第四十二伝: 影縫い
<セベアハの村>
ミゲル達との秘密の会談を終え、宛がわれた宿の一室で休息を取っている雷蔵はゆっくりと双眸を開く。慣れない船旅と土地のおかげで必要以上に疲労を感じていたのか、彼が目覚めた頃には既に日が落ちており、夜の帳が村を包んでいた。
「む……」
眠ってしまっていたのか、と自嘲気味に頭を左右に振りながら彼は上体を起こしベッドから起き上がる。寝台のすぐ傍に置かれていた小さな机の上に折り畳まれた胴着と袴の上に一枚の紙が乗せられているのを見つけ、雷蔵はそれを手に取った。
「"屋上で待っています"……。はて、この字は……」
見覚えのある丁寧な文字を一瞥し、雷蔵は薄手の寝間着の上に紺色のローブを羽織ると玄関に置いてあった草履に足を通す。眠気を払うように腰を捻ってから両腕を伸ばすと彼は部屋の外へと赴き、賑やかな昼とは違った静かな雰囲気に心地良さを覚えた。
「おや、雷蔵さん。起きられましたか。夕食の方が残してあるので、もし宜しかったらお食べになってください」
「忝い。少し用があるので、帰って来てから頂くとしよう」
二階の廊下を歩いていたオークの宿主に深々と頭を下げ、雷蔵はその場を後にする。渡された地図に従って屋上へと続く階段を上り、扉を開けると美しい星々と真珠のような満月が濃紺の空に浮かんでいた。乾季というのもあってか、涼し気な夜風が雷蔵の全身を包み込む。土と草の匂いが彼の鼻孔を刺激し、自然の瑞々しさが村全体に息づいているように彼は感じた。僅かばかり足を進め、屋上の中心部分へと辿り着くと月明かりに反射して煌く長い銀髪を目にする。足音を聞いて雷蔵の存在を察知したのか、柵に寄り掛かっていた長髪の持ち主は彼と視線を交わした。
「……あ」
思わず、彼女――シルヴィの風貌に目を取られてしまっていた。憂い気な視線と彫刻のような美しさを兼ね備える彼女の姿に、文字通り見惚れていた。再び、夜の薫風が二人の間に吹く。シルヴィの銀髪が揺れ、女性物の石鹸の匂いが雷蔵の鼻を通った。悲し気な表情を浮かべていた彼女は雷蔵の到着を知るなり、儚げに口元を僅かばかり吊り上げる。微笑みを返すと彼はシルヴィの隣に歩みを進め、柵に腰を寄り掛からせた。
「……さっきのお昼ごはんの時、ミゲルさん達と何を話してたんですか? 」
「む。バレてしまっていたか」
「はい。バレバレですよ。嘘をつくときとか何か隠し事があるとき、大体雷蔵さんは私と目を合わせてくれませんもん」
小悪魔のように笑う彼女に肩を竦め、雷蔵は深いため息を吐く。そこまで見抜かれてしまっていては仕方ない、とゆっくりと彼女と向き合った。
「アイナリンド殿とお主の関係……それにミゲル殿たちがこれからお主を保護する、という事だ。エル殿もラーズも今後はお主の付き人となる」
「……やっぱり、あの二人もグルだったんですね。まあ、エルさんが使う魔法で何となくは気づいていましたけど」
個人が得意とする魔法の種類は、生まれ持った才能と親から受け継がれた遺伝によって左右される。魔法使いは全ての属性の魔法を使用できるものの、これら二つの性質によって威力が変わってしまうのだ。故に、魔導士も秀でた種類の魔法を鍛錬し、一つの道を極める。プロメセティアに多くの魔法使いが存在するのはこの為であった。
「騙すつもりは無かった。しかし、お主の安全を守るのにはこの方法しかなかった」
「……どうしても、一緒に来るとは言ってくれないんですね」
重々しく、雷蔵は首を縦に振る。俯くシルヴィをじっと見つめる事しかできないまま、拳を握り締めた。
「言ったであろう。拙者は唯の流浪人。お主のやろうとしている事に手助けはできない」
「分かってます。もう……覚悟は決まりました」
今まで弱弱しかったシルヴィの双眸に力が篭っていく。そして彼女は彼と決別するように手を差し出した。
「今まで、本当にありがとうございました。貴方と出会えて、本当に良かった。雷蔵さんがいなかったら今頃、私はもっと早く死んでいたでしょう」
シルヴィがその言葉を放った瞬間、雷蔵は自身の頭がひどく痛むことに気が付く。"お前が居なかったら、俺はもっと早くお陀仏になってたよ。"いつの日か言われた、盟友からの言葉。今の彼女と嘗ての友の表情は、瓜二つと言わんばかりに似ていた。
「……あぁ、こちらこそ。拙者に第二の人生を与えてくれた事、一生忘れん。ご武運を、シルヴァーナ王女」
奥歯を嚙み締めながら雷蔵はその場から立ち去り、一度もシルヴィの方へ振り向く事なく屋上を後にする。胸に穴が空いたような空虚感を全身に感じながら彼が階段を下りると、その先には派手な色の毛先を揺らす眼鏡を掛けた青年が立っていた。
「ロイ殿……」
「すいません、雷蔵さん。盗み聞き、してしまいました」
苦虫を食い潰したような顔を浮かべながら、ロイ・レーベンバンクは彼に頭を下げる。雷蔵はすぐさま強張っていた顔を解き、口角を吊り上げつつロイの肩を叩いた。
「お気になさるな、ロイ殿。もう終わってしまった事。お主が気にする事ではない」
「ですが……」
「拙者の事よりも、お主はご自身の仕事に集中なされよ。明日の出立は早い」
そう言い捨て、自身の部屋へと戻ろうと足を進めたその時。彼の身体はロイの手によって引き留められ、そして彼の手からブランド硬貨が入った巾着袋を手渡された。
「何を……」
「予定よりも仕事が長く続いてしまいそうなので、僕はここに残ろうと思います。このまま調査を続ければ、もっと良い結果が出せそうでして……それに、雷蔵さんには僕なんかのことよりも自分の事を優先しておいてほしいんです」
「だが、ロイ殿を王都まで護衛するという依頼は……」
「だから、ここまで護衛してくれたお礼を今お渡ししたんですよ。ここから王都はそう遠くないし、それに街道も整備されています」
屈託のない笑みを浮かべ、ロイは雷蔵の手に巾着袋を固く握らせる。
「ありがとうございました。何度も命を助けられたこと、なんとお礼を述べていいのか……。本当にありがとうございました」
「……相、分かった。これにて拙者は、失礼する」
ロイに別れを告げつつ、ローブのポケットに仕舞いこんでいた鍵をドアの穴に差し込んでから回すと雷蔵はそのままベッドへと寝転ぶ。深いため息を吐きながら彼は両目を閉じ、間もなく彼の身体は睡魔に包まれた。
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<ルフペリの森・野営地>
同刻。セベアハの村の東側に存在するこの深い木々の群れはルフペリの森として国民から知られており、ヤヌザの森よりも圧倒的に安全な森林として人々から慣れ親しまれている。そんな雑木林の中に、オレンジ色の暖かな炎の光が一つ。木々の中に紛れ込むように深緑色のテントが幾つも張られ、その中には鈍色の重々しい鎧に身を包んだ騎士達が無愛想な表情を浮かべながら机の上に置かれた地図を睨んでいる。その中に佇む、黒い甲冑姿の男が一人。短く切り揃えた金髪を籠手を嵌めた右手で弄ぶハインツ・デビュラールは、全員がそろった事を確認すると座っていた椅子から立ち上がった。
「諸君。我々は明日の明朝、セベアハの村を襲撃する。抵抗する者には遠慮なくその銀の刃を突き立てろ。女子供は殺さずに捕らえ、王都へと運ぶのだ」
「しかし、どのような作戦で襲撃を敢行するのでありますか? 東門から真正面に突撃すれば、我々と言えど防戦一方のはず」
その質問を待っていたかのようにハインツは机の上の駒に手を伸ばす。
「あくまでも我々の目的はシルヴァーナ王女の奪還、下手に刺激する必要などない。加えて、セベアハの村には既に3人の協力者を送り込んである。彼らが王女の奪還を成し得た直後、我々も彼らに続く。西門に中隊を配備して遊撃と陽動を行い、東門から脱出するこの協力者たちを護衛する」
「西門に部隊は……? 」
「既に到着済みとの連絡を受けた。西門の軍が攻撃を開始する前に東門の護衛を排除し、攻撃開始と共に村へと潜入する」
おお、と重苦しい顔を浮かべていた騎士たちが瞬く間に明るい表情になり、ハインツに賛辞の言葉の数々を浴びせた。だが彼はそれに調子づく事なく立て掛けてあった騎士剣に手を伸ばし、自身の胸の前にその腕を持ってくる。
「すべては我が王、ヴィルフリート国王の為に。貴君らの健闘を祈る。これにて解散」
ハインツにつられて他の騎士達も剣を掲げ始め、各々敬礼を終わらせた後に続々とテントを後にした。一人取り残された彼は再び椅子に腰かけると、その仏頂面を俯かせる。
「……其処にいるのなら、出てきたらどうだ。異国の忍よ」
テント内部から出来上がっていた暗がりから、ハインツよりも一回り年下な若い忍装束の少女が姿を現した。首元まで伸びた黒髪をポニーテールにして縛った彼女は、ゆっくりとハインツへと近づく。
「気づいていたか。流石は現王国騎士団長、と言ったところだな」
「貴殿のような年端も行かぬ少女にそのような評価を与えられるとは光栄だ」
フッ、と鼻で笑いながら忍者の少女――志鶴椛は口元を隠していた黒いマフラーをずらし、端正な顔立ちを露わにした。
「兵士たちの士気は? 」
「先ず先ず、と言ったところだな。皆が全員、王の命令に従おうとしている」
そうか、と椛は素っ気なく返答すると彼と視線を合わせる。
「――だが、貴様は? 」
「…………」
沈黙が二人の空間を支配した。今にも左手に握った剣の柄に手が伸びそうであったが、ハインツはそれを持ち前の忍耐力で耐え忍ぶ。無論、ヴィルフリート王の判断が正しいとは思っていない。あのセベアハの村には、かつて王都の住人であった者たちが大勢息を潜めている。その者たちを手に掛ける覚悟が、悪人になる覚悟があるのかは、ハインツにも分からない事だった。
「失せろ。所詮貴様とて王に絶対の忠誠を誓ってはいないはず。雇われ者風情が図に乗るな」
「……ハッ。精々、部下に寝首を掻かれないよう気を付ける事だ」
そんな戯言を吐き捨てながら椛が彼に背を向けた瞬間、彼女は今一度ハインツへと振り向く。
「それと、近衛雷蔵という男には気をつけろ。後々……我々の敵になる男だ」
一瞬の風切り音と共に椛の姿は既にテントから跡形もなく消え、再びハインツのみが内部に取り残された。
「……余計なお世話だ、下郎」
彼の言葉は、椛に届くはずもなかった。




