第四十伝: 鉄塊
<セベアハの村>
木製の巨大な壁が5人の視界を覆い、先端の尖った門が地響きを起こしながら外側に開く。インディスとギルゼンを先頭に、雷蔵は魔力を使い果たして疲弊していたシルヴィの身体を背負っていた。
「ラーセナル! ディニエル! お主らまた小鬼共を起こしおって! 」
「じいちゃん! しょうがなかったんだよ、まさかあそこまで連中の縄張りが広がってるなんて知らなかったんだ! 」
「いい加減言い方を直さぬか戯け者! 」
「いってぇ!? 」
門が開くなり立派な銀色の口髭を携える緑色の肌の老人――と言っても雷蔵やロイよりも一回り身体は大きい――が慌てるラーズに拳骨を食らわせる。
「申し訳ございません、長老。ラーズの言う通り、最短でヤヌザの森を抜けるのにはあの周辺を通るしかありませんでした」
「……はぁ、もう良い。それよりも……」
そう言い、長老と呼ばれたオークの男性は雷蔵の方へ歩み寄った。
「近衛雷蔵と申す。訳有ってラーズ殿とエル殿と共にここまで赴いた身。この通り、仲間が疲弊して歩けない状況にある。どうか、宿を貸しては頂けぬか。無論、ただでとは言わぬ」
「ふむ……人間か。貴方がたは良いとして、そちらのお方は? 」
「ロイ・レーベンバンクです。冒険者である雷蔵さんに王都までの護衛を頼んでいる研究者です。もし必要なのであれば、調査許可証をお見せしますが」
顎髭を撫でながら長老は雷蔵とロイの顔を見て渋った声を上げ、次に雷蔵の背中に視線を向ける。我に返ったように彼はエルとラーズに視線を変え、二人は頷いた。
「……これは失礼した。我々の村にようこそ。歓迎しよう、私は長老のミゲル・カラトヴァ。ラーセナルとディニエルが世話になった」
「ご厚意、至極感謝の極み」
ミゲルは強張らせていた顔を崩し、朗らかな笑みを浮かべて彼らを招き入れる。5人が村の中へ入った瞬間に門が閉まり、地響きと轟音を立てながら土埃を舞い上がらせた。
「これは……」
入り口を抜けた先には市場が開かれており、大勢のオークやエルフ、人間といった様々な種族でごった返している。並べられている商品はおそらくこの地で採れたものなのであろう果物や野菜、そして煌びやかな装飾品が目を惹いた。
「村、というよりかはもう既に町ですねぇ……。正直思っていたものとは違います」
「ここは第二の都市としても有名な場所だから。あとで色々と周りたいならお姉さんが案内しましょうか? 」
「あはは、それは有難い。でも僕は調査がありますのでまた今度お願いしますね」
「あら、フラれちゃった。ねぇラーズぅ、お姉さんの事慰めて~? 」
「くっつくなよインディス。歩きにくいだろ」
「もう、いけずねぇ」
「……姉さん、止めて」
「ごめんごめん。つい、ね」
悪戯に笑みを浮かべるインディスの頭を隣のギルゼンが小突く。やけに不満げな表情を浮かべているエルを一瞥しながら雷蔵は背中におぶったシルヴィがもぞもぞと動くのを感じ取り、背後へ視線を向けた。
「んぅ……? あれ、ここって……」
「目覚めたか。セベアハの村の中だ、もう連中に追われる事もない」
「ど、どうなる事かと思いましたぁ……。で、でもまだ魔力切れで立てないので、その……」
「はは、分かっておる。宿に着くまで拙者の背中で寝ていると良いさ」
お言葉に甘えて、とシルヴィは再び目を瞑る。安らかな寝顔を浮かべて寝始める彼女を愛おしく思いながらも雷蔵は視線を前方へ戻し、大きな木製の建物が彼の目に映った。
「なんとも立派な宿だ。本当にここを使わせて頂けるのか? 」
「無論。"協力者"には手厚い歓迎をせねばな。して、雷蔵殿はこれからどうされるのだ? 」
「拙者の刀を見て頂きたい。オークの方々は非常に鍛冶の技術が優れていると聞いた故な」
「相分かった。ラーセナル、雷蔵殿をゼルマの工房へ案内してくれ」
「おうよ。ロイはどうすんだ? 」
「僕はもう少しこの辺りを周ってみようかと思います。魔物の調査の場所も確認したいですしね」
わかった、とラーズは頷くとギルゼンの肩を叩く。
「護衛なら兄貴が一番、だよな? 」
「お前な……。まあいい、あんたの案内は俺がするよ。ロイさん、だったか? 」
「はい。よろしくお願いいたします」
そう言うとロイとギルゼンは村の奥へと足を進め、中心部の方へと消えていった。雷蔵はシルヴィをミゲルに預けると、同じようにしてラーズと共に工房へ向かう事にした。
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<ゼルマの工房>
先程の宿から歩き続けること数分、"シャラーヴィン武具店"と描かれた看板を雷蔵とラーズは見つける。二階建ての家の屋根から伸びた煙突から白い煙が青空へと消えていく様子を一瞥すると、周囲に金属を打ち付ける甲高い音が響いた。
「この音を聞くと昔を思い出す……」
「へ? お前、鍛冶屋か何かだったのか? 」
「盟友が刀鍛冶でな。この刀も彼奴が打ったものよ」
へぇ、と感嘆の声を上げながらラーズは彼の刀に視線を移す。
「それより、お主は何故拙者と共に? 長老殿の所にいた方が良いのではないか? 」
「いや、シルヴィの事はエルとかインディスに任せた方が安心だ。あの子もそっちの方が馴染めるだろ。それに、俺も丁度籠手のメンテナンスしたかったんだ」
「そうか。そこまで言うのなら信じよう」
二人は工房の扉の前に立ち、朱塗りの木製のドアをノックした。直後、甲高い音は止んで足音が聞こえたかと思うと扉の向こうから緑色のの肌にオレンジ色の長髪を携えた女性が顔を出す。彼女の身体は男性のオークよりも一回り小さいが、それでも人間である雷蔵にとっては長身とも言える身長であった。
「おっす、ゼルマ」
「ラーズ! 帰ってきてたんだね! ってあれ、その人は……」
腰まで伸びたボサボサの髪を揺らしながら、ゼルマと呼ばれた彼女は目を丸くする。
「近衛雷蔵と申す者。途中でエル殿とラーズと目的地が同じであった為、この村に寄らせて頂いた」
「あ、そうなんだ。あたし、ゼルマ・シャラーヴィン。ラーズとは腐れ縁でね、いつもこいつの武器だったりエルの魔法具も点検してるんだ。それで、雷蔵も武器のメンテナンスしに来たの? 」
雷蔵は頷き、彼女に工房の中へ招かれると彼の全身を熱風が襲った。丁度ゼルマは溶鉱炉の魔導核を作動させていたようで、オレンジ色の液体が溶鉱炉の中で蠢いている。
「おお……これは……」
炉の様子に感嘆の声を上げ、彼女に連れてかれるまま雷蔵は木製の椅子に座らせられた。ゼルマと向かい合った彼は腰に差さっていた愛刀・紀州光片守長政を両手で握ると、彼女の前に見せる。
「これって和之生国で造られてる刀、ってやつだよね? 久しぶりに見たよ」
「うむ。魔物を斬っているうちに血や油で劣化していないか見てほしい」
黒塗りの鞘から銀色の刀身を抜き払い、両方の掌で柄と刀身を持つとゼルマに手渡した。
「うっわぁ、すごいなぁ……。相当な業物だね……彫刻みたいに刃紋が入ってるよ……」
「日頃から手入れはしてあるが、やはり切れ味などは専門家に見てもらうのが一番だと思ってな。それで、見てはもらえぬか? 」
「もちろん! こんな凄い代物を見て断らずにはいられないって! 」
「忝い」
喜々として作業台に戻るゼルマは雷蔵の愛刀・紀州光片守長政を砥石の前に置き、隣の箪笥から白い清潔なあぶらとり紙を取り出すと、刀身に付着した古い油をまず拭う。次に彼女は雷蔵に了承を得てから刀を鞘に納め、目釘抜きで柄の中心部に刺さった木製の釘を抜いた。柄を握っていた左手の手首を右手で軽く叩いた後、この刀の刀匠である志鶴長政の文字が刻まれた茎が姿を現す。
「志鶴……長政? もしかして……ねぇ! ラーズ、そこに置いてある本取ってもらってもいい? 」
「はいはい」
呆れ気味になりながらも雷蔵の隣にいたラーズは彼女に指定されたボロボロの冊子の本を手渡した。鞘に収まった刀を砥石の上に置いたまま、ゼルマは声を上げる。
「ら、雷蔵! 長政って人、知り合い? 」
「……如何にも。だが彼奴がどうかしたか」
「プロメセティア名刀工録に載ってるんだよ! 極東の島国にしかいない、凄腕の刀匠って言われてるんだ! 嘘、凄い……! 通りでこんな業物が作れるわけだね! 」
彼女の言葉に、雷蔵は僅かばかり顔を引き攣らせた。ゼルマとラーズから向けられた訝し気な視線に気づき、すぐに表情を柔らかくする。
「そうか……だが奴は自身が本に載っている事も知らぬ様だったぞ。一心不乱に刀を打ち続け、幾つもの試行錯誤を繰り返していた。今頃、また新たな刀でも打っておるのではないか」
「へぇ、本当に知り合いなんだ……! ね、ねぇねぇ! 今度もしよかったら、会わせてくれないかな! 」
「……あぁ。伝えておく」
雷蔵の胸に突き刺さる、無邪気なゼルマの笑顔。そんな彼を一瞥して彼女はすぐ傍にあったバケツから氷で冷やされた水を刀身に掛ける。刀身を砥石に擦り付ける度、心地良い軽快な音が工房の中に響いた。一回、また一回と回数を増やし続けるゼルマは、刀を宙に掲げながら銀色の反った刃を注意深く鑑賞する。
「丁寧に手入れされてるね。刃の部分に傷も無いし、あとは水を拭いてから打ち粉を塗して新しい刀剣油を塗る。これで新品同様に成る筈だよ」
「忝い。見事な手腕で御座った。拙者、思わず見惚れてしまったぞ」
「ほんと? なんだか照れるなぁ……。あ、ラーズは籠手の点検だっけ? 」
「おう。雷蔵のより質が良くねえからって、手は抜かないでくれよ? 」
「何言ってんの、そんな事するわけないでしょ」
両手首に巻き付けていた革の留め具を外し、鈍色の籠手をラーズは手渡した。
「しかし、この工房には武具だけではなく装飾品も取り扱っているのだな。これも全てゼルマ殿のものか? 」
「うん。元々オークっていうのは鍛冶とか鋳造、手芸にも優れてる種族なんだ。エルフの魔導核とオークの装飾品を組み合わせれば、魔法具だって朝飯前だよ」
「……済まぬ。魔法具とは一体……? 」
雷蔵の言葉を聴くなり、隣のラーズは軽い笑い声を上げながら彼の肩を優しく叩く。
「そっか、雷蔵こっちに来るのは初めてだもんな。魔法具っていうのは魔導核を特別な術式で保護した外殻……こういうアクセサリーで加工したものの事を言うんだ。魔法に適正が無い奴でも、この道具さえ使えば一発で魔法が打てる優れものさ」
「ほう……。では、このゼルマ殿が作った装飾品はどんなものが使えるのだ? 」
「基本的にあたしの作品は攻撃だったり防御だったり、持ち主自身の力を高めるものが多いね。エルみたいな攻撃魔法の魔法具は、父さんがよく作ってる。あたしは点検しかできないから、父さんには頭が上がんないんだ」
照れ臭そうな笑顔を浮かべながら、ゼルマは柄を仕舞い直して雷蔵の刀を鞘に納めた。彼女から愛刀を受け取ると腰に差し、礼を告げてからいつもの定位置に腕を置く。
「次はラーズのだね。あんたのはメンテナンス簡単だから助かるよ」
「握りやすいように関節のとこに油注すだけだもんな。ま、俺もそっちの方が手間かからなくて良いんだけど」
慣れた手付きで彼女はラーズの籠手を分解し、指の関節部分に特注の油を注いでいった。付けてみて、という言葉と共に彼は籠手を嵌め直すと拳を握り始める。
「おっし! ありがとよゼルマ、幾らだっけ? 」
「あはは、いいっていいって。久しぶりに良いもの見せてもらったし、これからもよろしくって意味で今回はタダにしたげる。次からはちゃんとお金払ってね? 」
「何から何まで……。恩に着る、ゼルマ殿」
頭を掻きながら豪快に笑い声を上げる彼女は、雷蔵の耳元まで顔を近づけた。
「……また刀、触らせてね。この子、一日中見てても飽き足りないくらい綺麗だったから」
「はは、相分かった。お主のような名刀工に見てもらえるのなら、こいつも満足するだろう」
「お、言うねぇ! そんじゃ、あたしはまだ作業あるから! またね、二人とも! 」
彼女に別れを告げつつ雷蔵とラーズは工房の扉を開け、ゼルマの武具店を後にする。再び街道へと身を置くと、待ち侘びていたかのように雷蔵の下腹部から地鳴りのような音が聞こえた。
「そういや俺たち、朝から何も食ってなかったな……おし! 雷蔵、俺に付いて来てくれ! いい飯屋があるんだ! 」
「面目ない。腹が減っては戦は出来ぬとは言ったものよ」
古い油を落とし、気分を一新したところで二人の姿は村の中心部へと消えていく。彼らが相変わらず賑わう市場の奥に紛れていったのは、間もない事だった。




