第二十三伝: 咆哮と共に
<騎士団詰所・グラウンド>
翌日。シルヴィとフィルはヴィクトールの葬式に出席する為、葬式場へ向かう集合場所としてこのグラウンドに足を運んでいた。殉職や戦死した騎士団の一員は特定の場所で埋葬させるのがこのリヒトクライス騎士団の習わしとなっており、ほかに向かう騎士やヴィクトールの直属の部下たちは皆儀礼用の鎧を着用している。二人も同じように黒いジャケットの上に騎士団のワッペンが胸元に入った儀礼服を身に纏っており、不安げな表情を浮かべながらシルヴィは上着のポケットから金色の懐中時計を取り出した。
「遅いですねぇ……何やってんですか、雷蔵さんは」
「着付けに時間が掛かる、とか言ってましたけど……」
「はぁっ、パーティー会場に行く女の人じゃないんですから……。分かりました、もう少し待ちましょう」
呆れたようにシルヴィは深いため息を吐き、チェーンの付いた懐中時計をポケットに仕舞うと地面に座り込む。フィルも同じように彼女の隣に腰を下ろすと、彼は空を仰いだ。
「……ヴィクトールさん……本当に、あの事件の当事者だったんでしょうか……」
「えっ? でも、一昨日の夜にあの人が執政官のところへ行って襲ったんじゃ……」
「それにしても、シナリオが出来過ぎている気がするんです。それに、まるでヴィクトールさんが死ぬのが分かっていたみたいに対応が早くないですか? 」
彼の言葉を聞くなり、シルヴィは顎に手を当てる。
「確かに……」
「僕はヴィクトールさんがそんなことをする人だとは思いたくありません。というか、父さんの親友だった人がそんな事をして欲しくないって願ってるだけですけど……」
フィルはばつが悪そうな表情を浮かべて後頭部を掻く。親友の息子というのもあって、この数日間で彼は暇さえあればヴィクトールに稽古をつけてもらっていた。それ故にまだ彼が裏切り者だという事が信じられないようで、拳を握り締める。
「……執政官が黒幕だと言う証拠はどこにもありませんけど……念の為に注意はしておいた方が良いかもしれませんね。フィル君、武器の方は持って来てますか? 」
「あ、はい。皆さんが帯剣して来ているので僕も一応……」
シルヴィは自身の腰に刺さった細剣の柄に視線を落とした。幸い騎士団の葬儀では武装が認められており、埋葬する際に剣を抜いて得物を頭上に掲げるというのが騎士への弔い方だということを事前に二人はレーヴィンから知らされていた。
「おーい! 二人共ぉー! 」
「あっ、雷蔵さん! もう、遅いですよ! 時間ギリギリじゃないですか! 」
「すまんすまん。この、"すーつ"なるものの着付けに時間が掛かってしまってのう……」
真犯人の話を区切るかのように黒いスーツ姿の雷蔵が二人の間に割って入ってくる。黒いスラックスに白のワイシャツ、ネクタイを胸元で結んだ上に黒いジャケットを羽織る今の彼の姿はとても凛々しいものであった。腰のベルトには帯刀出来るようにホルダーが左腰の部分に備え付けられており、彼の愛刀の黒い鞘がスーツのジャケットの裾から伸びている。
「よくお似合いですね、雷蔵さん。どこかの貴族かと見違えましたよ」
「褒めても何も出んぞ、フィル。しかしなぁ……この服は如何せん窮屈でしょうがない。特にこの"ねくたい"なるものが首を絞めつけて苦しいのだ……」
「しょうがないですよ。葬儀ですし、服装はこの国の習慣のものに合わせなきゃいけませんからね」
むぅ、と雷蔵は唸るように声を上げた。胸元から伸びた黒いネクタイが風に揺れ、その度に彼は窮屈そうな苦い表情を浮かべる。
「そういえば、レーヴィン殿やイングリット殿は何方におられる? 一言挨拶をしておこうと思ったのだが」
「あの二人は葬儀の段取りとか神父様との打ち合わせとかで忙しいみたいです。執政官様や騎士団長の準備が出来次第、葬儀場に向かうみたいですよ」
そうか、と相槌を打つと雷蔵は顎を撫でた。ヴィクトールの葬儀が行われる場所はここから徒歩で迎えるほどの距離であり、トランテスタ市外の墓地と隣接している。大通りの市街からは離れた開けた場所に設立され、以降トランテスタの市民は葬儀を其処で行う風習が存在していた。
「……さて、と。そろそろ向かうみたいだぞ。周りの騎士たちが歩き始めておる」
「みたいですね。私たちも行きましょう」
各々胸に秘めた疑念や想いをそのままに、3人は人の流れが向かった先に歩き始める。燦々と照り付ける太陽が、彼らを戦場へ迎えるかのように光を放っていた。
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<葬儀場・トランテスタ郊外>
約20分の時を経て、雷蔵たちは目的の葬儀場へとたどり着く。ヴィクトールの屍が納められた白い棺の後方へと周りながら、雷蔵は履きなれない革靴と足の皮膚が擦れる感触を味わいながら建てられた小屋へと足を進めた。どうやら墓守がこの小屋に住んでいるらしく、葬儀の手続きをレーヴィンとリュシアンが行いに小屋の奥へと消えていく。
「む? ここには棺を燃やす竈が無い様であるが……」
「ここは主に土葬なんですよ。雷蔵さんの故郷だと違うんですか? 」
「うむ。拙者の国では亡くなった者の亡骸を棺に入れ、その棺桶を竈で燃やすものでな。そこで出来た遺骨を遺族が保有する、という形だ」
へぇ、とフィルとシルヴィは驚きの声を上げた。雷蔵の故郷である和之生国では火葬が最も故人を尊敬した葬儀の方法として認識されており、土葬は死者への冒涜として庶民の間では広まっている。だが彼は眉一つ動かさずにヴィクトールの棺桶が掘られた土の巨大な穴に収納されていく様子を目の当たりにし、参列したヴィクトールの部下や第四番隊の幹部がその穴に花を添えていく様子を見ていた。
「……雷蔵さん。この国の作法は知ってますか? 」
「あ、あぁ……。あのように、花を受け取ってから棺の周りに添えれば良いのだろう? 」
「そうです。あと棺の前で一礼も忘れないでくださいね」
シルヴィにそう釘を押され、強張った表情を浮かべながら雷蔵は墓守から青いデルフィニウムの花を受け取る。ぎこちない動きでヴィクトールの棺の前でお辞儀をした後、彼は棺桶の傍に花を置いた。覗き窓から目を閉じたままの彼の屍が見え、雷蔵は覗き込む。
――やけに、安らかな顔をしていた。まるで役割を終えた道具のようにその姿は儚く、そして古ぼけたように彼の目には映る。もう、あの似つかなくて人懐っこい笑顔は見られない。そう思うと、何故か雷蔵の瞳には涙が浮かんだ。
「……いかんいかん。武士が人前で涙を見せるものではないな……」
そんな事を呟きながら、雷蔵は棺桶へ向けて再び頭を下げてからシルヴィの元へと帰っていく。浮かべた涙を悟られないように彼は隠れて涙を拭い、既に献花を終えたフィルの隣に座った。
「……フィル。お主は大丈夫か? 」
「……はい。慣れる、なんて言ったらダメですけど……身近な人の死には少しばかり耐性があるつもりですから」
そうか、と雷蔵はそう言い残し視線を自身の足元へ向ける。献花を終えた参列者は神父の話を聞くがために用意された椅子に腰を下ろし、神父の登壇を今か今かと待ち望んでいた。そうしてこの葬式に参列した騎士団の団員達は全員献花を終え、ようやく神父が壇上の前に立ち聖書を広げる。このイシュテン共和国では通夜、という概念が無く即座に葬儀が行われる事に雷蔵は若干の違和感を覚えたが口にする事無く彼は神父の言葉を聞いていた。シルヴィ曰く、死者の亡骸を葬儀の前に見るのはこの国で失礼に当たるらしく遺族のみが死体を見ることができるらしい。故に血縁者がいないヴィクトールの葬式がこのように早く執り行われるのは珍しい事では無い。
「……彼はたとえ裏切り者と称されながらも、多くの人間に愛される者でした。神は彼の者の罪をお赦しになり、きっと天上の楽園へと運んで下さる事でしょう」
神父と共に周囲の人間は組んだ両手を胸の前に掲げ、雷蔵は彼らに釣られるように祈りの体勢を一足遅く行う。そして数十秒間の黙祷の後、参列者たちは席を立ち上がり墓地の奥に設立された簡易のテントへと向かっていく。
「……これは……? 」
「葬儀の後の会食です。死者を弔う為のものとして、遺族と参列者で食事をするんですが……今回はレーヴィンさんやリュシアン執政官様みたいな高位の人間だけみたいですね」」
ふむ、と雷蔵は再び顎を撫で始めた。その瞬間、彼は立ち上がると同時に尿意が彼の股間を襲い小屋へと視線を傾ける。
「……シルヴィ、フィル。お主たちは先に行ってて貰えるか? 拙者は厠へ行って来る」
「あ、はい。小屋にあったと思うので、もしわからなければ墓守に聞いてみてください」
分かった、とシルヴィに告げて雷蔵はその場を立ち去っていった。
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<葬儀場>
一方その頃、レーヴィンは土に埋もれていくヴィクトールの棺桶の様子をただひたすらに見つめていた。彼が埋葬されるまで見届けたいと墓守に申し出た彼女の隣には同じように儀礼服に身を包んだリュシアン執政官が立っている。
「……やはり、部下が亡くなるというのはもの悲しいですね。私は……彼を手に掛けたことを今でも後悔しています」
「執政官殿……? 何を……」
リュシアンは彼女の言葉を無視して、両肩に手を掛けた。
「あの日……彼をこの手に掛けたあの時の事を……鮮明に思い出します。ヴィクトール副隊長は……明確な殺意を持って私の元に現れました」
「そう、ですか……。私の部下が失礼を……」
「そう言う事ではありません。ただ……私は悲しかった。少なくとも彼の事を信頼していたのです」
レーヴィンは頭を下げつつも、両腕に自然と力が入っていくのを感じる。当然、その怒りは許されたものではない。だが自身の部下が殺されたのを黙って認める程、レーヴィンは出来た人間とは言えなかった。
「……私も同じです。長年私と付き合いのある彼は……私の信頼できる部下の一人だった。あのような切れ者は、そういないでしょう」
「えぇ。騎士団にとっても大きな損失です。彼ほどの人間は我々にとって最も必要としている人物だった」
憂い気な視線を落とし、リュシアン執政官は再び向かい合ったレーヴィンへとそう言い放つ。どの口が抜かす、とレーヴィンは心の中で毒づくと儀礼服のポケットから懐中時計を取り出した。
「……そろそろ会食の時間です、執政官。我々も向かいましょう」
しかし、リュシアンから返ってきた答えは意外なものだった。
「その必要はありません。貴女は――」
腰に差していた両刃剣を彼女に向け、リュシアンは言い放つ。
「ここで"死ぬ"のですから」
一瞬だけ、レーヴィンには彼が何を言っているのか分からなかった。向けられた銀色の刃を目前にして、ようやく彼女はリュシアンから離れて愛剣の柄に手を掛ける。――まさか。そんな事が、あってはならない。そんな事を思いながら、レーヴィンは剣を引き抜いた。
「どういう事だ……! 執政官! いや……リュシアン・クラーク! 」
「……まさか、この状況を見てまだ分からないかね? 」
周囲からの殺気を感じ取った途端、彼女は周囲を見回す。自身を取り囲む銀の剣を目の当たりにしたのか、歯軋りをしながら目の前のリュシアンから視線を離さない。――こいつが。この男が……全ての元凶だったというのか。沸々と怒りが胸の奥から沸き上がり、レーヴィンは手を掛けた剣を引き抜く。
「――ほう。まだ、抵抗する意思があるというのか。つくづく面白いな、騎士という人間は。"不義には義を以て制す"――。それを体現してくれるのだから」
「まさか貴様は……ッ! 本当に……ヴィクターを……‼ 」
「ふふ、そういう関係だとは思いも寄らなかったがね。まあ、奴が裏切るのも頷ける」
隣の席に座っていた騎士でさえも、レーヴィンに剣を向けていた。嵌められた。そう確信するよりも前に、すぐ傍の男が彼女に斬りかかってくる。彼女はもう一方の手に短剣を握らせ、迫る凶刃を防いだ後に右手に握った剣を男の腹部に突き刺して手首を捻った。骨を抉った重苦しい音と感触と共に力なく男は崩れ落ち、レーヴィンは再びリュシアンの方へと向き合う。彼に向けた彼女の目は騎士団長でも一人の女性としてでもなく、相棒の仇を討つ一人の戦士としての覚悟が宿っていた。
「……ふふ。ハハハハッ‼ 愚かな女だ。お前一人で何が出来る? 部下に死なれ、その信頼さえも失ったお前に残す道など死しかあるまい! 」
「黙れェッ!! たとえ刺し違えてでもお前を殺すぞ、リュシアン! 」
「それが出来れば、の話だがな」
リュシアンがそう告げた瞬間、武装した騎士たちが一斉に彼女の前に姿を現す。元々彼女を消すために姿を隠していたのであろう、彼らは血走った目でレーヴィンを見つめていた。レーヴィンは自嘲気味に笑みを浮かべる。この戦いで間違いなく自分は死ぬだろう。
だが、これで――。ヴィクトールの元へ行けるなら。彼女がたった一度だけ"愛した"、相棒の元へ逝けるのなら。そう思うと、不思議と彼女の身体から死への恐怖は消えていった。
「殺せ。あの女を、邪魔な女を殺すが良い」
「……来いッ‼ 」
一直線に先頭の刺客が彼女に斬りかかってくる。左手に握った短剣と右の掌の中にある愛剣を構え、レーヴィンはただひたすらに相手が向かってくるのを待った。襲い掛かる凶刃を一刀の下に払い除け、まず向かってきた刺客に止めを刺す。大喝と共に、彼女の身体は自然と進んでいく。許せ、少しでも部下を信じられなかった自分を。許せ、相棒を信じられなかった愚かな女を。棺の中に眠るヴィクトールへ懺悔するように、レーヴィンは多くの刺客たちの中へと飛び込んでいく。
「死ねぇッ‼ レーヴィン・ハートラントォっ‼ 」
多勢に無勢。今の状況は正にその通りに進んでいった。いくらレーヴィンが騎士団を束ねる長としても、多くの男に囲まれてしまえば為す術もない。もう一人の騎士を殺したところを突かれ、今にも銀の切っ先が彼女の腹部を貫かんとした……その時だった。
「ぎャァっ!? 」
先ほど聞こえた声と同じ者の絶叫が、目を閉じたレーヴィンの耳に響く。そして恐る恐る目を開くと彼女を取り囲んでいた周囲の騎士たちは皆狼狽し、驚愕の表情を浮かべていた。あの、リュシアンでさえも。レーヴィンはゆっくりを下げた視線を上げていく。まず目に入ったのが、見覚えのある茶髪を束ねた馬の尾のような髪。もう一人の男もその場に立っていた。黒いスーツ姿に、腰まで伸びた黒髪。その男たちは銀の十文字槍と刃の反った刀を手にし、彼女を守るかのように立ちはだかっている。普段から身に纏っていた銀の鎧とは違う、黒い軽装を身に着けながら目の前の男はゆっくりとレーヴィンへ振り向いた。
「よっ。助けに来たぜ、レーヴ」
「助太刀致す。レーヴ殿」




