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ワンダラーズ 無銘放浪伝  作者: 旗戦士
第三章:金剛不壊
46/122

第三章幕間: 天使の翼

45話で第三章が終わると記載しましたが、幕間を追加させて頂きます。

申し訳ございません。

<農業共和国イシュテン>


 一方その頃。

フレイピオスの西側に隣接する大都市、トランテスタに配備された武力自治組織・リヒトクライス騎士団第四番隊の事務所の廊下を一人の女性が履いたブーツの靴底を鳴らす。

黒い布地のスキニーパンツに茶色のジャケットを羽織りながらパーマがかった長い金髪を揺らす彼女の名は、レーヴィン・ハートラントと言った。

革製のショルダーバッグを肩に掛けながら自身のオフィスの鍵穴に鍵を差し込み、右に捻る。


軽快な音を立てて鍵は開き、綺麗に整頓された書類や書物を一瞥しながら彼女は鞄とジャケットをハンガーラックに掛けるとデスクチェアに腰掛けた。


「ん? 通信(テレグラフ)媒体(アーティファクト)に受信……? 」


机の上に置かれていた長方形の箱の蓋を開け、レーヴィンは大きな緑色の宝玉を手に取る。

通信媒体。

元は脳内の会話を可聴化させる魔法を魔導核(コア)に刻み込んで製品化したもので、軍事機関や貴族、高位の人間にしか普及していない高級加工品の事を指す。

指先で玉に触れた瞬間、彼女の脳内に女性の声が響いた。


『レーヴィン・ハートラント卿。お久しぶりです、アイナリンドです。これを聞いている頃貴女はおそらくイシュテン共和国にいる事でしょう。そして私がこの媒体を通して貴女に言伝を残しているという事は、シルヴァーナ王女の身に危険が及んでいるという事です』


淡々と述べられた言葉にレーヴィンは目を見開く。


『彼女は昨日の明朝、ヴィルフリート国王の手先によって王国に連れ去られてしまいました。その実働部隊の中にはこちらの守護騎士の一員であったギルゼンとインディスも含まれています』

「……裏切ったのか……」


空いていた左の掌を握り締めた。

二人と交流が深かった彼女にとっては信じられない事実ではあったろうが、彼女は通信媒体に繋がれた受話器に耳を傾け続ける。


『そして今日の昼に、ラーズとエル、それに雷蔵様がディアテミスへと向かわれました。"解放者"たちと合流する手筈となっています。ハートラント卿。今こそ貴女の協力が必要です。もし手を貸していただけるなら、セベアハの村へ一度足を運んで頂きたく存じます』


そこでメッセージは途切れた。

受話器を元の位置に戻し、机の引き出しを開ける。

中に入っていた一枚の書類に手を伸ばし、デスクの上に置いた。

退団届と記されたその紙には既にレーヴィンの名前や個人情報が記入されており、皮肉にも旅立ちの準備は整っている。


「私は騎士だ……。忠誠を誓った主の危機には駆けつけねばならない……」


シルヴィと初めて再会した時、レーヴィンは複雑な心境を抱えていた。

自身の全てを捧げると誓った王女が生きていた安堵感と、彼女がクーデターを起こそうとしている事を察知した焦燥感。

その二つの感情に、彼女は苛まれていた。


だが、今のレーヴィンには失うものが多すぎる。

地位や名声などはどうでもいいが、自分が居なくなった事でリヒトクライス騎士団四番隊は混乱に陥るだろう。

そして想い人であるヴィクトールや騎士になろうと士官学校に通うフィルにも、間違いなく悪影響を与えてしまうだろう。


レーヴィンはオフィスの一角にあったクローゼットのドアノブに手を掛ける。

扉を開けた瞬間、埃一つない美しい銀色の甲冑と獅子の紋章が入った騎士剣が姿を現した。


「……よう」

「ッ!? 」


突如として掛けられた男の声に彼女は虚を突かれた想いで振り向く。

焦げ茶色の髪を後ろで纏め、顎髭を生やした軽装鎧姿の男性が部屋の入り口の前に立っている。

ヴィクトール・パリシオ。

四番隊の隊長を務める彼女の副官であり、そして恋人である彼はいつも通りの不敵な笑みを浮かべていた。


「ヴィクターか……。急に驚かすな。どうしたんだ? 」

「いやぁ、レーヴが出勤したっていうから今日の仕事を持ってきただけさ。それよりも――」


突然、ヴィクトールの表情が真剣なものになる。


「――行くのか? あの嬢ちゃんのところに」

「……何のことだ」


フッと笑いながらヴィクトールの右手が彼女の肩に触れた。


「隠さなくてもいい。シルヴィちゃん……いや、もうシルヴァーナ王女と言うべきか。助けに行くんだろう? ハートラント卿」

「お前……全部知っていたのか? 」

「へへ、天下の伊達男を舐めちゃいけねえ。好きな女の事は全部知っておきたい(たち)でね。今頃お前さんが迷ってる頃だろうと思ったのさ」


彼の言葉に恥ずかしさを覚えながらもレーヴィンは深いため息を吐く。

この男に隠し事は出来ないな、と自嘲気味に内心笑うとヴィクトールの手を退かした。


「……何もかもお見通しみたいだな、ヴィクター」

「あぁ。そんなお前に餞別っちゃあ何だがプレゼントを持ってきたぜ」


一枚の書類がレーヴィンの手に握られる。

その紙には"引継許可証"と記されており、レーヴィンとヴィクトールの名前が書き記されていた。


「生憎、丁度デフロット団長がこの四番隊の事務所に来てる。んで当然、あの子たちを助けるにはお前は今の立場を降りなきゃならん。騎士団に籍を置く以上、他国への介入はご法度だからな」

「分かっているさ。だが私は……」


言葉を発しようとしていたレーヴィンの唇にヴィクトールは人差し指を優しく当てる。


「俺たちの事は気にすんな。元々お前の人生だ、お前の好きにすればいい。それにもう俺が副官にする人間も選出してある。準備は万全ってなわけさ」

「ヴィクター……」

「……助けたいのは全員一緒だ。あの子の事も、そして雷蔵の事も。ただ指を咥えて見てるのは癪だ。だからこうした。レーヴ、お前はどうしたい? 」

「私は……」


疑念と迷いが彼女の中で交差した。

己の使命を取り、今の地位を捨てるか。

それとも今の立場を取り、己の誓いを捨てるか。

一度だけ目を閉じて、深く息を吐いた。


「……今日の昼には出る。ヴィクター、引継を頼めるか? 」

「合点承知! それでこそレーヴだ! 」


力強く親指を立てながらヴィクトールが部屋から退出するとレーヴィンは机の上の退団届を手に取ると、クローゼットにあった銀の鎧を掴む。

上半身を覆う強固な鉄の塊に腕を通し、豊満な彼女の胸部を銀色の胸当てが包み込んだ。

革のブーツに足を通し、焦げ茶色の鞍を掴み取るとオフィスに置いてあった非常食と水筒、野営用の寝袋を括りつける。

スキニーパンツの腰に巻き付けられた黒い帯剣ベルトの差し込み部分に愛剣を収納し、ショルダーバッグと鞍を肩に担いだ。


そのままレーヴィンは自身の事務室を抜け出し、デフロットのいる客間へと足を進める。

廊下のステンドグラスが暖かい日の光を七色に彩る様子を一瞥しながら、大理石の床の上に敷かれた赤いカーペットの上で革靴を鳴らす彼女はデフロットの元へと辿り着いた。


木製の扉をノックすると中から穏やかな声音が聞こえてくる。

ドアノブを捻って客間に入ると、そこには私服姿のデフロットがソファに座ってコーヒーを啜っていた。


「レーヴィン隊長じゃないか。どうしたんだい? そんな大荷物を抱えて」

「お話が御座います。直ぐに済みますから、どうか聞き入れては頂けないでしょうか」

「勿論だとも。とりあえず座り給え」


はっ、とレーヴィンは相槌を打ちながら荷物をソファの上に置いて彼と対面する形で腰を落ち着ける。

ズボンのポケットに仕舞っていた退団届をデフロットの前に差し出し、テーブルの上に置いた。


「……理由を、聞こうか」

「はっ。この事は御内密にお願いしますが、団長には本当の理由をお話し致します。私が以前リヒトクライス騎士団に所属する前に、フレイピオスの騎士であった事は以前お話した筈です。その主が……今回の退団の理由なんです、デフロット殿」

「……もしや以前ここに訪れていたシルヴィ、という少女かな? 」


「既にご存知でしたか……はい、その通りです。その少女が今、エルフ至上主義の過激派に誘拐されたという言伝を受けました」

「過激派……か。今や至上主義は国をも覆い尽くす脅威と化している。シルヴィ殿が囚われてしまうのも無理はない、あの事件から血眼になって連中はリュシアンを仕留めた人間を探しているからね。彼女はどこで捕縛されたんだ? 」

「詳しくは何も……。ですが、フレイピオス国内というのは間違いないようです」


レーヴィンの言葉に感化されたのか、我に返ったようにデフロットは自分の鞄の中へ手を入れると書類を取り出す。


「ヴィルフリート国王は至上主義の穏健派……。彼らが彼女を攫うよう命令したとは断定出来ないが、少なくとも関わっている可能性はある。仮に君がシルヴィ殿を助けに行ったとしたら、フレイピオスへ反旗を翻す事になるかもしれない。その覚悟が君にはあるのか? 」

「えぇ。無論です。私がこの身を捧げると誓った、唯一無二の主が再び危険に晒されているわけですから。咎の断罪の際にはお助け出来なかった……。ですが、今なら私はあの方を助ける事が出来る。それにデフロット殿やヴィクトール、フィル君や騎士団の全員に迷惑は掛けられない。故に私はこの届出をお渡ししようと参った次第です」


「……そうか。分かった。騎士団長としての立場から言わせて貰うと、君が抜けるのはとても惜しい。君は優秀な人材だ。カリスマ性も高く、日々の業務もそつなくこなしている。レーヴィン君の事だから、もう既に引継許可証は誰かに渡してあるのだろう? 」

「はい、一番信頼できる男に任せています」

「なら良しとしよう。一人の騎士が己の宿命を立ち向かおうとしているのに止めてしまっては野暮というものだ」


デフロットが退団届を折り畳んで自身の鞄に仕舞う様子を一瞥すると、レーヴィンは座っていたソファから立ち上がって深々と彼に頭を下げた。


「短い間でしたが、お世話になりました。ここに私を置いて頂いた恩、決して忘れはしません」

「こちらこそありがとう。あの子たちの事を、しっかりと守ってあげなさい」


右手を胸の前に掲げる敬礼をした後、もう一度デフロットにお辞儀をしてから客間を出る。

次にレーヴィンは馬屋へと続く廊下を歩き始め、身に着けた鎧が心地良い音を立てながら揺れた。


事務所のエントランスを抜け、入り口に広がっていた庭園の横に隣接している馬屋へと歩みを進める。

大理石の床から砂利の混ざった地面を踏みしめると馬特有の獣臭い匂いが彼女の鼻孔を刺激した。


「突然ですまない。私の馬を出してはくれないか? 」

「え、えぇ。大丈夫ですけど……。そんな大荷物持って、どちらへ向かわれるのですか? 」

「……野暮用さ。詳しくは聞かないでほしい」


馬番の若い青年に鞍を手渡し、レーヴィンは彼の鞍を取り付ける様子を観察しながら鞄から地図を取り出す。

イシュテンからフレイピオスに向かうには船を経由する必要があり、馬も連れて行く場合はより多くの運賃が必要になる。

自身の武骨な財布に手を伸ばし、中に幾つもの金貨や銀貨が入っている事を確認すると彼女は満足げに頷いた。


「お待たせしました。彼、ずっとレーヴィン隊長の事待ってたみたいですよ。うれしそうです」

「そうか……。待たせてしまって悪いな、エルダンジュ」


エルダンジュ、と呼ばれた白馬は彼女の声に呼応するように嘶く。

絨毯のように柔らかい毛並みを携えたその牡馬は、彼女を迎え入れるように背中を低くした。


「隊長。もし任務へ向かわれるなら、十分にお気を付けください。最近は物騒ですから」

「君もな。世話になった、ありがとう」


エルダンジュの両わき腹を包んでいた両脚を僅かばかり強めると彼は4つの足で歩き始める。


「さあ行こう、相棒。私の主が私たちを待っている」


白馬の嘶きが雲一つない晴天に響き渡った。

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