第三十六伝: ただ、君の為に
<通信室>
「……シルヴィを、王都に連れていってはならない。もし彼女を守りたいのであれば……私たちに引き渡してほしい」
「……何……? 」
突如として、エルから放たれた言葉に雷蔵は戸惑いの表情を浮かべる。何故彼女はレーヴィンの存在を、そして彼とシルヴィの行き先まで完璧に把握しているのか。雷蔵にはそれが全く分からなかった。更には彼の脳裏にエルが至上主義一派の人間で、彼女を狙っているのではという疑問も浮かび上がり、雷蔵は左手を愛刀の鞘に伸ばす。
「疑う気持ちは分かる。信用できないのも尤も。だから私も、腹を割って話すことにする」
「……拙者に、この刀を抜かせるなよ」
脅迫とも取れる彼の言葉に、エルは眉一つ動かさずに頷いた。剝き出しになった雷蔵の殺気を目の前にしても、彼女は平然としている。
「まず。私がシルヴィを匿う理由を述べる。雷蔵は、数年前にあったフレイピオスの事件を知っている? 」
「存じ上げんな。何分、この国の情勢には疎い」
「そう。なら、その事件の事を教えるところから話す。今のフレイピオスの国王が即位する前に数年も昔、クーデターがあった」
淡々と言葉を並べるエルの姿に雷蔵は眉を顰め、鞘に掛けていた左手を下ろした。
「"咎の断罪"。前王に関わる全ての血族を無実の罪を着せて処刑し、国の頂点にのし上がった事件。魔道連邦が出来上がってから過去最高の死者を出した事件として、この国には伝わっている」
彼女の言う咎の断罪とは、現国王一派率いるエルフ至上主義派の人間が前王の掲げていた思想である共存主義に対して反乱を起こし、前王一派であるリヒトシュテイン家含め共存主義を支持している名家のほとんどを壊滅させた事件である。この事件の勃発後に共存主義を国内で掲げる事自体を法で禁じられ、多くの国民の生活に支障を来した。また、正統な後継公家でもあったリヒトシュテイン家の生存者も現国王からの追っ手を振り切る為に国を出ざるを得なくなり、結果的に現在のフレイピオスにはエルフ至上主義を掲げる国民が大多数である。創国歴という暦が作られた以降3国間の間では無駄な干渉を控えるという法が出来上がっていた為、エルフ至上主義による暴力的な行動を止める事は自国の中でしか出来ない。故に、今のフレイピオスのような情勢を目の当たりにしても他の二国は手出しがしづらいといった状況になってしまっていた。
「……それに、シルヴィと何の関係がある。彼女はただ王都に行きたいと言っているだけだぞ」
痛いところを突かれた、という表情を浮かべながらエルは額を右手で覆う。苦虫を嚙み潰したような顔を雷蔵に向けながら、再び彼女は口を開いた。
「……シルヴィこそが、そのリヒトシュテイン家の生き残り。このクーデターさえ無ければ彼女は……今頃王家の人間として政治に携わっていた」
思わず、言葉を失う。"自分の為すべき事に直面させられました。今まで雷蔵さんとの旅でそれを忘れかけてたけど、改めて覚悟が決まりましたよ"。いつか彼女が雷蔵に言った言葉が、彼の脳内に反芻する。自分よりも一回りも若い少女が、国の将来を一身に背負っていた。長い間彼女と旅を続けてきた雷蔵は、そんなことも理解できずにいた。彼は空いていた拳を握り締める。今までシルヴィの事を支えているつもりであった自分が、情けなくて。
「それで……シルヴィは王都に向かい何をするつもりだ。お主は彼女を王都に行かせてはならんと言った。彼女の真意が、拙者には理解できん」
「……同じ事。再び彼女は……リヒトシュテイン家の手に王権を握らせようとするはず」
雷蔵は思わず無言でエルの両肩を掴んだ。今まさにシルヴィは、血を血で洗う争いの中へ身を投じようとしている。
「そんな事……ッ! あって良い筈はない! 彼女はまだ若い! 全てを背負うのには若すぎる! 」
「えぇ。だからこそ彼女を王都に行かせてはならない。私は、シルヴィをセベアハの村に匿おうとしている」
何、と掴んでいた彼女の肩から両手を放した。
「私とラーズの生家もその村。幸い、セベアハには共存主義のエルフとオークしかいない。あと、咎の断罪から逃れてきた人も暮らしている。故に、時期が来るまで彼女を匿う事が得策」
「……お主は、一体……? 」
雷蔵の問いに、エルは背中に背負っていた緩やかな曲線を描く杖を取り出し、宝玉の付いた先端を彼に向ける。杖の青い宝玉には立派な鬣を携える獅子が剣と盾を咥えている紋章が刻まれており、通信室の蛍光灯に反射して神秘的な光を生み出した。
「……私の家は代々、リヒトシュテイン家の王女や王子に仕える魔法使いの家系。シルヴィには、私の母が魔法を教えた」
「ではなぜ、お主の存在をシルヴィは知らぬのだ? 代々仕えている家系ならば、顔くらいは知っていても良い筈だ」
「私が彼女の魔法使いとしての役割を得た瞬間、あの事件が起こった。なので私の存在を知らない」
ふむ、と雷蔵は顎を撫でる。
「それに、彼女を追っている追跡者の存在も否定できない。故に、シルヴィの身の安全を確保する役目として敵にも彼女にも認識されていない私に白羽の矢が立った」
「……だいたいは把握した。エル殿がシルヴィをセベアハの村に匿う理由は? 」
「最優先事項は彼女の身の安全。次に暴虐の限りを尽くす現国王の失脚を平和的に行う為の手段の確保。最後は万が一に備えての兵力の保全」
いずれにせよ、フレイピオスの現国王がシルヴィの存在を疎ましく思っているのは間違いない。仕えている国民に自身の行ってきた悪行の数々を明るみにされたその時が、王権交代の時になるであろう。ただ、シルヴィが既にフレイピオスにいる事を知られてしまった場合。国王はあらゆる手を尽くして彼女とその近辺の人間を滅ぼしに来るはずだ。様々な思考が雷蔵の脳内を駆け巡る中、目の前のエルは再び俯く。
「……最後に、貴方に聞きたい事がひとつ」
「なんだ? 」
今まで見たこともない冷徹な表情で、エルは口を開いた。
「一人の少女の為に、"国を壊す覚悟"はある? 」
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<王都ヴィシュティア・ダラムタート城>
同刻。夜の帳が空を包み込み、賑やかに都市を彩っていた市場や店の数々も眠りについている王都ヴィシュティアの中心にその白い巨躯を構えるダラムタート城。入口付近には多くの親衛隊騎士が常に夜間の見回りをしており、一時も警戒を解く様子はない。そのダラムタート城の石畳の階段を下りる、初老の男が一人。白いローブの上に紫色に染め上がった絹製のガウンを羽織り、口元には綺麗に切り揃えられた髭が生えている。茶色の長髪を揺らすその頭頂部には宝石が散りばめられた金の王冠がその身をずっしりと置いており、この男がフレイピオスの現国王である事を証明していた。ヴィルフリート=ヴィエナ=アンキーロ、フレイピオスの現国王を務める男性だ。魔道連邦の大陸全てを統べる男である彼は、側近や護衛もつけずにただゆっくりと階段を下りている。彼が向かう先は薄暗く湿った空気を漂わせる地下牢であり、衛兵でも滅多に近づかない場所だ。幾つも並んでいる錆びた鉄格子には衰弱した囚人や既に骨となった屍が垣間見え、ヴィルフリートはしかめ面を浮かべながらひたすらに歩いていく。そして目的の囚人を見つけたのか、彼はその男の前で立ち止まった。
「これはこれは。まだ生きているとは驚いたな」
「…………」
牢屋の壁に磔の形で両腕を鉄の腕輪で固定され、露わになった上半身には幾つもの鞭で叩かれた跡が見える。ヴィルフリートの声を聴くなり、その囚人は恨めしそうに彼を見上げた。
「ヴィルフリート……」
「そんな怖い顔をしないでくれ、ゼルギウス。生かしておいた事だけは感謝しておいてほしいな」
彼が今会話している銀の長髪の男は、ゼルギウス=ボラッド=リヒトシュテイン。咎の断罪による国の追放でフレイピオスを離れていたが、ヴィルフリートが放った追っ手により再び王都に拘束されたリヒトシュテイン家の生き残りであった。この事件さえなければ正統な後継者として王位が約束されていたが、今はその威厳も傷だらけの身体によって覆い隠されてしまっている。
「……貴様と話す口は持たん。失せろ」
「そうか。お前に一つ言伝でもと思ったんだ。お前の妹の事でな」
その瞬間、壁に凭れ掛かっていたゼルギウスの身体が一瞬にして起き上がり、犬歯を剥き出しにしながら彼を睨み付けた。おどけた様子で悪戯な笑みを浮かべながらヴィルフリートは牢屋から離れ、「怖い怖い」と肩を竦める。
「彼女に指一本でも触れてみろ……この両腕が捥げようとも貴様の首を食い千切ってやるぞ……ッ!! 」
「まるで獲物を目の前にした獣だな。嘗ての王位継承者が聞いて呆れる。私がこの国を統治して正解だったようだ」
「ほざけ……! 仕えていた主を……父上と母上を殺した外道が……! 」
何も聞こえない、というような素振りでヴィルフリートは笑い声を上げた。
「まあ良い。言伝というのはな、シルヴァーナ王女がこの国に戻ってきたという事だけだ。同じ牢屋に行くか、それともその場で処刑されるかどうかは分らんがな」
「…………」
それだけを伝え、ヴィルフリートは地下牢をそそくさと立ち去る。牢獄の外へと消えていく彼の姿を恨めしそうに見つめるゼルギウスは、再び顔を俯かせた。
「シルヴィ……頼む……無事でいてくれ……」
そんな弱々しい声が、石畳の地獄の中に響いた。




