第五十三伝: 益荒男
<魔道連邦フレイピオス・王都ヴィシュティア>
そうして、2週間の月日が流れた。
今日の昼過ぎに王都の広場にてシルヴィの処刑が執り行われる為、雷蔵は旅の人間を装いながら王都へと侵入しようとしている。
王都の正門には多くの奴隷を連れた商人で溢れ、白一色で染め上げられた城壁には何人もの兵士が旅人の列を睨み付けていた。
「…………」
既に時刻は朝の9時を回っている。
予定時刻通りに関所へと辿り着く事が出来た雷蔵は、胴着の懐から緑色の小さな宝石を取り出した。
親指でそれに触れると胴着の中で宝玉が淡く光り、数センチのモニターを展開させる。
「現在王都の方に着いた。これから衛兵の身体検査を受ける所だ」
『分かった。俺とクレアももうすぐ作戦地点に着く。ラーズ達も地下水道の方へ到着してる筈だ』
「ラーズはエル殿とは連絡できないか? 」
『出来なくはないが、正直きつい。奴らの場合潜入任務だから下手に感知されても面倒だ』
そうか、と平重郎からの通信を一瞥し、小さく頷くと雷蔵は宝石の魔法陣を切った。
いよいよ彼の番が回ってきた所で被っていた笠を外し、衛兵たちに顔を見せる。
訝し気な視線を向けられるが、眉一つ動かさずに懐から冒険者組合の身分証明書を渡した。
「ボディチェックを行う。武器を渡せ」
「相分かった」
言われるがまま腰に差していた愛刀とその脇差を兵士の一人に預けると、雷蔵は両手を広げて身体を調べさせる。
胴着の懐にも手を突っ込まれ、得も言われぬ不快感を覚えた。
「おい、これは? 」
「あぁ、依頼者から報酬として頂いた宝石に御座る。装飾品の類は拙者身に着けぬので、旅の路銀にでもと思った所存」
「……ふん、まあいい」
兵士は手にした緑の宝石を雷蔵の手に戻し、同時に身分証も返す。
この宝石が通信機器である事がバレなくてよかった、と内心胸を撫で下ろした。
「この人間は問題ない。次を通せ」
「忝い。では、これにて」
兵士たちに頭を下げるも彼らは忌々し気な視線を雷蔵に向けてその一礼を無視する。
刀を腰の位置に戻してから関所を抜けると、そこにはディアテミスよりも遥かに発達した都市群が広がっていた。
王都、というのは名ばかりではないらしい。
正門を抜けたすぐ傍には農作物や土産物が販売されている屋台が立ち並び、多くの旅人と市民で賑わっている。
だがその大多数はエルフの男女が占め、人間やオークの姿はほとんど見当たらない。
ギルベルトによれば彼らはスラム街に押し込まれているという。
現に今も雷蔵に投げかけられる視線は疑念を孕んだものか珍しいものを見るものが多い。
ヴィルフリート国王のエルフ至上主義がどれだけ世論に影響を与えているかが見て取れた。
「平重郎殿。今王都に侵入した」
『了解。そのまま処刑時刻になるまで広場に潜伏してろ。俺たちはスラム街に行く』
承知、という返答と共に通信は再び途切れる。
首に巻いていた白い襟巻が薫風に揺られ、後ろで結んでいた黒髪に触れた。
笠を被り直し、雷蔵は再び広場へ向けて足を動かす。
町の大通りを歩きながら周囲を見回すと、そこら中に兵士が配置されているのが目に入った。
兵士を見る限りでは若いエルフの男性が多く、老練な騎士は見当たらない。
街中の警備を強化する名目で下っ端の人間に雑用を押し付けているのであろう。
「……済まぬ、そこの方。少し道をお聞きしたい」
「えっ、に、人間がどうしてここに……」
「旅の者だ。少々腹が減ったので、全種族向けの飯屋の場所をお尋ねしたいのだが……」
「それならここを真っ直ぐ行って大広場が見える筈です。その東側にありますよ」
「忝い」
エルフの女性に頭を下げ、雷蔵は立ち去る。
何やら不思議なものを見る視線を背後から向けられているが、この際気にしてはいられない。
襟巻きを顔の半分が覆えるように位置を変えると、そそくさと目的地へと足を進める。
「ここか……」
彼が目の当たりにした光景は、予想よりも遥かに広い中心広場であった。
広場の真ん中には国王らしき人物の銅像が建てられ、その前に処刑台が設置されている。
その地点を始まりにするかの如く四方向に大通りが広がっており、そこから多くの小道が枝分かれしていた。
2週間前の作戦会議と同じ立地である事を確認した雷蔵は、周囲の人混みに溶け込みながら先ほど尋ねた食堂へと目的地を変える。
まだ朝なのにも関わらず、広場には多くの見物客でごった返していた。
それほど元皇族の処刑というものは大きなイベントなのであろう。
雷蔵にとっては忌まわしい出来事でしかないが。
食堂に入り、雷蔵は外のテラス席に案内される。
こうして彼は、シルヴィ奪還の手筈を整えたのであった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
<ダラムタート城・客間>
同刻。
2週間という月日が、シルヴィにとってどれほど長く感じられただろう。
王の娘に生まれ、国を追われ、国を取り戻そうと戦ってきたが……。
「……それも、今日で終わる」
やけに、胸が透いた気分だった。
肩の荷が下りる、と言えばいいのだろうか。
純白のドレスに身を包んだ彼女は横髪の三つ編みを解き、絹糸のような長い銀髪を揺らしながら客間の窓から外の景色を見つめていた。
こんな晴れやかに死ねるのなら、自分は幸せ者かもしれない。
民に嬲り殺された父や母、兄よりよっぽど良い死に方であろう。
「シルヴァーナ=ボラット=リヒトシュテイン。現時刻より、貴様を処刑場へ連れて行く」
「……椛さん」
「……悔いは、無いんだな」
彼女の見張りとして2週間生活を共にしたこの女忍者――志鶴椛の言葉にシルヴィは頷く。
椛が彼女の手を取る前に立ちあがると、客間の外へと出た。
既に何人もの護衛が詰めかけており、そこには王国親衛隊隊長のハインツ・デビュラールが二人を待っている。
「魔道連邦フレイピオス、ヴィルフリート国王親衛隊隊長。ハインツ・デビュラールであります。今からこの椛と共に、貴女をお連れします」
「ハインツ……」
目の前に立った鈍色の鎧を纏う金髪の騎士をシルヴィは知っていた。
かつて彼女の父が王を務めていた時も、親衛隊の副隊長として従事していた筈である。
椛とハインツによって両手を拘束され、王城の階段をそのままの状態で降りる三人。
幸い食事も十分に与えられていた為、抵抗する事は出来るもののこの二人に囲まれてしまっては殺されるのが関の山であろう。
「……私の事が、さぞ憎い事でしょう。貴女がたを裏切り、今ものうのうと生き永らえている臆病者だ。ですが、私は国にこの身を捧げた騎士。如何なる理由であろうとも、悪政を布く王でも仕えなければならない」
「貴方の事を憎いと思った事はありません。全てはヴィルフリートの企てによるもの。貴方のような騎士がいるのなら……この国はまだ救いようがあります」
「姫様……」
そんな会話を交わしているうちに三人は、馬車の止まっている庭園へと辿り着く。
「……無駄話はそこまでだ。そんな事を漏らしてしまっては、貴様まで処刑されるぞ? ハインツ」
「貴公に言われずとも、分かっているさ」
椛の手によって馬車に乗せられ、彼女とハインツに挟まれる形で腰を落ち着けるシルヴィ。
これから死にに行くというのにも関わらず、やけに彼女の表情は冷静であった。
シルヴィぐらいの年齢の人間は、死を目の前にしたら泣き叫ぶというのに。
そうして馬車で走る事約五分。
大勢の民衆でごった返す北の通りを窓越しに見つめながら、シルヴィは過去の思い出を脳裏に浮かばせた。
よく城を抜け出してはこの城下町に足を運び、レーヴィンや執事であるギルベルトを困らせたものだ。
だがもう、今となっては虚しい記憶にしかならない。
自分のせいで、多くの血が流れ過ぎた。
馬車の扉が騎士によって開けられ、シルヴィは白日の下に晒される。
多くの人間がシルヴィの姿にどよめくが、彼女にとってはもう気にならないものだった。
「静粛に! 皆の者、静粛に! 」
先に大広場にいたヴィルフリートがざわつく民衆を一喝し、一瞬にして沈黙を広める。
登壇した彼はマイクを手に取ると、憐れむような視線をシルヴィに向けた。
「……約3週間前の事。我々はセベアハの村に潜伏していた彼女を捕らえる事に成功した。罪状は国家の転覆を狙った反逆罪。嘗てのリヒトシュテイン王のような国を作る為、私を殺そうとした」
市民からは再び騒めきが生まれるが、ヴィルフリートはそれを制す。
「未だに国が変わった事を受け入れ切れないこの哀れな王女を私は処刑する事に決めた。諸君らにも、その死に際を見る権利がある」
彼の声と共に、シルヴィは処刑台へと連れて行かれた。
既に椛とハインツの手からは離れ、筋肉粒々の処刑人によって断頭台に跪かされる。
「最期に、何か言葉を。シルヴァーナ元王女」
「…………」
視線が一斉にシルヴィへと向いた。
憐れむ者、憤りを隠せない者、悲し気なものを向ける者……。
多種多様な視線を彼女は浴びても尚、その凛とした表情を崩さない。
「……私の死を以て、この国が発展していくのなら……。私は……喜んで死にます」
本当は死ぬのなんて御免だ。
まだやりたい事もたくさんあったし、想いを伝えていない人間だってたくさん居る。
だが、もう全てが手遅れだった。
もう、取り戻す事は出来ない。
自らの命でさえも。
「……やれ」
ヴィルフリートの声が響き、彼女の背後に立つ処刑人が大きな戦斧を振り上げた。
あぁ、ようやくこれで……家族の元へ逝ける。
そう思うとなんだか……とても救われた気持ちになった。
シルヴィは目を閉じる。
時が止まったかのようにゆっくりと迫る死の瞬間を待つように。
あの大きな斧によって自分の首を落とされる。
――――筈だった。
突如背後から鋼のぶつかり合う音が聞こえたかと思うと、両腕の拘束具は瞬く間に外れた。
次の瞬間彼女の身体は何者かの手によって持ち上げられ、民衆の唖然とした顔が目に入る。
「な、何者だ……!? 貴様ッ!! 」
ヴィルフリートの怒りに震える声がマイクから響き渡った。
シルヴィは恐る恐る顔を上げ、自身を助けた男の顔を一目見ようと視線を向ける。
男の顔は白い襟巻で隠れてよく見えない。
しかし、この匂いには覚えがあった。
ずっと共に旅をしてきた、男の――。
「――――解放者なる者。傾国の姫君を助太刀致す為、此処に馳せ参じた」




