第十七伝: 真夜中の邂逅
<騎士団寄宿舎>
フィルとの合流を終えた後に彼らは昼食を済ませ、そこからは各自解散という形を取った雷蔵はシルヴィを連れて一旦寄宿舎へと戻る事にした。シルヴィとも別れた雷蔵は一人あてがわれた部屋に入った瞬間にどっと疲れが彼の身体に押し寄せ、着の身着のままベッドへと倒れ込んでしまう。そのまま眠り続ける事約7時間。フッと我に返った雷蔵はベッドから起き上がり、周囲を見回した。部屋の窓から見える景色は既に紺色の暗い空に覆われており、立て掛けられた時計を見ても針は既に夜の時刻を指している。雷蔵は呆れたように額に手を当て、ベッドから立ち上がった。
「……む? これは……」
眠気覚ましに冷たい水でも飲もうと雷蔵がテーブルのコップを手に取ろうとした瞬間、机の上に一枚の紙がコップの端に挟まれているのを見つける。"ねぼすけさんは寝ててください。私はレーヴィンさんと調査の続きに行って来ます"と綺麗な字体で描かれた紙を雷蔵は苦笑混じりに手を取り、水道の蛇口を捻った。このプロメセティアにも既に水道や電気といったライフラインが3ヶ国間全てに普及しており、これらの工業製品はヴァルスカから、水道や電化製品のエネルギー源となる"魔力核"はフレイピオスから輸入している。現代社会に普及している電化製品や自動化された製品は全てこの魔力核によって作動し、市民が簡単に魔力核を取り換えられるようにカートリッジ式に製作されていた。故に一定水準レベルの工業機器や技術は農業共和国であるイシュテンにも導入されており、特にトランテスタのような国境の付近に位置する大都市には一般市民も最新の機器を手に入れる事が出来ていた。
「誠、このように水が簡単に手に入るとは奇怪な代物よな。拙者が故郷に留まっている間、どうやら随分と技術が進歩しておったようだ」
そんな事を呟きながら彼は冷水が注がれたコップの縁を傾け、冷たい液体を口の中へ注ぎ込む。透き通ったような涼し気な感覚と味のしない液体が身体中を駆け巡るのを感じ、雷蔵はコップを手にしながら窓を開けた。真鍮製の鈍色の枠で囲われた窓は夜風と共に開き、雷蔵は涼風を全身で感じながら感嘆の声を上げる。寄宿舎の二階の部屋からは夜空を照らし上げるトランテスタの大通りの温かい光が景色の奥で幾つも見えた。
「眠らない街、とは良く言ったものよ。ここに酒でもあれば良い肴になるのだが……おっ。そういえば」
何かを思い出したかのように雷蔵は部屋に備え付けられているクーラーボックスの蓋を開け、深緑色の瓶と対面する。昨夜ヴィクトールと初めて出会い、そのまま酒場へ赴いた時の事だ。懐に"わいん"なるものを忍ばせていた雷蔵は襲撃の後に飲み直そうと考えていたが、結局旅の疲れのせいか眠ってしまったことを思い出す。
「これこれ。ヴィクトール殿には申し訳ないが……後で酒を奢ろう。では、早速」
彼が手にしていたものよりも薄い硝子で作られたワイングラスを手に取り、雷蔵は瓶の縁をグラスへ向けて傾けた。アルコールを含んだ深紅の液体が音を立てて透明な容器の中へと注がれ、果実から生成された独特の香りが周囲に漂う。雷蔵たちが赴いた酒場は相当良いものを仕入れているのだろう、交易街であるトランテスタならではの利点であった。
「ヴィクトール殿が言うには……確か、"ぐらす"なるものを回して酒をまずかき混ぜてから……。うむ、これで良いな。次に香りを楽しむ……」
ワインが入っているグラスを人差し指と親指で掴み、何度か中身を回転させた後雷蔵はグラスの中へ鼻を近づける。葡萄の芳醇な匂いが雷蔵の腔内を刺激し、彼はグラスに口を着けて液体を口へ注いだ。
「美味い……。故郷で飲んできたものとはやはり違うな……」
雷蔵の故郷は和之生国というイシュテンから離れた島国であり、固有の文化と風習が存在している。彼が普段口にする酒は米から生成された米酒というもので、果実酒とは違い柔らかい口当たりが特徴的な醸造酒であった。グラスの中のワインが半分にまで迫った頃、雷蔵は部屋の扉の向こう側に人間の気配を感じ取る。壁に立て掛けられていた愛刀・紀州光片守長政の太刀を手に取りつつ彼はドアノブを握り、扉を開けた。
「あっ、夜分遅くに申し訳ないっす。ここ、近衛雷蔵さんのお部屋であってるっすよね? 」
「あ、あぁ……。お主は一体……? 」
扉の向こう側にはパーマがかった黒いボブカットを揺らす女性であり、彼女はリヒトクライス騎士団の正式装備である銀色の鎧を身に纏っている。猫の様な可愛らしい双眸には似つかない二振りの短い両刃剣を腰に差し、雷蔵はグラウンドでレーヴィンと激戦を繰り広げていた副官だと確信した。
「イングリット・マルギースっす。レーヴィン隊長の副官を務めてる騎士っすね」
「あぁ、拙者がレーヴィン殿と戦う前に剣を交わしていた騎士か。して、某に何用か? 」
「お話しするんで部屋に入れてほしいっすね。いいっすか? 」
うむ、という返事と共に雷蔵はイングリットを部屋に招き入れる。彼女は女性特有の石鹸の匂いを漂わせながら彼の部屋へと入り、敵意が無い事を示す為に両腰に差していた剣を椅子の上に置いた。
「……それで、拙者に用というのは? 」
「いやぁ、私も雷蔵さん達が請けた依頼をお手伝いされるように言われたんすよ。勿論、リュシアン執政官からっす」
「ほう、そうであったか……いやはや、お主のような強者が仲間になってくれるとは何とも心強い」
雷蔵の言葉にイングリットは照れ臭そうに頭を掻き、頬を紅潮させる。
「えへへ……隊長とほぼ互角の戦いを繰り広げたお侍さんに褒められるなんて嬉しいっす。さっきの戦いも見させて頂いたっすけど、本当に凄かったっすね」
「そう言われると悪い気はしないな。お主のような使い手に言われると尚更だ」
「へっ? わ、私は単なる副官っすよぉ」
そう謙遜するな、と雷蔵は言葉を続けた。
「その短剣の柄から察するに、お主は相当修行を積んでいるように見える」
「ど、どうしてそれを……? 」
「柄に巻いてある包帯が年季の入ったものに加えて、お主の手形が染みついておる。そのような努力を重ねてきた様子を見抜けず、何が侍か。その歳で副官を務めて事も頷けるな」
再び投げかけられた雷蔵の褒め言葉に、イングリットは再び照れた表情で顔を俯かせる。雷蔵は手にしていた刀を壁に立て掛け直し、テーブルの上に置いてあったワインの瓶を彼女に向けた。
「あっ、私はいいっすよぉ。下戸なんでお酒飲むとすぐに酔っちゃうっす……」
「むぅ。そうか。お主のような可憐な女子と酒を飲み交わせる良い機会と思ったのだが……」
「も、もう! 止めてほしいっす! 私そんなつもりで来たんじゃないっすからね!? 」
「ははは、すまんすまん。して、お主の存在はシルヴィは知っておるのか? 」
慌てて弁解するイングリットは、一旦自身を落ち着かせた後に雷蔵の問いに頷く。
「雷蔵さんの部屋に来る前に挨拶してきたっす。いやぁ、本当に美人さんでしたねぇ。……雷蔵さん、彼女こそ手を出さなくていいんすか? 」
「ば、馬鹿を言うな! 彼女はそういう対象じゃ……ううむ。やはり、お主もそう思うか?」
今度は雷蔵自身が頬を紅潮させる羽目になり、彼は頭を掻きながら目の前の少女に尋ねた。イングリットも彼から見ればかなりの美少女である事には違いない。言ってしまえば昼に対決したレーヴィンも一般女性の中ではかなりの美貌を持っていると言えるだろう。突如として投げかけられた疑問にイングリットは満面の笑みで頷き、彼の右肩を掴んだ。
「そうっすよぉ! シルヴィさん、かなり可愛いっすもん! やっぱり同じ女性としては、雷蔵さんと何か関係を持ってるのかなと思っちゃうっす」
「……彼女はただの旅仲間だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「えぇ~? 本当っすかぁ~? 」
向けられた冗談めいた視線に雷蔵は肩を竦める。
「そうだ。それよりも、用はそれだけか? そろそろ酒盛りの続きを洒落込みたいのであるが……」
「はいっす。今回は挨拶だけっすね」
雷蔵は椅子から立ち上がった彼女を玄関先まで送り、扉を開けてやる。イングリットは礼を述べながら部屋の外へと出ると、口を開いた。
「なんで、明日は朝から調査を開始するっす。遅れないでくださいね? 」
「委細承知仕った。ではな、イングリット殿」
「おやすみなさいっす~」
そんな緩い声を上げながら、彼女はその場から立ち去っていく。別れを告げた後に雷蔵は扉を閉め、テーブルの上に置いてあったワイングラスを再び手に取った。
「……中々、面白い女性であったな」
そう言い残しながら、彼は再びグラスの縁を傾けた。




