第五十二伝: Fly in the Blue Moon Night
<ダラムタート城・皇室>
同刻。
共存主義一派の根城であったセベアハの村に侵入され、自身の身柄をロイたちの手によって確保されたシルヴィは現在二人の兵士と一人の女忍者によって皇室へと続く廊下を歩いている。
武器や持ち物は全て奪われ、両腕も拘束されている為魔法も使えない。
加えて背後にいる女忍者からは僅かばかりだが殺気も感じる。
ここから抵抗して無理やり脱出するのは不可能に近いだろう。
「……ヴィルフリート国王。シルヴァーナ姫をお連れしました」
「入れ」
黒塗りの扉には様々な模様が彫られ、荘厳な雰囲気を醸し出している。
女忍者は開かれた扉の前に立ち顎を動かして向かう場所を指し示した。
皇室にシルヴィが足を踏み入れた瞬間、二人の兵士は彼女の身体を突き飛ばし部屋の奥へと追いやる。
「ほう、これはこれは……」
「ッ……ヴィルフリート……! 」
「御機嫌麗しゅう、シルヴァーナ姫。いや、もう"元王女"と呼んだ方が宜しいですかな? 」
国王ながらも下劣な笑みを浮かべる彼の姿に、シルヴィは奥歯を嚙み締めた。
彼女の父がフレイピオスの国王を務めていた頃のヴィルフリートは穏やかであったが、それも王の冠を手に入れる為の演技だったのだろう。
「貴様のせいで……お父様もお母様も、兄様も……! 」
「勘違いしないで頂きたい。ただエルフ至上主義を求める民が多かっただけの事。貴方がたは望まれて王座から蹴落とされた」
「黙りなさいッ!! 」
ヴィルフリートの言葉に激昂したのか、シルヴィは両手が塞がっていても一気に距離を詰めようとする。
しかしすぐ傍にいた女忍者によってそれも阻まれ、彼女の身体は床に叩き付けられた。
「下手な真似はするものではありませんよ、姫様。処刑の日を早まらせたいのですか? 」
「……くっ……」
「ロイはどこへ行った? 」
「彼は研究室に籠っています。何やら調整がある、との事ですが」
押さえつけられた彼女の脳裏に白衣姿の銀髪の男が浮かぶ。
ロイ・レーベンバンク。
今回の騒動の元凶とも言って良いだろうその男は、平凡な科学者を装ってシルヴィたちに近づいた。
魔導研究所・マナニクスという名を聞いた時点で疑うべきだった、と内心彼女は後悔する。
フレイピオス王家と代々密接な関係を創り上げてきたマナニクスの技術顧問が、亡命していた彼女の存在に気づいていない訳がない。
全ては自分の不注意のせいでセベアハの村に大打撃を与え、雷蔵さえも傷つけてしまった。
「調整……? 」
「貴女には関係のない事です。もうすぐ殺されるというのに、この国の内部に携わってどうするのですか? 」
「自らの野望の為にただ王の権力を欲したあなたとは違って、私は本当にこの国の事を思っています! あなたのような人間に、王になる資格などないッ! 」
「今日はよく口が回るようで。私ほどこの国の将来を考えている男はいませんよ」
「どの口が抜かしますか……! フレイピオスにいる人間とオークを見捨て、エルフだけを優先した男が! 」
「おい貴様! いい加減にしろ! 王の御前であるぞ! 」
背後にいた兵士に肩を掴まれ、無理やり振り向かされると兵士の平手打ちがシルヴィの頬に直撃する。
彼女は再び地面に膝を着くが、負けじと彼を睨み付けた。
王女の威厳に振れた男は再び腕を振り上げるが、皇室の玄関の傍に立っていた忍者によって阻まれる。
「放せ、人間風情がッ! 」
「人質を痛めつけてどうする。王の御前というなら、貴様も少し弁えろ」
「この……ッ! 」
「椛の言う通りだ。少し落ち着き給え」
ヴィルフリートの言葉もあってか、激昂していた騎士は不満げな顔を浮かべながらシルヴィを立ち上がらせた。
「姫様をお連れしろ。椛、頼めるか」
「御意」
椛、と呼ばれた女忍者は怒りを剥き出しにするシルヴィを起き上がらせ再び拘束された彼女の手を掴む。
今度は兵士たちの護衛は無く、無理やり王室の外へと出された。
再び静寂が二人を包み、女忍者によってシルヴィは長い階段を下りる羽目となってしまった。
「……私をどこへ連れて行くつもりですか? 」
「貴様と話す口は持たん。黙って歩け」
簡単な質問でさえも一蹴され、重苦しい空気が再び二人の間に占める。
その時、シルヴィの腹から地響きのような音が響いた。
顔を赤らめながら彼女は背後を振り向き、椛と視線を交わす。
「……そんな眼で見るな。情が移る」
「そ、その……捕まった時から何も食べてなくって……」
階段の段差もあってかシルヴィの上目遣いはより一層彼女の美貌を引き立たせ、雨に打たれた子犬のような哀愁を漂わせた。
思わず椛も言葉に詰まり、視線を離す。
「……はぁ。分かった。部屋に入ったら何か食い物を持って来てやる。餓死でもされたら私もたまったものじゃない」
「やったぁ! あ、ごめんなさい……」
随分を長い時間を掛けて連れて行かれた先は他国からの人間を滞在させる客間であった。
先程の皇室と同じような煌びやかな装飾に包まれた扉の前に立つ若い兵士がシルヴィと椛の姿に気づく。
「おや、もう交代ですかい? 」
「あぁ。悪いんだが何か夜食を持って来てはくれないか? 少し腹が減ってしまって……」
「へへっ、分かりました。意外と女の子らしいとこあるんですね、椛さん」
部屋の番を務めていた若いエルフの男性は悪戯な笑みを浮かべながら彼女の肩を叩いた。
そんな彼を椛は睨み付け、食事の運搬を催促する。
シルヴィは両手の拘束を解かれるとそのまま客間のベッドに座らせられた。
「ここが貴様の部屋だ。主から死刑執行の日まで丁重に持て成せとの命である。何かあったら私に言え」
「え、でしたら……」
「脱出は考えない事だな。すぐにでも兵に見つかって戻されるのが関の山だ」
考えていた事を言い当てられ、シルヴィは再び口を噤ぐ。
「……じゃあ、私の質問に答えてください」
「何だ? 」
「雷蔵さんとの、関係は? 」
「……そうか、貴様……」
虚を突かれたように椛は唖然とした表情を彼女に向け、そして視線を俯かせた。
深い溜息をもう一度吐いた後、シルヴィの隣に椛は腰を落とす。
「……何故私がここまで貴様に心を開いているのかは分からん。敵と会話をするのは本来忍びの意義に反するが……いいだろう」
彼女を安心させるために隠し持っていた苦無をすぐ傍のテーブルの上に置き、手足の防具を外した。
どこから話したものか、と椛はポニーテールを揺らしながら再び俯く。
「奴の首斬という名は、雷蔵の過去の職業に基づいている。故郷……和之生国にはフレイピオスと同じように処刑制度があって、雷蔵はその処刑人役を務めていた。処刑人役が罪人に刑を執行する際、使う刀は専属の鍛冶師から渡される。私の兄……志鶴長政はその鍛冶職人だった」
「長政……? 」
「あぁ、奴の刀にも長政という名が入っているだろう。和之生国では武具を売り出す際、刀を打った鍛冶師の名を名前の一部に組み込む風習がある。私の兄もその風習に準じて、雷蔵によく刀を渡しに行っていた。そこから兄の家族と彼、それに私は親交を深めるようになった」
淡々と話す椛の横顔を、シルヴィは真剣な表情で見つめた。
歳は彼女と同じくらいなのに、どうしてか非常にもの悲し気な目をしている。
「ある日、私の家に何人もの兵士がやって来て兄を拘束した。義理の姉と共に泣き叫びながら彼を引き戻そうとしたが、兄には容疑が掛けられていたんだ。他国との違法な繋がりを持った、彼は皇家の転覆を図った反逆者だとな」
「そんな……。お兄さんは何もしていないんでしょう? 」
「理由は分からん。すぐその後に、彼の処刑が行われた。雷蔵の手によってな」
次第に椛の声音が強まっていく。
「兄が処刑されて、すぐ後に家族の私たちにも疑いが掛かった。私達は必死に無実を訴えたが、結果的に国家へ反抗したとして義理の姉も処刑される事になってしまったんだ。それも雷蔵が執行したと聞いた」
自分と会う前に雷蔵は既に多くの人間を手に掛けていた。
ならば、ロイと戦ったあの修羅の姿も納得がいく。
血に飢えた獣の目に、全身から漂う血の匂い。
あの時身体に走った悪寒は、今でも思い出せる。
「……お前の目から見たら、ただの逆恨みに見えるかもしれない。だが、私は真相を知りたいんだ。奴がどんなことを思って、兄と義理の姉を殺したのか。その事を聞き出す為なら……私は悪魔にだってなってやる」
「真相を知ったら? 雷蔵さんを殺すの? 」
「さあな。事実によっては殺す」
一人の男の使命が、少女をここまで残酷に出来るのか。
シルヴィには信じられなかった。
ロイと戦った姿を見ていても尚、あの優し気な顔を浮かべる姿こそ真の雷蔵であると。
「……少し、話し過ぎたな。もうすぐ飯が来る頃だろう。それまで待っていろ」
ばつが悪そうな表情を浮かべながら椛は客間を後にしていく。
言われた通りにシルヴィは座っていたベッドに寝転び、絵画の描かれている天井を見上げた。
「雷蔵さん……。貴方は一体……何者なの……? 」




