第四十七伝: 心耳心眼
<学術都市ディアテミス・スラム街>
目の前の盲目の男、霧生平重郎と名乗った彼から発せられた言葉に思わず雷蔵は戦慄する。何故この男は既に自身のかつての名を知っているのか。そして、何故奴は雷蔵と同じ氏名を持っているのか。荒波のように脳裏に押し寄せる疑問を抱きながら、腰に差していた愛刀の柄に手を掛けた。その瞬間。平重郎の腕に付けていた鈴がりん、と音を立てつつ彼の身体は一瞬で雷蔵の眼前を覆う。
「いけねぇなァ、雷蔵さん。俺に刀の音を聞かせちゃあ」
一瞬雷蔵は魔法の類か、と驚きを隠せなかった。驚異的な速さで平重郎は雷蔵との距離を詰めてみせ、手にしていた仕込み刀の鞘を完全には抜き払わずに刀身の刃だけを雷蔵の肩口へと突き付ける。居合、と呼ばれるその技法に舌を巻きながらも鎺を切りかけていた雷蔵は柄から手を離さない。
「……こんな狭いところで、しかも町の真ん中で。刀なんか抜いちゃあダメだよォ」
「……お主も抜いていたではないか」
「"見られて"なきゃ大丈夫でさァ」
平重郎は雷蔵よりも遥かに年上だろう、彼の浅黒い肌に浮かぶ皴の数々が物語っている。加えて、彼は目が見えていない。それらのデメリットを抱えても尚、平重郎の速さは雷蔵の抜刀の速度を圧倒していた。
「……これは失敬した。平重郎殿のような剣豪を見てしまうとつい、な」
「へへッ。あんたほどの人にそう褒められると嬉しいねェ。それより、あんた"解放者"の当てを探してここに来たんだろう? 」
「いかにも。先ほど連れてきていたオークとエルフの女子も拙者の連れよ」
「知ってるよォ。ラーズにエル、あの二人は元々解放者の一員だったらしいからねぇ。でもこうして目にするのは初めてでさァ」
「既に情報は其方へ渡っているようだな」
雷蔵の言葉に平重郎は頷く。
そうだ、と彼は口にすると杖で地面を探り始めた。
「とりあえず、この3人運ぶのを手伝ってくれると有難いなァ。何分あっしは年老いてるもんでねェ」
「あのような剣技を見せられてしまってはそんな言葉は信用できんがな」
違ぇねェや、と笑い声を上げながら軽装姿のエルフの男性の身体を軽々と持ち上げ平重郎の姿は宿屋へと戻っていく。
同じような姿の騎士二人を肩に担ぎあげながら雷蔵は平重郎の後を歩き、周囲に誰もいない事を確認してから扉を開けた。
「おうギル、お前さんの予想とやらは会ってたみたいだねェ。この方々がアイナリンドさんとミゲルから直接通達があった新入りらしい」
「……やはりそうでしたか。全く、平重郎の気まぐれには冷や冷やしますよ」
「へへッ、すまんねェ。おうオメエら、もう気張る必要はねぇぞ」
先に中へ入った平重郎の声が響いたと同時にバーにいた男達全員は安堵のため息を吐き、再び食事を始める。
そして酒場でバーテンダーを務めていたスーツ姿の男性が再び雷蔵を出迎えた。
ギル、と呼ばれた彼は酒場の客に運んできたエルフたちを店の奥へ運ぶ事を命令するとにこやかに微笑みながら雷蔵へと手を差し出す。
「では、改めて……。この宿屋の店主兼"解放者"の指導者をしております、ギルベルト・ファビオ・ハンニバルと申します。以後お見知り置きを」
「なんと……。拙者は近衛雷蔵と申す。指導者殿であったとは……拙者の目も衰えたものよな」
「ほっほっほ。何を仰いますか、私のようなじじいに比べればまだまだお若いですよ」
綺麗に整えられた顎髭を撫でながら上品な笑い声を上げ、ギルと雷蔵は固く握手を交わした。
隣にいた平重郎はバーにいた客の男に騎士達を運ばせ、杖をつきながら二人の下へと歩み寄る。
「そう言えばラーズとエル殿の姿が見当たらぬが……」
「お二方は既に地下へとご案内しました。今頃我々のアジトに驚いている頃でしょう。雷蔵さんも一度、ご覧になってはいかがでしょう? 」
「……では、お言葉に甘えて。地下へと続く道はどちらだろうか? 」
こちらですよ、とギルが指し示した場所はバーカウンターの床にあった落とし戸。
鉄製の金具を外してから戸を開けると、下には地下へと続いている梯子が姿を見せた。
言われるがまま雷蔵は梯子へと足を延ばし、ゆっくりと下へ降りていく。
降りた先には重厚な雰囲気を漂わせる石造りの壁に囲まれており、彼らが入った瞬間にアジトのメインルームへと続く廊下が魔導核の光に照らされた。
「これは……」
「こちらへどうぞ。お足元に気を付けてくださいね。平重郎、先に行ってますよ」
「あいよォ」
落とし戸は平重郎の手によって閉じられ、先に足を進めているギルの後を追うように歩き始める。
彼の隣へようやくたどり着いた瞬間、ギルの口が開かれた。
「……シルヴァーナお嬢様は、元気にしてらっしゃいましたか? 」
「あ、あぁ。結果として、拙者が至らぬせいで連れ去られてしまったが……。それまでの彼女は、とても明るい子であったよ」
「貴方のせいではありません。元々彼女の護衛は私共の責任。ですがそれを聞いて……少しだけ安心しました」
「それとお嬢様、というのは……? 」
「私は以前、彼女の執事をしておりました。ですが咎の断罪の後、ご存知の通りリヒトシュテイン家は国を追われ……結果的にご夫妻やご兄妹は散り散りに……」
ひどく悲し気な声音でギルは言葉を漏らす。
かつての記憶を嘆くように彼は虚空を見上げ、咳ばらいをした。
「申し訳ございません。不躾な事をお聞きしました。ですが長い間お嬢様と過ごされた貴方には、どうしても知らせておきたい事があるのです」
「……拙者が知るべき事、とは? 」
「解放者に加わるという事は今のヴィルフリート政権に歯向かうという事。もし我々の計画が失敗に終わったら……無論のこと我々は処刑されます。それは貴方にも言える事になってしまう」
先程の穏やかな視線とは違い、ギルの双眸は鷹の目のように鋭く光っている。
言わば自分達と共に死ぬ覚悟はあるのか、という事を聞いているのだろう。
シルヴィがセベアハの村で連れ去られたあの時、雷蔵は怒りと悔恨の念に包まれた。
信頼していたロイの裏切りよりも、彼女に危害を加えられた事に怒りを覚えたのだ。
「無論。死ぬまで拙者はこの刀を振り続ける。己が恩人とした少女を助ける為にな。その為なら……王も斬ってみせよう」
「……ありがとうございます。雷蔵さんのような方に手助けして頂けるのはこちらとしても心強い」
そしてもう一つ、雷蔵には気になる事があった。
ロイと初めて剣を交えた時、ロイがかつての彼の二つ名を知っていた事だ。
雷蔵の"首斬"という忌々しい名は彼の過去の役職から基づいている。
試し切り役。
刀鍛冶が刀を打った際、その切れ味を確かめる為に重罪人の首をその新しい刀で斬り落とすという処刑人のような仕事。
和之生国でその役職に就いていた当時の雷蔵は若人ながらも罪人を苦しめずに殺すという腕前を持っていた。
ロイは和之生国の出身ではない。
加えて彼の故郷は政府が国外の国や組織との関わりを故意的に断ち切っていた。
故に、疑問が生まれる。
何故ロイが和之生国の事を理解していて、尚且つ表舞台に立たない雷蔵の存在を予め知っていたのか。
「……雷蔵さん? 」
「失敬。少し思慮に耽っていた。もう着いたのか? 」
はい、というギルの声と共に目の前の鉄の扉は重々しい音を立てながら左右に開く。
そこには稽古場のような広い空間が広がっており、今も二人の戦士たちが己の得物を手にしながら鎬を削っていた。
「お、雷蔵。やっと来たか」
「待ちわびていた。みんなあなたを待ってる」
「エル殿、それにラーズまで……。ここは一体? 」
「……まあ、あそこに行ってみりゃ分かるぜ」
腕を組みながら壁に寄り掛かっていたラーズとエルが稽古場に到着した雷蔵を出迎え、湧きだっていた他の解放者のメンバー達の視線が一斉に彼に向く。
いつの間にか戦っていた二人の戦士は稽古場から身を退き、人込みの中へ消えていた。
悪戯な笑みを浮かべたラーズが雷蔵を広場の右側へ連れて行くと、反対側から人込みを掻き分けてある男が姿を現す。
「平重郎殿……? 」
「――抜きなァ、雷蔵さん」
雷蔵の前方から押し寄せる、膨大な殺気。
それが反対側に立っている平重郎によるものだと気づいたが、彼は戸惑いが隠せない。
「これはどういう事だ。説明を求む」
「今から雷蔵さんには解放者の入団試験に受けて頂きます。突然の事で申し訳ありませんが、我々としても特別という訳にはいきませんので」
口元に笑みを浮かべながらギルは顎髭を撫でる。
先程の会話が一次試験、という事であろう。
平重郎との模擬戦は言わば二次試験。
深い溜息を吐きながら止むを得ずに刀の柄へと手を伸ばした。
「平重郎殿。お主の居合がどれ程のものか、この目で刮目させて頂く」
「いいぜェ、来な。お前さんがどんな道を歩んできたのか、俺も見せてもらうとしよう」




