第百十七伝: 旅に出る
<和之生国・共同墓地>
そうして、約4年の月日が流れた。
ロイの引き起こした人工魔獣との戦争は"人魔大戦"と称され、創国歴史上最大の戦いとして遺される事となった。
死傷者は数千人以上を超え、最も戦死者を頻出した戦としても記録されている。
諸悪の根源であるロイを討ち取ったとして近衛雷蔵、シルヴァーナ=ボラット、フィランダー・カミエール、レーヴィン・ハートラント、ラーセナル・バルツァー、ディニエル=ガラドミア、霧生平重郎、そして志鶴椛は"救国の八英雄"として三国から表彰された。
その内の一人、志鶴椛は目の前の墓石に静かに手を合わせている。
「……来たか」
墓石の表面には彼女の実兄と義理の姉である志鶴長政・藤香両名の名前が刻まれ、墓石の前に立てられた線香の煙が青空に立ち昇っていた。
あの戦いから、幾多の時が流れていた。
八英雄の内の一人である近衛雷蔵の生死が不明とされ、三国間での捜索が未だに継続されている。
彼の恋人であったシルヴィは特務行動隊の一番隊隊長としてその籍を置き、来る新たな世界の脅威を調査していた。
同時に彼女は残存した人工魔獣の討伐も請け負っており、雷蔵との別れを悲しむ暇もないと言う。
過去の思い出に耽っていた椛は背後から感じ取った気配に振り向き、立ち上がった。
「元気かい、忍びの嬢ちゃん」
「気配を殺して近づくなんてな。暗殺者かと思ったぞ、平重郎」
「はは、冗談は止しなァ」
盲目の老人、平重郎が煙管の煙を燻ぶらせながら彼女に近づく。
彼の手にはいつもの杖が握られており、歩くたびに軽快な音が周囲に響いた。
あの戦いの後に椛は一人フレイピオスに残り、残っていた自身の刑期を終わらせて生まれ故郷に身を置いている。
平重郎も同じようにして和之生国に身を寄せており、過去の罪を背負ったまま静かに暮らしていた。
嘗て国に楯突いた反逆者としての志鶴椛は既におらず、八英雄としての生を彼女は得ている。
「……それが、お前さんの兄上と奥さんの墓かい? 」
「あぁ。……ちゃんと弔わなければな。もう、彼らに固執するのは止めた」
「……それがいい。あの夫婦も、喜んでいるだろうさ」
そう告げる彼女の顔は何処か晴れやかで、憑き物が取れたかのような笑みを浮かべる。
すると平重郎も墓の前に座り込み、懐から小さい酒瓶を取り出して墓の前に供えた。
「あの世で夫婦水入らず、酒盛りでもしてくれや」
そう呟き、平重郎は静かに手を合わせる。
数刻の時が流れ、彼は立ち上がった。
「礼を言う。……兄上も義姉上も、喜んでいるだろうさ」
「お前さんに礼を言われるなんて、明日は槍でも降るんじゃないかねェ? 」
「からかうな、これでも素直になろうとしているんだ。……もう、あんな思いは御免だからな」
違いねぇ、と言わんばかりに平重郎は口角を吊り上げる。
雷蔵が居なくなったという事実を受け止めたその時は、椛も大きな喪失感に襲われていた。
何か、自分にもできる事があったのではないか。
彼を許し、幼い頃のように接する事が出来たのではないか、と。
ロイの研究所から帰還したあの時、多くの人間が雷蔵の喪失に嘆いていた。
故に彼の捜索は続けられ、今も彼の帰りを待っている人たちがいる。
「……後を追おうなんて思うなよ、椛」
「私がか? 馬鹿言え、自殺願望なんて無い」
「だと良いんだけどねェ」
平重郎が煙管の灰を土の地面に落とし、火種を消した。
珍しく心配そうな声音の平重郎に、思わず椛は小さく笑う。
現在雷蔵の捜索はヴィダーハ平原を中心に行われているが、彼の痕跡が見つかってはいない。
事実、捜索は難航していた。
それでも多くの人間が、彼の生存を願っている。
「そういやお前さん、知ってるか? もうすぐレーヴィンのお姉ちゃんとヴィクトールの兄さんが式を挙げるって話」
「聞いている。……まあ、気が向いたら顔でも出すさ」
あれから仲間たちは各々の道を歩み始めている。
平重郎と椛は国に戻って安息の日々を過ごし、フィルは特務行動隊からスカウトされて騎士団を退団する手続きを行っていた。
ラーズはセベアハの村の村長として正式に任命され、新妻であるゼルマとの新しい生活を過ごしている。
エルは自身の仕事で得た給金と勲章の戦勝金を継ぎ込み、特務行動隊の士官学校を設立しようとしている。
そしてレーヴィンは兼ねてから交際していたヴィクトールにプロポーズをされ、こうして結婚式を挙げようとしていた。
皆が皆、それぞれの幸せに突き進んでいる。
「そう言うお前はどうなんだ? 招待状が届いている筈だが。祝いの一言でも言いに行ったらどうだ? 」
「止せやい、柄じゃねェや。……俺みたいな奴ァ、人の幸せを喜ぶ資格なんか無ェ」
「……それは、お互い様という奴だな」
互いに笑みを浮かべ、椛は平重郎の隣を過ぎ去ろうとした。
「椛。これからお前さんはどうするんだ? ……雷蔵を、探しに行くのか? 」
平重郎の問いに椛は首を横に振る。
椛は何故だか確信していた。
雷蔵はいつか必ず生きて帰ってくる。
彼は必ず――――自分たちの所へ戻ってくる。
理由は無いが、それだけは何となく感じていた。
彼女は笑みを浮かべながら、振り返った。
「旅に出るさ。世界を見てみたいんだ。自分自身の足で、自分の求める全ての景色を見てみたい。弱きを助け、強きを挫く。私はこれから放浪者になる。……かつて追っていた、あいつのようにな」
目的こそ違えど、椛は確かに雷蔵の背中を見ていた。
自身の罪と親友を救う為に、たった一人で重圧に耐えていた。
彼の大きな背中が、椛にどう影響を与えたのかは分からない。
だが確かに言えるのは、彼女にとって今は雷蔵が成るべき存在の指標として立っていた。
それだけ平重郎に告げると、椛は振り返らずに墓地を後にしていく。
その背中は、何故だが大きく見えた。
「……首斬。お前は確かに、世界を救った。だがその前に、お前はもう一人の女子を救っていたのかもしれねェな」
それだけ呟くと平重郎は椛とは別方向の道へ進んでいく。
もう二度と、彼女と会う事は無いだろう。
それだけは、確信していた。
「あばよ、影縫い。達者でな」
「さらばだ、鬼天狗。どうか、健やかに」
一人の侍と一人の忍が、今違う道を歩み始めた。




