第十八伝: 裏切り者は彼女の名を知っている
<騎士団詰め所・レーヴィンの部屋>
同刻。シルヴィとの事件の調査を終え、自室に戻ってきたレーヴィンは自身が纏った銀の鎧の留め具を外し、上半身を覆っていた暑苦しい鉄の壁を脱ぎ捨てた。彼女の鍛え上げられた腹筋と膨れ上がった豊満な胸を包み込むのは汗で下着が透けた白いブラウスであり、胸元には高級な雰囲気を醸し出すようなフリルが付いている。ふぅ、と溜め込んでいた息を吐き出すと今度は下半身の鎧の留め具を外し始め、黒い革製のスキニーズボンが姿を現した。
「全く、何時になっても着慣れんものだな。鎧と言うのは……」
そんな事をぼやきながらレーヴィンは自室の箪笥を開け、汗ばんだ普段着から寝間着に着替えようと簡素な麻製のタンクトップとショートパンツを取り出す。ズボンの金具を外した後に締め付けられていた両脚の開放感を身体で感じながら皮のズボンを脱ぎ捨て、鍛え上げられた筋肉質の白い生足を露わにしながら短い丈の衣服に着替えた。
「こうも暑くては敵わん……」
汗で湿ったブラウスのボタンを外しながら彼女は下着だけの姿となり、胸元に出来た汗をその場にあったタオルで拭い去る。普段の凛々しい彼女には似つかない、白の可愛らしい下着を一瞥しながらレーヴィンは自嘲気味の笑みを顔に浮かべた。
「……よもや、騎士団長を務める女がこんなにも女性らしい身体つきをしているとは……誰も思わんだろう。やれやれ、騎士と言うのも些か一筋縄ではいかぬものだな」
鈍色のタンクトップに両腕を通し、ようやく外出していた鎧の姿から体を休ませる事が出来る服装へと着替え終わった彼女は自身の身体を取り巻く暑さを払拭しようと窓を開ける。涼しい夜風が彼女の全身を包み込み、汗を流していた事もあってか余計に涼しく感じたレーヴィンは柄にもなく部屋に備え付けてあった白い長方形の冷蔵庫から醸造酒の瓶を取り出し、冷凍庫から数個の氷を取り出した。全長が短いグラスに出来上がった水が凝固した塊を投げ入れ、その中に褐色の液体を注ぎ込む。酒によって氷が溶けていく心地良い音を耳にしながらレーヴィンはグラスを回し、その風味を嗅いだ。
「まあ、偶には良いか……酒に酔うというのも……」
グラスの縁を傾けてアルコール度数の高い液体を口に注いでも、彼女の頭の中からシルヴィの姿が離れる事は無い。嘗て仕えていた主が冒険者としてレーヴィンの元を尋ねている事が、彼女にはどうしても無念でならなかった。純白のドレスを身に纏っていた過去のシルヴィの姿は、女性であるレーヴィンでさえも魅了する気高さがあった。元々貴族の出であった彼女は母親を戦で失い、父親に男として育てられた結果、国の親衛隊に所属する立派な騎士となった。そしてレーヴィンがシルヴィと初めて邂逅した時、この姫君を守る為に自分は生まれてきたのだと錯覚するほど、レーヴィンはシルヴィに肩入れしていた――否。今も肩入れしている、という言葉が正しいだろう。しかし、現実はそうも上手く長くは続かない。一国の姫君とそれに仕える騎士という関係は瞬く間に崩壊し、今では立場が逆転してしまっている。
仕えた主を守れないで何が騎士か。
命を捧げる事を誓った姫君を危険な目に遭わせておいて、何が騎士か。誇り高い騎士という自覚はシルヴィの国が崩壊してしまっていてから、あっという間に崩れ落ちてしまった。
「シルヴァーナ姫……リヒトシュテイン王……。私は……不義理な騎士です……私は……」
国が無くなってから何度もレーヴィンは自らの命を自分の手で絶とうとしてきた。だが嘗て仕えていた王やシルヴィの顔を思い出す度に、彼女に自分の命を絶つことはできなかった。まだどこかで彼らは生きている。そんな願いに近い希望を抱きながら、レーヴィンは今まで生きてきた。醸造酒の熱い液体が彼女の喉元に注がれた瞬間、部屋の扉が何者かによってノックされる。火照った身体を覚ますかのように頭を左右に振り、露わになっていた両肩の上に薄手のジャケットを羽織ると彼女はドアノブを捻った。
「夜分遅くにすいませんね隊長――って、え? 」
「……む、ヴィクターか。どうした、何か用か? 」
扉の向こう側から人懐っこい笑みを浮かべて姿を現したヴィクトールは唖然とした表情を浮かべながら、目を白黒させる。そんな彼に疑問を抱いたレーヴィンは彼の視線の先を辿ると、その視線は確かに彼女の胸元へと向けられていた。酒によって紅潮していた頬が更に真っ赤になっていくのを感じ取ったレーヴィンは、ムッとした表情を浮かべながらヴィクトールを睨みつける。
「……目つきがいやらしいぞ、ヴィクター」
「い、いやあ! まさかぁ! 上司に欲情するわけ無いでしょう!? 」
「よ、欲情だと!? お、おのれヴィクター! お前其処まで下郎に堕ちたかっ⁉ 」
「ちょ、ちょっと落ち着いてくださいって! 俺ぁ単に明日の話でもしようと思っただけですよ! 」
露わになっている胸元を両腕で隠しても尚、彼女のスタイルの良さは隠れる事は無い。寧ろより強調されてしまっているせいか、対面しているヴィクトールも慌てて取り繕うように両手で自身の両目を覆い隠す。
「……ま、まあ良い。話があるんなら、入るといいさ」
「は、はいよぉ。お邪魔しまー……」
レーヴィンがヴィクトールを部屋に招き入れるなり、彼は再び呆れた表情を浮かべた。ヴィクトールが呆れるのも無理はない、現在の彼女の部屋は全く整理整頓がされていない状態であり尚且つ身に纏っていた鎧の数々が周囲に散乱している。
「あー! これはだな!? その……任務で掃除をしている暇がなかったというか……その……」
「……ま、完全にだらしなくなってたって訳ですな。あはは」
「う、うるさい! 酔いつぶれて帰ってくるお前よりかはマシだ! 」
「そこ言っちゃいます? まあ俺も弁解のしようがないんですけどねぇ」
笑顔を浮かべながら後頭部を掻くヴィクトールに詰め寄るレーヴィンは、再び彼に睨んだ視線を向けた。一先ず彼女は彼を客人用の椅子に座らせ、氷の入ったもう一つのグラスをテーブルの上に置く。状況が把握できていないヴィクトールを一瞥し、彼女は似つかない悪戯な笑顔を浮かべつつ彼のグラスに酒を注ぎ始めた。
「あっはっは……こりゃあどうも……。つか隊長も酒飲むんですねぇ」
「……私だって酒に酔いたい時もあるさ。後、二人の時はレーヴと呼べと言っただろう」
「……そうだったな、レーヴ」
不敵な笑みを浮かべながら置かれたグラスを手に取り、ヴィクトールは縁を傾ける。その様子を見ていたレーヴィンは手にした酒を再び口の中へ注ぎ込み、彼と対面する形で椅子に腰を落ち着けた。
「それで、話と言うのはなんだ? ヴィクター? 」
「――率直に聞く。あんたは、どっち側なんだ? 」
「どっち側、と言うと? 」
意地悪な人だねぇ、とヴィクトールは愚痴を零す。
「エルフ至上主義側か、それともその対抗組織の側か、って意味さ」
「……答えによっては、私を殺すか? ヴィクター? 」
レーヴィンの疑問は最もだった。彼女の武装していない姿に対して、ヴィクトールの身体には銀色の鎧、そして何よりも目を惹くのが腰にマウントされた剣。レーヴィンは壁に立てかけられていた剣に目配せしつつ、静かな笑い声を上げるヴィクトールをじっと見つめる。
「――やっぱりあんたは意地悪な人だ、レーヴ。副官である俺が騎士団の連中を手に掛けると思うかい? 増してや自分の部下を? 」
「さあな。だが言っておくぞ、ヴィクター。私はエルフや人間などと言った種族に左右されはしない。人々を守るリヒトクライス騎士団の団長として……公平な決断を下すまで。決して……自身の主義主張によって騎士団の動向は変わらない」
彼女の答えを聞いたヴィクトールは少しの間呆気にとられた表情を浮かべ、そして高らかに笑い声をあげた。その後彼は手にしていたグラスの中身を一気に飲み干し、深く息を吐く。
「……それでこそレーヴ、いや。名家ハートラント家のご子孫だ」
「!? お前、何故それを……! 」
レーヴィンは今まで自身の身分を隠してこのリヒトクライス騎士団に所属し、そして26歳という若さで騎士団長の地位へと上り詰めた。最年少の騎士団長として最初は周囲からの不安も多く見られていたが、現在は彼女を慕う者も増えていっている。だからこそ、自身の過去を明かした事のない彼女にとってヴィクトールに本当の正体を言い当てられたのは驚愕の事実であった。
「いやぁ、まあ。ちょっとした伝手からね。でも、安心してくれ。恩人であるあんたを俺は決して手に掛けはしない」
「……今までの態度で、簡単に信じられると思うか? 」
ヴィクトールは椅子から立ち上がり、彼女に背を向けながら扉を開く。
「ま、信じるかはあんた次第って事さ、レーヴ。だが、これだけは言っておくぜ」
浮かべていた笑顔から彼の表情は真剣なものへと豹変し、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。
「――裏切り者は、意外と身近に存在している」
そう言い残し、ヴィクトールは彼女の部屋を後にする。レーヴィンは悲し気な表情を浮かべながら先ほど彼が座っていた椅子とグラスを見つめ、そして儚げな視線を窓に向けた。
「ヴィクター……。お前は……」
ヴィクトールとの最初の出会いを思い出しながら、彼女は両手の拳を強く握りしめる。そんな彼らを嘲笑うかのように、グラスの中の氷が音を立てて溶け始めた。




