最終伝: 雷蔵と呼ばれた男
<魔道連邦フレイピオス>
男は、目を覚ます。
地面に寝かされていた身体を起こし、周囲を見回した。
雲一つない青空。
木々が生い茂り、小鳥のさえずりが心地良い。
自分はきっと、天国にいるんだろう。
だが、どうして?
どうして自分は天国にいるような事態に陥った?
そんな事を思う度、男の頭に頭痛が走る。
「俺は……」
空いた自分の掌を見下ろした。
やけにごつい、男らしい手だ。
自分の身体に視線を向ける。
灰色の胴着を身に纏い、腰には黒い鞘に収まった刀を差している。
その刀の存在が、より一層彼の頭痛を強めた。
「いっ……! 」
"生きてくれ"。
"俺の命をやる。だから、生きてくれ"。
違う男の声が、彼の頭の中に響く。
奇妙な声に苛まれながら、男は静かに足を動かし始めた。
ここが天国なら、自分はこんな頭痛に苦しむ訳もない。
自分はまだ、生きている。
おそらく、記憶を無くしているのだろう。
そんな事を思いながら、男は草原を歩き続ける。
腰まで届く長い黒髪が、薫風に揺れた。
"そうだ"。
"お前には、お前の幸せがある"。
"生きろ。俺達の分まで、生きてくれ"。
"雷蔵"。
足を一歩ずつ進める度、頭の中に響く声は次第に大きくなっていく。
何故、自分が声の主の命を背負わなければならないのか。
雷蔵とは、一体誰の事なのか。
そんな疑問を抱えながら、男は歩きづづける。
足を進み続けたその先に、会わなければいけない誰かが居る気がして。
「くそっ……。一体、どうなってるんだ……」
そんな事をぼやきながら、男は気だるそうに煌々と照り付ける太陽を仰ぐ。
こんな暑い日が、前にもあった気がする。
隣に、誰かを連れて。
瞬間、彼の脳裏にある少女の姿がフラッシュバックする。
長い銀髪を揺らす女の子だ。
彼を苛む頭痛は、更に酷くなっていく。
「誰なんだ、お前は……? 」
やがて彼の足は、整備された街道の上を進み始めた。
"進み続けろ。その先に、お前の守り続けたものがある"。
また声の主が、彼に告げる。
「鬱陶しい……! 」
口ではそう言うものの、脳裏に響く声は何処か懐かしい。
分からない。
俺は、一体何者なんだ?
そんな疑問が、彼の頭をよぎる。
街道を進む足は、より一層重くなっていく。
同時に、彼の脳裏には先ほどよりも多くの人間の声が響いた。
"その時は、お二人を守れるほど強くなって来ます!"
"乗り越える強さを持つんだ。今が正しいって言える勇気を持つんだ。そうすりゃきっと、お前だって乗り越えられる"
"君と言う友人を黙って見殺しにする訳にはいかないんだ!"
"安心しろ、俺達は勝つさ。勝たなきゃならねえ"
"テメェの命だ、テメェの好きにすりゃあいい。だが、後悔だけはするな。俺みてェにはなるな。命懸けてテメェに不満が無ェなら、誰も責めたりゃしねェさ"
"いいんだ、よ。俺、は、お前が……幸せな、だけ、で……"
男たちの声がする。
彼らの声を聴く度、何故だか心が安らぐ。
まるで、長年苦楽を共にしてきたかのように。
額から汗を流しながら、男は歩き続ける。
仲間たちの声を背に。
"如何やら貴公と私は気が合うらしいな……! こんなに歓びを感じたのは久々だ!"
"一人の少女の為に、国を壊す覚悟はある?"
"いいか、まだ私はお前を信用した訳じゃない。先ほどお前の告げた事が真実でないと分かれば、即刻首を刎ねる"
"今も私達の命を背負っていてくれていた事が……嬉しいんです。そして、御免なさい。貴方をずっと、苦しめてしまって"
"大切な人の為なら傷つくのは怖くありません。たとえなんと言おうと、私が雷蔵さんを守ります。もう過去を恐れる必要は無いんです"
女たちの声が聞こえる。
時には自分を憎み、殺意を向けられることもあっただろう。
だが、楽しかった。
彼女らと過ごした日々は、決して無駄ではない。
自然と、男の瞳から涙が溢れる。
何故自分はこんなにも切ない気持ちに包まれているのだろう。
さっきから自分の頭の中に響き渡る、彼らの声は何なのだろう。
「俺は……」
そうして、男はある場所に辿り着く。
白い大理石の表面には何人もの名前が刻み込まれており、その碑の先は空へ真っ直ぐ伸びていた。
その石碑には、"人魔戦争戦没者慰霊碑"と記されている。
瞬間、男の頭痛が更に痛みを増した。
思わずその場でうずくまり、呻き声を上げる。
"乗り越えるんだ。この痛みを。そして思い出してくれ。雷蔵という男は、まだ生きているという事を"。
声の主がそう彼に告げた瞬間、不思議と頭痛が彼の頭から消え去った。
そして背後から二つの足音が聞こえ、男は立ち上がる。
何故だか、突然悲しくも嬉しい気持ちが彼の胸の内に込み上げた。
この匂いには覚えがある。
優しくも可憐な、香水の匂い――――。
「――――」
男は、恐る恐る背後を振り返る。
そこには先ほど彼の脳裏に現れた少女の面影を持つ銀髪の女性と、同じような銀髪を揺らす長身の男が立っていた。
女の手には紫のアネモネの花束が握られている。
彼女は男の素顔を見るなり、花束を地面に落とした。
自然と、男の両目から涙が溢れる。
分からない。
自分でも分からないのに、どうしてか涙が止まらない。
「――――教えて、くれないか」
男は、静かに口を開く。
もう、頭痛は無い。
溢れ出る感情の渦に、彼は支配されていた。
「どうして、君を見ていると……俺は涙が止まらないんだ……? 」
男の声を聴き、銀髪の女は彼と同じように涙を流す。
彼女の隣に立つエルフの男も、涙を流しながら笑みを浮かべていた。
そして、女がゆっくりと口を開く。
「――――それは」
彼女は耐えきれず、男に歩み寄る。
不思議と警戒心は無かった。
むしろ、男は彼女を受け入れる。
「それは……貴方が……雷蔵、さん、だからです――――! 」
雷蔵は、涙を流しながら胸の奥に飛び込んでくるシルヴィを抱き締めた。




