第二十七伝: 罪の重圧
<トランテスタ郊外・葬儀場>
雷蔵が女忍者との戦いを終え、次に向かった先に見たのはフィルがヴィクトールの槍をリュシアンの腹部に深く突き刺している光景であった。彼は槍を引き抜き、血の泡を口から噴きながら地面に倒れていくリュシアンへ向けて、更なる追撃を加えようとしている。そんな光景を見かねたのか、雷蔵は急いで彼の元へ駆け寄りフィルの右腕を掴んだ。
「ら、雷蔵さん……!? 」
「もう良い。勝負は決した。お主がそれ以上、得物を振るう必要はない」
力なく槍を地面に落とすフィルを後方からやって来たヴィクトールとシルヴィに任せ、雷蔵は地に伏す老人の元へ膝を着く。致命傷を負っているのにも関わらず彼は不敵な笑みを崩さず、雷蔵を迎えた。
「ふ、ふふ……。ま、まさかこのような未熟な男にやられるとはな……」
「……それはお主がフィルという男を見誤っていたからに過ぎない。恨むなら、己の未熟さを恨むが良い」
「違い、ない……」
弱弱しく笑い声を上げるリュシアンへ、雷蔵は冷やかな視線を傾ける。この男が今回の騒動の元凶。怒りを抱かずにはいられなかったが、力の籠った両腕を抑えるように拳を握り締めた。
「く、は、ははは……。実に愚かだ……私を殺して他の騎士が黙って、いるとでも……思っているのか……? ましてや……大隊を連ねる執政官の一人を……」
「……それは」
リュシアンの言葉は尤もであった。いくら彼がエルフ至上主義という危険思想を用いて騎士団の転覆を図ったにせよ、その証拠を揃えるのには時間が掛かりすぎる。末端にいる新人の騎士や執政官直属の部下からしたら、レーヴィンがリュシアンに対して謀反を起こしたと捉えられてもおかしくはない。
「すい、ません……レーヴィン、さん……。僕が、勝手な真似を……したから……」
「動いちゃダメですよフィル君! って、ああもう! 」
シルヴィの制止も虚しく、フィルは再び地面に落ちた剣を手に取り横になるリュシアンへ向ける。自分自身でケリを付けるつもりなのであろう、彼の双眸には確かに殺意の意思が宿っていた。
「止せと言っただろう、フィル君。それにこの男に手を掛けたのは私も一緒だ、君だけに罪を擦り付けるような真似はしない」
「ククク……。今更仲間ごっこか……レーヴィン・ハートラント……。だが……それを出来るのも、あと僅かだ……。貴様の、地位は、崩れ去る……」
フィルや雷蔵が彼の言葉に憤慨する中、シルヴィによって身体を支えられていたヴィクトールが口角を吊り上げながらリュシアンへと近づく。額には脂汗が滲んでいたが胸元の傷は既に彼女の回復魔法によって塞がったのであろう、彼が一歩踏みしめる度に真新しい血液が流れ出る事はなかった。
「……ここで、あんたにもう一つ種明かしをしようか。リュシアン……あんたは普段、書類仕事は部下に任せていた筈だな? 重要な書類でさえも側近や隊長に任せ、自分に回ってくるのは騎士団本部からの通達書……その筈だ」
「い……今更それが……ハッ……! 」
「そこがあんたの隙だ、リュシアン・クラーク。あんたの傘下に入った俺は渡された書類を全部保管してある。俺があんたを裏切ったと分かった時に俺を殺すべきだったな」
それに、とヴィクトールは付け足す。突然彼はレーヴィンの首元に両手を伸ばし、似つかない女性らしい小さい悲鳴を一瞥すると手には赤い宝玉を模ったネックレスが掌に現れた。ヴィクトールがレーヴィンに形見として渡す為雷蔵に授けた一品であり、その宝石が空気に触れる度に煌々と光を放っている。そして彼は宝玉に手を翳し、彼自身が組んだ魔法陣を掌の上で展開させた。
『――そろそろ会食の時間です、執政官。我々も向かいましょう』
『その必要はありません。貴女はここで死ぬのですから』
聞き覚えのある男の声と、悲しみを伴った女性の声。再生された会話を聞いた途端レーヴィンは目を見開き、同時にリュシアンは顔を俯かせる。
「録音媒体……!? 」
「ご名答。ま、これで俺が殺されても結局あんたの罪は立証されるわけだ。残念だったな、執政官様よ」
直後、死を間近にした男とは思えないほどの高らかな笑い声が周囲に響き渡った。狂気を孕んだその声に、雷蔵は畏怖さえ覚える。
「……"相手が勝ち誇った瞬間がその人間の隙となる"……か……。面白い……本当に……笑いが、尽きん――」
凍り付く周囲の空気。ただ一人敵に囲まれたリュシアンだけが、相も変わらず笑みを浮かべている。
「――死など恐れてはいない。この身を賭して戦った甲斐があった。貴様らを……私を打倒した貴様らの顔を拝んで逝けるのだからな……ッ! 」
最期まで笑みを崩さず、リュシアンはその場で事切れた。背を向けた地面に、赤黒い大きなシミを残しながら。
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<騎士団寄宿舎・屋上>
そして、約数時間もの刻が流れる。リュシアンの最期を看取ってから雷蔵たちは駆け付けた騎士たちに身柄を取り押さえられたが、レーヴィンやヴィクトールの弁明により留置所行きは逃れる事が出来た。しかし、騒動の中心と言っても過言ではない二人はその後部下達に拘束され、事情聴取を行う為に取調室へと連行されてしまった。傷の付いた胸元を撫で、包帯の柔らかい感触を手で感じながら雷蔵は屋上へと続く階段をゆっくりと上っていく。そして、彼の視界には紺色の夜空に幾つもの白い斑点が浮かんでいるのが見えた。
「…………」
しかし、このような美しい光景を見ても雷蔵の顔は俯いたままであった。ただ彼の脳裏に浮かんだのは、ヴィクトールとレーヴィンの姿である。――また、俺は他人を巻き込んで生き長らえてしまうのか。また、他人を不幸に陥れるのか。そんな自分が情けなく思えた。他人を殺す力を持っていても、他人を救う力にはならない。皮肉なものだ、と雷蔵は自嘲気味に笑みを浮かべた。
「これが……お主たちへの贖罪だというのか? 長政……藤香……」
嘗ての友と想い人の名を、ぽつりと零す。過去に刻まれた罪は、過去に歩んできた道のりは、容赦なく今の彼を苦しめていた。思慮に耽っている雷蔵の背後から、微かな足音が聞こえる。その音に気づいた彼は咄嗟に振り向くと、そこには可愛らしい黒の寝間着姿のシルヴィが立っていた。
「雷蔵……さん……? 」
「シルヴィ……」
絹のような銀色の髪が、夜風に揺れる。彼女の髪の香が雷蔵の鼻に触れ、一人己を急き立てる彼に安堵を与えた。シルヴィは軽い足取りで雷蔵の隣に立ち、夜空を見上げながら感嘆の声を上げる。そして数刻の後、彼女は彼の顔へと視線を傾けた。
「……不安ですか、あの二人の事」
「違う、と言えば嘘になる。拙者は……また、自身を守るために友を巻き込んでしまうのかと思うと……恐ろしくて堪らなくなる」
「……そう、ですか」
再び雷蔵の表情は俯く。嘗て、唯一無二の親友であった男を結果的に死に至らしめてしまった過去があるからこそ、雷蔵は他人を守る事が恐怖の対象へと変わっていた。疫病神。過去に投げかけられた忌まわしい渾名が、彼の胸の奥を締め付ける。
「――雷蔵さん。こっち、向いてくれますか」
「……何を――」
その瞬間、彼の視界が暗く覆われた。同時に香る、女性の使う石鹸の匂い。布の擦れる音と、柔らかい感触。彼女に抱きしめられていると気づく頃には、シルヴィは口を開いていた。
「――大丈夫です。あの二人なら……レーヴィンさんとヴィクトールさんなら、きっと戻ってくるはずです。だからそんな顔をしないでください、雷蔵さん。貴方は決して悪くない……貴方は決して……間違った事はしていません」
「……あぁ……そうだな……」
不安と焦燥が入り混じった感情の中で、雷蔵はシルヴィの胸の中で声を押し殺しながらその安らかな空間に身を委ねた。




