第二伝: 剣の重圧
<農村・通行関所>
農業共和国イシュテンの北西部に位置する農村、オルディネールへ少年の案内を元に辿り着いた雷蔵たちは、農村の内部へと通ずる関所にて立ち止まっていた。この農村は他の集落よりも規模が大きく、共和国の交易を行う商人たちが通過する通り道ともなっている。雷蔵たちの前には農作物を詰め込んだ幾つもの荷台が並んでおり、それを運ぶ馬や牛の茶色い毛皮が視界に入った。
「なかなか圧巻の景色であるな。シルヴィ、もう少しの辛抱だぞ」
「ふぁ~い……はぁ……お腹空いた……」
「もし冒険者の方なら証明書を持っていればこの村に入れると思います」
先ほど彼らが助けた少年――フィランダー・カミエールの言葉に雷蔵は頷く。背中で呻き声を上げるシルヴィの身体を左手で支えながら、雷蔵は二人分の通行許可証を取り出した。雷蔵たちのような冒険者にはギルドという組合から正式に発行されている通行証や冒険者認定証などが配られており、これらにより国境を越える事が出来る。
「次! 」
彼らの目の前に鎮座していた荷車が動き始め、村の中へと入っていく様子を見ながら雷蔵たちが関所の門に立つ衛兵に呼ばれた。言われるがまま許可証を彼らの前に提示し、通行した記録を示すスタンプが押されると衛兵の一人が笑顔で雷蔵たちを招き入れる。
「そのお嬢ちゃん、どうかしたのかい? 」
「腹が空き過ぎてこの有様よ。どこか良い食堂など知ってはおらぬか? 」
「丁度いい、俺の実家がやってる店があるんだ。この門をくぐったすぐ先にあるよ。マッシュ食堂って名前だ」
「かたじけない。行かせて頂くとしよう」
二人分の通行証を懐に仕舞い、門が開くと同時に雷蔵はオルディネールの敷地内へと足を踏み入れた。小川のほとりに位置する水車付きの石小屋や、庭に菜園を設けた木造の長屋など、自然と一体化した長閑な光景が目に入る。雷蔵は思わず感嘆の声を上げ、思わず背中にいたシルヴィの身体を落としそうになった。
「ほう……これはなんとも良い村だ。拙者の故郷を思い出す」
「雷蔵さんの地元もイシュテンの領土内なんですか? 」
「うむ。しかしここから遠く離れた極東の地よ。それで、拙者たちはどこへ向かえば良いかな? 」
「一先ず衛兵さんから聞いた食堂に行きましょう。シルヴィさんもお腹が減ってるだろうし」
「お願いしまぁ……す……うぅ」
弱々しく返事をする彼女に戸惑いながらも、フィルは彼らを他の家よりも一回り大きな建物へと案内する。地面に立てかけられた看板には先ほど衛兵から紹介のあったマッシュ食堂という名前と共にボウルに盛り付けられた料理の絵が描かれていた。食堂に着いたせいか、建物の窓からは肉を焼いた香ばしい匂いと何かを似ているスープの芳醇な香りが雷蔵とシルヴィの鼻を刺激する。
「……この香りは……ごはんの匂いっ!! 」
「うおっ!? いきなり動くな、シルヴィ。落としそうになったではないか」
「何言ってるんですか! 早く行きましょうよ! ごはんが私たちを待ってるんですから! 」
「す、すごい元気だ……」
木製の扉を開いたその先には、多くの村人や昼休憩を取っているであろう衛兵たちがテーブル席に腰を落ち着けていた。先ほどの長閑な農村とは一変して、食堂の内部は活気づいている。雷蔵たちの訪問に気が付いたのか、カウンターに立っていた初老の女性が笑顔を浮かべながら手を挙げた。
「あぁ、空いてる席に座ってちょうだいね! あとで注文伺いに行きますから! 」
どうやらこの食堂の女将らしく、彼らは彼女の言う通りに空いている4人分の席へと座る。テーブルの上に置かれていたメニューを雷蔵の前に座ったシルヴィはいち早く抜き取り、ぎらついた眼で涎を垂らしながら一つ一つの項目を見繕っていた。
「余程腹が減っていたのだろうな……今度からはもう少し携帯食料を多く買い込むとしよう」
「そうですよっ! 雷蔵さんが大食らいだからすぐに無くなっちゃうんです! 」
「腹が減ったと赤子のように泣き散らして拙者の分を分け与えてもらったお主が言うか? 」
「ぐっ、そこを突かれると何も言えない……」
「あはは……仲良しなんですね、二人とも」
談笑している三人の会話を割って入るように、赤色のフレアスカートに灰色のシャツを羽織った上にフリルの付いたエプロンを身に着ける少女が彼らのテーブルへとやって来る。どうやらこの食堂に勤務しているウェイトレスのようで、笑顔を浮かべていたフィルに訝し気な視線を向けていた。
「いらっしゃいませ! フィル、何鼻の下伸ばしてるのよ」
「言いがかりは止めてくれよ、ルシア。すいません、雷蔵さん、シルヴィさん」
「いやいや、気にせずとも良いさ。それとルシア殿と言ったか、料理を頼んでも宜しいかな? 」
「あ、はい! 」
どうやら赤毛のウェイトレス――ルシアはフィルの知り合いらしい。雷蔵は麦酒とオムハヤシ、豆の塩ゆでの注文を即座に言い渡し、シルヴィは悩んだ末にじゃがいものポタージュと巨大骨付き肉のハーブ添え、加えて巨大マッシュルームのソテーを彼女に注文する。
「フィルはいつものやつでしょ? ほーんと、変わり映えしないんだから」
「なんだよ、僕はあれが好きなんだって。文句があるなら注文しないぞ」
「はいはい。それじゃ、すぐに御持ちしますので待っててくださいね! 」
彼女が去ると同時に雷蔵は隣のフィルへと視線を向け、無精ひげの生えた顎を撫でながら不敵な笑みを浮かべた。
「……ほうほう。フィル、お主もなかなか捨て置けぬのう」
「る、ルシアはそんなんじゃありませんって! ただの幼馴染で……」
「その割には随分と楽し気に話していた。ふふ、後でじっくり話を聞かせてもらおうじゃないか」
「ごめんなさいねフィル君。この人見かけによらず意外と噂だったり人の恋バナに目が無くて……」
見かけによらずとは失礼な、と言いかけた所で木製のジョッキと水の入った2つのコップを手にしたルシアが現れ三人の前に飲み物を置いていく。先ほどのシルヴィの言葉をもう忘れ、雷蔵はジョッキの中に入っていた泡を立てている金色の液体に目を輝かせていた。
「これが……噂に聞く"びいる"というやつか……。なんとも不思議なものだ、液体から泡が出ているぞ」
「あれ、雷蔵さんはビールをご存じないんですか? てっきり旅の方でしたから知ってるものかと……」
「拙者、恥ずかしながらこれを見たのは初めてでな……。では、早速一杯」
ジョッキを傾け、彼はビールを口の中へと注いでいく。炭酸の刺激的な感覚がまず最初に彼の舌を刺し、思わず目を見開く雷蔵。しかし、次に口内へと飛び込んできたのは得も言われぬ爽快感と液体が喉を通り抜ける重厚感。普段飲む酒とは全く異なる感覚に雷蔵は心地良ささえ覚え、あっという間にジョッキの中身を飲み干してしまった。
「ぷはーっ! なんという旨さ! 旅の疲れもあってか、酒が美味く感じるのう! 」
「い、一気飲みしちゃいましたね……」
「そんなお酒飲んで、後で酔っ払っても介抱してあげませんからね」
直後、三人の下に先ほど注文した料理の数々が運ばれてくる。空腹で死にそうになっていたシルヴィの目にはよほど輝いて見えたのか、料理が運ばれてからしばらく絶句しているようだった。
「どうした? 食べないのか? あれほど腹を空かしておったのにな」
「い、いやぁ……なんだかごはんが輝いて見えるんですよ……。錯覚ですかね……」
「早く食わんか。飯が冷めるぞ」
雷蔵の一言によって彼女は目を覚ましたように口に肉やマッシュルームを詰め込み、空腹を満たすためにより多くの食料を口に詰め込んでいく。当然のように喉に詰まり、引き攣った笑みを浮かべながらシルヴィは自身の胸を叩いた。フィルが水を渡してやるとすぐさま飲み干し、そして再び骨付き肉を頬張り始める。まるで獲物に食らいつく獣のように食事を行う彼女を見て、フィルは引き攣った笑みを浮かべた。
「はっはっは! 良い食いっぷりよなぁ! 拙者も負けてはおられん! 」
「あぁっちょっと! 二人して大食い対決しないでくださいよ! 」
ようやくフィルが食べ終わる頃には、二人は既に幾つもの皿を空にしており、長旅によって空いていた腹を満たす。膨れた腹を摩り、爪楊枝で歯に挟まった挽肉を取り除くと雷蔵は懐から硬貨の入った巾着袋を取り出した。
「ルシア殿、会計を行いたい。お幾らかな? 」
「ちょっと待っててくださいね……えーと、合計で4600ブランドになりますね」
「相分かった。釣りは要らぬよ、食事を楽しませて頂いた取り分だと思ってくれ」
巾着袋から銀色に輝く1000ブランド硬貨を5枚取り出し、空いた皿を片付けに来たルシアに手渡す。空席に立てかけていた二振りの太刀と脇差を革製のベルトに差すと、雷蔵は先に店を出た。彼に続くようにフィルとシルヴィも各々の装備を手にし――フィルはルシアに別れを告げながら、店の外へと姿を現す。
「さて、本当に今日はお主の家を使わせて貰っても構わぬのか? 」
「はい。助けて頂いた御恩もありますから、ぜひ使って下さい」
「ありがとうございます、フィル君。ようやく今日はベッドで寝れますよ、本当に助かりました」
昼下がりの日光を浴びながら、三人は村の商業地区から立ち去っていく。その姿を、一人の老人がじっと見つめていた事は、誰も知らない。
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<フィルの家>
「さあ、どうぞ。狭いかもしれませんか上がってください」
フィルの案内の下、村から少しだけ離れた静かな草原の上に建っている一軒家に雷蔵とシルヴィは足を踏み入れる。綺麗に片付かれたその居間にはテーブルと客人用のソファのみが鎮座れており、殺風景な印象を受けた。自身よりも一回り年の離れた少年が一人だけで暮らしている事自体に雷蔵は違和感を感じたが、余計な詮索はせずに案内された一人部屋に彼は笠と袈裟懸けにしていた風呂敷を床に置く。疲れ切った体をベッドの上に横たわらせ、雷蔵は深いため息を吐いた。
「雷蔵さん、お風呂を沸かしている最中なんですがどうしますか? 」
「あぁ、拙者は後で良い。シルヴィを先に入らせてやってくれ」
「分かりました」
部屋の壁越しにフィルが駆けていく音が聞こえ、彼は再び視線を部屋の天井へ戻す。イシュテンに普及している家庭用の風呂は近年、魔法技術の向上により僅かばかりの操作のみで簡単に風呂が沸く装置が普及しており、フィルの家もそれに該当しているようだ。昔のように火を熾して温度を人力で調節するものとは違うらしく、雷蔵はふと自らの故郷の事を思い出す。
「……いかんいかん。こう煩悩に囚われてしまっては剣先が鈍るというもの」
何を思ったか、雷蔵は壁に立てかけられていた太刀の柄を握った。黒塗りの鞘が夕日に反射して煌々と輝き、四角い黒鉄製の鍔がその存在を確固たるものにしている。雷蔵が放浪の旅を続けてから長年愛用している刀を差すと、彼は外へ出た。上半身に纏っていた胴着を脱ぎ、彼の筋骨隆々な身体が夕日の下に曝される。胸部や脇腹には痛々しい程の刀傷が出来上がっており、雷蔵は懐かしむようにその傷に触れた。放浪する彼を付け狙った山賊に傷を付けられた時の事や、路銀を稼ぐために傭兵として戦場を駆けた時の光景が彼の脳裏に浮かび上がる。そして記憶を全て掃うように彼は赤い柄巻が巻いてある柄を握り締め、刀を抜きはらった。刀を握ると同時に雷蔵の全神経が研ぎ澄まされ、銀の刀身を腰だめに構えると橙色に染まっていく。
「しッ」
上段に構えた状態から膝の高さまで振り下ろし、愛刀の重みが雷蔵の両手に圧し掛かった。両腕の筋肉が刀を振り上げるたびに膨張し、テープで貼り付けたかのように彼の手が柄に固定されている。直後彼はその場で素振りをするだけでなく動きに緩急を付け始め、左右に移動しながら自分の目の高さにある虚空を打つ。そのせいか、雷蔵はやけに背後から向けられる視線を感じた。研ぎ澄まされた神経を戻し、後方を振り向くと皮の鞘に仕舞われた両刃剣を手にしているフィルの姿が彼の両目に映る。
「フィル、拙者に何か用か? 」
「……雷蔵さん。いや、近衛雷蔵殿。僕を、貴方の弟子にしてはくれませんか」
フィルから発せられた言葉に、雷蔵は思わず素っ頓狂な声を上げた。夕風に茶髪を靡かせるこの若い男が、自分の弟子になりたいと言っている事が彼には信じられなかった。ましてや雷蔵はただの流浪の剣客に過ぎない。
「冗談は止せ、フィル。拙者は修行中の身でただの旅人に過ぎない。そんな拙者から学ぶ事など、何もないでござろう」
「冗談ではありません。僕は……。僕は強くなりたいんです。貴方に助けられた時、改めてそう確信しました」
真剣な彼の眼差しから察するに、ふざけて懇願している訳ではない事を雷蔵は理解した。初めてフィルに出会い、彼を魔物の手から救い出した時に握られていた剣はおそらく自分で修行する為のものだったのであろう。
「……なぜそう無我夢中で力を求める? 」
「僕の家族は最近多発している盗賊による襲撃で殺されました。目の前で、しかも嬲るようにあいつらは殺したんです」
フィルの家を最初に訪れた時の違和感に、これで理由がついた。無精髭を指でなぞりながら、雷蔵は腰に差していた鞘に刀を仕舞う。今まで平凡に生きてきた少年が復讐の為に剣を取り、人を殺める力を欲する。剣を取る理由としては、これ以上のものはない。――しかし。
「ならお主はより剣を取ってはならぬ。復讐を、悲しみを生む覚悟がお主にはあるのか? 」
「ぼ、僕は……! 」
「そこで戸惑うのなら、お主にはその覚悟がないという事だ。生半可な覚悟で人を殺めようとはするな、少年」
開けていた胴着を羽織り直し、雷蔵は立ち尽くすフィルの肩を叩きながらその場を去る。やけに照り付ける夕日を一瞥しながら、一人の少年を残して部屋の奥へと消えていった。