第十五伝: 石火春雷、龍虎相搏つ
<リヒトクライス騎士団詰め所・グラウンド>
両者の大喝と共に、戦いの火蓋は切って落とされる。鞘に左手を掛け柄に右手を置いた雷蔵は腰を深く落とした体勢から一歩も動かず、視線の先に佇む銀の鎧を身に纏った女騎士を見据えた。対峙する騎士――レーヴィン・ハートラントは右手にした銀色の光を放つ両刃剣の切っ先を地面に向け、左手に握った逆三角形の強固な盾を胸の前に構えている。雷蔵の目から見て、レーヴィンはこのイシュテン共和国で戦ったどの敵よりも強い。剣を抜いてから構えるまでの動作に映る際に一切の無駄が見られなかった事に加え、盾を前に突き出す事によって防御の構えを取ったまま相手との距離を詰められる。攻守一体の体勢を迷いなく行う彼女は、間違いなくトップクラスの強さと言えるだろう。
(――――だが)
"だが、心は躍っている"。何の迷いも無く、雷蔵は自身の心境を確信した。これだけの強さを持つ相手に対して、侍を名乗る以上は強敵との邂逅は期待せずにはいられない。自然と彼の口角は吊り上がり、刀を握る力が強まる。
「……なぜ、笑っている? 」
向かい側に立つレーヴィンから聞かれた時に初めて、雷蔵は自分が笑っていた事に気づく。自然と口元へ刀を握っていた右手を翳し、無理やり笑みを消そうと頬へ手を伸ばした。
「失敬。強い相手との対峙に、自然と笑っていたようだ」
「そうか。奇遇だな、雷蔵殿。私も丁度――」
何かを言い切る寸前でレーヴィンは雷蔵との距離を一気に詰める。真正面から向けられた特大の殺気を本能的に感じ取り、彼は再び右手を刀の柄に戻した。
「胸の高ぶりを感じていた所だッ‼ 」
下方から伸びてきた銀の凶刃とかち合うように、雷蔵は時を合わせて中腰の体勢から抜刀する。愛刀、紀州光片守長政の刀身とレーヴィンの剣が一度だけ火花を散らし、彼女は後方へ飛び退いた。
「やるな、雷蔵ッ! 」
「レーヴィンこそ! 」
笑みを浮かべつつ雷蔵は弾かれた刀を握った腕を顔まで運び、切っ先を対峙したレーヴィンへと向ける。霞構え、という独特の構えから上段に構えた日本刀を彼女の喉元目掛けて突き出した。しかし彼が両腕に感じたのは肉の感触でも弾かれた鉄の感触でもなく、聞き心地の悪い金属同士が擦れ合う感触。左方から感じた強大な殺気に雷蔵は咄嗟にその方向へ視線を傾け、向けられた銀剣の切っ先と対峙する。
「……ッ⁉ 」
「遅いッ‼ 」
咄嗟に首を右方へ傾けて突出された剣を避け、剣腹と頬を肉薄させた。魔法の膜に包まれている剣と言えど、真剣を使用している。故に殺気は実戦と同じものに変わりはない。雷蔵は腰を右方向へ捻転させ、身体を回転させた反動で刀を横一文字へ薙ぐ。彼女の剣と雷蔵の愛刀が火花を散らし、けたたましい音と共に彼の両腕に衝撃が走った。刃を交えた先でレーヴィンと目が合い、彼は刀を握る力を強めていく。女性とは思えない程の力で均衡する両者の距離は依然として縮まったままで、鍔競り合った銀剣を弾いた。
「ちッ」
レーヴィンからの舌打ちを一瞥、その後雷蔵は斜め右上段へ刀を振り下ろす。突き出された盾で彼女はこれを迎撃し、再度魔法膜が衝突した拍子にスパーク音が周囲に響き渡った。
「はぁッ!! 」
彼女の気迫の一喝と共に雷蔵の下腹部を狙った斬り上がりを彼は双眸に捉え、すかさず切っ先を地面へ向ける事で愛刀の方向を変える。下段で両者の得物が再び激突したと同時に雷蔵は彼女の剣を受け止めたまま、右足を一歩前で踏み込んだ。レーヴィンの顔が眼前に近づいた時、雷蔵は刀を振り上げる事なく握った柄の頭を彼女の鳩尾目掛けて突き出す。人体の弱点を狙ったこの一撃を彼女は雷蔵の右肩を蹴って飛び上がり、後方へ回転しながら彼との距離を取った。
「愉快、実に愉快ッ! 此度の戦いは、某の魂が滾るッ! 此の巡り合わせに礼を述べよう……! 銀騎士ィッ‼ 」
「如何やら貴公と私は気が合うらしいな……! こんなに歓びを感じたのは久々だ! 異国の侍ッ‼ 」
周囲に立っている若い騎士たちやシルヴィたちの視線を忘れ、雷蔵は高らかに笑い声を上げながら再び刀を構え直す。両手に握った愛刀を左方の上段に構え、四角形の鍔を自身の口元の前で制止させると反り立った刃を対峙するレーヴィンへ向けた。八相の構えと呼ばれるその体勢は先ほどの霞構えとは違い、寸分の隙も彼の身体から創り上げない。左足を大きく前で踏み出した所で雷蔵は彼女を見据え、高まる鼓動を抑えるように口を噤む。
(来る――! )
雷蔵が前方から莫大な殺気を感じ取った瞬間、身に纏った鎧の重さを感じさせない速さでレーヴィンが両手に銀の両刃剣を握りながら彼との距離を詰めた。バスタードソードと呼ばれる彼女の愛剣は片手でも両手でも握れるように設計された西洋剣の一つであり、盾を持ちながらの攻撃や一撃に重きを置いた剣撃のような戦況に応じて臨機応変に対応できる武具である。
「ッらァっ‼ 」
故に、先ほど受け止めた片手による一撃よりも遥かに重厚な縦一文字の斬撃が雷蔵の両腕に圧し掛かった。自然と両足に力が入っていくのを感じ、再び雷蔵は顔を突き合わせながらレーヴィンと鍔競り合う。かつてないほどに、雷蔵は腹の底から湧き上がる感情。おそらくレーヴィンとの実力差は無いに等しく互いが違った道を窮めた結果がこの出会いであろうと、雷蔵は胸の奥で確信した。
一合。至近距離で睨み合った状態から彼女の剣を弾き、空いた胴体に右斜め上方から刀を振り下ろす。
二合。袈裟斬りを左腕のヒーター・シールド――歩兵用に設計された小型の盾によって受け流され、次に反撃として繰り出された銀の斬撃を斜に構えた刀の刃を返して此れを迎撃した。
三合。再び隙を創り上げた胸部目掛けて刀の切っ先を向け、柄頭に翳した右手に力を入れて押し込むような形で刀の先を突き立てる。
幾つもの剣戟を彼らは一瞬で繰り広げ、両者の繰り出した刃は体に触れる事すら叶わない。設立されたフィールドの中心で斬り結ぶ彼らは剣を打ち合わせる度に火花と共に汗を散らし、一合、また一合と鎬を削る回数を増やしていく。
「はァァァァッ‼ 」
「ッおぉォォォォォォッ‼ 」
大喝と共に雷蔵はレーヴィンの脳天を狙った縦一文字に刀を振り下ろした。彼女の頭上に掲げた盾によって大きな金属音と共に彼の胴体はがら空きになり、獲物を見つけた猛獣の如くレーヴィンの刺突が襲う。
「くッ」
急遽盾から刀を離し、後方へ飛び退こうと柄を握る両手の力を弱める雷蔵。しかし再び出来上がった隙をレーヴィンが逃すはずもない。鈍い音と共に突き出されたバスタードソードが彼の腹部を捉え、肺の中に溜め込んでいた空気が強制的に口から吐き出される。魔法の膜でコーティングされている以上、銀の刃が雷蔵の体内に侵入する事は無いが風を纏った速さの突きは彼の体勢を崩す事は容易であった。胃の中に溜まっていた消化物が吐き出される嘔吐感を感じつつも雷蔵はそれを堪え、彼女の次の攻撃に備えようと再び柄を握り直す。直後彼の見た光景は、額目掛けて今にも剣を突き出そうと飛び掛かる銀騎士の姿だった。
「でやァァァァッ‼ 」
だが、それに気圧される程雷蔵の戦意は削がれていない。眼前に迫る刺突を横殴りの斬撃で切っ先を逸らし、両手首を返して斜め左方へ刀を振り上げる。コーティングされた刃は飛び上がった彼女の肩口を捉え、レーヴィンの鎧からスパーク音と共に火花が散った。そして両者は互いに距離を取り合い、再び得物を構え直しながら睨み合う。
「その剣捌き、そして相手を斬る事に迷いのない意思。誠、お主は手練れの騎士よ。戦場で出会おうていたら、確実にお主が拙者を殺めていた事だろう」
「良く言う。 全て対応しておいて、そう謙遜される事も無かろう。ここまで強い相手を目前にしたのは初めてだ、雷蔵」
「畏れ入る、レーヴ。しかし、豈図らんや某には余り刻が無い。お主のような心躍る相手と巡り会えたのは偶さかな事。だが――」
会話を切るかのように雷蔵は今一度愛刀を鞘に納め、深く腰を落としながら鯉口を切った。対するレーヴィンは少しだけ呆けた表情を浮かべた後、そんな彼に感化されるかの如く口元に笑みを浮かべながら銀剣を右手で握り、そして盾を胸の前に構える。
「――次で仕留めさせて頂くぞ。レーヴィン・ハートラントォッ‼ 」
「いいだろう……。さすがは私の見込んだ武士……相手にとって、不足は無いッ‼ 」
彼女の言葉を合図にするかのように、雷蔵は大きく前方へ出した右足を軸に地面を蹴り対峙したレーヴィンとの距離を一気に詰める。そして一度切りの金属音と共に、両者の勝敗は決定した。




