第二十伝:陰徳あれば陽報あり
<詰め所・レーヴィンの執務室>
太陽が地平線から顔を出し、空を青に染め上げる頃。風呂場で汗を流し終えた雷蔵はレーヴィンから呼び出され、フィルとシルヴィの元へ向かい合流した後、詰め所の荘厳な廊下を歩いていた。七色の光を放つ窓のステンドグラスが3まるで祝福するかのように三人を照らし上げ、銀の鎧を身に纏った騎士たちとすれ違いながら目的の執務室へと辿り着く。長方形の形をした扉は雷蔵たちの身長よりも倍以上の大きさを誇り、褐色の良い表面には今にも動き出しそうな槍を掲げる戦乙女の彫刻が刻み込まれていた。
「うわぁ……おっきいですねぇ……」
「共和国を統べる騎士団の長の一人だという事を改めて自覚させられるのう……。いやはや、運命とは数奇なものよ」
雷蔵の言葉に両隣で入口を見上げるフィルとシルヴィは、口を開けながら首を上下させる。扉の正面に青銅製の獅子の彫刻が目を惹き、その獅子の口に円形のドアノッカーが咥えられていた。共和国独特の彫刻の輪を手に取り雷蔵は数回か輪を扉の表面に打ち付ける。青銅とニスの塗られた艶のある扉が鈍い音を立てながら彼らの来客を報せ、ドアの向こう側から聞き覚えのある透き通った声が聞こえた。そのまま雷蔵は重い扉を手前に引き、執務室の中に入ると騎士団の紋章の刺繡が入った青いシャツに白いスキニーパンツを穿いたレーヴィンが彼らを出迎える。どうやら丁度執務の最中であったようで、机に座っていた彼女は羽ペンとインク瓶を駆使しつつ報告書を書いているようだった。
「あぁ、来てくれたか。そこに客人用のソファがある、掛けてくれ」
白いマグカップを手にしながらレーヴィンは自身のデスクから立ち上がり、窓際のテーブルと幾つかのソファが並べられた空間へと雷蔵たちを案内する。綺麗に整頓された執務室を見回しながら彼らは各々席に着き、雷蔵はレーヴィンと対面する形で腰を落ち着けた。
「早朝に呼び出して済まない、各々方。今回来てもらったのは他でもない、貴公らに当たってもらっているエルフ至上主義の事件についての事だ」
「拙者たちの方でも調査は進めているが、あまり有益な情報は得られていない。ただ、トランテスタの内部でも何度か目撃されているようだな」
雷蔵の言葉にレーヴィンは頷く。酒場での調査――主にイロナからの事情聴取だが――を経て彼らはエルフ至上主義の連中が街にまで及んでいる事を掴んでいた。ただ、彼らは姿を消す事に手慣れているのか一般市民や酒場のウェイター、商人などとは一切の関わりを持っていない。故に雷蔵たちは至上主義の団体の本拠地や、誰が団体を統べる長なのかを把握できないでいた。
「あの、僕からも良いですか。僕も入学手続きに行った時に事務員の方にお話を伺ったんです。ある一定の期間を経て、士官学校から外出届が多く提出されるようになったって……」
「その期間って何ですか? 」
「……"血の粛清"事件って、ご存じですよね」
フィルから言い放たれた言葉にシルヴィとレーヴィンは目を見開き、雷蔵はフィルとは違った反応を見せる二人に訝し気な視線を向ける。"血の粛清"事件とは農業共和国の政府本庁で現在の民主主義体制を打倒そうと勃発したクーデター。エルフやオークなどの人間以外の他種族が余り多く見られないこの国で、密かに息を潜めて留まっていたエルフ至上主義の過激派集団が政府軍やリヒトクライス騎士団と交戦し、多くの死傷者を排出した血生臭い事件であった。そして、この事件が起こったのは約2か月前。雷蔵たちが共和国へ入国して間もない時であった事を、彼は思い出す。
「その事件が、今回の件を関係している……と? 」
「はい……あくまでも僕が立てた仮設に過ぎません。ですが……」
「……どちらの事件も共通の主義思想を掲げた人間が起こしたもの、と言う事か」
フィルは彼の言葉に対して頷いた。
「加えて、拙者たちの追っている一団はその主義の氷山の一角に過ぎん、という仮説が立てられる。もし共和国全土に一定の人間がこの思想を信仰しているのなら……」
「我々は相当大きな組織を相手取っている……」
苦虫を嚙み潰したような表情をレーヴィンは浮かべながら、腿の上に置いた拳を強く握りしめている。本来国を守る為として設立した組織から国に混乱を招く人間が一定数存在している事。騎士団長としての自覚が人一倍高い彼女にとって、その事実は深く悔恨を残す事だろう。そしてレーヴィンは何か思い出したかのように俯かせていた顔を上げ、口を開いた。
「……そう言えば、昨夜ヴィクトール副隊長が私の部屋を尋ねて来てな。彼も貴殿たちと同じように、今回の事件についての話を持って来た」
「彼は何と言っていた? 」
彼女の真っ直ぐな視線が再び雷蔵から逸らされ、彼の胸の奥に宿っていた疑念が再び姿を現す。まさかな、と雷蔵はレーヴィンから放たれる言葉を待った。
「……"裏切り者は、意外と身近に存在している"。彼はそう言っていた」
「つまり……それは貴女の身近な人間が犯人、という意味ですか? レーヴィンさん」
いや、とレーヴィンは首を左右に振る。
「私にもその言葉の本当の意味を理解できなかった。ただ……ヴィクトールの奴はまるで黒幕を知っている様かの口ぶりだったよ」
「ヴィクトール殿が単純にレーヴ殿へヒントを与えたか……もしくは」
"彼自身が裏切り者か"。あまりに残酷な一言を雷蔵は呑みこみ、胸の内に仕舞っておく。だがこの場にいた全員が彼の言葉を察したようで、顔を俯かせていた。
ヴィクトール・パリシオ。リヒトクライス騎士団の四番隊でレーヴィンの副官を務める彼がエルフ至上主義に関して秘密裏に動ける事も納得できる。事実、レーヴィンやリュシアン執政官のような高位な役職に就く人物は先ほど彼女が行っていたようなデスクワークが主な仕事となっていた。雷蔵たちが初めて彼女たちと出会ったのは地方への派遣や市内での大規模な殺害事件・クーデターなどでしか現場に出る事は無く、彼らがレーヴィンと顔見知りになれたのは幸いの出来事だと言えるだろう。故に、印象・情報操作や実地での経験を積みやすいのは部隊の隊長の下に付く人間である副官やその部下たち。ヴィクトールが部下や同僚の情報について詳しかったのはこれらの事実の裏付けがあったからである。
「あの、大馬鹿者が……」
「……心中お察しする。だが、我々のすべき事は彼を悔やむことではなく……情報を聞き出す事。そうであろう、レーヴィン殿」
震えながら、彼女は頷く。無理もない。信頼していた部下から裏切られる事ほど、上の立場に立つ人間にとって辛い事はないからだ。
「でも、まだヴィクトールさんが犯人とは決まったわけじゃありませんよ。事実を確かめない限り、彼が裏切ったかどうかは闇の中です」
「僕のそう思います。……僕たちが彼を探し出しますから、レーヴィンさんはここでお仕事を。貴女の部下たちを混乱させてはならない」
「……分かった。ヴィクトールの事、お頼み申し上げる。もし彼と出会える事があるのなら、あの大馬鹿者をここに連れて来たく願います」
三人は苦し紛れに放ったレーヴィンからの言葉に頷き、客人用のソファから立ち上がろうとする。その時、ノックもされずに執務室の大きな扉が音を立てて開き、外から息の切らした若い騎士が駆けこんできた。おそらくレーヴィンの直属の部下なのであろう、彼の名前を呼んでからレーヴィンは床に倒れ込む騎士の下へと歩み寄る。
「ノックもせずに入るとはどうした。何か急用か? 」
「はぁっ……はぁっ……! ヴィクトール副隊長が……! 」
先ほど話題となっていた人物の名前を出され、雷蔵は背筋に悪寒が走るのを感じ取った。嫌な予感がする――。そして不幸にも、彼の感覚は若い騎士の言葉を当ててしまった。
「ヴィクトール副隊長が……失踪しました……ッ! 」




