表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ワンダラーズ 無銘放浪伝  作者: 旗戦士
第二章:銀騎士は紅に舞う
26/122

第二十六伝: Fury Sparks

<トランテスタ郊外>


 雷蔵と女の忍が激戦を繰り広げているその頃。黒いローブに身を包んだリュシアンの前に立ちはだかるように、レーヴィンとフィルは各々の得物を手に彼の目を見据えた。リュシアンと対峙したフィルの両腕は酷く震えている。情けない話だ、と彼は自嘲気味に自身の双腕に視線を落とした。


「フィル君……? 」

「く、くっ、くそ……っ! 」


 人形のように鼻筋の通った美しい顔が、フィルへと向く。仮にも自分が目指すべき強さを持った人間の前で、自身の情けない姿を晒してはならない。しかし、あのリュシアンと戦えば確実に自分は死ぬ。死の恐怖と男としての見栄がフィルの胸の奥で入り交じり、自分に発破を掛けるように目を閉じて息を深く吐いた。その瞬間、リュシアンがフィルへ向けて手にした両刃剣の切っ先を突き出している光景が視界に広がり、全身に力が入っていく。


「ほう……」


 彼の両腕にのしかかる重圧を全身で受け止め、フィルは交差した二つの刃の向こう側からリュシアンの双眸を見据えた。老人とは思えない程の力強さで彼の刃を段々と押し返し、手にした父の剣の刃がフィルの眼前に迫るのが目に見える。リュシアンの口角が吊り上がると同時に、フィルは彼の背後に目を向けた。殺気を見に纏ったレーヴィンの姿が愛剣を手にリュシアンへと飛び掛かる姿が目に入る。思わず、味方陣営であるフィルでさえも背筋に悪寒が走った。


「顕現せよ、魔の刃」


 彼の耳に掠れた男の声が聞こえた瞬間、リュシアンの空いた左手に青い剣身を持つ魔力剣が握られる。寸前に迫ったレーヴィンの銀刃と魔力剣の青い刃が衝突し、飛び上がった状態の彼女に大きな隙が出来上がった。そして、次にフィルが感じたのは斬撃を受けた感覚でも生暖かい肉の感触でもなく、強制的に吐き出されそうになった嘔吐感が口から洩れる。彼の身体は大きく後方へ吹っ飛ばされ、砂埃を上げながら地面にたたきつけられた。


「なっ――」

「遅いぞ」


 もう片方の拳を握り締め直し、リュシアンの強烈な右ストレートがレーヴィンの頬に叩き込まれる。彼女はそのまま殴撃を食らい、地面へと伏す。そんな光景を目の当たりにした彼はすかさず立ち上がり、手にした父の形見の柄を握り締めた。口の中に広がる鉄のような味に嫌悪感を覚え、血の入り混じった唾を地面に吐き捨てる。乾ききった唇。酸素を欲する、肺と心臓の呼応。目の前の相手を恐れている暇は無い。どんな事があろうとも"騎士"は、守るべき人間から目を逸らしてはいけない。たとえ、対峙した敵の力量が自分より遥かに上回っていたとしても。


「……ほう……」


 レーヴィンを包んでいた砂埃が明けるその寸前に、フィルは彼女を守るようにリュシアンの前へ立ちはだかる。全身が酸素を求めていた。肩で呼吸をしながら、フィルは剣の柄を両手で握り締める。


「ふ、フィル……君……! 」

「――リュシアン・クラークッ‼ 」


 対峙した敵の名を叫び、フィルは殺気の籠った双眸を彼に向けた。父は言った、"その身を挺してでも大切なものを守れ"、と。目指すべき男は言った、"また共に戦ってほしい"、と。不思議と全身から力が込み上げてくる。彼の背中に守るべき仲間がいる限り、フィルの湧き出す力は止まることを知らない。


「……フ。馬鹿な小童だ、大人しく逃げていれば良かったものを。若い命は散らしたくはないが――」


 瞬間、胸の前に構えたフィルの剣が激しい火花を散らした。


「――私に歯向かうという事は、それ相応の覚悟があるというのだな? 」

「……ッ‼ 」


 どうにかして初撃を防ぎ切り、彼はリュシアンと刃を交えながら不気味に笑う真正面の顔を見る。この男を倒さなければ、自分の命はない。しかし、これが彼に与えられた試練だと言うのならば。己の強さを高めるための壁と言うのならば。


「――おォォォォォォッ‼ 」


 気迫の声と共にフィルは目の前の剣を退け、空いた彼の胸へ視線を集中させる。弾いた剣の切っ先を向けた彼は決死の覚悟でリュシアンの懐へ飛び込んだ。しかし、彼は忘れていた。発動していた魔法剣の存在を。握った父の剣が叩き落とされると同時に、フィルの肩に青い魔力の刃が届く。熱した鉄を体内へ無理やり押し込まれたような痛みが彼の右肩に走り、自身の身体から血飛沫が舞うのが目に見えた。止めを刺すように彼の首元へ迫り来る銀刃をフィルは見据え、無我夢中で下がった剣先を振り上げる。


「あァァァァッ‼ 」


 大喝。フィルの声と共に周囲に響く金属音を、彼は決して聞き逃さない。再びがら空きになった腹部へ彼は全身を後退させ、体を捻転させて勢いの伴った蹴りを放った。足裏から伝わる固い感触を感じ取ったと同時に彼は前方へ視線を傾ける。吹っ飛ばされたリュシアンの姿は其処にはなく。相変わらずの卑しい笑みを浮かべる彼の姿がそこにはあった。


「……くっ……! 」

「どうした? あれだけ意気込んでおいてもう終いかね? 」

「黙れぇッ‼ 」


 温厚な普段とは全く正反対な咆哮を再び上げる。フィルには目の前のリュシアンがどうしても許せなかった、目指すべき人間のいる騎士団を嘲笑されているようで。父のいた、誇りある騎士のすべてを否定されているようで。その瞬間、フィルの横を銀色の影が横切った。同時に、あの不敵な笑みが彼の眼前から消える。


「……ほう……」

「――騎士の誇りは潰える事はない。貴様のような下種から"仲間"を守るのも、騎士の務めだ」


 レーヴィンの剣はリュシアンの魔力剣と鍔競り合い、数滴の火花を散らした。その様子を黙って見ているほど、フィルは臆病者ではない。すかさず彼は両足に力を込め、地面を蹴り上げる。身体に出来た生傷など関係ない、託された遺志を背負うようにフィルはリュシアンとの距離を一気に詰めた。再び構えた父の剣が、リュシアンの銀剣と再び火花を散らす。3人の激しい視線が剣を交えて交差し、フィルはより一層剣を握る力を強めた。


 だが。


「ッァあ! 」

「くっ……! 」


 弾かれる剣と共に、フィルの隣にいたレーヴィンの身体も後方へ押しやられる。すかさず青い魔力刃が彼の眼前を覆い、咄嗟に握っていた剣を胸の前へ構えた。激しい金属音と共に左肩に走る、熱を伴った痛み。それでも彼は剣を離さず、ただ目の前に立つ老練の剣士ただ一人を見据える。彼は左方にいたレーヴィンが立ち上がる姿へ片目を向け、首を微かに上下させた。肩を上下させて呼吸を整える彼女と視線を交わすと、今度は背後で木に寄り掛かったヴィクトールと彼の治療を行うシルヴィへ目を配る。冷や汗を流すヴィクトールはフィルの視線に気づき、苦し紛れに口角を吊り上げた。


「戦いの最中に余所見とは……。勝負を捨てたか? 」

「ぐゥッ……! 」


 リュシアンの剣を受け止める度に、身体中に出来上がった生傷から鮮血が溢れ出す。同時に震え上がるような痛みが彼の全神経を刺激し、脂汗を額に滲ませた。フィルだけで彼を打倒すのは到底無理だろう。だが……彼の周りには同じような目的を持つ仲間がいる。自分の役割を瞬時に把握したフィルは、突っ走る事しか知らない猪のようにリュシアンとの距離を詰めた。


「気でも違ったか……! 愚かなッ! 」


 頭上に天高く掲げた父親の形見が、日光に反射して銀色の光を放つ。大きく振りかざしたその剣は易々と弾かれ、そして彼の両手から離れた。


「取ったッ! 」


 リュシアンの声がフィルの耳に響く。だが彼は今一度リュシアンを睨み付け、そしてフィルの守るようにレーヴィンがバスタードソードで凶刃を弾いた。その行動で焦る彼ではないのか、弾かれた剣とは別の魔力剣を横一文字に薙ぐ。レーヴィンは身を屈めて青い刃を肉薄し、彼女の後方に立っていたフィルと再びリュシアンは対峙した。


「馬鹿な女だ! 君が攻撃を躱してはこの少年が死ぬぞッ! 」


 そして、彼の眼前に魔法剣と銀色の刃が同時に迫る。

 ――だが。フィルは不敵に笑みを浮かべた。


「――跳べ・戦士の槍(カマラード・ランツェ)


 そんな魔法を唱える男の声が、聞こえた気がした。瞬間、虚空を掴んでいたフィルの両手に無かったはずの十文字槍が握られている。この時を、"目の前の敵に集中する"この時を待っていた。同時に彼は手にした槍で今にも身体を引き裂かんとしていた二つの凶刃を弾く。すかさず槍の穂先を突き立てるように得物を構え直し、フィルは地面を蹴った。


「いっ――」

「な、何……ッ⁉ 」


 リュシアンの目には向かってくる槍がスローモーションで映る。ふと突撃してくるフィルの背後に目を配ると、そこには不敵な笑みを浮かべたヴィクトールが魔法陣を展開していた。

 ――まさか。二刀流特有の隙を作り出そうと、今までフィルは囮を演じていたのか。


「――けぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!! 」


 彼の疑問に答える者は誰一人としていない。代わりに問いの応えを返したのはリュシアンの腹部に深く突き刺さる――銀の槍だった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<同刻>


 一方その頃。深く腰を落とした状態から雷蔵は地面を蹴り、一気に女忍者との距離を詰める。反撃の小太刀が返ってくると同時に勢い良く抜刀し、両者は鎬を削った。鋼が擦れ合う心地の悪い音が耳に響くも雷蔵は眉一つ動かさずに彼女を睨み付ける。愛刀・紀州光片守長政の柄を握る力をより一層強め、目の前の忍の防御を崩した。


「ふッ」


 息を吐き出すと同時に雷蔵は鈍色の光を放つ柄頭を勢いよく突き出し、彼女の身体を後方へ押し遣る。間髪を入れずに彼は再び両足に力を込め、地面を蹴った。真正面から感じ取る殺気。雷蔵の神経が全身に走るその瞬間を突いて彼女は数本の苦無を投擲したようで、黒い菱形の切っ先が伸びてくる。眉間を狙ったその一撃を縦一文字に振り下ろす事によって叩き落とすも、もう一つの苦無が彼の右肩を捉えた。だが、この際悲鳴など上げてはいられない。赤黒い液体が噴き出す傷を一瞥し、雷蔵は進む足を止めなかった。


「何……」

「この程度で止められると思うな、忍ッ!! 」


 再び鍔競り合う両者。一合、また一合と雷蔵は彼女と斬り結んでいく。左方から迫る小太刀の刃を身を屈めて肉薄し、その反動で刀を振り上げた。逆袈裟斬り。相手の腹部から肩口を目掛けて刀を振り上げる斬撃。剣を目指す者なら必ず覚える動作の一つだが、彼の斬撃は身震いがするほど速く、そして重い。


「ぐ……ッ! 」


 雷蔵の手に肉を切り裂いた柔らかい感触はない。しかし彼女の口元を覆っていた布の切れ端が周囲に舞い、女忍者の素顔が露わになった。そして思わず、彼は次の斬撃の動作へ移ろうとしていた身体を止める。否、止めざるを得なかったというのが正しいだろう。


「お主は……! ま、まさか……! 」

「……言っただろう。貴様と交わす口を持たないし、名乗る名前も無いと。だが――」


 彼女は雷蔵の遥か後方へ視線を傾ける。苦虫を食い潰したような表情を浮かべ、彼女は黒装束の懐から数個の球体を取り出すと地面に叩きつけた。


「これは……煙幕……! 」

「――向こうの片は着いた様だ。私は自分の身を投げるような戦いはしない……」


 灰色の煙が、向かい合っていた雷蔵と忍の全身を包み込む。それを取り払うように彼は手にしていた刀を無我夢中で振るが、虚空を切り裂くのみだった。


「敢えて言おう、覚えておけ。近衛雷蔵……貴様は必ず私がこの手で殺す」


 その言葉と同時に周囲を包んでいた煙が晴れ、覆われていた視界も再び彼に眼前の景色を映し出す。だが、そこに女忍者の姿は無かった。


「逃げられた、か……」


 雷蔵は腰に差していた黒塗りの鞘に刀を納め、投げ捨てた白いシャツを拾い上げた。付着した土埃を手で払うと、裾に腕を通しながら彼はフィルたちの元へと再びその足を進めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ