第五伝: 憤怒の代償
<オルディネール>
"例の盗賊団がまたやって来た"。その噂を耳にした途端、フィルの身体は自然と家の壁に立て掛けてあった剣へと向かっており、革製の鞘に収まった両刃剣の柄を手に取る。過去に父が兵役を終えてこの家に持ち帰ってきたもので、不思議とその武器は彼の手に馴染んだ。盗賊団がやって来たと聞いて家に閉じこもっていたルシアは、何かに吊られるように一人外へと向かうフィルを止めようと彼の手を引く。
「何してるの……? フィル……? 」
「――ごめん、ルシア。僕……このままじゃ死んでも死にきれない」
「フィル!? 何言ってるの!? 」
剣を取った右手をルシアの手が包み込んだ。無謀すぎる戦いである事はフィルが一番理解している。このまま行っても自身の家族のように無残に殺されるだけであると、彼女は言いたいのだろう。しかし、フィルは彼女の手を払った。
「お願い、行かないで! フィルが死んじゃうなんて私嫌だよ!? 」
「……ごめん。今までありがとう、ルシア」
彼女の手を振り切り、着の身着のままフィルは家を飛び出した。彼の名を呼ぶ悲痛な声が背後から聞こえるが、戻りたい気持ちと後悔を押し殺して走り出す。"復讐を、悲しみを生む覚悟がお主にはあるのか?"と、昨晩雷蔵から投げかけられた問いが彼の脳内に反芻する。だが今の彼なら自信を持って言えるだろう、自分の手を汚す覚悟はできていると。自然と彼が駆ける速度は速まっていく。フィルには連中が向かう場所などとうに把握済みで、来る日も来る日も復讐をただ生きる目的として盗賊団の跡を尾行した結果がこの行動に現れていた。オルディネールを襲撃する賊たちは4・5人で構成された少数グループを先に潜入させ、東門と西門には潜入班の略奪を優先させる為に陽動させるグループに分かれている。
「既に戦いの音が聞こえる……。なら、奴らが向かう先は! 」
幾つもの悲鳴、怒号が長閑だった村から彼の耳に入った。あのいつも活気づいていた食堂でさえも壁に大きな穴があけられ、備蓄していた食糧庫から無数の野菜や家畜たちが盗まれている。次に目に入ったのはやって来た賊の一員に抵抗したのであろう、致命傷ではないものの傷を負った村人の男たちが地面に倒れて呻き声を上げていた。
「……ッ! 」
フィルの両目から大粒の涙が零れ落ち、そして脳裏に血の海に沈む変わり果てた姿の父と母、妹の死体が浮かぶ、ただ自分たちは大地を耕し恵みを受け、平和に暮らしていただけなのに。父と母に愛され、妹を愛していただけなのに。裕福な家庭とは言えなかったが、それでもフィルは昨今の生活に満足していたのにも関わらず一時の不幸が全てを台無しした。あっという間に奪われた命。ただの肉塊と化した家族。崖に突き落とされたような焦燥感が、あの時の彼を襲った。そもそも復讐をして家族が帰ってくる訳でもない。彼の行動はただの自己満足に過ぎない。だが……ここで黙って連中の凶行を見過ごせる程臆病でもない。数十秒間走り続けた所で、普段見かけない鈍色の軽装鎧に身を包んだ男たちとその足元に倒れている数人の村人たちをフィルは見つけた。彼らの中にはルシアの父親であり彼の良い理解者であったニコラス・マッシュフィリトがグループの主格に見下ろされ、頭を足蹴にされている。更なる怒りがこみ上げ、フィルは無我夢中で腰に差していた剣を引き抜くと切っ先を地面に向けたまま盗賊団のグループへ駆けていった。
「隊長! 後ろ! 後ろ! 」
「あァ? 」
一番リーダー格らしい風貌をしている男へ飛び掛かり、右手に握った剣を彼目掛けて振りかざす。刃が男の脳天に触れようとした瞬間、フィルの身体は強く吹っ飛ばされて地面に叩きつけられた。上体を起こしたと同時に腹部に激痛が走り、胃の中の消化物を全て吐き出す。
「なんだこのガキは……? いきなり斬りかかって来やがった」
「ふ、フィル……!? なんでここにいる……! 早く、逃げるんだ……! 」
震えが止まらない。揺れ動く視界の中でフィルは、自分の右手を見つめた。意識を安定させようと頭を左右に振った途端、若干16歳の少年の身体はいとも容易く持ち上げられる。目の前に短い金髪を切り揃え、左目から口元に掛けて黒いタトゥーが刻まれた男の顔が見えた。どうやら先ほど斬りかかった相手とは別の人間らしい。
「おいガキ。テメェが何もんだか知らねぇが俺たちの邪魔すんなら殺すぞ」
「……その前に、殺してやる……」
「あぁ? 何言って――」
フィルは腰に隠し持っていた農作業用の鎌を抜き払い、そのまま左手をタトゥーの男の頭部目掛けて振り下ろす。左の掌に固い石膏をかち割ったような感触が走り、噴水のように赤い液体がフィルの顔面に跳ね返った。彼の足元には頭から血を流して痙攣を起こしている死体が転がっており、初めて自らの手で他人を殺めたことを自覚する。普段の温厚な彼とは見違えたのか、傷ついた村人たちは唖然とした表情でフィルを見ていた。
「おじさん……みんなを連れて逃げて」
「で……でも! お前を置いて逃げれるか! 間違いなく殺されるぞ!? 」
「……良いよ。どうせ僕……独りぼっちだから」
その時、凶悪な笑みを浮かべたリーダー格の男が剣を抜いてフィルの前に立つ。同時に男の背後にいた部下たちも同じように武器を手にするが、彼はそれを左手で制止させた。どうやら一騎討ちを彼に申し込むつもりなのであろう、男は左腕に装着したバックラーと右手に握った両刃剣を構える。
「た、隊長? どうするつもりですか? 」
「ガキ。名前を聞かせろ」
「……フィランダー・カミエール」
「あぁ……あの時殺した家族の生き残りか。通りで目が似てると思ったぜ」
この男は自分の存在を覚えている――。その言葉を聞いただけで、全身から怒りの感情が噴き出していくのを感じた。不気味に口角を吊り上げ、彼を挑発するかのように男は卑しい視線を向ける。しかし、現時点では何もできないのがフィルの正直な心境であった。相手は騎士崩れというのもあり、彼よりも遥かに剣の技術が上である事は確信していた。
「一応名乗っておくぜ、これでも騎士の端くれだからな。カラム・ヴィアダーナ、お前を殺す男の名前だ」
「お前のような男が……騎士を名乗って良い訳がない! お前だけは刺し違えてでも……殺してやる……ッ!! 」
咆哮と共にフィルは手にした剣を上段で構えながらカラムの元へ一気に距離を詰める。想像以上の速さにカラムの表情は驚愕のものを浮かべるが、声には出さずにただ左手を横薙ぎに払った。鉄製のバックラーがやって来たフィルの左脇腹に命中し、肋骨が軋む感触が全身に走る。直後フィルの眼前にブロードソードの刀身が唸りを上げて迫り、辛うじてそれを受け止めた。
「ああぁぁぁァァァっ!! 」
無我夢中で腰を捻転させ、その反動で剣を横一文字に薙ぐ。切っ先のみがカラムの右頬に触れ、数滴の血の雫が周囲に舞い散った。格下の相手に傷を付けられた事に腹を立てたのか、彼から放たれた鉄靴の蹴りが無慈悲にもフィルの胸部に突き刺さる。先ほど軋みを上げていた肋骨が折れ、彼の口から多量の血が吐き出された。再び地面に叩きつけられ、染み一つなかった彼のシャツは土と血で赤黒く染め上げられていく。
「へっ。大した事無ぇな、出直して来いよ」
手にした剣を鞘には納めず、カラムが剣を肩に担いでその場を去ろうとしたその時。フィルは力を振り絞って立ち上がり、土を踏みしめて形見の剣を構え直す。息をする度に蹴られた胸が痛むが、気にせずに口元の血を拭う。彼の脳から目の前の仇を殺す事だけが命令され、殺意の籠った双眸をカラムへ向けた。
「見かけによらずしぶといみてえだ。来いよ、苦しめて殺してやる」
「ッ!! 」
大きく一歩を踏み出し、カラムとの距離を詰める。眼前に突き出された剣を本能的に躱し、盾を持った左腕の付け根目掛けて剣を突出させた。カラムのバックラーとフィルの剣が火花を散らして交差し、彼の着ていた鎧と鎧の間の左肩を僅かに捉える。肉を斬った感触と相手に初めて苦悶の表情を浮かべさせた事にフィルはニヤリと微笑むが、次に彼を襲ったのは殴打でも蹴りでもなく――。
「フィルッ!!! 」
殺意の籠った斬撃だった。左胸から肩に掛けて熱した鉄板を押し付けられたような痛みが走り、そのままフィルは後方へ吹っ飛ばされる。倒れた状態で痛む部分へ視線を落とすと、大きく開いた傷口から大量の血液が溢れていた。空いた右手で傷口を塞ぐように触れると、粘り気のある赤黒い液体が掌に付着する。
「う、嘘……? これ、血……? 」
「おおっと。起き上がるなよ、小僧。初陣にしちゃあ大したことをやってのけたが……」
フィルが起き上がろうとした瞬間、銀色の刃の切っ先が彼の眼前に向けられた。復讐の完遂を目の前にして、自分が結局殺されてしまう事に彼は自然と涙を流す。
「なんだ? 今更命乞いか? だがお前はもう死に体だ、せめてもの情けで一思いに殺してやるよ」
己の運命を受け入れるかのように、フィルは目を閉じた。結局自分は家族の仇も討てず、圧倒的な力の差にひれ伏す事しか出来ない。悔しさに満ちた彼の頭の中に、見覚えのある少女の顔が浮かんだ。
「ル、シア……」
カラムの持つ剣が振り下ろされる光景がゆっくりと再生され、フィルの脳内に今まで過ごしてきた楽し気な記憶が蘇る。家族と過ごした毎日、妹と野原を駆け巡った日々。最後に浮かんだのは、自分の想い人であったルシアの笑顔。あるがままの運命を受け入れるかの如く、フィルは目を閉じた。
「――ッ!? 痛ってェっ!? 」
――しかし。カラムの剣がフィルの脳天を捉える事は無かった。目が覚めたように上体を起こすと、剣を握っていたカラムの手には黒い片刃の短剣が刺さっている。
「えっ……? 」
神経が張り詰めていたのか、新たにこの場にやって来た人間の存在を確認する事は容易だった。背後を振り返り、フィルは見覚えのある姿に目を見開く。
「雷蔵さんっ!! 」
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<オルディネール・東門側>
「雷蔵さんっ!! 」
彼の立っている場から少しだけ離れた場所に倒れるフィルが、自身の名を叫んだ。紀州光片守長政の鞘の内側に内蔵されていた小柄を投擲し、今にもフィルを殺そうとしていた凶刃の行く手を阻むと雷蔵はまず最初にフィルの元へ歩み寄る。
「……良く耐えた。お主の雄姿、しかと此の目に焼き付けたぞ」
「はい……はい……ッ! 」
「シルヴィッ!! 」
「任せてくださいっ! 」
倒れていたフィルの身体をゆっくりと起こし、周囲にいた村人に彼の身体を任せた。背後から走ってくるシルヴィへ視線を傾けて頷くと、彼女は全てを把握したように傷ついたフィルの元へ駆け寄る。その光景を一瞥し、前方へその双眸を向けた。自らの飢えを満たし、宿まで貸してもらった恩人をここまで痛め付けたカラムたちに自然と怒りがこみ上げる。下衆に相応しい面持ちをしている、と雷蔵は吐き捨てて刀の柄に手を掛けた。
「お主らがこの事態を引き起こしたのか。 この……平和だった村を襲ったのだな」
「あぁ! そうだ! 今まで守ってきてやったんだ! それに俺たちだってなぁ、生きる為に必死にやってきたんだよ! 多少の犠牲なんて付き物だろうが! 」
「……賊によく似合う台詞よな。反吐が出る」
刀の柄に手を掛けていた力が、次第に強まっていく。自分勝手とも言える彼らの言い分に沸々と憤怒を募らせていく雷蔵に、グループの一人が放ったボウガンの矢が迫った。その攻撃を見切っていたかのように雷蔵は抜刀し、木製のボルトを叩き落す。被っていた笠を地面へ捨て、殺気の籠った視線を彼らへ投げかけた。
「愚鈍、あまりにも愚鈍だ。本来貴様たちが守るべき者たちから全てを奪い去るなど……流れ者の拙者とて看過出来ぬ」
「テメェ一人が来たからって何になる! こちとら騎士として生きてきたんだ、ぶっ殺してやる! 」
恐怖と怒りに耐えきれなかったのか、剣を握った男が雷蔵へと斬りかかる。その太刀筋を予め予測していたかの如く、雷蔵は一歩踏み込むと同時に刀を男の胴に叩き込んだ。斬った拍子に返り血が彼の顔に付着するも、胴着の袖口でそれを拭うと彼は刀に付いた血を一振りで払う。そして刀の切っ先を4人の部下が取り囲むカラムの目へと向け、柄を握る両手を腰の前まで落とした。
「――最早これまで。多少の慈悲を持ち合わせているのならば見逃そうと思ったが……覚悟しろ」
カラムだけを両目に捉え、ゆっくりと彼の元へ歩みを進める。即座に彼をカラムの部下たちが取り囲み、雷蔵は目配せをしながら刀の柄を握る力を強めた。背後からの殺気を読み取り、正眼に構えていた刀の切っ先を下ろして自身の脇から刀を突き立てる。玉鋼の刃が腹部を貫き、部下の一人の全身が雷蔵の背中に凭れ掛かった。心臓を貫いた気色の悪い感覚を両手に覚えながら愛刀を引き抜き、その隙を突こうと上段で剣を構えながら斬り掛かってきたもう一人の男と鍔競り合う。鎬を削りながら一瞬だけ力を抜き、迫り来る両刃の剣を躱すとそのまま雷蔵は彼の脳天に刀身を叩き込んだ。
「大した事は無いな。もう少し鍛錬を積んでから出直して来い」
「こ、この野郎ォォォッ!! 」
彼の虚を突こうと雷蔵が一度だけ構えを解いた瞬間、剣を突き立てながら最後に残った盗賊団の部下が突進してくる。その剣と鎬を削る事も鍔競り合う事もなく、雷蔵はただ右足を後方へ動かして凶刃を躱した。
「遅い」
右手だけに握られた刀を振り上げ、袈裟斬りの要領で男の両腕を斬り捨てると悲鳴を上げながら地面に伏す彼の脳天目掛けて紀州光片守長政の切っ先を突き刺す。止めを刺すように刀を捻り、頭蓋骨と脳を壊した事を確認すると刀を引き抜いた。
「これで残るは貴様だけだ。覚悟は良いか? 今まで無数の命を脅かし、その小汚い私腹を肥やしてきたツケを払う時ぞ」
「ち、畜生! 畜生畜生畜生!!! 」
「喚いても嘆いても助けなど来ぬさ。拙者が全員殺した。安心しろ、貴様も仲間の下へ送ってやる」
フィルと交戦した時と同じ構えで雷蔵と対峙し、雷蔵は刀を一度だけ納めて腰を低く落とす。シルヴィに傷を治療されて元気を取り戻したのか、彼女に支えられながら立ち上がっていた。
「……ッ!! 」
右脚に力を入れ、土埃が起こる程の速さで踏み込むと雷蔵は一気にカラムとの距離を詰め人智を越えた速さで左手の中にある愛刀の柄を取る。そのまま右手に力を籠め、刀を抜き払うと横殴りに居合斬りをカラムに浴びせた。
「駄目だ! 雷蔵さん、奴は盾を持ってる!! 」
「ざまあみろッ!! 浪人風情がぁ!! 」
背後から聞こえるフィルの声を聴き、雷蔵は自身の眼前まで迫っていた彼の剣と対峙する。彼は抜刀した体制のまま腰に刺さっていた鞘を逆手で持ちながら左手で抜き、腰を右回りに捻転させた。
「甘いな、騎士崩れ。だから貴様はここで死ぬ」
今にも振り下ろされんとしていた剣を握るカラムの右腕を捉えた所で、雷蔵は鞘を振りぬく。骨の折れる音と感触が左腕に伝わり、そしてがら空きになった目の前の胸部へ目掛けて右手の愛刀を突き立てた。勢いの付いた彼の刀は鎧をも易々と貫き、周囲に舞った鮮血が雷蔵の顔面に付着する。
「な、ん……だとぉ……? 」
突き刺さった刀を引き抜き、雷蔵は足元に転がった瀕死のカラムを見下ろした。
「言ったはずだ。仲間の下へ送ってやるとな」
彼は振り上げた刀を彼の首元目掛けて振り下ろし、首と胴体を切り離す。刀身にこびり付いた血と油を懐から取り出した布で拭い取り、刀を鞘に納めると背後にいたフィルの下へ駆け寄った。
「フィル! なんともないか? 」
「は、はい……シルヴィさんのお陰でなんとか……」
弱弱しく笑顔を浮かべるフィルの頭に手を置き、安心させるように彼を撫でる。直後彼の両目から涙が溢れだし、雷蔵は微笑んだ。
「お主の敵討ち……不躾ながら拙者が助太刀致した。力量が分かっていながら信念を持って立ち向かっていったその雄姿、誠天晴れなり」
「あ、ありがとうございま――」
礼を述べようとしたところでフィルは糸の切れた人形のようにその場で倒れる。不安げに思いながら彼の首元に指を充てると、まだ脈打つ鼓動が彼の指先から感じられた。安どのため息を吐きながらも雷蔵は彼の身体を担ぎ上げ、背中に置くとそのまま歩き始める。後からやって来た衛兵たちに怪我人の処理を任せ、雷蔵はシルヴィを連れてフィルの家路へと消えていった。