第三十五伝: Progress
<機関船カーリン・ラルフ>
無事にグリフォンの討伐を終えて負傷者の看護と搬送に専念していた雷蔵たちは船長から休憩の許可を受け、カーリン・ラルフの内部に設立されていたショッピング施設に足を運んでいる。魔物の襲撃に怯えていた乗客たちも安心したようで、施設の中は先ほどよりも賑やかさを増していた。
「いやぁ、船長さんも太っ腹だねぇ! まさか冒険者たちにほぼ無料で施設のものを提供してくれるなんてよ! 」
「私もうお腹ペコペコですぅ~……。魔法使い過ぎましたぁ~……」
先程の死闘を繰り広げておきながら朗らかな声を上げるラーズに対し、怪我人の治療と攻撃魔法の多用ですっかり体内からエネルギーを失ったシルヴィは雷蔵に背負われながら深いため息を吐く。
「もうすぐレストランに着きますからとりあえずこれでお腹を満たしてください、ね? シルヴィさん」
「しけたクッキーだけじゃ全然満たされませんよぉ~……あうぅ……」
ロイから手渡された四角いビスケットを一瞬の内に胃へ取り込んだシルヴィの姿を見るなり、雷蔵は呆れた様子で口元を緩めた。グリフォンとの戦闘後ロイも負傷した冒険者たちの治療を手伝っていたのだが、疲れた様子は窺えない。治療の際も包帯を巻く動作、消毒の丁寧さなど手際の良さから彼はずいぶんと旅に慣れているようであった。
「……シルヴィ、可愛い。さっきの時とは大違い」
「褒めるくらいならごはんくださいぃ~……」
「いい加減にせんか、シルヴィ。少しは気概を見せてみろ」
そんな事言ったってぇ、と雷蔵の背後でシルヴィは怒られた子供のような声を上げる。短いため息を吐きながら彼女の身体を支え直し、目的地である食堂へ向かう足を僅かばかり速めた。彼らが施設内を闊歩する事数分後、スープを煮立てる魚介類の薫りが雷蔵の鼻を刺激する。直後シルヴィの身体は雷蔵から離れ、獲物を前にした獣のように笑みを浮かべた。
「う、へへへぇ……ホタテとイカとエビの匂いがしますよぉ……」
「し、シルヴィ? どうしたんだよ? えげつない顔してるぞ……? 」
「早くっ! 早く私に食べ物をぉぉぉぉぉぉぉーッ!! 」
「あっちょっ! おいシルヴィ! 」
雷蔵の制止も虚しく、先程の衰弱した姿が嘘のように彼女の身体はあっという間にレストランの奥へと消えてしまう。シルヴィの後を追うと既に彼女はソファ席に腰を落ち着けており、ご丁寧に首元にエプロンを付けている。
「……食べ物の事となると人が変わるのね……」
「こやつには散々言い聞かせておるのだがな……どうにも直らん」
「……かわいい」
「……エル殿? 」
ぽつりと残されたエルからの言葉に雷蔵は首を傾げ、対する彼女は少しだけ頬を赤らめつつ顔を俯かせた。ウェイターに案内されるがまま彼らはシルヴィの座る隣に腰を落ち着け、ようやく得られた安堵感に身を浸す。
「はぁ~……一時はどうなるかと思ったけど、全員五体満足で良かったなぁ。あの鳥公が出てきた時は正直生きた心地がしなかったぜ」
「あのような大きい妖は拙者も久方ぶりに目にした。しかしエル殿。先ほど言っていた奴が"ここの分布ではない"、というのは……? 」
「……人間と同じようにに、魔物にも住める場所と住めない場所がある。さっきのサハギンは主に水中、水辺での区域で生活してるの。でもグリフォンは別。基本的に敵に襲われない標高の高い地域に巣を作ったり、人の手が入れない場所に生息してる」
雷蔵はラーズから手渡されたメニュー表を横目に相槌を打ち、一覧に目を通し始めた。
「それに加えて、グリフォンは基本的にはあまり人を襲わない魔物なんです。むしろ飼い馴らしている地域もあるくらいで、知能も高い種なんですが……。確かに今回の事は奇妙ですね。あんなに獰猛な姿になって人を襲うなんて……」
「……ロイ、やけに詳しい。奇妙」
「ああ、申し遅れましたが僕はこれでも研究者でして……ちょうどフレイピオスに帰る途中で貴方がたと行動をご一緒させて頂いてるわけです」
「……フレイピオス……研究者……。もしかして、ロイはマナニクスの人? 」
ええ、とロイは胸を張りながら仰々しく頷く。彼の隣に座るシルヴィは相変わらず獣のように鼻息を荒くしながら空腹に耐えていた。
「魔物部門の方なんです。それで、イシュテン共和国の分布調査を行っていたら護衛される筈だった冒険者の方々が急遽来れないとの事で……そこで雷蔵さん達とお会いしたんです」
「へぇ、妙に運がいいな。あー、あと雷蔵? すげえ言いにくいんだが……」
対面したラーズの表情が、引き攣ったものに変わる。彼の指差した方向へ視線を傾けると、そこには気の抜けた声を上げながら机に突っ伏すシルヴィの姿があった。
「……死ぬ……もう死ぬ……お腹空いた……」
「し、シルヴィ!? すまぬ! すっかり注文するのを忘れておった! 」
「ら、雷蔵しゃん……骨は拾って……ください、ね……」
「シルヴィィィィィ!? 」
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<機関船内・通信室>
夕餉の時間を終えたことでシルヴィはようやく回復した様子を確認した雷蔵は、彼女らに断りを入れて単身この通信室を訪れている。魔導核によってプロメセティアのライフラインは大幅に改善され、船のレーダー機能や通信、はたまた一般に使用される電話回線の役割でさえも担っていた。故に現在3ヶ国間では電話回線を持つ者同士であればどこにいても互いに連絡を取り合う事ができ、基本的に通信が安定しないとされる海上でも問題なくその機能を発揮できる。筒状の受話器を手に取り、トランテスタを出る際に持ち運んでいた一枚の名刺を手元に置くと雷蔵は10桁の番号を入力した。数コールの呼び出し音の後、聞き覚えのある緩い声が受話器越しに聞こえる。
『……んあ? はいはい、どちら様? 』
「ヴィクター殿か? 夜分遅くにすまぬ、雷蔵だ」
直後彼の耳に響いたのはヴィクトールの驚く声と共に聞こえる大きな物音。反射的に受話器から耳を放し、雷蔵は顔を歪ませる。
『いてて……びっくりしちまったから椅子から転げ落ちちまったよ……』
「だ、大丈夫か? 」
『へーきへーき、多少頑丈に出来てっからさ。それよりも久しぶりじゃねえか、そっちはどうだ? もうフレイピオスに着いたのか? 』
「いや、これからと言ったところだな。フィルやレーヴィン殿は元気にしているか? 何分彼らが心配でな……」
『元気も何も相変わらず隊長の方はより一層気合い入っちゃったし、坊主の方も学校で他の連中と仲良くやってるよ。あ、言い忘れてたけど今俺フィルんとこの教師やってんだよ』
「お主が教師とは……はは、想像できんな。あまり悪い事は教えるなよ? 」
何言ってんだ馬鹿、という笑い声交じりの返答を聞いた途端に雷蔵の胸の内は次第に落ち着いていく。強靭な精神力を以てしても、本当に信頼している人物に対しての心労は絶えない。
『ま、そっちも元気そうで安心したよ。嬢ちゃんの方は元気か? 』
「あぁ。……フレイピオスに近づく度に、何故か時々表情が暗くなる時があるがな」
突如として、ヴィクトールの言葉が止まる。雷蔵自身も彼女から感じ取るものはあったのだろう、今はシルヴィの事だけが気がかりであった。
『……そうか。出来るだけ話は聞いてやれ。あの子も今……相当な窮地に立たされている筈だ』
「無論、そのつもりだ。何かあったらまた助けを求めるかもしれぬ、それでも大丈夫か? 」
『あったりめえよ、いつでも来いってんだ。レーヴィンやフィルにも伝えておくよ』
「……助かる。ではな、明日も早い」
おう、というヴィクトールの声と共に通話は切れ、無愛想な電子音が彼の鼓膜を響かせる。受話器を元の位置に戻し、深いため息を吐くとそのまま雷蔵は口を開いた。
「盗み聞きとは感心せんぞ。何奴」
腰に差していた愛刀・紀州光片守長政の柄に手を掛け、恐る恐る背後へ視線を傾ける。振り向いた先には申し訳なさそうに顔を俯かせるエルが立っており、彼女は雷蔵と対面した。
「エル殿……? 」
「……ごめんなさい、気になったから尾行してた」
「いや、エル殿なら良いのだが……。こちらも先ほどは無理やり抜けて申し訳なかった」
「……レーヴィンとは、知り合いなのね」
頭を下げた雷蔵に、彼女の質問が投げかけられる。何故会って間もないエルが、背中を合わせて戦ったレーヴィンの名を知っているのだろうか。彼は呆気に取られたように彼女を見つめ、そして顔を俯かせる。
「……あぁ。エル殿もか? 」
「……ええ。ならば、貴方には言っておかなければならない事がある」
俯かせていた顔を上げ、雷蔵は発言を渋っているエルの顔をジッと見つめた。
「……シルヴィを、王都に連れていってはならない。もし彼女を守りたいのであれば……私たちに引き渡してほしい」




