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ワンダラーズ 無銘放浪伝  作者: 旗戦士
第三章:金剛不壊
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第四十一伝: Ambiguous

<セベアハの村・食堂>


 腹を空かして扉を開けたその先には、大勢の客で賑わうダイニングルームが広がっていた。あちこちから漂う肉を焼いた香ばしい匂いや、幾つもの香辛料を使用した芳醇な香りが雷蔵とラーズの鼻孔を刺激する。店の入り口に立っている二人を見かねたのか、金色の顎髭を携えた皴の多い男性が彼らに近づいた。


「いらっしゃい! お、ラーズじゃあねえか! 帰ってきてたんだな! 」

「ジルボーのおっちゃん! 俺もう腹ペコペコだよ、何か作ってくんねえか? 」

「はは、任せとけ! ところで隣のあんたは……? 」


 頭に被っていた円形の笠の紐を外し、雷蔵は深々とジルボーと呼ばれたエルフの男性に頭を下げる。


「拙者、近衛雷蔵と申す者。諸事情によりラーズと行動を共にしている」

「雷蔵……。あぁ、長老が言ってた人間の旅人さんかい! 話は聞いてるよ。長老からあんたがここに来たら特別席に連れて行くように言われてるんだ」


 ジルボーの言葉に雷蔵は眉をひそめた。


「ふむ。その特別席、というのは? 」

「ついてくりゃ分かるさ。こっちだ」


 言われるがまま雷蔵とラーズはジルボーの後に続き、二階建ての食堂の階段を上がる。艶が掛かった木製の手すりに右手を置きながら彼らは扉の前に辿り着くと、客間の窓から見える森林の美しい光景を目の当たりにした。


「おぉ……」


 雷蔵が感嘆の声を上げるのも無理はない。このフレイピオス国には雨季と乾季の概念が存在し、雷蔵たちが入国したのは乾季の時期に当たる。地面に立派な根を張り巡らせた太い木々の数々が枝の先に暖色の葉を生い茂らせ、煌々と照り上がる太陽に反射してまるで黄金のような輝きを放っていた。涼し気な風と共に雷蔵の結んだ後ろ髪が揺れ、薫風をその身に感じさせる。


「おお、来たか。こちらです、雷蔵殿」


 声の主に視線を向けると、人間の拳よりも遥かに大きいマグカップを持ちながら屈強なオークの老人が雷蔵とラーズを席へと招いた。ミゲル・カラトヴァ。このセベアハの村の尊重を務める男性であり、異種族の住民たちをまとめ上げる存在。彼の隣には絹糸のような銀髪を揺らす美少女、シルヴァーナ=ボラットとエルフ特有の美貌を際限なく放つ女性が座っている。シルヴィが目の前の食事にかぶり付いている様子が目に入り、相変わらずだなと少しだけ笑みを浮かべながら雷蔵は招かれた席へと移動し、シルヴィとミゲルと対面する形で腰を落ち着けた。


「案内ありがとう、ジルボー。雷蔵殿に料理を持って来てくれるか? 」

「あいよ。ここの一番人気でいいな? 」

「無論。きっと気に入ると思いますぞ、雷蔵殿」


 かたじけない、と雷蔵は笑顔でその場を立ち去るジルボーに再び頭を下げるとシルヴィの隣にいた女性が彼の元を訪れる。エルと同じような宝石のような美しい青髪を揺らす彼女は、雷蔵に手を差し出した。


「アイナリンド・ガラドミアです。ミゲル長老からお話は伺っております、何やらラーズとエルがお世話になったようで……」

「近衛雷蔵と申す。むしろお二方にはこちらから礼を言わねばならぬほど助けられた。貴女のようなお美しいお方と昼餉を共に出来て、至極光栄の極み」

「……ふふっ、お上手ですね。噂通りのお方ですこと」


 骨付き肉を口いっぱいに頬張るシルヴィから鋭い視線を受け、雷蔵は僅かばかり口角を引き攣らせる。隣のラーズは何をやってるんだ、と言わんばかりに肩を竦め、ミゲルは口元に笑みを浮かべながらコップの中のコーヒーを啜った。


「はいよぉ、お待ち! ヤヌザの森で採れた山菜とキノコのシチューだ! パンはサービスでつけとくよ! 」

「おぉ……これは……なんとも……」


 客間を立ち去ってから数分で雷蔵とラーズの分の食事が運び込まれ、木の器の中には湯気の立ったとろみのついた白いスープが運び込まれる。先程の香辛料の匂いはこのシチューから漂ってきたものであろうと確信した雷蔵は、木製のスプーンでスープを掬ってから口に運んだ。山菜の薫りと歯ごたえのある食感に加えて、塩気のある旨味と乳製品のまろやかさが彼の口内に広がる。キノコのかさを噛み砕いた感触と共に雷蔵は感嘆の声を上げ、丸いパンの端をちぎってシチューの中に放り込んだ。


「美味い……! ここまでの汁物は初めて口にした……! 」

「うれしい事言ってくれるじゃねえか、雷蔵さん。このシチューは100食限定のメニューでな、毎回村のみんながこぞって食いに来るんだ。今回ばかりは特別だぜ? 」

「そのようなものを拙者のような若輩者に……。感謝申し上げる、ジルボー殿」


 へへ、と誇らしげにジルボーは鼻を擦る。そんな中肉を食らっていたシルヴィが物欲しそうに雷蔵の胴着の袖を引っ張り、彼の気を引いた。


「ら、雷蔵さん……。わ、私にも一口……」

「むう、致し方ない。ほれ、火傷するなよ」


 目を輝かせながらシチューを目の前にしたシルヴィを苦笑しつつ雷蔵は千切ったパンを口に放り込み、小麦の淡白な味を楽しむ。ジルボーが意気込んで更に料理を運ぼうと部屋を立ち去る様子を一瞥し、彼は向かい合った彼女へと視線を傾けた。感激の声を上げながらシチュー啜る彼女は、ミゲルと雷蔵、それにアイナリンドが視線を交わした事に気が付いていない。


「……失礼。少し席を外します。ラーズ、シルヴィ殿をお願いするぞ」

「あぁ。分かった」


 先にミゲルが席を立ち上がり、そそくさと部屋から立ち去る。それに続いて雷蔵とアイナリンドも椅子から腰を持ち上げた。


「拙者も厠へ。食事中、申し訳ない」

「なら私もコーヒーのお替りを貰いに行かせて頂きますね」

「えっ? は、はい……? 」


 僅かばかりではあるが困惑の表情を浮かべるシルヴィを横目に三人は席を外す。客間を立ち去った後、雷蔵は部屋のすぐ傍で待つミゲルとアイナリンドに視線を傾け、そして頷いた。


「……雷蔵殿、こちらへ」

「御意」


 ミゲルに招かれるまま別の個室へと入った雷蔵は、周囲に灯りが何も点いていない事に気が付く。

おそらくこの食堂に隠された秘密の部屋というものだろう、すぐさまランタンを手にしたアイナリンドが周囲に明かりを灯した。そしてすぐさま、ミゲルが深々と頭を下げている光景が彼の目に映る。


「此度の件、雷蔵殿を巻き込んでしまい誠に申し訳ない。我々は予めラーズとエルを護衛につける予定であったのだが、まさか咎の断罪の直後に貴方と行動を共にしているとは思いも寄らなかったのだ」

「いえ、それは此方が自ら望んで関わった事。拙者に各々方を責めるつもりなど毛頭ありませぬ。ですが……彼女の事は……」

「ご安心為されよ。責任を持って、我々が彼女をお守りする」


 老いを感じさせる風貌でありながらも尚、ミゲルの双眸は鋭さを失う事はない。


「しかし、アイナリンド殿とシルヴィはどういった関係でおられるのだ? 」

「……私は、彼女に魔法を教えた師。代々ガラドミア家はリヒトシュテイン家と関わりのある一族で、彼らと共存するために私たちの祖先が彼らの祖先に魔法を伝授したのが関係の始まりとなっています。エルとインディスは私の実の娘で、今回の一件にも王女を守る守護騎士として携わってもらっています」


 ふむ、と雷蔵は無精ひげの生えた顎を撫でる。つまり機関船でエルたちと遭遇したのも全てミゲル達の計画の上であり、雷蔵とシルヴィの旅も彼らの手先によって監視されていたのであろう。


「雷蔵さんの出立はいつ頃を予定していますか? 」

「……出来れば、明日の明朝に。彼女に気づかれずに王都を目指すのが理想と言えますな。拙者も今は冒険者の身、目的地にはいち早く到着したい」

「そうですか……。シルヴァーナ王女には、私から説得しておきます。……彼女との別れは、あまりにも辛いものでしょうから」


 悲し気なアイナリンドの言葉が、雷蔵の胸を突き刺す。しかし、いずれは来るべき別れであった事は、彼が一番よく理解していた。亡国の王女と国を捨てた一介の放浪者。旅を共にする事自体、既に有り得ない事であったのだ。


(かたじけな)い。話が済んだのであれば、拙者はこれにて失礼する」

「……至極、感謝を申し上げる。雷蔵殿」

「礼には及ばぬさ。拙者はただ、恩を返したまでの事」


 視線を二人から放しつつ、雷蔵は背後を振り返って腰に差していた刀に手を置く。得も言われぬミゲルとアイナリンドの視線を一瞥しながら、彼はその場から立ち去った。

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