していく。
幸い、先ほどの連中には増援の兵士を呼ばれてはいない。
このまま何事もなければ、無事にシルヴィと本隊を合流させることが出来るだろう。
しかし、物事はそう上手くいかない。
加えて運命とはひどく残酷な状況を突き付ける時がある。
「逃すかッ!! 」
誰もいない大通りに響く、少女の声。
同時に雷蔵は背後からの強大な殺気を感じ取り、咄嗟に刀を突き出す。
「……椛ッ! やはりお主かッ! 」
「椛さんっ! 止めてっ! 」
二振りの小太刀を両手に、黒い忍装束に身を包んだ志鶴椛が殺意と怨念を剥き出しにしながら雷蔵と鍔競り合った。
隣にいたシルヴィの問いかけにも応じず、ただ雷蔵を殺すという強烈な憎しみを胸に抱きながら刀を振り下ろしている。
出来れば手に掛けたくはない、と思いながらも細剣を握る力が段々と強まっていった。
その時。
「――――貴女がこんな事をするとは思いませんでしたよ、姫様」
聞き覚えのある男の声と共にシルヴィの二剣が黒い装飾を施された騎士剣と火花を散らし、金属の板が擦れる音が響く。
ハインツ・デビュラール。
この男までもが、二人の居所を突き止めていた。
「ハインツ……! 」
「あの侍の先ほどの物言い……国に仕える騎士として無視できたものではありません。お覚悟を。シルヴァーナ元王女」
「シルヴィ! 」
「余所見をするなァっ!! 雷蔵ッ!! 」
押され気味のシルヴィに気を取られてしまったせいか、対面していた椛を前に隙を晒す雷蔵。
その絶好のチャンスを彼女が逃すはずもなく、鋭い足刀が彼の腹部に直撃する。
「ぐゥッ……! 」
「椛。その男は殺すな。王は生け捕りをご所望だ」
「私に命令するなッ、この飼い犬めッ! 」
よろめく雷蔵を追撃するかのように椛の小太刀は彼の両肩を切り裂く。
炎で熱した鉄棒を体内へ押し込められたような激痛が走り、思わず彼は顔を顰めた。
しかし雷蔵も負けてはいられない。
一歩椛の懐へ入り込みタックルを食らわせると愛刀を振り上げ、一旦距離を離れさせた。
そのわずかなスキをついて未だに睨み合っていたハインツとシルヴィの間に割り込み、彼女の身体を抱え上げる。
「ちっ。あの侍……なかなかやる! 」
「逃すかッ!! 」
二人を一瞥しながら雷蔵は背中を向けて走り出し、敢えて彼らに隙を晒した。
無論の事椛とハインツは逃げる雷蔵の足を止めようと各々の得物を手に彼を追い始め、徐々に距離を詰めていく。
「今だ、シルヴィ! 」
「強奪せよ・眼球の光ッ! 」
追い付かれると思ったその瞬間に雷蔵は背後を振り向き、抱え上げていたシルヴィの身体を彼らに向けた。
彼女の手からは黄色の魔法陣が展開されており、即座に膨大な光量を放つ閃光を生み出す。
「罠かっ! 」
「小癪な真似を……! 」
ハインツと椛が足を止めた瞬間に雷蔵はすぐ隣にあった町の細道へと入り込み、行方を眩ませようと不規則に路地を通り抜けていく。
しかし背後からは二つの足音が聞こえるのみで、より一層彼の焦りを生んだ。
彼女を下ろしつつ再び大通りへ逃げ出すも、二人の追跡は止まる事はない。
その時だった。
雷蔵は前方から二つの影が走ってくるのを見逃さず、思わず口角を吊り上げる。
直後、雷蔵は逃げる足を止めた。
背後からハインツと椛の姿が段々と近づいてくるにつれて、彼の心臓の鼓動は速さを増していく。
「なぜ足を止めた……? 」
「知るか、今が好機だ! 」
迷わず攻撃を仕掛けてこようとする椛と視線を交わし、雷蔵は不敵な笑みを浮かべた。
彼の正面に、着物を羽織った老人の姿が現れたから。
鋼の擦れ合う音が周囲に響き渡り、それと同時にハインツの足も止まる。
背後には、ロングスカートのメイド服を身に纏った少女の姿が。
「――――ここから先は通行止めでねェ」
「私たちを倒してから、お進み下さいませ」




