第四十九伝: 想いは、寂寞の夜空に
<解放者アジト>
平重郎との模擬戦から約数時間が経過していた。
主導者であるギルベルトに施設の案内と説明をされた後に雷蔵は宛がわれた部屋のベッドで一人横たわり、真っ白な天井を見上げる。
ディアテミスに到着するまでの数日間はずっと野宿で過ごしていた為、柔らかいマットレスの上で寝れるのは有難い。
「シルヴィ……」
愛おしい少女の名を、"傾国の姫君"と呼ばれている彼女の名を呟いた。
シルヴィは安全なのであろうか。
エルフ至上主義の連中に囚われ、酷い目に遭わされてはいないだろうか。
雷蔵の胸の内から不安は消える事は無かった。
全ては己の不手際。
裏切り者の存在に気づけず、そしてあの男――ロイ・レーベンバンクの手によってシルヴィの奪還は実行されてしまった。
彼女を助ける為なら自分が死んだって良い。
シルヴィを笑顔にするためになら……自分は王だって斬ってみせる。
結局のところ、雷蔵がやろうとしている事は過去の彼が起こした虐殺事件と何ら変わりない。
圧倒的武力を以て人を殺し、己の信念を貫く。
殺し合いに正しさも間違いも関係ない。
勝者だけが正義を貫き、敗者が薙ぎ倒されるのだ。
「――あの、嬢ちゃんの名前かい? 」
部屋の天井に掠れた声が響き渡る。
ボサボサに伸びきった白髪交じりの髪を揺らしつつ、平重郎が彼の元へと姿を現した。
平重郎の手には煙管と杖が握られており、管の先から紫煙を燻ぶらせながら彼は白い煙を吐く。
「……平重郎殿か。何用だ? 」
「特に用はねェさ。ただあんたと酒が飲みたいと思ってね」
「酒? 」
あぁ、と相槌を打ちながら平重郎は着物の懐から1つの徳利と2つのお猪口を懐から取り出した。
出所は不明だが、どうやら和之生国で普及している米酒らしい。
妙な懐かしさを覚えながら雷蔵は注がれた酒を一気に飲み干す。
「久方ぶりに酒なぞ飲んだ。イシュテンではわいんなるものを飲んだが……やはりこれに限る。だが、これをどこで? 」
「へへっ、国を抜けるときに一本かっぱらってきたのさァ。いつか同じ故郷の連中とこの世界の何処かで出会ったときに飲もうと思ってね。まさかそれが今日になるとは思わなんだ」
「……そうだったな。お互い、国を捨てた身であった」
飲み切った雷蔵に感化され、平重郎もお猪口を呷り始めた。
一度甲高い声を上げると彼は再び徳利の縁を傾け、雷蔵の空いた器に酒を注ぐ。
「――"鬼天狗"、霧生平重郎。其れが、お主だな」
「おうとも。国を変えようとして幾万の人を斬ってきた馬鹿野郎よォ。ま、その代償がこの両目となりゃあ安いもんだ」
「……拙者が幾千なら、お主は幾万か。言い得て妙よ」
乾いた笑いを残しながら雷蔵は再びお猪口を傾けると米酒を口の中へ注ぎ込んだ。
彼が飲んできた異国の酒とは違い、やはりこちらの方が彼の性に合っている。
「それにお前さんは、あの"首斬"雷蔵ときた。何人もの罪人を手に掛け、苦しめずに幾つもの首を斬った慈悲深い処刑人。そんなあんたと刃を交えられたのは光栄だねぇ」
「その言葉、其方に返させて頂く。老いたと言えどその冴えわたる居合、しかと刮目させて頂いた」
「よせやい。ただ老いぼれが剣を抜いただけの事よ」
しかし、と雷蔵は言葉を続ける。
「……何故、"視えて"いた? 」
彼の言葉に平重郎は眉を顰め、静かに笑みを浮かべた。
自分の言った事がおかしかっただろうか。
否、平重郎と戦った雷蔵だからこそ彼の正確さと素早さは理解できる。
まるで彼の動きは全て"見られている"ような感覚を覚えた。
「やっぱりそう思うかい、雷蔵。盲目を謳ってながらもお前さんが何処から来るのかを把握し反撃できた事が奇妙だと……言うのかい? 」
「あぁ。お主と刃を交えた時のあの動きは……そうとしか思えん」
その時、平重郎は笑みを浮かべながら右手首に付けられていた鈴を雷蔵に見せる。
「これは……? 」
「現代の魔法の技術はすげェもんだなァ、雷蔵よ。この老いぼれの目をも視えるようにしちまう」
「……どういう事だ」
「魔導核だよ。鈴の中に小さい結晶が入ってんだ。ギルによりゃあ空間魔法で周囲の状況を確認できるようにしてる、だったかねェ」
深紅の紐で固く結ばれた鈴が揺れる度に心地良い音を周囲に響かせ、そして僅かばかり白く光った。
「では、今も拙者の姿が見えているのか? 」
「あぁ。輪郭だけ、だがねェ。流石に魔法も全てを見渡せるまで万能じゃねぇってこった。それにこいつは僅かばかり周囲の様子を俺の頭ん中に伝えるのが遅れやがる」
つまりは、先ほどの戦いは全て自身の勘と感覚によるもの。
改めてその事実を理解した雷蔵の背筋に、得も言われぬ悪寒が走った。
「……ならば、先ほどの戦いは? 」
「あぁ、全部俺の耳で分かる。お前さんがどっちの足で踏み込んだか、そして何処から来るのか……もうこの戦り方で慣れちまったからねェ。今更こんな道具にも頼る必要はない」
「フッ……。やはり、鬼天狗の名は伊達ではないという事か」
「当たり前ェよ」
空いた器の中に再び透明な液体が注ぎ込まれ、雷蔵はお猪口を呷る。
その時、彼の部屋の扉がノックされた。
「何方であるか。ギルベルト殿か? 」
「……違います。私です、クレアです」
雷蔵はその声を聴くなりドアを開け、彼の目の前には丈の長いロングスカートのメイド服にフリルの付いたエプロンを身に纏った少女――クレア・ウィルソンが現れた。
先程上の階のバーでウェイトレスをしていた彼女がここを訪れた理由が彼には分らなかったが、クレアを部屋に招き入れる。
「おう、クレアじゃねェか。どうしたんだ、こんな時間に」
「雷蔵様と平重郎様に言伝がありまして、それをお伝えに上がりました」
「そうかい。んで、言伝ってのは? 」
「お二方は明日の明朝にギルベルト様の下へ向かってほしいとの事です。何やら作戦会議があるようです」
作戦会議、という言葉に雷蔵は無精髭の生えた顎を撫でた。
「……それと平重郎様にはこの席から外して頂けるようお願い申し上げます。私個人として雷蔵様にお話があるのです」
「邪魔者はとっとと寝ろってかい。ま、酒も無くなったし頃合いかねェ」
そう愚痴を溢しつつ、平重郎は雷蔵に別れを告げて部屋を後にしていく。
クレアと二人取り残された雷蔵は、彼女の方へ視線を向けた。
「して、話とはなんだ? クレア殿」
「雷蔵様。貴方様には感謝の念が尽きません。シルヴィお嬢様を今まで護衛してくださった事、御礼申し上げます。貴方が居なければ咎の断罪の後、お嬢様は殺されていた事でしょう」
「そうか、お主も……。いや、礼には及ばぬ。結局拙者は彼女を連れ去られてしまった身。クレア殿やギルベルト殿に感謝される資格など無い」
雷蔵の言葉にクレアは眉一つ動かさない。
元々感情の起伏が薄いせいなのであろう、彼女は深々とお辞儀をした後に顔を上げた。
「……私は元々、孤児としてこの地に生を成していました。そこをギルベルト様に拾われ、シルヴィお嬢様の使用人として起用されたのです。絶望しかなかった私を救ってくださったのはギルベルト様であり、生きる価値を見出して頂いたのはお嬢様でした……」
「……そうか。お主もつらい過去を背負っているのだな……」
「私の過去などお嬢様に比べたら安いものです。私と歳を同じくして、あのような運命に苛まれていらっしゃいます。雷蔵様……。どうか、どうかお嬢様をお救い下さいませ。あの方の幸せは、我々の幸せにも繋がるのです」
雷蔵の手を掴んで懇願する彼女の姿に、雷蔵はひどく心を打たれる。
「無論。拙者は既に、王を斬る事を誓った身。クレア殿の頼みも、請け負ってみせよう」
「……ありがとうございます……。ありがとうございます……! 」
よほどシルヴィが攫われてしまった事が堪えていたのだろう、クレアの青い瞳から一粒の泪が流れた。
その雫を雷蔵は指の腹で受け止めつつ、跪いていた彼女を立ち上がらせる。
「明日の明朝、ギルベルト殿のところだな。委細承知仕った。クレア殿、もう帰ってご自愛なされよ」
「……そうします。いきなり押しかけて、申し訳ありませんでした」
深々と再度頭を下げながら、クレアは部屋から立ち去っていった。
一人取り残された雷蔵は、酔いが回っている事を感じながらベッドに横たわる。
「……シルヴィ。待っていてくれ。俺が……俺たちが必ず助けるから」




