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ワンダラーズ 無銘放浪伝  作者: 旗戦士
第三章:金剛不壊
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第四十三伝: Bloodthirsty Boondock Saints

<セベアハの村>


 そうして迎えた翌日の早朝。迫り来る魔の手などいざ知らず、雷蔵は一人村の中心部を歩き続けている。隣にはロイも、そして良きパートナーであったシルヴィの姿も無い。ただ一人で、立ち込める灰色の霧の中を歩いている。生憎の曇天の空の下、雷蔵は少しだけ冷える風を浴びた。被った笠の下から伸びた細い黒髪の束が揺れ、身に纏った胴着の袖に手を隠す。


「旅立ちには悪くない日、か……」


 自嘲気味に視線を上げながら、彼は笠の縁を僅かばかり上げた。憂い気な彼の視線は鈍色の雲が立ち込める空を捉え、そして沈んだ彼の胸の奥を更に陰鬱とさせる。昼の喧騒が嘘のように感じられる朝の静かさと、耳の中に響く野鳥たちの囀り。この場を離れたくないという気持ちを押し殺し、雷蔵はただひたすらに村の西門を目指す。ロイとの依頼が破棄に終わり、彼の目的地は最早フレイピオスの王都ではなくなった。行く当てのない旅。終わりのない、孤独な旅路。一先ず彼はヴィクトールやレーヴィン、フィルのいるトランテスタへと向かおうとしていた。少しでもこの孤独を、誰かに聞いて欲しかった。情けない話だ、と雷蔵は苦笑を浮かべる。それほど彼にとって、シルヴィという存在は大きなものであったのだろう。


 だが、雷蔵は彼女を自らの意思で突き放した。彼女の意思と、彼女自身を守るという名目で。彼の脳裏から昨夜のシルヴィの表情が消える事は無かった。己の宿命と、信頼していた人物からの裏切りに憂う悲し気な視線。10代の少女には重すぎる使命と対面して、彼は背を向けて逃げたのだ。悔しかった。手を伸ばせば、自分が彼女を助けたいと渇望すれば、シルヴィを助けられたのに。彼女の重荷を、少しでも軽くすることが出来たのに。虚しさと己への情けなさに、彼の両手は握り締められる。もう一度だけ、雷蔵は背後を振り向く。セベアハの村を初めて訪れた時に見た、二階建ての宿屋がやけに大きく感じられた。


「……さらばだ、シルヴィ。もう、会う事は無いだろう……」


 そうポツリと呟くと、止めた足を再び西門へ向けて動かし始める。市場の開かれていた中心部を抜け、両端に物見やぐらが設置された巨大な門へと辿り着いた彼は、前方から二人の男女が歩み寄ってくる事を察知した。橙色の短い髪を揺らすオークの青年と、ハーフアップに結んだ長い青髪を携えるエルフの少女。ラーセナル・バルツァーとディニエル=ガラドミア。両名ともこのセベアハの村でシルヴィの守護騎士に任命された人物であり、ここまで来る手筈を整えてくれた頼もしい仲間たちであった。


「……よお。冷えるな、朝は」

「あぁ、拙者も寒さには弱い」

「俺もだ。やっぱ人間、暑いくらいの方が性に合ってる」

「違いない」


 そんな他愛ない言葉を交わしながら、ラーズは彼の肩を叩く。同じようにエルも傷心した雷蔵を慰めるかのように悲し気な視線を向け、優しく背中に手を置いた。


「……ごめんなさい。もっと良い別れ方も出来たかもしれない……」

「過去を嘆いても仕方のない事だ。いずれは来るべき別れであった、それが今になったというだけの事。言ったであろう、お主たちが気に病むことではない」

「でも……貴方達の関係を壊してしまったのは私達。謝らせてほしい」

「……良いさ。国を抜けた時と同じになっただけの事」


 彼らの手を振り払い、雷蔵はゆっくりと門へと近づく。


「さらばだ。ラーズ、エル殿。シルヴィとロイ殿の事を頼んだ」

「おう。任せとけ。あの子は今、アイナリンドさんとじいちゃんと一緒に寝てるはずだ。それにロイの方も、兄貴が見てくれてる。安心してくれ」

「そうか。礼を言う」


 深々と彼らに頭を下げ、雷蔵は地響きと共に開かれる門と対面した。砂埃が舞い、目に塵が入らないように両目を覆うとそのまま歩みを進める。


 だが、その時だった。


「――開いたぞッ!! 今だっ!! 」


 曇り空の下に響く怒号と幾つもの金属が擦れる音。静かな明朝には似合わない戦場の香りに、雷蔵は思わず虚を突かれた。門が完全に開き切ったと同時に、迫り来る幾つもの銀の影。それが王都の王国軍ものだと雷蔵が気づけるわけも無かった。


「急いで門を閉めるんだ!! 連中が、王国軍の奴らが攻めてくる! 」

「今やって――ぐあぁっ!? 」


 やぐらの上に配備されていた自警団のオークとエルフの悲痛な叫びと怒号を耳にして、ようやく雷蔵は我に返る。その瞬間、彼の身体を横切る巨大な影が姿を現した。


「ボーっとしてんじゃねえ! エル! 急いで村の皆に知らせろ! 雷蔵! じいちゃんとアイナリンドさんの所に行くんだ! 」

「だ、だが! ラーズは! 」

「四の五の言ってる暇があるならとっとと行けってんだ!! シルヴィが殺されちまうぞ!! 」


 空中に響くラーズの怒号に気圧され、雷蔵は来た道を引き返す。エルが背後から付いて来ている事を確認すると、走る速度はすぐさま上昇していく。何故、王都の連中が今になってこの村を襲撃してきたのか。雷蔵の旅立つ瞬間を狙って、奇襲を仕掛ける事が出来たのか。


「……密告者か……ッ!! 」


 村の中を掛けている間、雷蔵はそう苦し紛れに口を溢した。どうして、疑う事が出来なかった。どうして、少しでも裏切り者の存在を認識する事が出来なかった。


「雷蔵! 私はこっちへ向かう! 民間人の避難と、防衛線の確立は任せて! 」

「御意! シルヴィの事は拙者に任されよ! 」


 村の中心部でエルと別れると、雷蔵はそのまま昨夜彼の泊まっていた宿屋へと足を速める。荒れる呼吸を肩で整えながらスピードを上げていく事数分、ようやく彼の双眸は二階建ての建物を捉えた。


「おい貴様ッ! 邪魔をす――」


 既に別の方向から村の中へと侵入していたのか、目の前に立ち塞がる数名の騎士達が各々の武器を構える。そんな彼らに得も言われぬ怒りを覚え、雷蔵は走った勢いのまま腰に差していた愛刀・紀州光片守長政を引き抜いた。柄を握る右手に走った、心地悪い肉を斬る感触。だが今はそんな事はどうでもよかった。シルヴィが死ぬ危機に瀕している。その事実だけが、雷蔵の身体を殺意に突き動かした。


「なっ、こいつ! 」


 雷蔵と仲間の戦闘音に気が付いたのか、残った仲間の騎士が雷蔵に剣を縦に振り翳す。その斬撃を肉薄し、出来上がった隙を突くように腰に差した脇差の柄頭を目の前の敵の顎目掛けて突き出した。

骨の砕ける軽快な音と共に相手の身体は宙に舞い、その隙を逃さないように雷蔵は右手の中にあった愛刀を縦一文字に振り下ろす。鉄の鎧から露わになっていた頭部を真っ二つに叩き割り、返り血を浴びながらも彼はただひたすらに前方に映った宿屋へと駆けた。邪魔だ。退け。俺の道を、遮るな。


 理性ではなく本能が、雷蔵にシルヴィの危機を救えと命じる。かつての故郷で盟友を嵌めた役人共を皆殺しにした雷蔵に第二の名前と人生を与えてくれた恩人を救え、と。


「退けェェェェェッッ!!! 」


 響く怒号と、周囲を舞う血の雫。宿屋を囲んでいた小隊の騎士達を全て斬り殺し、雷蔵は宿屋のドアを蹴破った。既に、宿屋の主人は地面に血の海を作りながら地に伏している。絶望の表情を浮かべながら倒れている老人の目を閉じさせると雷蔵は階段を駆け上がり、シルヴィたちのいた部屋の扉を勢い良く開けた。


「……う……? ら、雷蔵、殿……? 」


 視界に映ったのは、地面に倒れて気を失っているアイナリンドと右の肩口を斬られて地面に座り込んでいるミゲルの姿。彼の元へ駆け寄り、急いでミゲルの身体をベッドの上に寝かせる。


「ミゲル殿! 皆は、シルヴィは無事なのか!? 」

「わ、我々よりも……奴らの方が、上手だった……。考慮すべきであったのだ……裏切り者の存在を……! 」

「案ずるなッ! 傷は浅い! 応急処置を行えばすぐに助かる! 」

「奴らは……ロイ・レーベンバンクは……彼女を、東門へ……ッ! 」


 雷蔵は思わず、ミゲルの口から放たれた名前に驚愕を覚えた。ロイ・レーベンバンク。彼が、裏切り者であるというのか。しかし今の雷蔵には考えている暇は無い。気を失ってしまったミゲルの傷に包帯を巻いた後、部屋の窓から外へと飛び出す。シルヴィを取り戻す行く手を塞ぐように雷蔵の前に再び数人の騎士が立ちはだかり、返り血を浴びた雷蔵の姿に僅かばかり怯えていた。その隙を雷蔵が見逃すはずも無く、一番手前にいた若い騎士の首を胴体から切り離し、次の一手で殺した騎士の後ろにいた男の首元に脇差の切っ先を突き刺す。雷蔵の背後をとった二人の生き残りが彼の背中目掛けて剣を振り下ろすも、彼らの刃が捉えたのは虚空。目に見えない速度で彼らの背後に回った雷蔵は太刀を横一文字に振り切り、二つの生首を作り上げた。


「……ッ! 」


 刀に付いた血糊を払いつつ、再び東門へと駆けだす。先程の背後からの斬撃で後ろ髪を結んでいた紐が斬られてしまったのか、彼の長い黒髪が風に揺れた。既に周囲から鋼のぶつかり合う音が聞こえ、自警団と奇襲をかけた王国軍が交戦した事実を彼に知らせる。今は他の人間を助けている暇などない。シルヴィを救わなければそれこそ、多くの人間の希望が失われる事になる。そして、自分が彼女にしてしまった裏切りへの償いも出来なくなる。


「間に合え……ッ!! 間に合えっ!! 」


 迫り来る何人もの騎士を打ち倒し、殺し、そして蹂躙した。嘗て自分が生まれ故郷で役人たちを皆殺しにしたように。段々と目覚めていくかつての己の人格を無視しながら、雷蔵は血飛沫と共に地面を蹴った。そして彼はようやく、シルヴィを連れ去ったロイがいるという東門に辿り着く。既に巨大な門は開かれており、数名の騎士と黒い鎧を纏った若い男、それにロイの姿が彼の目に映った。

だが、それだけではない。ロイの隣にはラーズの兄であるギルゼンに、エルの姉であるインディスの姿も見える。裏切り者はロイだけではなかった。この二人の協力があってこそ、彼はシルヴィの奪還を成し遂げられたのだろう。


「な……」

「――おや」


 東門に辿り着いた雷蔵の姿に気づいたのか、ロイが普段の白衣を揺らしながら振り向く。隣のインディスとギルゼンも目視したようで、怪訝そうな表情を向けていた。そしてロイの右手には魔法で造られた携帯性の檻が浮かび、その中には雷蔵に気づいたシルヴィが驚愕の表情を浮かべている。何故、彼の行動にもっと気を配れなかったのか。何故、ここまでの死人を出して彼らはシルヴィを奪還しようとしたのか。彼の脳裏に、殺されてしまった宿屋の主人の姿が浮かぶ。傷を負い、気を失ってしまったミゲルとアイナリンドの悲惨な光景が浮かび上がる。


「やはり来ましたか。僕の予想通りだ。雷蔵さんは必ずこの子を助けに来ると予測していたんですよ」


 曇天が次第に黒が掛かった雨雲へと変貌していき、やがて数滴の雨粒を降らせた。雨脚は段々と強まっていくと、一気に雷蔵の身体を雨に濡らせる。


「そんなに彼女の事が大切ですか? 自ら突き放したのに? 傾国の姫君なんて不名誉な二つ名を付けられてしまう女なのに? 」


 黙れ。そんな声が、胸の奥に響く。シルヴィの悲痛な声が周囲に響き渡るが、俯く雷蔵の耳に届く事は無い。


「雷蔵さんッ!! 逃げてッ!! 」

「……と、言っていますが? 貴方はどうされますか? 」


 そいつを、殺せ。黙らせろ。昨夜の屈託のない笑みとは違い、下品な笑みを浮かべるロイに雷蔵はゆっくりを顔を上げる。


()()()と同じように……お友達を見捨てますか? 」


 瞬間、獣が目を覚ました。ロイの言葉を遮って雷蔵の拳が彼の頬に直撃し、ロイの身体を大きく後方へ吹っ飛ばす。


「あいたたた……。いきなり殴るなんてひどいじゃないで――」


 その場にいた全員の背筋に、氷柱を突き刺されたような極度の悪寒が走った。ロイの視界に映ったのは、血走った双眸を向けながら紀州光片守長政の切っ先を向ける雷蔵の姿。刀の先が届こうとした瞬間にロイは白衣の両袖から二振りの柄だけを取り出し、瞬時に魔法で形成された黒い片刃の魔力刀で彼の刺突を防ぐ。


「ロイ! 」

「シルヴァーナ王女の事は任せました。彼は僕が対処します」

「でもぉ、その状態の雷蔵ちゃんってかーなり危ないんじゃ……」

「お気遣いは結構。今は目的の達成が第一です。さあ、行って」


 雷蔵に殴られる前にシルヴィが囚われている魔法の結界をインディスに投げ渡したロイは、彼女らが行った事を確認した直後に目の前の雷蔵に視線を戻した。獲物を前にした猛獣のように雷蔵の息遣いは荒く、普段の温厚さを忘れさせるほどの殺気を纏っている。己の本能がこの男を、ロイ・レーベンバンクを殺せと命令していた。こいつを殺して、シルヴィを助ける。邪魔をする奴は、同じように殺す。雷蔵は鍔競り合った双剣を弾き返し、手にしていた太刀を人間業とは思えないほどの速さで振り下ろした。再び散らす、ロイとの火花。


「近衛雷蔵……いや、"首斬(くびきり)"雷蔵、でしたっけ? 僕もあの悪名高い処刑人を目の当たりにするとは思いませんでしたよ」

「その名をッ……俺の名をッ!! 言うなァッ!! 」


 どうしてロイが雷蔵の過去を知っているのかは分からない。だが今は、どうか今だけは、本能の赴くままに剣を振らせてほしい。この目の前の宿敵を、恩人を傷つけたこの怨敵を。自らの手で、討たせてほしい。


「ッらぁッ!! 」


 気迫の声と共に、雷蔵は二振りの剣を押し返すと同時に左手にあった脇差を突き出す。しかし、ロイの剣の方がリーチが長く、雷蔵の脇腹を掠めた。痛みなど気にする暇があるのなら、剣を振るえ。目の前の敵を、この世から消せ。そう本能が働きかける度、雷蔵はロイとの距離を一気に縮めた。


「はは、まるで獣ですね」


 涼しい顔で雷蔵の剣戟を幾つも受け流し、同時に彼の身体に無数の傷を付けていく。再び剣を交えて合った視線に、雷蔵は怒りを増大させる。


「ですが……。僕も殺すだけが取り柄の獣に構っている余裕は無いんです」


 鍔競り合っていたロイの姿が突如として消え、雷蔵はそのまま前のめりに体勢を崩した。直後熱した鉄板を押し付けられたような激痛が二回、彼の胸に走る。×印状に付けられた傷と共に雷蔵の身体は一気に制御を失い、地面に倒れた。対するロイは魔力刀を収納し、地に伏す雷蔵へと歩みを進める。


「あまり僕を舐めないで頂きたい。貴様のような血に飢えた狼など、相手ではない」


 そう吐き捨て、ロイの姿は雷蔵の目の前から去って行く。まだだ、まだ戦えると全身に力を込めるも彼の身体は起き上がろうとはしない。


「ま、待てッ……! シルヴィを……返せッ……! 」


 弱弱しく虚空に手を伸ばす雷蔵の身体を、無数の雨粒が濡らした。ぬかるんだ地面の踏みしめながら立ち去るロイの足音が遠ざかる頃には既に、雷蔵は意識を失っていた。

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