第十四伝: 火花
<騎士団詰め所・執政室>
夜が明けた翌日の朝の事。日が昇ると同時に雷蔵とシルヴィはヴィクトールに呼び出され、寝ぼけ眼を擦りながら彼らはやけに冷え切った空気を肺の中に取り込む。何やら依頼の事でヴィクトールたちの上司である執政官から直々に呼び出されたらしく、今回協力するにあたって話を通す必要があるらしい。
「いやぁ、ごめんねぇ。他の若い隊員はパトロールだったり任務中で、隊長は坊主の騎士学校案内で出払ってるしさぁ……おっさんしかいなかったわけ。こんなおっさんを朝から見せて悪いと思ってるよぉ」
「そ、そんな事ないですよ! ヴィクトールさんはナイスミドルですって! 朝から眼福です、眼福! 」
「……一回りも年下の女の子にフォローされるとなんだか複雑……」
何故か肩を落とすヴィクトールの姿を面白おかしく感じたのか、雷蔵は空いた右手で彼の肩を叩く。
「まあ気にするな、シルヴィもオヤジを見るのは慣れている。……はっ、拙者ももうオヤジと呼ばれる歳なのか……」
「えぇ……なんで勝手に傷ついてるんですか……」
「時々お茶目だねぇ、このお侍さんは」
笑い声を上げながらヴィクトールはこげ茶色の重みのある扉の前に立ち、右手でドアを何度かノックした。「リヒトクライス騎士団第四番隊、ヴィクトール・パリシオ副隊長であります。例の二人をお連れしました」と普段と違う丁寧な口調で言い放つと、城壁のような重圧を放つ扉から応答の声が聞こえる。彼が扉を開けると雷蔵の視界は多くの蔵書が綺麗に並べられた幾つもの本棚に覆われ、部屋の中心に整頓されたデスクチェアに座るローブ姿の中年男性が立ち上がった。
「良くぞお越し下さいました。リヒトクライス騎士団第四番隊、執政官のリュシアン・クラークと申します」
「拙者は近衛雷蔵と申す者。お忙しき中謁見の御許しを頂き、この場を借りて御礼申し上げる」
「私はシルヴァ―ナ=ボラットって言います。お話は通っているとは思いますが、彼と旅をしている冒険者です」
雷蔵とリュシアン、それにシルヴィは互いに握手を交わした後客人用の革製のソファに腰を落ち着ける。柔らかい感触に思わず雷蔵は感嘆の声を上げ、寄りかかろうとした所をリュシアンに見られたせいか慌てて背筋を正した。
「もしや、このような椅子に座るのは初めてで? 」
「……お恥ずかしながら……。ですが名前は存じ上げております、"そふぁ"と言う椅子で御座いましょう」
「流石、旅をしているだけあって物知りですね。これなら騎士団の中で起こっている問題をお任せしても大丈夫そうですな」
優雅に笑みを浮かべながらリュシアンは自身の机からクリップで留められた書類を彼らの前に置く。ヴィクトールの姿が見えない事に若干の違和感を覚えつつ、雷蔵はその紙束を手に取った。
「これは……」
「雷蔵さん達がここを訪れるよりも前に起こった事件を纏めた資料です。依頼に役立つと思いまして、今回ご用意させて頂きました」
「かたじけない。忍びの真似事ではありますが、全力にて落着に当たらせて頂きます」
隣のシルヴィが何故か訝し気な視線を雷蔵に向けているが、彼はそれを一瞥して周囲を見回す。すると突然彼らの前に座っていたリュシアンがソファから立ち上がり、部屋の奥へと消えていった。
「……雷蔵さん。何か胡散臭いと思いませんか? 」
「ほう、ならば存念を聞こうか」
「まず私たちの存在をまるで前から知っていたかのような対応。それに、本来ならヴィクトールさんもこの場にいるべきです。でも……」
「……彼が何か暗躍している、お主はそう言いたいのだな」
雷蔵の言葉にシルヴィはコクリと頷く。部屋の奥から足音が聞こえると顔を寄せ合っていた状態から二人は元の体勢に戻り、リュシアンに疑われる事なく彼を出迎えた。リュシアンは銀のプレートを手に現れ、その上には4つのティーカップが乗せられている。
「どうぞ、粗茶ですが」
「かたじけない。ヴィクトール殿はどこへ行ったのかな? 」
「彼なら少し用を足してくると言って出て行きましたよ。しばらくしたら戻ってくるでしょう」
なるほど、と彼に告げ雷蔵は差し出された紅茶を啜った。焙煎された茶葉の香ばしい風味が口に広がり、起床したばかりの彼らにとっては優しい口当たりのもので美味しさに感嘆の声を上げる。
「喜んで頂けて何よりです。では、本題に戻りましょうか」
雷蔵はテーブルの上に置いた資料を再び手に取り、拍子を捲った。
「最初にこのような事件が勃発したのは1週間前の事でした。任務を終えた小隊全員が何者かの手によって誘拐され、未だに見つけられていない状況下にあります」
「なぜ彼らは街道にいたのですか? 失礼ながら言わせて頂きますが任務と言えど、トランテスタを守るのがこの騎士団の役割では? 」
「第四番隊は主にトランテスタ近辺の農村へ騎士を派遣し、各地の治安を衛兵と協力して守るというのが任務になっています。ですので、彼らはその派遣任務の帰還の最中だったのですよ」
リヒトクライス騎士団はイシュテン共和国の中心都市、ラテアポリスに本拠地を置く治安維持部隊である。全部隊を8つの隊に分けて構成しており、レーヴィンの所属する第四番隊は主に設置された詰め所の近辺を監視し犯罪行為が行われた場合は共和国法と都市法に従って執務を執行する実働部隊となっていた。故にオルディネールや他の農村のような人口が比較的都市部よりも少ない田舎の方へ騎士団が派遣される事は何らおかしくない事であり、リュシアンの弁明は理にかなっている。
「なるほど……次の事件は? 」
「次に起こったのはトランテスタ内での失踪でした。一人の騎士……彼は10人兵長という所謂中間管理職の立場に当たる人間で、これも未だに見つかっていません」
リュシアンの言及した事件のページまで資料を捲ると、トランテスタにある路地裏の一つであろう写真が掲載されていた。道端に落ちていた騎士団の紋章や、血痕の写真も同じページに載せられており少なからず戦いの痕跡はあったと予測できる。
「事件の共通点としてはいずれも被害者が失踪し、その後の身元や消息が掴めていない事です。もう一つ上げるのなら全て被害者は騎士団の人間、という事でしょうか」
「と、なると犯人は騎士団の内部、又はその職務の内容を知っている人間に限定されますね……」
シルヴィの言葉に雷蔵は頷いた。昨夜ヴィクトールとの会食を知っていた上で二人を襲撃したのもリヒトクライス騎士団の鎧を身に纏っていたエルフに出会ったことを同時に思い出し、雷蔵は顎に手を当てる。その後も淡々とリヒトクライス騎士団で起こった事件の数々をリュシアンから告げられ、雷蔵は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。騎士団の内部破壊を目論んでエルフ至上主義という偏った思想を持ち出しているのか、はたまた単に危険な思想を掲げているだけなのか。雷蔵には当事者の行動心理が全く読み取れず、唸るような素振りを見せた。
「以上が我々の集めた情報になります。お役に立てれば幸いです」
「かたじけない。全身全霊を以て、この忌まわしき事件の解決に当たらせて頂く」
「有難いお言葉です。では、私は執務が残っていますのでこれで失礼します」
口元に生えた見事な銀色の髭を撫でつつ、リュシアンは椅子から立ち上がり彼らを部屋の出口へと招く。彼の先導の下雷蔵たちは執務室を出ると、部屋の外にいたヴィクトールがにやけ顔を浮かべながら二人の前に姿を現した。
「よっ、どうだった? 」
「どうだったって……どこに行ってたんですか? 姿が見えなかったからお話終わっちゃいましたよ」
「ごめんごめん、この歳になるとトイレが近いもんでね。雷蔵も分かるでしょ? 」
「……まあ、分からんでもないが。だが話を進めてきたのはお主だ、途中で居なくなるのは解せんな」
雷蔵の言葉にヴィクトールは肩を竦めながら、「手厳しいねぇ」といつも通りの不敵な笑みを浮かべる。
「まあ堅苦しい話はここまでにして、朝の運動がてら詰め所のグラウンドにでも行かないかい? 今若い衆が訓練してる最中なんだ、多分隊長もいるよ」
「むう……。良いだろう、この事は不問にしておく。一先ずその広場に向かおう。手合わせ……とはいかなそうだな……」
「めちゃくちゃ残念そうじゃないですか……。ほんと頭は筋肉でできてるんじゃないんですか? 」
「そう言ってくれるな、シルヴィ。武士である以前に拙者は男、戦いを目の前にしたら興奮するというのが性よ」
そのまま彼らは重厚な煉瓦製の廊下を歩き、外へと消えていく。扉を開けたその先には朝日と涼し気な風が彼らを迎え、眠気を覚ます様に涼風が3人を包み込んでいった。
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<騎士団詰め所・グラウンド>
「お、やってるやってる」
ヴィクトールの言葉と共に雷蔵とシルヴィは土と草の入り混じった大地を踏み締め、人だかりができているグラウンドの中心へと向かう。輪の中心へ近づいていく度に鋼と鋼のぶつかり合う音が数回に及んで周囲に響き渡るが、雷蔵にとって耳を塞ぎたくなるような金属音でさえも心地良く思えた。余程身体が鈍っていたのだろう、彼の本能は闘争を求めている。
「せいッ!! 」
グラウンドの中心に設立された闘技場を囲む若い騎士たちを掻き分け、ヴィクトールとシルヴィを引き連れた雷蔵は広場の両端に二人の騎士が各々の得物を手に互いの距離を詰めようとしているのを目の当たりにした。
「あれは……」
「うちの隊長ともう一人の若い衆だな。いやぁ、相変わらずお好きなこった」
「お主は混ざらんのか? ヴィクトール殿も副官であろう」
雷蔵の問いにヴィクトールはひらひらと手を軽く振って呆れた表情を浮かべる。そんな彼の後ろで二本の短剣を逆手に握った若い女性騎士の一人が、対峙するレーヴィンから放たれた横薙ぎの斬撃を上方へ飛び上がって躱していた。すれ違いざまに彼女はレーヴィンの左方へと剣の切っ先を突き出しているが、左手に握られていた逆三角形の盾によってこれを防ぐ。
「またまたぁ。あの2人は騎士団の中でもかなりの武闘派よ、俺みたいなおっさんが手出しできる程甘くないって」
「ふーん……ま、見た所ヴィクトールさんは後方での支援が得意そうですもんね。運動苦手そうだし」
「ははは、まあそういう事さ。――お、噂をすれば終わったみたいだねぇ」
ヴィクトールの言葉と共に闘技場の方へ再び視線を向けると既に決着が付いていたのであろう、二人の騎士は元の場所であった両端のフィールドにて互いに頭を下げていた。するとレーヴィンの方が雷蔵たちの姿に気づいたのか、「雷蔵殿! 」と彼の名前を呼ぶ声が聞こえる。周囲の騎士たちの視線が真っ先に雷蔵たちへ集中するが、向けられた視線を全て一瞥すると雷蔵は隣のシルヴィへと目を向けた。
「……シルヴィ。回復魔法を拙者の肩に掛けてはくれまいか? 」
「えっ? で、でも……」
「ははん、そう言う事ねぇ。全く、あんたも本当にお好きなこって」
呆れた様子のヴィクトールに笑みだけ浮かべ、雷蔵は自身の左肩を覆っていた包帯を自らの手で解き始める。純白の布が緑色の草原の上に音もたてずに落ちると同時に彼の痛々しい痣の数々が露わになった。
「――はぁ。どうなっても知りませんからね。乾坤の水面、彼の過ちを汝の魔を以て接合せよ」
同じく呆れ顔を浮かべるシルヴィは雷蔵の左肩に両手を当て、翳された手のひらから水色の淡い光が彼の傷を包んでいく。直後シルヴィと雷蔵の周囲に魔法文字の描かれた二人の身体を包み込むほどの大きさを持つ魔法陣が形成され、巨大な方陣は次第に雷蔵の方へ向けて縮小されていった。
「癒せ、針の痛覚」
どよめく周囲を一瞥し、魔法陣が消えたと同時に雷蔵は左腕を縦へ一回転させる。何も痛みが無い事を確認した彼は、「よし」という快活な声と共に闘技場へと単身歩いて行った。
「無理はしないで下さいよ! 持って10分ですからね! 」
10分もあれば上出来だ、と言わんばかりに雷蔵は背を向けたまま右腕を上げてシルヴィの声に応える。彼自身も戦う気など毛頭持ち合わせていなかった。しかし、有り余った闘争心と彼の胸の内に秘めていたレーヴィンへの想いが、彼の身体を自然と闘いの場へ運んでいく。対するレーヴィンも驚きを隠せない様子を見せたが直後、雷蔵の意思を汲み取った人形のように整った顔には似合わない不敵な笑みを浮かべ、彼女の隣に立っていた若い騎士に銀の盾と両刃剣を差し出した。
「……僭越ながら雷蔵殿。武器を一度だけお預かりたく申し上げます。模擬戦ですので、防護魔法をば」
「相分かった」
腰に差した黒塗りの二本の刀――紀州光片守長政を鞘から抜いて彼に話しかけてきた騎士に手渡し数秒の詠唱の後雷蔵の愛刀は微かな白の光を放つ魔法の巻くに包まれて返ってくる。左腰に掛かった鞘に刀を納め、雷蔵は再び左手を太刀の柄の上に置くと数十メートル先に立っている美しい金髪の女性を見やった。
「貴公がこのような催しに参加するなど意外だな、雷蔵殿」
良く言う、と雷蔵は彼女の言葉を笑う。
「お主の身体から溢れる闘気を感じ取れぬ程、拙者も鈍くはない。それにお主の目は拙者と刃を交えたいと物語っていたがな」
「……それは、貴公も同じことでは? 」
不敵な笑みを浮かべ続けるレーヴィンに言い当てられ、一瞬だけ雷蔵は虚を突かれた。直後彼女と同じように口角を吊り上げ、深く腰を落とす。
「――既に、言葉は不要か」
雷蔵に感化されたのか、レーヴィンも盾を胸の前に突き出し剣の切っ先を落とす。言葉など雷蔵にとってこの最高の空間を邪魔する障害でしかなかった。"戦いを前にしたら誰だって滾る"――――。先ほどシルヴィに放った言葉を体現するかのように、雷蔵は腰を落とした体勢のまま刀の柄に右手を掛ける。
「いざ、尋常に――」
「勝負ッ‼ 」




