第三十二伝: 振るう剛拳は烈風の如く
<魔道連邦フレイピオス領土内・関所>
数日間の月日が流れ、農業共和国イシュテンの交易都市トランテスタから歩き続けた一組の男女が今、石造りの堅牢な門へと差しかかる。イシュテンからフレイピオス領土へと続く街道を彼らは歩き続け、ようやくこの関所へと辿り着く事が出来た。関所を囲うように石造りの建物が並び、その先には二か国の間を繋ぐ大きな橋が掛けられている。黒の長髪を後ろで束ねた男――近衛雷蔵は被っていた笠の縁を傾けると、街道から見える美しい景色を仰いだ。二つの国の間には"シュロブク大海峡"という広大な海原が広がっており、海面に日光が反射して美しく光り輝く。
「わぁ……」
雷蔵の隣に立つ銀髪の少女――シルヴァーナ=ボラットはその美しい光景に目を輝かせ、感嘆の声を上げる。そんな彼女の事を笑みを浮かべつつ見やると、いつの間にか彼らの眼前には関所を守る兵士たちの鎧が映った。
「通行証の提示をお願い致します」
「相分かった」
灰色の胴着の懐から一枚の書類を取り出し、立ち塞がった男の兵士の目の前に差し出す。内容を確認した兵士は頷いた拍子に雷蔵へ返却すると、彼らに道を開けた。守衛に会釈をした後二人は関所を石門をくぐり抜け、ようやく目的地を目前にした所へ辿り着く。新たな土地へと入国した彼らは今一度背後を振り返り、自分たちが歩んできた街道を見据えた。
「……いよいよ、ここまで来ましたね」
「うむ。……この先の国が、お主の目的地で良いのだな? 」
「はい。厳密には、フレイピオスの首都ですけどね」
そうか、と雷蔵は口にする。この国に至るまで随分多くの人間と関わりを持ってきた。家族を盗賊たちに殺され、その悔恨から強さをひたすらに追い求めた少年、フィランダー・カミエール。彼は現在、トランテスタにある士官学校で騎士を目指そうと剣の鍛錬や座学に励んでいる頃であろう。愛する人間を自分の身まで賭して守ろうとした男、ヴィクトール・パリシオ。そして、雷蔵よりも若い年齢でありながら騎士たちを束ねる長であるレーヴィン・ハートラント。彼らの助力無くしては、五体満足でトランテスタを抜ける事は不可能であっただろう。関わりを避けることも出来たであろうが、彼自身それは好まない。"旅は道連れ世は情け"、とはよく言ったものだ。脳裏に三人の姿を思い浮かべつつ、雷蔵は目を閉じる。各々が今、己のやるべき事に直面していた。
「――ならば、拙者もそれに立ち向かうまで」
「んぅ? 何か言いました? 」
「いや、単なる独り言に過ぎんよ。一先ず腹ごしらえだ、シルヴィも腹が減ったろう? 」
雷蔵の言葉を聞いた途端、シルヴィは頬を膨らませながら不満げな表情を浮かべた。
「……人を食いしん坊みたく言わないでくださいよ。ま、まあお腹は空きましたけど」
「はっはっは! そんな頃だろうと思ったわ! 幸い、この関所は比較的規模が大きい。食事処の一つや二つ、あってもおかしくはあるまい」
「うぅ……なんか納得いかない……」
不満げに頬を膨らます彼女を一瞥し、雷蔵は門を抜けたすぐ傍にある旅人用の食堂へと歩みを進める。木製の扉と直面し、青銅製のドアノブを捻った先にはオレンジ色の光がダイニングルームを照らす暖かな光景が広がっていた。多くの冒険者でごった返している店内からは多くの笑い声や会話が聞こえ、久方ぶりに感じる賑やかさに雷蔵は口角を吊り上げる。
「いらっしゃいませ。お好きな席にお掛けください」
目の前に笑顔を浮かべながら現れたウェイターに会釈をしながら、雷蔵とシルヴィは木製の席に腰を落ち着けた。肩に下げていた麻袋を石畳の床に置き、テーブルの端に置かれていたメニュー表に手を伸ばす。雷蔵と向かい合う形で座っていたシルヴィは目を輝かせながら料理の一覧を目にし、顔を右往左往させていた。
「……まあ、そんなに焦らなくとも良い。時間は有り余るほど在る」
「もう! 私そんなに食いしん坊じゃありませんよ! 」
「はは、どの口が言うか」
不満げな表情と共にシルヴィはメニューを置き、恥ずかしさを隠すように顔を俯かせる。突如としてやってきたウェイターに各々の品物を注文すると、にこやかな笑顔を浮かべながら彼は去っていった。
「むぅ~……っ」
「そう膨れるでない。さて、改めて旅路の確認でもしようか」
「……話題変えましたね」
核心を突かれたせいか、雷蔵の口角は僅かばかりだが引き攣る。地面に置いた麻袋から世界地図を取り出し、テーブルの上に広げた。
「……コホン! 拙者たちが今いるのはフレイピオスとイシュテンの国境、ここから橋を越えた先の港で船へと乗り込む。そこから2、3日の日数を経てエルフとオークの里であるセベアハの村へ一泊する予定だが……」
「それで合ってますよ」
そうか、と彼は相槌を打ちながら最初に差し出された真鍮製のコップの縁を傾ける。氷で冷やされた無味の液体が全身へ染み渡る感覚を覚え、思わず深いため息を吐いた。その時であった。雷蔵の背後から革靴の軽快な音が聞こえ、彼はコップを手にしながら振り向く。突如として向けられた視線に驚いたのか、後ろから近づいていた青年は素っ頓狂な声を上げながら尻餅をついた。その拍子に背負っていた巨大なリュックサックから幾つもの紙束が床に散乱し、ズレた眼鏡を直しながら慌てて書類を搔き集めようとしている。
「――っと、済まぬ! 」
「もう! 雷蔵さんよそ見してるから! 大丈夫ですか? 」
「あ、ありがとうございます……は、ははは……」
雷蔵とシルヴィは椅子から立ち上がって散らばった紙の束の元へと膝を着き、彼の作業を手伝い始めた。ボサボサに伸びきった銀髪の毛先には赤のメッシュが入れられており、端正な青年の顔からは温和そうな性格が見て取れる。無事に集め終わった書類の束を彼に手渡すと、雷蔵は青年に手を貸しながら立ち上がった。
「いやぁ、助かりました。また一人で集め直さなきゃっていうところを……あはは」
「こちらの失態だ、お気になさるな。それより、お主は一人で旅をしておるのか? 」
「はい、まあ……おっと。お二方はもしかして……」
青年の問いに雷蔵の隣にいたシルヴィが頷く。
「えぇ、お察しの通り冒険者です」
「あぁ、やっぱり! 行き先は何方へ? 」
「……何故そのような事を尋ねる? 」
忘れていた、と言わんばかりに青年は身に纏っていたローブの裾から一枚の小さな紙きれを取り出した。そこには"マナニクス魔導研究所 技術顧問 ロイ・レーベンバンク"を記されており、隣の彼女は感嘆の声を上げる。
「魔導研究所……貴方が……」
「恥ずかしながら……あはは……。それで、お二方には依頼をお願いしたいんです」
ほう、と雷蔵はロイの言葉に眉を顰めた。
「僕は先ほどお見せした通り、フレイピオスの研究者をやっております。イシュテンの農業に特化している地質を調べたり、新たな魔導核発掘地の調査、魔物の生息地の記録など業務は様々なんですが……その帰りに護衛を依頼していた冒険者の方々が急遽依頼を破棄されまして。途方に暮れていたところに貴方達と出会った、という訳です」
彼は再び苦笑いを浮かべながら後頭部を掻き、懐から冒険者たちへ提出する真っ白な依頼書を差し出す。
「……シルヴィ。拙者は構わんぞ」
「……分かりました。ロイさん、私たちもフレイピオスへと向かう用事があるのでそこまで護衛に就かせて頂きます」
「本当ですか!? ありがとうございます! いやぁ、助かったぁ……」
元気を取り戻したロイに手を取られ、雷蔵は困惑しつつも苦笑いを浮かべる。手渡された書類にシルヴィと自身の名前をペンで記入するとロイも同じ席に座らせ、荷物を床の上に置かせると昼食を共にした。運び込まれた料理を彼女が一瞬で完食し、彼を驚かせたのはまた別の話。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
<機関船カーリン・ラルフ>
研究者であるロイを一行に加え、フレイピオスへの港へと出航した船の甲板で潮風を浴びながら雷蔵は目の前に広がる大海原を見据える。船尾から船首に掛けて白い羽を携えた何羽もの海猫が独特の鳴き声を空に響かせ、青空を滑空していった。
「気持ち良い潮風ですねぇ。雷蔵さんは海を見るのは初めてですか? 」
「いんや。国を出た際に一度だけ、な。だがここまでの景色を見るのは初めてだ。多くの男たちが、海原へ情を募らせる気持ちが良く分かる」
「私にはあまり理解出来ませんけど……。そういえば、ロイさんは? 」
隣で同じように景色を仰ぐシルヴィの問いに、彼は舷牆の鉄柵から顔を乗り出しているロイの姿を指さす。二人が彼の元へ近づくと嗚咽と共に苦悶の声が聞こえ、右手で背中を擦った。
「す、すいません……僕、船には弱くて……」
「案ずるな。水でも飲むか? 」
「お、お気になさら――うっ! うぇぇぇぇ……」
青ざめた顔を再び柵の向こう側へ向けるロイの姿に、雷蔵とシルヴィは苦笑いを浮かべる。隣の彼女が「船長さんにお薬貰ってきますね」と告げると、彼は頷いた。
「船酔いに関しては拙者たちもどうすることも出来ん。隣にいるから、思う存分酔いを醒ますと良い」
「あ、ありがとうございます……」
ロイの背中に右手を置きながら、雷蔵は周囲を見回した。上甲板には多くの観光客や商人、冒険者たちでごった返しておりより一層の賑わいを感じさせる。大型の魔導核で蒸気機関を駆動させて大きな船体を動かしているこの船の煙突からは灰色の煙が排出され、青空の彼方へと消えていった。
「……ふぅ~っ……雷蔵さん、ありがとうございます。前よりだいぶ楽になりました」
「そうか。念の為に酔い止めも飲んでおけ、海の魚たちに餌をやり過ぎても飽きられるであろう」
「あはは……そうですね……」
ようやく落ち着きを取り戻したロイの隣で雷蔵は鉄柵に背中を預け、突然吹いた強い潮風に靡く長い黒髪を左手で抑える。乗船する前に魔物の襲撃が起こったかを船長に確認したが、ここ数年で攻撃された事は無いらしい。このプロメセティアには至る所に魔物が生息している。彼らが今現在足を進めている海や平原は無論のこと、地下洞窟や火山にさえも幅広く分布していた。しかし近年、海洋に生息する魔物の一斉討伐が三国によって行われたお蔭で、漁業船舶や運送船などが襲撃される事件は激減している。加えてこの機関船には乗客の身の安全を確保する為に一個小隊クラスの兵士たちや魔導核によって動く魔導機関砲など、モンスターたちへの対策が取られていた。
「……過度な心配も、偶には無用となるか」
「へ? 何か仰いました? 」
「いんや、何も。それよりもロイ殿、この美しい景色と潮風を肴に酒でも如何かな? 酒は船酔いにも効くと言うぞ」
「お、いいですね! ぜひともご一緒させてください! 」
意外に乗り気な彼を一瞥し、船牆から寄り掛かった背中を起こす。床に置いた笠と麻袋を右肩に掛け、雷蔵とロイは船央に建てられたレジャー施設へと足を進めた。
――――しかし。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁッ!!! 」
突如として後方――船尾から聞こえてきた男性の悲鳴に、雷蔵はロイを置いて腰に差していた愛刀・紀州光片守長政に手を置く。鯉口に手を掛けて一目散に悲鳴の元へ駆けると、そこには青色の毒々しい鱗を纏った魚人が乗客の一人に銛の穂先を向けていた。水棲型魔物、"サハギン"。通称"軍隊魚群"とも呼ばれる彼らは、船縁から次々と姿を現す。場に居合わせた幾つもの冒険者たちが各々の得物を手に、サハギンの群れへと突撃していった。その勢いに乗じて雷蔵も床を蹴り、観光客の男性を襲おうとしていた一体の魚人の元へと抜刀する。今にも銛を突き刺さんとしていたサハギンの胴体は雷蔵の居合によって下半身と離別し、状況が把握できないような呆気に取られた表情を浮かべながら床に倒れた。人間とは違い、緑色の不気味な返り血を浴びるも彼は後方にいた男へと視線を傾ける。
「立てるか! 」
「は、はい……! 」
「ロイ殿! この御仁を頼む! 」
「任されましたぁ! 」
腰を抜かした男性をの身体を引きずりながら、避難していくロイの姿を一瞥した雷蔵は前方から剥き出しの殺気を感じ取った。本能に駆られるように刀を握った右腕を突き出し、鋼のぶつかり合う音が周囲に響き渡る。
「成敗ッ! 」
突き出された穂先を叩き落とし、木製の口金を草鞋を履いた足でへし折るとすかさず両手で愛刀の柄を持ち替える。魚人の頭頂部――唐竹を叩き割るように刀を縦一文字に振り翳すと肉と骨を切った気持ちの悪い感触が掌に走った。
「撃て・炎の弾丸ッ! 」
雷蔵の背後から放たれる巨大な炎の砲弾が、彼を目前にしていたサハギンの一人を砕く。声の主へと視線を向けると細剣を手にしたシルヴィが次なる呪文の詠唱を始めており、雷蔵は彼女の護衛へ向かおうと足を進めた。その時。シルヴィの放つ魔法の匂いを感じ取ったのか、手の空いていた数体のサハギンたちが一斉に彼女を狙いに定める。彼らは雷蔵よりも早く飛び掛かっていた為、僅かばかりだが彼の刃の届く位置から離れていた。まずい、と不安に顔を歪ませながらも彼は一目散にシルヴィの元へと駆ける。
「――させっかよォッ!! 」
野太い咆哮のような声が聞こえたが直後、シルヴィに殺到しかけていた魚人たちは一斉に吹き飛ばされた。あまりの勢いと衝撃に尻餅を着いた彼女を介抱するかのように女の魔法使いがシルヴィの隣に立つ。突然雷蔵の目の前に現れた男は人間の肌色とは違い黄緑色の肌を携え、丸太のように太い両腕には鉄製の籠手が装着されていた。オーク、という種族であろう彼の口からは長く伸びた牙が垣間見える。そのオークの仲間と思わしき女性は打って変わり、水色の長髪をハーフアップに纏め先端の尖った両耳を露わにしていた。
「……助太刀、至極感謝の極み。名前は? 」
「名乗ってる時間は無ェ。今はこの魚もどき共をぶっ潰す事に集中しな、お侍さんよ」
「……フッ、そうだな」
背後へ背を向け、エルフの魔法使いと視線を交わす。彼女は頷きながら手にしていた杖を胸の前で構え、魔法の詠唱を始める。
「うっしゃあ、行くぞォっ!! 」
オークの咆哮に近い叫び声を耳に響かせながら、彼らは魚人たちの群れへと飛び込んでいった。




