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ワンダラーズ 無銘放浪伝  作者: 旗戦士
第二章:銀騎士は紅に舞う
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第十九伝: その意思は天に伸びた剣のように

<騎士団寄宿舎・屋上>


 石造りの堅牢な城壁に囲まれたこの寄宿舎の屋上で、一人の男が半分地平線に顔を出した朝日を見つめている。薄い紅色に染まる空を仰ぎながら男、近衛雷蔵は風に靡く武道袴の袖の存在を肌で感じていた。明朝だというのにも関わらず、照りつける日差しは既に暖かい。


「うむ……朝の鍛錬のあとに見る日差しは格別よな。風がなんとも気持ちが良い」


 開いた胸元から入り込んだ涼風が上半身から滲み出た汗に当たり、右手だけで木刀を振っていた彼の身体を冷やしていった。剣の切っ先を地面に突き立て、杖にように柄を握る雷蔵は心地良い風を浴びながら一人思慮に耽っている。しかし、いくら涼風に当たっていても雷蔵の胸の中にある"もや"が取り払われる事は無い。今まで騎士団の人間と調査の為に行動を共にして来た彼が抱いたのは疑念だった。エルフ至上主義という思想をただ過激に信仰し、身近なありとあらゆる人間を手に掛けているだけか。それとも、それを利用し騎士団の転覆を狙った計画的な犯行か。三日という期間を経て雷蔵は俄かに怪しいと思われる人物に目星を付けていた。確証はまだ得られていないが、このトランテスタにも長くは滞在出来ない事も事実。既に彼の表情から余裕の一色は消えていた。


「……雷蔵、さん? 」

「ん? あぁ……」


 背後から名前を呼ばれ、雷蔵は振り向く。聞き覚えのある声を持つ若い少年――フィランダー・カミエールが薄手のシャツと運動用の動きやすい素材で作られた長ズボンを履いて其処に佇んでいた。


「お早う、フィル。どうかしたのか? 」

「いや、僕も丁度朝の訓練の終わりだったので……」

「そうか。お互い精が出るのう」


 確かに彼の手には雷蔵と同じような木製の剣が握られている。短めに切り揃えられた焦げ茶色の短髪の下には大粒の汗が幾つも浮き出ており、深いため息をつきながらフィルは雷蔵の隣まで歩みを進めた。


「やっぱり、まだ雷蔵さんみたく上手く剣は触れませんね。幾ら腕に力を入れて振っても、稽古を付けてくれた貴方の剣には遠く及びません」

「腕の力だけで剣を振ってはいかぬ。全身の筋肉の動きを把握し、自身の身体に最も適応する振り方と力の入れ方で振らねば、刃に敵を捉えた所で仕留められん」


 自然を口を動かしていた事に我に返り、雷蔵はハッとした表情を浮かべながら顎を撫でる。いかんな、頭を左右に振りつつ雑念を払うと彼は再び隣のフィルへ視線を向けた。


「むぅ……年を取ると如何せん説教臭くなってしまう。許せ、フィル」

「そんな事ありませんよ。僕にとっては有難い事です」

「そう思うてくれるなら幸いだ。しかしフィル、筋肉が段々を付き始めて来たのではないか? 」


 雷蔵の言葉にフィルは首を傾げながら空いた左腕の上腕二頭筋に視線を落とす。初めて彼と出会った時に比べて、彼の顔つきは既に勇ましいものへと変化していた。


「どうなんでしょうか……。僕自身、必死に稽古してるだけですし……」

「周りの事が見えなくなるほどに剣の鍛錬に熱中しているという事だ。自分の変化も含めて、な」

「稽古しか今の僕にやる事はありませんから。それに誓ったんです。大切な人を……ルシアを守れるように帰って来るって」


 人懐っこい笑顔を浮かべるフィルの双眸は、家族の死に苛まれていた過去のものとは明確に違っている。前だけを見ようと我武者羅(がむしゃら)に進もうとする、そんな若々しい希望に満ち溢れていた瞳だった。そんな彼の両目を見るなり、雷蔵は自身の胸の奥に生じた痛みを感じる。ひたすらに強さを追い求め続けた、嘗ての自分の姿を重ねているのかもしれない。馬鹿馬鹿しい、と雷蔵は胸の内でその感情を一蹴しつつフィルの肩に手を置く。手にしていた木刀が地面に倒れ、軽快な音を立てた。


「……良い面構えになったな。やはり、帰りを待つ女子(おなご)が居ると違うのか? 」

「あ、あはは……やっぱりバレてましたか……」

「当たり前よ。拙者は色恋沙汰に人一倍の聞き耳を持つ男だぞ? 舐めてもらっては困る」


 女性は男を強くする、とは言い得て妙である。しかしそれほど、雷蔵の目にはフィルが逞しく育っていっているように見えた。そしてしばらくの沈黙の後、雷蔵は閉じていた口を再び開く。


「……フィル。お主は、この戦いには参加するな」


 フィルの目が見開かれる様子が彼の方へ振り向かなくとも雷蔵には理解できた。


「どうして、ですか? 僕が……足手纏いになるから、ですか? 」

「それは違う。お主は確実に成長している。決して足手纏いになるからという理由では御座らん」


 雷蔵が頭を悩ませていたもう一つの事柄は、フィルをこの依頼に同伴させるかという事だった。

フィルの兄貴分であるレオからの依頼を請けた以上、彼を無事に士官学校へ入学させる事が彼にとって優先すべき事。故に、彼を自分たちの都合だけで巻き込んではいけない事は雷蔵が一番良く理解できた。


「じゃあなんで! 」

「お主を死なせる訳にはいかんからだ。 今回の事件に関しては規模が違い過ぎる。犯人を暴こうとするのならば確実に大規模な戦いになる筈だ。目の前で死なせるような真似はフィルにも、そしてお主を託したオルディネールの(みな)にも不義理を申し出る事になる……! 」


 柄にもなく声を荒げながら、雷蔵はフィルを睨みつける。


「先ほど、"ルシア殿を守れるように帰って来る"と言ったな。では、ここで死ぬつもりか? フィル? 」

「…………」


 事実、フィルの成長は目まぐるしいもので共に旅をしていた雷蔵でさえも驚かせる程の才能を持ち合わせていた。だが、才能が経験に勝る事は滅多にない。過去に雷蔵は同じ道場で修行した門下生が一瞬にして死んでいく様子を目の当たりにしていた。だからこそ、雷蔵は才のある人間をここで死なせたくはなかった。フィルは俯きながら両手の拳を強く握りしめた。そして何を思ったか彼は、手にしていた木剣の切っ先を彼の眼前に向ける。


「……なら。僕は貴方を倒してでもこの戦いに加わる。敵の力量が分かっていても向かっていった雄姿は立派だと、貴方は僕に言ったはずだ。僕は傷つく事なんて怖くはない! 僕は"同じ旅の仲間"が闘いの渦中へ飛び込んでいくのをみすみす見逃すほど、甘い男じゃない! 」


 思わず雷蔵は今のフィルに気圧され、そして彼の双眸を見つめた。何物にも染め上げられていなかった無垢な両目が、確かに怒りの色を露わにしている。


「確かに僕にはルシアやレオ、帰りを待っている村のみんながいる! でも、僕は僕自身に嘘をつきたくない。恩人である雷蔵さんとシルヴィさん、それに目指すべき目標であるレーヴィンさんやヴィクトールさんをもう目の前で見殺しにするのは御免なんだ! もうこれ以上、大切な人が死んでいくのを僕は見たくない! だから僕はここに来た! 」

「フィル……お主……」


 向けられた木剣の刀身を掴み、その剣先をゆっくりと降ろさせた。自嘲気味に笑みを浮かべながら雷蔵はフィルの頭に手を置く。


「……済まぬ。幾ら数日と言えど、お主が共に旅を歩んできた仲間だと忘れていた。この不義理を、謝らせて欲しい」

「……いえ。僕の方こそ、恩人に剣を向けてすいませんでした」


 互いに頭を下げ、そして雷蔵はフィルの前に腕を伸ばした。


「そして、改めて問おう。拙者たちと共に……また戦ってくれるか? 」

「……勿論です、雷蔵さん。恩人に恩を返せなくて、何が男でしょうか。僕は貴方たちを守る為に戦います。そしてこの事件の真実を共に暴く」


 同時にフィルも雷蔵から差し出された手を強く握り締める。再び彼は人懐っこい笑顔を浮かべ、そして寄宿舎の3階へと続く扉へ歩みを進めていった。


「"男子三日会わざれば刮目して見よ"、か。確かに……その通りであるな……」


 既に太陽は地平線から顔を出し、屋上に佇む雷蔵を照らし上げる。まるで、事件の真相も明るみにするように。

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