第三十九伝: 王の名の下に
<ヤヌザ街道>
翌日。濃紺の空の下で互いに睡眠をとりつつ、一時的な休息を得た雷蔵たちは小石混じりの畦道を一目散に駆け抜けている。昨日のような談笑は無く、全員の表情は硬いものになっていた。
「走れっ! 」
「ひ、ひぃっ! 」
長時間の走りに慣れていないのか、背中に背負った大きなカバンを揺らすロイの姿が段々と近づいてくる。息を切らしながら速度を落としていく彼を見捨てるわけにはいかず、すぐ傍にいた雷蔵が彼の鞄を手に取り、ラーズがロイの身体を持ち上げた。
「シルヴィ! 背後の確認! 」
「はいっ! 」
エルの声と共にシルヴィが振り向き、彼女の人形のように整った顔が雷蔵の視界に映る。
「まだ追ってきてます! 数は10! 」
「くそったれ……! 連中の狩場だと気づいてりゃあ……! 」
「エルさん! 魔法の詠唱を! 」
「任せて」
雷蔵たちと同じ速度を保ちながら背後を走るエルは愛用の杖を手に、周囲に魔法陣を展開した。彼らの後を追うのはオークよりも体格が小さく、より低い知能を持った小鬼・ゴブリンである。ヤヌザの森を抜ける途中で小鬼たちの襲撃に遭い、彼らを捻じ伏せるも想像以上に数が多く一気に森を駆け抜けた結果、雷蔵たちは未だゴブリンたちとの追走劇を繰り広げていた。気味の悪い笑い声を上げる小鬼たちに嫌気が刺しながらも、雷蔵は腰に差さっていた愛刀の柄と鞘に手を掛けながら背後を振り向く。彼の腹部までしかない小さな緑色の身体を持つ魔物たちが幾つも見え、連中の手には木製のボウガンや手入れのされていない片刃剣などを手にしていた。各々の装備が異なっている事から察するに、彼らの身に着けている武具は今の雷蔵たちのような冒険者や旅人の一行を襲って手に入れたものであろう。
「悪く思うなよ、小鬼共」
そう吐き捨て、急激に接近した目の前のゴブリンの頭頂部目掛けて愛刀・紀州光片守長政を振り下ろす。クシャリ、と小枝を踏んだような軽快な音が雷蔵の耳に響き、紫色の血飛沫を上げながら刀の錆となった群れの一体は生命機能を停止させた。それが癪に障ったのか、彼らを未だに追っている他の小鬼達が怒り狂ったように声を上げて一瞬だけ足を止めた雷蔵に襲い掛かる。
「引き寄せる、岩の雪崩ッ!! 」
雷蔵の背後から声が聞こえたかと思うと、先端が尖った数個の岩石群が既に飛び掛かっていたゴブリンたちの身体を貫いた。岩の雨を躱し切った生き残りの小鬼は勢いを止める事なく雷蔵へと距離を詰めるが、彼の横をシルヴィが通り抜ける。
「ボーっとしてちゃやられちゃいますよ! 雷蔵さん! 」
「あ、あぁ。すまぬ」
「早く走って! エルさんの魔法に巻き込まれちゃいます! 」
彼女に言われるがまま雷蔵は体の向きを元に戻し、止めていた足を再び動かし始めた。すぐ後ろに続くシルヴィの身体を片手で抱え上げ、エルの詠唱によって指定された魔法陣から無我夢中で飛び出す。
「――我が命より来たる、女帝の氷塊」
起動語と作動語が刻まれた魔法陣は彼らを追っていたゴブリンたちの足元まで伸びきったかと思うと、術者であるエルの詠唱と共に巨大な氷山を出現させた。
「砕け・氷帝の鉄槌」
逃げ惑う小鬼たちは成す術もなくエルの魔法によって押しつぶされ、耳障りな喚き声を上げて絶命する。彼女の魔法の様子を目の前で目撃した雷蔵とシルヴィは、呆気に取られたように互いに顔を見合わせた。
「よっしゃあ、これで追ってくる筈も――」
そんなラーズの声が聞こえた、その時。座り込んでいた二人の足元に一本の矢が突き刺さり、咄嗟に雷蔵は立ち上がる。矢の放たれた方向へ視線を向けるとそこには生き永らえていた数匹のゴブリンたちが角笛を取り出し、再び何体もの仲間を呼び出した。その中にはおそらく小鬼達の家畜を戦闘向けに手懐けたのであろう、彼らよりも一回りも身体が大きい猪の魔物・ヴァルトボアが荒々しく呼吸をしながら姿を現す。猪の背中には革製の鞍が装備され、口元に生えた立派な白い牙は造りの粗い鉄製の鎧でコーティングされていた。
「鋳造技術も持っているか……! 」
「くそォッ! 雷蔵! シルヴィ! 走れェッ!! 」
言われなくてもな、と相槌を打ちながら雷蔵はラーズの横を駆け抜ける。足音が先ほどよりも倍に増えたことを感じながら、左隣を走るラーズに視線を向けた。
「走ってばかりではいずれ追い付かれるぞ! どうするつもりだ! 」
「いや……このまま走れ! もうすぐどの道セベアハの村に着く! 」
「本当なんですか!? 」
「あぁ! ここは俺も知ってる道だ! エル! 村のみんなに分かるようになるべくでかい魔法をぶちかましてやれ! 」
「さっきのが最大。でも多分――」
この追走劇を終わらせようとしびれを切らしたのか、彼らの後を追うヴァルトボアの背中に乗るゴブリンが、手にした手綱を猪の頭部目掛けて叩きつける。革のしなった鋭い音が響いたかと思うと地面を蹴る足音は次第に大きくなっていき、一気に5人との距離を詰めた。ラーズが追い付いてきたヴァルトボアに一撃を加えようと、背後を振り向いたその時。5人の間に割って入るように黒い鎧を身に纏ったオークの戦士と紫色のローブを羽織ったエルフの女性が雷蔵たちの横を通り抜ける。
「――もう来てくれたはず」
手にした戦斧を振り下ろし、向かってきていた猪の魔物を乗っていたゴブリンごと真っ二つに切り裂き、周囲を巻き込むように振り回すと緑色の肉片が宙を舞った。
「インディス! 」
インディス、と呼ばれた女性は妖艶な笑顔を絶やさずに片手に握っていた杖を掌の上で一回転させると赤い宝玉のついた杖の先端を生き残ったゴブリンたちへ向ける。直後、一陣の突風が小鬼達の周囲に舞った。
「はい、これで完了」
杖の先を向けてられていた魔物たちは一瞬にして動きを止め、インディスは指を鳴らす。同時に雷蔵たちと対峙していたゴブリンの群れはバラバラの肉片と化し、不気味な泡を立てて消滅した。
「――ったく、いつになったら手が掛からねえ奴らになるんだ? 」
「あら、いいじゃない? それほど可愛いってものよ」
オークとエルフの男女はそんな事を口にしながら各々の得物を仕舞い、地面へ座り込んでいた雷蔵とシルヴィに近づく。
「うちの弟と妹分が世話になったな。ギルゼン・バルツァーだ」
「エルちゃんの姉のインディス=ガラドミア。二人ともよろしくね? 」
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<王都ヴィシュティア・ダラムタート城>
「陛下。これで全員揃いました」
「そうか。昨日より伝えてあった定例会議を行う」
堅牢な城塞に包まれた城の一角にある会議室の玉座にフレイピオス国王であるヴィルフリートは腰を落ち着けながらこの場に姿を現していた全員にそう告げる。王国騎士団の隊長である男、ハインツ・デビュラールを筆頭に、国王親衛隊の隊長やフレイピオス国に属する全ての武力のトップがこの会議室に足を運んでいた。その玉座の隣で、荘厳な鎧を身に纏う彼らとは一風変わった――忍び装束に身を包み、黒い長髪を背後で結った少女が一人立っている。年は10代半ばとこの場で一番の若い人間であったが、彼女はこの場にいる誰よりも目が据わっていた。
志鶴椛。このヴィルフリートを主としている彼女は、そんな名前であった。
「まずは陛下。以前の反乱因子との戦、お見事でありました」
「あぁ。貴君らの助力あってこその結果だ。卿らの方こそ、さすがの手腕であったな」
「お褒めの言葉、至極光栄であります」
ヴィルフリートのすぐ傍に座っていたハインツが深々と彼に頭を下げる。「良い。堅苦しいのは長くなるから好まん」と切り上げた後、ヴィルフリートは隣の椛に視線を向けた。無言で彼女は会議室の奥からフレイピオス国内の地図と数個の駒を机の上に広げ、会釈してその場から離れる。数人の訝し気な視線といやらしい視線が椛に向けられるが、彼女はそれを逆に睨み返して事なきを得た。
「使いの者を我が国の港に向かわせた時、興味深い情報が入った。あの忌まわしきリヒトシュテイン家の子女であるシルヴァーナ王女が目撃されたというものだ」
会議室は瞬く間にざわめき出す。無理もない、以前王権を握っていた名家の生き残りが未だに生きていた事を現時点で知っていたのは現国王である彼だけであったのだから。
「あの"傾国の姫君"がですか? 」
「……そして彼女は数人の仲間を引き連れ、ヤヌザの森を抜けた先にあるこのセベアハの村に入ろうとしている」
何処からともなく取り出した杖で地図上の村を指し、ヴィルフリートは一個の女王の駒を其処に置いた。
「セベアハの村は我々の思想とは反対勢力である共存主義を多く匿っているとして有名だ。そして我々が真に国を統治するとして最も敵視すべき連中……"解放者"の息が掛かっているとも言われている」
「なんですと……つまり、シルヴァーナ王女は……」
"フレイピオスを再び手の内に収めようとしている"。誰かがそう口にした瞬間、会議室はより一層のざわめきを増した。
「諸君。静粛にせよ」
ヴィルフリートがそう告げると再び卓上は静寂を保ち始める。
「彼女がセベアハの村で村長に会い、そして解放者たちの一員と出会ってしまった瞬間我々はシルヴァーナ王女を手に掛ければならない。同志を手に掛けるのは悲しい事であるが、致し方の無い事だ。それを未然に防ぐ為、私はセベアハの村に軍を送ろうと思う」
「……あの村には、かつてこの国の民であった者もいた筈ですが……」
ハインツが異議を唱えると同時に立ち上がり、苦虫を嚙み潰したような表情をヴィルフリートに向けた。だが彼は顔色一つ変えずに玉座に背中を預け、頬杖を突く。
「構わん。今は我々に反乱する全ての者が敵だ。抵抗する者には容赦は無い」
「……はっ」
ヴィルフリートの威光に負けたのか、ハインツは頭を下げながら再び木製の椅子に腰かけた。
「そこで、二日後の早朝に私はこのセベアハの村に軍を送りたい。この作戦の指揮官を……そうだな。ハインツ、貴殿に頼みたい」
「……お任せを。現地には既に潜入させている者がいると耳にしましたが」
「三人ほどな。その者たちが王女を連れ去る手筈を整えている、作戦敢行までに連絡を取っておけ」
御意、という言葉と共にハインツは再び頭を下げる。
「親衛隊は城内と王都周辺の警備強化に務めろ、隠密隊は国内の港全てに情報網を敷いておけ。両者とも、何かあったら直ぐに私かこの椛という女に報せろ」
会議室に各々の勇ましい声が反響した。そしてヴィルフリートは立ち上がり、視線を向けている彼らにこう言い放つ。
「我々の為の国を守る為、戦いを始めよう。剣を取れ、同志たち」




