第三十四伝: 疾風迅雷、交えた牙は玉鋼の如く
<機関船・甲板上>
甲板の直径を覆うほど長大な両羽を目の前にしても、雷蔵とシルヴィは一歩踏み出した足を止める事はなかった。他の冒険者たちはグリフォンという強大な、かつその荘厳な佇まいを見せる目の前の魔物の威圧感を感じ取り、その場から動く事は出来ていない。
「――充填」
雷蔵と共に肩を並べながら駆けるシルヴィがそう呟きながら、目の前に翳した左手に魔力を込める。暖かい光を放ちながらも猛々しい魔法の奔流を其の内に込めるその手には、炎が顕現した。
「建てろ・炎の柱! 」
シルヴィの周囲に幾つもの赤い魔法陣が形成され、空中に浮かんだ円陣からうねりを上げて炎の柱が伸びる。速度を上げて伸びていく炎柱に対しグリフォンは後方へ飛び退いてその魔法攻撃を肉薄し、口を開けつつ雷球を展開した。しかし、反撃を許すほど雷蔵とエルは未熟ではない。雷蔵は白い羽のの生えた首を刈り取ろうと手にした愛刀・紀州光片守長政の切っ先を向けながら地面を蹴り、一気に距離を詰めた。対するエルは腰に差した短剣を左手に、愛用の杖を右手に握ると自身の足元に緑色の魔術式を構築する。
「……詠唱を終えるまで、援護をお願いする」
「任された」
三つ又に分かれた右前脚の黒い爪が、雷蔵の首を刈らんと彼の目前に迫った。舌打ちをしながら肉薄するも、避けきれなかったせいか雷蔵の胴着が易々と切り裂かれる。
「獲った! 」
振り上げた刀は真っ直ぐとグリフォンの首元まで伸び、今にも刃が届きそうなその時だった。目の前の魔物は首を傾げて其の凶刃を避け、先程まで貯めていた雷球のひとつを至近距離の雷蔵へ向けて放つ。
「――ちィっ!! 」
本能的に刀を胸の前まで引き戻し、迫り来る魔法の雷球に備えた。直後雷蔵の身体は大きく後方へ吹っ飛ばされ、機関船の建物の壁に強く叩きつけられる。
「雷蔵さん! 」
シルヴィの悲痛な声が周囲に響く。攻撃を受けた雷蔵に感化されたのか、周りで固まっていた兵士や冒険者たちも正気を取り戻したようで、一斉にグリフォンへと突撃していった。
「ダメ! それじゃあ意味が無い! 」
彼女の制止も虚しく、グリフォンは傷ついた両羽を伸ばしながらその場で全身を一回転させる。身体が小さい魔物ならまだしも、グリフォンのような大型かつ強い力を持つ魔物が自身の体を武器に戦うのであれば人間が敵う事は難しい。
「くそォっ! このままじゃ、乗客が……! 」
「隊列を乱すな! 距離を取りながら攻撃するんだ! 」
指揮官らしき人物が、攻撃を耐え忍んだ兵士たちを鼓舞しながら対峙した大型の魔物を見据えている。直後背後を取った兵士の一人が飛び掛かるも、鞭のようにしなった尾で地面に叩き落されてしまった。
「……ラーズ! 」
「おうッ! 」
背後にいたエルの呼びかけと共に巨躯がシルヴィの頭上を高く飛び上がり、丸太のような両腕に装備された銀色の籠手が日光に反射して光る。船央に建てられた施設の二階から緑色の肌を持ち合わせたオーク、ラーセナル・バルツァーが大喝しながらグリフォンの注意を引いた。地面に着地したと同時にラーズはまずグリフォンの体勢を崩させようと足払いを仕掛けるも、対する鳥獣は後方に飛び退いてその攻撃を躱す。
「やるじゃあねぇかっ、鳥公の癖によォ! 」
振り翳される鉤爪を左手で防いだ後、ラーズは渾身のアッパーカットをグリフォンの顎に叩き込もうとした。だがその一撃も肉薄され、反撃として開かれた嘴の先から再び雷球が彼目掛けて放たれる。
「危ねぇっ!? 」
掴んでいた鉤爪から手を放し、バク転をしながらグリフォンとの距離を取るラーズ。雷球はラーズの脇腹を掠めるも、行動不能にまで至らしめる一撃にはならなかった。その隣に愛刀を構え直した雷蔵が立ち、ラーズはからかうような視線を彼に投げかける。吹き飛ばされた影響で木片が身体中に刺さったのか、肩や腕から赤黒い液体が流れていた。
「……へへっ、まだいけるだろ? 」
「戯け、踏鞴を踏んだだけよ。あのような鳥の妖に後れを取る拙者ではない」
「そうかい、ならもう少し頑張らねえとなぁ! 」
ラーズの声と共に、両者は肩を並べながら目の前の大鷲へと距離を詰める。既にチャージし始めていた雷球から数本の稲妻が殺到するも雷蔵は握っていた刀の剣腹で受け止め、空中に魔法の雷を逃がした。
「はァッ!! 」
気迫の声と共に繰り出される縦一文字の一閃。右方の黒い爪と鍔競り合う形となった雷蔵は、左方からの剥き出しになった殺気を感じ取る。身体をしゃがませ、横殴りの一閃を肉薄した彼はその反動のまま刀を振り上げた。胴体部分に刃が当たり、血の噴水が斬り付けた傷口から噴き出す。
「まだだッ! 」
更なる一撃を加えようと雷蔵は愛刀の切っ先を向けたまま刀を押し込もうとした。追撃はグリフォンの右脚によって阻まれ、彼は敵を目前にして隙を晒してしまう。
「忘れて貰っちゃあ困るぜぇ、鳥公ッ! 」
しかし。雷蔵の首を刈り取ろうとしていた左の爪は、鋼の擦れ合う音と共に止められていた。彼は口角を吊り上げ、依然としてグリフォンと火花を散らしている。
「シルヴィ、エル! 今だッ! 」
二人の声に応えるようにシルヴィはグリフォンを目標に定めて走り始め、背後にいたエルも魔法の対象をグリフォンからシルヴィに変えた。緑色の魔法陣が距離を詰めるシルヴィの周囲に展開され、彼女の握る細剣が次第に光を放ち始める。
「……呼応する魔導の奔流……一陣の風は彼の剣の先に宿る……」
中断していた呪文を再び唱え始めるエル。だがその様子をグリフォンが黙って見逃すわけもなく、空いた嘴の先から雷球をチャージし始めた。無論、その目標はエルに向けられている。
「や、やべぇ……! エル! 逃げろ! 」
背後に視線を向けながらラーズが叫ぶも、その声と同時に大きな雷球がエルへ向けて放たれた。このまま走って彼女の元に戻ったとしても、確実に間に合わない。
「エル殿ッ!! 」
雷の玉は地面に直撃して大きな爆発を起こし、甲板からは黒い煙が上がる。唖然としたラーズと雷蔵が彼女の名前を呼び掛けた、その時だった。
「俺たちを忘れるなよ、鳥野郎! 」
「エルフの嬢ちゃんには指一本触れさせねぇ! 」
煙が晴れると同時に映ったのは、エルを取り囲むようにして彼女の盾となっている冒険者たちの姿。彼らは反撃として手にしていたクロスボウや弓矢で遠距離攻撃を開始し、幾つものボルトや矢がグリフォンの身体に突き刺さる。
「……礼を言う」
盾となった男たちに礼を述べながら、エルは再度詠唱を開始した。一般の魔導士が主に使用する魔法は身体からエネルギーを抽出し、魔法を発動する。その礎となるものは魔導書やカード、シルヴィのように武器を拠り所にする者も多いが、基本的にはエルのような杖を媒介にして魔術を構築する者が大多数であった。故に魔法を使用するのにも体力の消耗が必要とされ、そのダメージは空腹や嘔吐感などといった物理的なものがほとんどである。だが、それはあくまでも"人間の魔術師"という大前提があってこその話。魔法に長けた種族であるエルフは、人間とは別に"魔術血管"という独自の脈が体内に存在している。彼らはその血管に流れる魔導を発動の際に構築した魔法陣に注ぎ込み、意のままに魔法を駆使していた。
それ故――。
「……祖は風。刃は魔の源。我が命に従い、彼の獣を切り裂け」
エルのような純血のエルフには、遠慮がない。
「穿つ、風王の槍」
数秒の詠唱を経てシルヴィの細剣はエルの魔法によって風を纏い、普段のものよりも倍の大きさと長さを手に入れる。そして彼女も空いた左手を伸ばし、自身を補助する魔法を展開した。
「創造する、空への足場ッ! 」
赤い魔法陣が空中で固体となり、シルヴィが飛び上がる足場へと化す。彼女が方陣を踏んで飛び上がった後にその足場はすぐに消え、彼女の身体は重力に引き寄せられた。
「――これで、止めですッ! 」
細剣を握る右手を最大限に伸ばし、魔法の風を纏ったレイピアの切っ先は確かにグリフォンの脳天を貫く。シルヴィの攻撃が直撃した瞬間に雷蔵とラーズはその場から飛び退き、彼女を見守る。
「弾けろぉッ!! 」
彼女の声に呼応するかのように突き刺した風の剣は、グリフォンの身体を切り裂いていった。シルヴィが地に足を着けたと同時にレイピアに付与されていた魔法の効果は切れ、吹き荒んでいた突風も止む。
「や、やった……」
「あの嬢ちゃん、やりやがった……」
頭部を失い、地面に伏す鳥獣の姿を見て歓喜の声を上げる冒険者たち。目の前で絶命したグリフォンを一瞥しながら雷蔵とラーズは地面に腰を落ち着け、互いに視線を交わす。お互いの健闘を讃え合うかのように彼らは握手を交わし、笑みを浮かべた。




