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ワンダラーズ 無銘放浪伝  作者: 旗戦士
第四章:傾国の姫君
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第四十八伝: 二刀繚乱、天狗は己を刺し穿つ

<"解放者"アジト・闘技広場>



 沈黙。雷蔵と平重郎の両者の対峙を見守るかのように、あれほど騒がしかった他のメンバーたちの声は止んでいる。抜刀の体勢に入り、睨み合う事約五分の時間が流れた。しかしその刻を以てしても尚、雷蔵の足は動く事は無い。否。"動けない"のだ。それ程雷蔵は本能的に平重郎の居合の速さを恐れていた。幾度とない火事場をあの状況で長年くぐり抜けて来た彼の経験値は、どう足掻いても到達できそうにない。額に浮かんだ汗の雫が彫の深い鼻柱を経て顎先に伝い、やがて地面に落ちる。その時を待っていたかのように雷蔵は後方に置いた左脚で床を蹴り上げた。


「左か」


 ふと耳に平重郎の声が響く。何故見える。何故自分の動きが手に取るように理解している。その疑念を脳裏に浮かべたまま雷蔵は右手の中にあった愛刀・紀州光片守長政の柄を掴み取り、一気に抜き払う。鋼がぶつかり合う鈍い音が聞こえたかと思うと、掌に重い振動が走った。目の前に仕込み刀の刀身を僅かばかり抜いて雷蔵の一刀を受け止めた平重郎の姿が目に映る。あれが雷蔵の出し得る最高速の抜刀なのにも関わらず、相手はまだ刀さえも僅かしか抜いていない。"鬼天狗"、霧生平重郎。雷蔵は今頃になってようやくその名前を思い出した。和之生国の閉国制度に対する反乱軍を率いた居合の達人。結果として政府に軍は弾圧されて散り散りとなってしまったが、その反乱軍のリーダーの行方は分からなくなっていた。どんな経緯を経てこの地に訪れたのかは今はどうでも良い。迫り来る仕込み刀の鞘と銀色の刃が眼前に迫っている事を本能的に感じ取った雷蔵は、敢えて刀を握る力を弱めてから全身を左方へ逸らす。


「そこかィ」

「ッ!? 」


 寸分狂わずに平重郎の刀の切っ先が雷蔵に向き、首を傾ける事によってその刺突を肉薄した。鍔の無い刀を逆手に持ちながら平重郎は避けられたことを察知したのか、もう片方の手に持っていた鞘を振り上げる。空を切りながら彼の鞘は雷蔵の右上腕を捉え、鈍痛を感じながらも刀を離す事は無い。そして、雷蔵の首筋に氷柱を突っ込まれたような激しい悪寒が走った。本能的に空いていた左手で腰に差していた脇差を掴み取り、間一髪のところで首を刈らんとしていた凶刃を受け止める。一度だけ刃が交差した後平重郎の足が雷蔵の胸を蹴り上げ、両者の距離は再び開いた。なんだ、この男は。何故目が見えないのにここまで正確な攻撃が行える。


「どうした? もう終いかい? 噂に聞いてた"首斬"も大した事ないねェ」

「踏鞴を踏んだだけよ。見くびられては――」


 抜き身の刀の柄を両手に握り、切っ先を天井へ向けながら左脚を前に出す。八相の構えと呼ばれるこの構え方を取った瞬間、平重郎の口角が吊り上がった。


「――困るなッ!! 」


 初撃の抜刀よりも遥かに速い足取りで一気に距離を詰める雷蔵。相手の肩口を狙った斬撃も力が篭り、刀身から風切り音が聞こえる。


「そう来なくちゃァ。久方ぶりに良い使い手に出会えたんだ、楽しませてくれよォ」

「委細承知仕った! 手加減はするなよ、平重郎ッ! 」


 渾身の袈裟斬りを受け止められるも雷蔵は間髪を入れずに身体を一回転させて刀を横一文字に振るった。その斬撃も平重郎が抜いた刀によって防がれるが、勢いが付いていたお蔭で平重郎の身体はそのまま左方へ動く。


 一合。僅かに出来上がった隙を突くように雷蔵は手首を返し、平重郎の脳天目掛けて愛刀を振り下ろした。仕込み刀の刃先と愛刀の物打が火花を散らしながらぶつかり合い、周囲に甲高い金属音を響かせる。


(……重ぇなァ。だが)


 握り締めていた柄から左手だけを離すと雷蔵は逆手で腰に差していた脇差を抜き払い、柄頭を突き出した。だが平重郎は頭上で受け止めていた刀の切っ先を無理やり逸らし、即座に迫り来る鉄の塊を刀身で防ぐ。


 二合。防戦一方と読んだ雷蔵は平重郎の離脱を許さず、右手に握った太刀の切っ先を相手に向けた。気合いの咆哮と共に突き出した愛刀は既に抜き払われていた仕込み刀の横薙ぎによって肉薄され、もう片方の手に握られていた鞘が雷蔵の眼前に襲いかかる。


 三合。即座に順手に持ち替えた脇差で逆袈裟に振り下ろされた鞘を受け止め、弾き返してから二刀を振り下ろした。


「二刀流も出来るたァ驚いたねェ! 器用なもんだ! 」

「それほど今のお主には手数が要るという事ッ! 謙遜なされるな! 」


 口ではそう叩くものの、内心雷蔵は焦燥感に身体を突き動かされている。こうして数回刃を交えているが、全く手ごたえを感じない。まるで幽霊とでも戦っているかのような感覚に彼は尊敬の念さえ抱く。相手に次の行動を隠せる能力は剣を使う者にとっては大きなメリットとなる。それを自然に行えるのはこの目の前にいる男か、かつて刃を交えたロイぐらいしかいないだろう。故の猛攻。平重郎に先手を打たれない為の、唯一無二の策。十合程剣撃を交わしたところで平重郎が痺れを切らしたのか、僅かに出来上がった隙を突くように雷蔵の腿を踏み台にして後方へ身体を一回転させる。驚くほどの身軽さに雷蔵は驚いたが、再び静寂が二人を包んだところで彼は気づく。


「しまった……! 」


 相手に仕切り直しをさせる機会を与えてしまった、と。互いに距離を離した両者は間髪入れずに得物を鞘に仕舞いこみ、腰を深く落とした。


「今度は真正面」


 再び響く平重郎の声。焦点の合っていない視線に畏怖を感じながらも雷蔵は地面を蹴り上げ、紀州光片守長政を抜き払う。強制的に彼の身体は眼前に突然現れた平重郎の刀によって止められ、互いに両者は鍔競り合った。


「所詮俺ァ居合しか能が無ェから手数と速さで攻める……。いい判断だねェ。ますますあんたの事気に入ったァ」

「"鬼天狗"にそこまで言われるとは至極感謝の極み。だがこれからよ」

「そうかい。でもよォ……生憎俺も伊達に年取っちゃいねェんだ。そんな目論見を企んでた連中を、ごまんと見てきた」


 閉じていた平重郎の目が見開かれる。生々しい傷跡から浮き出た双眸は灰色に染まり切っており、黒目と白目の判別が分からない。


「――舐めるんじゃァねぇぞ、若造」


 逆手に持っていた仕込み刀を順手に持ち替え、平重郎は迫っていた雷蔵の刀を押し返す。まずい、と感じた雷蔵は本能的に体を後退させ、次の反撃に備えた。


「遅ェよ」


 耳に響き渡る声と、眼前まで迫り来る平重郎の刃先。片手では抑えきれないほどの力強さに思わず雷蔵は両手で柄を握り、再び互いの得物を通して睨み合った。押されている。相手は二回りも年上の老人だというのに、防ぐことしか今は出来ない。段々と迫って来ていた刃を受け流し、縦一文字の斬撃を肉薄すると今度は左方へと身体を移動させる。その動きを読んでいたのか、平重郎は彼の身体を肩で突き飛ばした。


「ぐっ……! 」


 体勢を崩しつつも受け身を取り、大きな音を立てながら地面を転がる雷蔵。膝を着き、片手で握っていた柄を握り直した瞬間。濁った双眸が、彼を捉えている。迫り来る膨大な殺気に、雷蔵の両足はセメントで固められたかのように微動だにしない。空中で全身を一回転させながら平重郎は刀を振り下ろす。先程とは違う、身体全体の体重を掛けた一撃。なんとか衝撃を吸収できたものの、雷蔵の胸はがら空きになってしまった。その出来上がった隙を、彼ほどの達人が逃すはずはない。


(しめ)ェだ、首斬」


 そんな声が、聞こえた気がした。だが自分がやられるのを、このまま黙って見過ごすつもりはない。出来る限りの力を出し切り、雷蔵は弾かれた刀を握る腕を戻す。一度、両者の間に金属音が鳴り響いた。雷蔵には何が起きているのかが一瞬理解は出来なかったが、第三者の介入があったのは確かだ。閉じていた目をおそるおそる開くと、そこには平重郎のものではない細剣の切っ先が彼の首元に突きつけられている。対する平重郎も短剣の刃を頬に突き出されているようで、お互いに動きは取れない。


「……そこまでです、お二方」


 耳に響いた声がギルベルトのものであると理解した瞬間、平重郎の方から刀を仕舞う音が聞こえた。


「なんでェギル、邪魔すんなよォ」

「しますよ。あのままじゃお互いにいい結果にはなりません。雷蔵さんにも、平重郎にもね」

「ギルベルト殿……」

「と、いう事です雷蔵さん。素晴らしい戦いぶり、刮目させて頂きました。久しぶりにジジイの心も躍りましたよ」


 雷蔵が愛刀を鞘に納めると、同じようにしてギルベルトも得物の切っ先を下げる。どこから取り出したのか全く見えなかったが、おそらく彼も相当な腕前を持っているのであろう。そして今まで対峙していた平重郎が杖で地面を確かめながら雷蔵へと歩み寄ってきた。


「雷蔵、久しぶりに燃えたよォ。これから正式に、あんたを解放者の一員として認めようじゃないか」

「……有難き幸せ。この場にいる各々方も聞かれただろうが、改めて宜しくお願い申し上げる」


 その瞬間静まり返っていた闘技場が地鳴りのような歓声に包まれ、思わず雷蔵は耳を塞ぎかける。


「おめでとうございます、雷蔵さん。これから施設の案内も兼ねて貴方をお部屋へお招きしたいと思いますので、私に付いて来てくれますか? 」

「御意。平重郎殿はどうされる? 」

「俺ァ少し疲れちまったよ、久々に本気出したからなぁ。ま、後で飯でも食おうや」

「委細承知した。ではまた」


 歓声が鳴りやまない中雷蔵はギルベルトに先導されながらアジトの奥へと消え、他のメンバーも二人に感化されたようで一斉に模擬戦を再開する。こうして雷蔵は新たな解放者の仲間として、この地に身を置く事になった。

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