第十二伝: 陰の灯
<レストランバー>
ヴィクトールに連れられ、雷蔵は大きく胸の空いたウェイトレスに案内されて店内をぐるりと見回す。橙色の電球が各テーブル席に吊り下げられ、暗く照らされた店の内部はどこか少年時代の秘密基地のような閉塞感を覚えた雷蔵は嬉々として刀を壁に立て掛けながら椅子に座った。
「なんだあんた、こういう所は好きか? 」
「酒場を嫌いな男がいると思うか? 」
「ははっ、そんな質問した俺が馬鹿だったな。ここは飯も旨いし良い酒も出す。加えて……ウェイトレスの姉ちゃんが美人揃いときた」
卑しい笑みを浮かべるヴィクトールに釣られ、雷蔵も不敵に口角を吊り上げる。先ほど彼らを案内してくれたウェイトレスも中々の美人で、尚且つ良いプロポーションをしていたと雷蔵は思い出しながらコップの水を口に含んだ。その時、フリルの付いた制服に身を包んだ女性がメモ帳を手にしながら雷蔵とヴィクトールのテーブルへとやって来る。
「どうも、お兄さん方。楽しんでますか? 」
「おー、イロナちゃん! お久しぶり、おっさん会いたかったよぉ」
「お久しぶりです。そちらの方は? 」
「近衛雷蔵と申す。訳在って彼に今しがた連れてこられた」
腰まで伸びきった水色の長い髪は流れ落ちる滝のように美しい直線を描き、銀縁のメガネを掛けた彫の深い顔立ちは彫刻のように整っていた。ヴィクトールは彼女の顔を覗き込む度に似つかない笑みを浮かべ、イロナと呼ばれた彼女は彼と目が合う度に笑みを浮かべる。香水の匂いと共に彼女の細い腕から二冊のメニューがテーブルの上に置かれ、雷蔵は呆けた表情でメニューを受け取ると彼女の顔をじっと見つめた。
「……あの、どうかしました? 」
「い、いや。 余りにも貴女が美しい顔立ちをしておられるから、見惚れていたのだ。失敬を許してほしい」
「まあ、お上手なんですね。雷蔵さんったら」
口元に右手を運びながら上品な笑い声をあげるイロナに雷蔵は妙な気恥しさを覚え、照れ臭そうに後頭部を掻く。正面から威圧感を感じた彼は彼女から視線を戻すと、鋭い眼光で雷蔵を睨みつけるヴィクトールの双眸を目が合った。
「イロナちゃん、こういう男ほど意外と家では酷い彼氏になるんだ。俺ぁ何度もそのケースを見てきた……」
「よ、止さぬかヴィクトール殿! 拙者は暴力など振るったりはしないぞ! 」
「男の嫉妬は見苦しいですよ、ヴィクトールさん。私、そういう人嫌いです」
彼女の言葉が彼の胸に突き刺さり、首をがくりと落としながら机に額を打ち付ける。「いつもの持ってきますね」とイロナは彼らのテーブル席を後にし、ヴィクトールは目に涙を浮かべながら恨めしそうに雷蔵へ視線を向けた。
「ぐううう……! やるな雷蔵さんよぉ……! おっさんここまでの恋敵は久々だぜ……! 」
「拙者はなったつもりもないんだが……。まあ良い、ここは何が旨いんだ? 」
雷蔵の問いに向かい側のヴィクトールは体を起こしながら自身の背後を親指で指し示す。その先には大きな樽から蛇口を捻って深紅の液体を瓶に入れるウェイターの姿が彼の視界に映り、そして円形のパン生地の上にトマトやバジルが乗せられた料理を運んでいた。瓶と御盆を手にした店員が彼らの横を通り過ぎ、生地の焼けた香ばしい匂いに思わず雷蔵の口から涎が零れる。
「あれは……? 」
「なんだあんた、知らねえのか。あの丸形の食いもんはピザ、んであの酒はワインって言うんだよ。どっちも共和国の国産だ、フレイピオスの高級コース料理にもヴァルスカのステーキにも勝るもんだぜ」
「なんと……拙者、故郷が東国であった故あまり他国の食べ物を知らぬのだ。お主が頼んだものも同じものか? 」
「あたぼうよ。傭兵だった俺も色んな国を回ったが、ここの酒と飯が一番旨いな」
太鼓判を押すヴィクトールの話に耳を傾けつつ、雷蔵は先ほどの小麦の芳醇な匂いを頭の中で思い出す。香りが思い浮かぶ度に彼の腹は地響きのような空腹音を立て、周囲からの視線を集めた。申し訳ない、と他の客に会釈をすると酒が入っていた中年の男性や若い青年が彼らのテーブル席に早く料理を持ってくるように催促している。
「……良い雰囲気だな。店も、客も」
「だからこの店は人気があるんだ。各国の観光局からも名店として認識されてるしな――って、おおっと」
彼が何かを言いかけた瞬間、二人の間に割って入るようにイロナが銀のプレートと真っ白な二つの皿をテーブルの上に置いた。程なくして透明なグラスと深緑色のワインボトルも彼らの前に鎮座し、両手を合わせて雷蔵は食事の前に会釈をする。
「んじゃまあ、乾杯といこうか」
「うむ。数奇な縁に、と言った所かな? 」
違いねぇ、とヴィクトールは深紅の液体が注がれたグラスを雷蔵に向けて互いに器の縁を合わせると、甲高く心地良い音が周囲に響く。雷蔵は口まで運んだグラスの中身へ向けて鼻を動かすと、アルコールの匂いと共に抽出された果実の淡い香りが彼の腔内を刺激した。一口だけ液体を口に含むと普段雷蔵が呑んでいる酒とは違い、中に含まれたワインの艶やかで渋い風味が彼の口の中を支配する。感嘆の声を上げつつ再度グラスの縁を傾け、彼は注がれた果実酒の半分を飲み干してしまった。
「ワインはそう飲むもんじゃねえぜ、雷蔵さん。まず香りを楽しんだ後にグラスを回してワインの中の成分をかき混ぜた後、少しだけ口に入れながら鼻と口で匂いを楽しむ。これがデキる男の飲み方ってもんさ」
「ほぉう……拙者の国での嗜み方とは少し違っている様だな。全く異な事よ」
「ははっ、そう気にしなさんな。ま、冷めないうちに食っちまおうや」
皿に置かれたピザの切れ端を物珍しそうに雷蔵は見つめ、鮮やかな赤色のソースの上に乗せられた焼けたチーズの匂いを嗅ぎながら先端を頬張る。直後軽快な触感とトマトの酸味、塩の振り掛けられたチーズの風味が彼の口内を支配し、雷蔵の食べる口は止まる事を知らずに持ち手の生地まで食べ尽くしてしまった。二切れ目に手を伸ばした雷蔵は無我夢中で腹の中にピザを次から次へと放り込み、半分以上のピザをあっという間に平らげてしまう。
「その……ヴィクトール殿。失礼を承知で申し上げる。その残った"ぴざ"とやら……拙者が頂いても構わないだろうか」
「いいよぉ、おっさん小食だしねぇ。じゃんじゃん食いなぁ」
その言葉を待っていたと言わんばかりに彼はすぐさま残りのピザの切れ端に手を伸ばし、二枚同時に口の中へと放り込んだ。瞬く間に食べ終えた雷蔵は手元にあった白いナプキンへ手を伸ばし、赤い染みが付いた口元を拭うと空いた皿へ向けて両手を合わせる。
「いい食べっぷりだねぇ。奢るこっちもいい気分になるよ」
「何? 奢るとは一言も……」
「気にしなさんな、今後ともよろしくって意味合いさ。ワインは持ち帰れるから、あんたは自分の部屋で飲むといい。イロナちゃーん、勘定頼むよー」
はーい、という彼女の可愛らしい声が聞こえ、雷蔵は再びヴィクトールへ向けて頭を下げた。
「……何から何まで、かたじけない。このみすぼらしい旅の者にここまでして頂けるとは……」
「おっさん、悪いけどそういう畏まったのあんまり好きじゃないんだよねぇ。俺は友人として、そして騎士団の副隊長として義務を果たしただけさ」
「お待たせしました、合計はこちらになります」
領収書が画びょうで留められたコルクボードを手に取り、ヴィクトールは2枚の1000ブランド硬貨と1枚の500ブランド硬貨をボードのポケットの中に入れて椅子から立ち上がる。彼に釣られて雷蔵も立て掛けていた刀を右腰に差すと席から立ち上がった。二人の姿は夜の帳の中に煌々と輝く温かい光の奥へと消えていき、そして数秒後には人ごみに紛れて全く見えなくなってしまった。
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<トランテスタ・路地裏>
辺りは既に夕日の景色から濃い青色が空を包み込む暗い夜と化した街を雷蔵とヴィクトールは歩き、魔法の光で点灯された街灯の光が路地裏を歩いていた二人の姿を橙色に照らし上げる。先ほど彼らが歩いていた大通りとは打って変わり、この路地裏にはほとんど人通りが少ない。右腰に差した刀の柄に手を掛けつつ雷蔵は先を歩くヴィクトールの跡をついて行った。ふとした拍子に、雷蔵の前にいたヴィクトールの身体が歩みを止める。訝し気な視線を向け、疑問を浮かべた雷蔵は彼を覗き込むようにして視線を傾けた。
「悪ぃ悪ぃ、ここらで煙草吸ってもいいか? 」
「拙者に気にせず吸うと良い。構わないと先ほども言ったであろう」
そうだったな、と口に咥えた煙草の先に指先から発した魔法の炎で火を点け、白い煙を吐き出す。冷えた空気と空に紫煙が浮かび上がり、何かを焦がした独特の匂いが周囲に充満した。それで、と雷蔵は壁に寄りかかりながら煙草を吸うヴィクトールへ向けて再び口を開く。
「……ここへ呼び出したのは何故だ? 」
「あっはっは、バレてた? お酒入っているから多少は話しやすいと思ったんだけど……さすが、ってとこかな」
人懐っこい笑みから彼の表情は陰り、不敵に口角を吊り上げる彼へ向けて雷蔵は腰の刀に手を伸ばした。
「おいおい、荒っぽいのは止してくれ。何も俺はあんたを殺そうとも捕えようともしない。ただ、あんたに一つの依頼をお願いしたいんだ」
「依頼? 」
「そうそう。あ、報酬は既に用意してるぜ。さっきの飯代と寄宿舎の部屋、今後の滞在費を報酬とさせてもらう。まあ、もう少し金は出すがな」
雷蔵は今までの彼の行動を脳裏に浮かべる。最初に出会った時は気配を殺しつつ現れ、その後雷蔵の正体を確かめる為に酒場へ連れて行く……。全てヴィクトールの策の内であると悟った彼は、観念した様に溜息を吐きながら柄に掛けていた手を放した。
「して、お主の依頼とは何だ? 拙者は流浪の旅を続ける冒険者故、一度頼み事を持ちかけられては断れぬのが冒険者の性よ」
「……悪いな、雷蔵さんよ。話は後にしてくれ。一体誰だ? さっきからコソコソ付け回しやがって」
続けようとした依頼の話を一旦打ち切り、ヴィクトールは雷蔵の背後へ向かって毒を吐く。
その瞬間全身を黒いローブで身を包んだ男たちが数人現れ、彼らの手には銀色の光を放つ両刃剣の柄が握られている。黒ずくめの男性たちはあっという間に雷蔵とヴィクトールを取り囲み、二人は互いに背中を預けながら周囲を見回した。
「話し合いで済む雰囲気では無さそうだな……。お主ら、名を名乗れ」
「……無駄だぜ、雷蔵さん。連中、今にも斬りかかってきそうだ」
「そのようだ。意趣斬り、はたまた大義名分を持ち合わせているか……」
焦る様子を表情に出さない反面、雷蔵は内心不安を抱いている。その原因は今も動きそうにない左肩にあり、額に汗を滲ませつつも彼は右手だけで刀を抜き払い、切っ先を刺客たちへ向けた。彼の背後のヴィクトールもどこからともなく取り出した槍――穂先が十字を描いている――の柄を両手に握っている。
「……来るぞ! 」
ヴィクトールの声を合図に、前列にいた三人の男がまず雷蔵へと一気に駆けた。手負いの人間から殺そうという魂胆だろう、雷蔵は彼らの動きを予測しつつ上段に構えて飛び掛かって来た左方の男に狙いを定める。3本の剣が彼の身体を捉えようとしたその時、銀の剣腹たちを横一文字に構えた刀で受け止め、右腕に走った衝撃を受け流しながら体を右に捻転させた。
「なっ……」
「遅い」
獲物を食らう猛獣の如く雷蔵の刀は唸りを上げて一人目の男の首を刎ね、返り血を浴びる。仲間が一瞬で殺された事に気が動転したのか、表情さえローブで隠れていても動揺が剣先に現れていた。
「同志が死んだくらいで動揺を隠せずに剣先が鈍るとは……生半可な覚悟よな。虚けも大概にしろ」
「こっ、この野郎ッ!! 」
中段で両手剣を構えながら切っ先を雷蔵に突き刺そうと突撃する二人目の男を、雷蔵は冷ややかな双眸で見据える。男の構えた剣が雷蔵に届く前に男は腹を穂先によって貫かれ、銀の刃を引き抜こうと必死にもがいていた。
「ぼーっと突っ立ってんなよ、雷蔵さん。あんた死にたがりか? 」
「……さあな。所詮ただの胡乱者よ。しかしヴィクトール殿、お主の敵はどうした? 」
雷蔵の問いにヴィクトールは涼し気な顔で後方を指し示し、片手には絶命しかけている男を支えている。彼の背後へ視線を向けると首や胸を貫かれて血の海に沈む死体が2つ、雷蔵の視界を覆った。訝し気な表情をヴィクトールへ向けると彼のシンボルともなった不敵な笑みを再び雷蔵へ見せ、そして獲物をその目に捉えた鷹のような視線を残った二人の刺客たちへ向ける。
「くだらねえ思想を掲げる前に手前が死んじゃ意味がねえな、雑兵。手前らのボスでも連れて来いよ」
「ほざけ! 我らは主の偉大なる目的の為に貴様らを殺しに来たのだ! 」
「あっそう」
後退りながらも胸に秘めた思いを大喝するリーダー格らしき人物に穂先の刺さった死体を投げ飛ばした。投擲された死体を真っ二つに切り裂き視界を安定させようと、リーダーの男が縦に剣を振り下ろしたその時だった。屍は剣に触れた途端透明になって消え、呆然とした表情を浮かべる男。
「消えろ・閃の輝き」
投げられた死体はヴィクトールの魔法によって作り出された幻影だと気づく頃には、男の視界に反り曲がった銀の刃が両手を斬り捨てていた。路地裏に響き渡る絶叫を五月蠅く感じた雷蔵は速やかに倒れたリーダーへ向けて刃を突き立て、その声を止める。右手の中にあった刀を一閃し、刀身に付着した赤黒い液体を掃ってから鞘に仕舞うと後ろにいるヴィクトールへ視線を向けた。
「この場の処理はどうする? 」
「もう既に騎士団の連中に連絡した。そいつらが来るまで俺たちも待っていよう」
そうか、という言葉と同時に雷蔵は殺した死体の下へと歩き始める。全身を覆っていた黒いローブをはぎ取ると、死の恐怖を恐れる暇もなく死んでいった"騎士"の姿が彼の視界に映り、雷蔵は目を見開いた。
「……それが、俺たちの依頼したかった内容だ」
「と、言うと? 」
「近年、リヒトクライス騎士団はこういった内部抗争が勃発している。こいつらのように一人になった上官や騎士を狙って集団で襲い、そして見せしめのように嬲って殺す。現に俺の部下も何人か殺されててな」
全ての死体からローブを奪い去ると銀色の鎧に身を包んだ男たちばかりで、その鎧にはヴィクトールが羽織っているジャケットと同じ紋章が刻まれている。そして全身の死体に共通している事は、外耳が人間の物よりも"尖っている"事だった。
「なああんた、"エルフ至上主義"って言葉……知ってるか? 」
「……小耳に挟んだことがある。過去の歴史に抑圧されたエルフたちが再び自らの時代を取り戻そうと掲げている思想――まさか」
雷蔵の言葉に、ヴィクトールは頷く。
「こいつらは全員この騎士団に所属するエルフで、数週間前に姿を消したっきり消息が不明になっていた連中だ。そしてそいつらは過去に外部との接触が多く取り上げられて処分された元騎士たちだった」
「そんな、事が……」
ため息交じりにヴィクトールはポケットから煙草の箱を取り出し、白い筒を一本口に咥えた。火を点けて煙を吐き出すと呆れたように肩を竦め、雷蔵の肩を叩く。
「これが俺たちの問題だ。だが、俺たちだけじゃ手に負えなくなってきている。力を貸してくれ、雷蔵」
「…………ひとまず寄宿舎へ戻ろう。シルヴィたちに話をつけてからだ、良いな」
ヴィクトールが頷くと同時に雷蔵は立ち上がり、そして金属が擦れる音が幾つも背後から聞こえた。その方向へ振り向くと鎧を身に纏ったリヒトクライス騎士団の兵士たちが押し寄せ、雷蔵たちは彼らに連れて路地裏の奥へと消えていった。




