第百十六伝: ただ一人、君の為なら
<研究所・屋上>
闘いの火蓋は切って落とされた。
8人の視界に映るロイは既に人間としての意識を留めておらず、完全に魔装具の魔力に飲まれている。
神々しささえ感じる彼の邪悪さに、雷蔵達は対峙した。
まず伸びてきたのはロイの背中に生えた6枚の羽が彼らに向かってくる。
「跳べっ!! 」
雷蔵の一声により、仲間たちは一斉に散り散りになった。
放たれた翼は床をまるでバターの様に削ぎ落とし、魔力の放出を行う。
「これは……!? 」
「あの羽に触れるな! 一瞬でやられる! 武器で防ぐしかない! 」
「そうは言いますが……! 」
フィルが魔導具を展開しつつ迫り来る一枚の翼を剣で防ぐも、衝撃を殺し切れずに後方へ押し戻された。
隣にいたレーヴィンと雷蔵が即座にその翼へ得物を振り下ろし、魔力の塊を両断する。
白い羽毛が彼らの周囲を舞い、微かに触れただけで鎧の甲冑を抉り取った。
「3人とも!! 離れて!! 」
エルの声が響いた瞬間に雷蔵は傍にいたフィルの身体を担ぎ上げ、一旦ロイとの距離を取る。
レーヴィンも同じようにシルヴィ達の下へ引き下がり、再度ロイへと視線を向けた。
「あの羽……確かに捉えた筈だ。なのに斬った感触が無い……!? 」
「奴は既に人智を超えている。エル殿、あれが何かわかるか? 」
雷蔵の問いにエルは険しい表情を浮かべながら首を縦に振る。
「……おそらく、羽毛の一つ一つが魔力の刃で形成されてる。それも、かなりの威力のもの」
「その通りです。致命傷は避けられません」
その場にいた全員が等身大の殺気を感じ取り、その方向へ視線を向けた。
ロイが背中の6枚羽を広げ、其処から無数の魔力弾が放出される。
突然の事に身体が硬直した彼らだったが、真っ先に動いたのはレーヴィンとラーズだった。
「エル!! 」
「弾け・魔力の盾」
エルが手にした杖の先を飛び出していった二人に向けた瞬間、ラーズ達を起点にして青い防護幕が展開される。
迫り来る無数の羽を弾き返し消滅させた魔力の盾は8人を守り、ロイの隙を創り出した。
それを逃さんと言わんばかりに雷蔵、フィル、シルヴィの三人が彼の下へと一気に駆ける。
「ほう……! 」
笑みを崩さずにロイは両手に魔力刀を顕現させ、まずは雷蔵と得物を打ち合わせた。
二つの白銀の刃と禍々しい黒紫の刃が鍔競り合い、雷蔵はロイと視線を交わす。
長年愛用してきた紀州光片之守長政と、長政自身の手から譲り受けた真打。
その玉鋼の刃は決して折れることなく、邪悪な魔力と火花を散らす。
「僕と同じ二刀流ですか! くっはははッ、面白い! 」
雷蔵はロイの刀を弾き上げ、彼の胸部をがら空きにさせた。
左手の愛刀を横薙ぎに振るい、再度打ち合う。
左方から振り上げられたロイの剣が雷蔵を睨み、彼は右手にあった真打を構える事でその攻撃を防ぐ。
直後、ロイの背中の羽が再び展開され白く光った。
「させるかァッ!! 」
二人の間に上空高く飛び上がったフィルが割って入り、彼の剣が地面を砕く。
砂の粒や瓦礫が周囲を舞うが、構わずフィルは一歩前に踏み込んだ。
愛剣を両手で振り上げ、ロイの胸元を狙う。
「ははッ! 甘いですよ、フィランダー・カミエール! 」
彼の攻撃を嘲笑うかのようにロイは左手の魔力刀で斬撃を防ぐと、フィルの身体を蹴飛ばした。
なんとか直撃は避けられたものの、フィルの身体は後方へ押し戻される。
だが、フィルは笑みを浮かべていた。
「甘いのはそっちだッ!! 」
そう豪語した後、ロイの両隣から突如として平重郎と椛が姿を現す。
「よォ兄ちゃん、どこ見てんだァ? 」
「貴様だけは、殺す……ッ!! 」
等身大の殺意と共に椛の小太刀がロイの魔力刀とかち合い、その隙を突くように平重郎の仕込み刀がロイの首元を狙う。
椛の攻撃は弾かれ、平重郎にロイの意識が向くが椛はその勢いを殺さずに空中で身体を一回転させた。
勢いを伴った回し蹴りがロイの顔面に直撃し、彼は大きくたじろぐ。
その瞬間に平重郎は既に彼の背後へと移動しており、一度納めた愛刀を一気に引き抜いた。
「貴様、らぁッ……!! 」
「ようやく正体現しやがったなァ? 涼し気な顔しときながら、本当は俺達を相手するのも辛ェんじゃねえか? 」
「このッ……戯言をォッ!! 」
平重郎の居合により、ロイの翼が一枚捥がれる。
その事に心底腹を立てたのか、彼の表情が憤怒に歪んだ。
「じいさん! 来るぞ! 」
「知ってらァ! 」
瞬間、ロイと対峙した平重郎を守るかのようにシルヴィが彼らの前に躍り出る。
簡易詠唱で防御壁を魔法で生み出した彼女は、殺到する魔力弾を弾き返した。
「恩に着るぜェ、嬢ちゃん! 」
「フィル君、椛さん、雷蔵さん! 早く! 」
シルヴィの言葉に頷き、三名は再度ロイへと向かって行く。
対するロイは翼の魔力弾ではなく今度は周囲に魔法陣を形成し、騎士の剣を形どった長大な魔力弾を向かってくる三人に放った。
雷蔵は真正面から迫る魔力の刃を愛刀で叩き落とし、生じた火花を肉薄する。
「死ね、死ね死ね死ね死ねェッ!! 僕の邪魔をする者は、皆死んでしまえェッ!! 」
「ようやく本性を現しやがったなァッ!! 」
そんな声を上げながら雷蔵の隣をトップスピードで駆けていくオークが一人。
ラーズが迫り来る魔力剣を避け続け、ロイの下まで到達する。
迎撃として振るわれた剣を兄の籠手で防ぐと、空いた右手でロイの左頬を殴りつけた。
そのまま右腕を振り抜き、ロイは再度後方へ押し戻される。
「貴様のような下賤な男が僕を殴るなどォ……!!! 」
「はッ! テメェが高貴なら人類全員高貴になっちまうなァッ!! 」
怒りの赴くままにロイは残った五枚の翼を広げ、ラーズに無数の魔力弾を放った。
彼はそんな反撃を笑みを浮かべながら避け、そして両手の籠手で防ぐ。
ラーズ一人だけに集中しているロイの左方から向かってきていたレーヴィンが素早く距離を詰め、再度彼の頬を盾で殴った後に銀の剣を縦一文字に振り下ろした。
彼女の剣はロイの肩と胸を捉え、周囲に鮮血を散らす。
「女騎士風情がァっ……!! 」
「効くだろう、騎士風情の刃はな! 」
レーヴィンの攻撃によって完全に怒りが満ちたロイは魔力の衝撃波によってラーズとレーヴィンを吹き飛ばし、全員へ向けて無数の魔法陣を形成した。
「どこまでも邪魔をするッ! 消えろッ!! 脆弱な人間共がァッ!! 」
彼らを包囲する魔法陣から幾多の魔力剣が射出され、8人の肉片さえ残さないように殺到する。
研究所の床は完全に破壊され、ロイを含めた全員の姿を土煙が包んだ。
沈黙。
完全に雷蔵達が自分の手によって殺されたことを確信したロイは、再度邪悪な笑みを浮かべる。
――――しかし。
土煙が晴れても尚、8人全員がその場に立っていた。
魔力の刃に貫かれ、その肉を抉られようとも、彼らはただロイに視線を向けている。
「な――――」
「……痛くも痒くもない。私達の大切な人間を弄んだと思えば、こんなもの」
椛が最初に口を開いた瞬間、ロイの両手が何かに貫かれた。
彼が痛みを感じるよりも早く、自身の手が拘束されている事に気づく。
それが椛の投擲した苦無によるものだと気づく頃には、ロイの眼前に今まで気にも留めなかったエルが魔法の詠唱をほぼ終えている光景が映った。
「遍く魔力の奔流。風、土、雷、炎、氷、闇、光。七つの元素が我に宿る時、我が敵を討ち滅ぼさん」
穿て、全皇の剣。
全てはエルが自身の魔力全てを以て最強の魔法を詠唱する囮。
それにロイが気づいた瞬間、初めて彼の表情に恐怖という感情が表れた。
何故だ。
何故この人間共は、自分の圧倒的な力の前に屈しない。
今まで自分に関わってきた人間を己の力だけで支配してきたというのに。
何故だ、何故。
自分が焦らなければならないのか。
「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だァッ!! 僕の、僕の仮説が間違っている訳が無いッ!! 」
苦し紛れにロイは背中の翼を最大限の力で広げ、再度八人へ向けて魔力弾の嵐を放つ。
最強の魔法を詠唱をしていたエルの動きが中断され、ロイは不安と共に笑みを浮かべた。
土煙が上がり、彼女たちが地に伏す光景を目の当たりにした。
勝った。
やはり、自分の予測は間違っていなかった。
「――――おおおぉォォォォォォォォォッ!!! 」
彼の、予測を裏切る大喝。
聞き覚えのある、侍の叫び声がロイの表情を再度絶望のものに変えた。
魔力弾に肉を裂かれようとも、身体を貫かれようとも、黒い武者甲冑に身を包んだ雷蔵がロイへと跳ぶ。
エルが託した、最強の魔法効果を伴った二刀を手に。
透明な魔力を宿した二振りの紀州光片之守長政は、眼前に映る人類種の敵を穿たんと迫る。
「来るな、来るな来るな来るなァッ!!? この死に損ないめェッ!! 全能の王たる僕に、近づくんじゃなァいッ!! 」
ただひたすらに向かってくる雷蔵へ向けて、全ての翼の矛先を彼に集中させた。
甲冑が剝がれようとも、体中から血を流そうとも雷蔵は向かってくる足を止めない。
やがてロイの魔力弾が完全に雷蔵の黒い甲冑を砕き、彼は武道袴と産籠手だけの姿になる。
「いけェェッ!!!! 雷蔵ォォッ!!! 」
「決めてェッ、雷蔵さんッ!! 」
手にした二刀を振り翳した瞬間、ロイは手にしていた魔力刀を空いた雷蔵の腹部へ振り払った。
想像を絶する痛みが雷蔵を襲い、刃に伴った魔力が更に雷蔵の体力を奪っていく。
ロイの魔力刀が引き抜かれ、雷蔵の身体は彼から引き離された。
筈だった。
無数の血を流しながらも雷蔵はまだ両足に力を込め、更にロイの眼前へと踏み込む。
雷蔵の後ろで、シルヴィが傷ついた身体を抑えながらも魔法の詠唱を終えていた。
「与えよ、刹那の敏捷」
シルヴィの支援魔法により、雷蔵の身体はロイと一気に近づく。
「――――おおぉォォォォォォッ!!! 」
見ていろ、長政、藤香。
今俺は、お前たちの仇を討つ。
そう言わんばかりに雷蔵の二刀はロイの腹部を貫き、首元を抉る。
「が、ァッ……!? そ、そんな……馬、鹿な……!? あぁァァァァァァァァッ!!! 」
ロイの絶叫と共に、身に纏っていた火之加具土命から無数の魔力が周囲に放出される。
同じようにして多量の鮮血が散り、雷蔵も彼の返り血を浴びた。
だが、彼は離れない。
ロイの死に様をその双眸に捉え、雷蔵は二刀に付着した残り血を振り払う。
「斬り捨て、御免」
そう言い捨て、愛刀たちを鞘に納めた。
同時にロイもようやく地面に倒れ、全身に感じていた重圧も解き放たれる。
彼の背中に展開されていた翼も全て消え失せ、雷蔵の深い呼吸だけが周囲に響いた。
ロイの死体から主を失い宙に浮かぶ火之加具土命が姿を現し、淡い光を放つ。
「や、やった……のか……? 」
「……魔力反応は見られない。私達の勝ち」
エルの言葉と共に、その場にいた全員が地面に座り込む。
終わった。
全てを懸け、人類を守る戦いは終わった。
雷蔵は痛む傷口を一瞥しながらも、すぐ傍にいたシルヴィへ視線を向ける。
彼女も視線を雷蔵に向け、そして穏やかに微笑んだ。
終わった。
彼女を、皆を、愛する人間たちを守る戦いは終わった。
――――その時だった。
全員の安堵感を打ち破るかのように、研究室の地面が音を立てて揺れ始める。
鳴り響く地鳴りの音。
崩れ落ちる崩壊の音。
その滅びの歌に感化され、シルヴィ達は座り込んでいた地面から立ち上がった。
雷蔵以外は。
「何やってるんですか雷蔵さん! 早く逃げましょう! 」
「そうだぜ雷蔵! じきに崩れちまう! 」
「せっかく勝ったのに死ぬ訳にはいかないだろう、雷蔵殿! 」
レーヴィンやラーズ、フィルの声が雷蔵を呼び戻そうとする。
だが、腹を決めたかのように雷蔵は彼らに振り向いた。
その瞬間、シルヴィはとてつもない不安に襲われる。
「――――火之加具土命を止めるのには、誰か一人の命が必要になる。ここは拙者が請け負った。皆は、行ってくれ」
雷蔵の言葉と共に、彼らは一瞬身体を硬直させた。
目の前にいる彼が、何を言っているのか分からなかったから。
何故彼が死ななければいけないのか。
世界を守る事に、自分たちを救う事に身を賭してくれた雷蔵が死ななければいけない事に理解が追い付かなかったからだ。
既にその事実を知っていた平重郎は、初めて苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
隣にいた椛は、長政たちの屍に向けて言い放った言葉の意味を初めて其処で理解した。
彼は最初から、自分の命を懸けてこの世界を救うつもりだったのだ。
「な、何ふざけた事言ってんだよ! お前も一緒に帰るんだ! みんな待ってるんだよ、お前を! 」
「そうですよ! この装置を止めるって言ったって……! 雷蔵さんである必要が無い! だったら僕が……! 」
「ならん。それだけはならん。拙者以外は、皆未来がある。フィル、お主には騎士団がある。レーヴ殿にはヴィクターが待っている。ラーズやエルには村を将来を守るという使命がある。椛にも、平重郎にも未来がある。そしてシルヴィ。君にも、特務行動隊という重要な役割がある」
「雷蔵殿! バカな真似は止せっ!! 」
瞬間、シルヴィが口を開く。
「馬鹿な事言わないでッ!! 」
「姫様……」
「未来があるですって!? 勿論ありますよ、貴方との未来が!! この戦いが終わったらまた一緒に旅をしようって、言ってくれたじゃないですか!? 」
「……済まない、シルヴィ。また俺は、君に嘘をついてしまったな」
全てを悟ったような笑みをシルヴィに向けた。
シルヴィはそんな彼に抱き着き、この手から離さないように腕の力を強める。
「駄目なんだ、シルヴィ。これを止めるのには、一人の命が要る」
「嫌です、嫌ですよッ!! また会えたのに……! 今度はずっと一緒に居ようって、言ってくれたのに……! 」
彼女の瞳から幾多もの涙が零れ落ちた。
その涙を人差し指で掬い上げ、そして彼女にそっと口づけをする。
「行け。俺は君たちを守りたい。この命を懸けてでも、俺は俺を変えてくれた人たちを守りたい」
直後愛おしい彼女の身体を引き離し、泣きじゃくる彼女の身体をレーヴィンに託す。
その言葉を聞いた瞬間、まず最初に背を向けたのはフィルだった。
「……皆さん。行きましょう、もうすぐここも崩壊してしまう」
「何を言ってるんだフィル君!? 雷蔵殿を見捨てて――――」
「男の覚悟を踏み躙る訳にはいかない! 雷蔵さんは、もう覚悟を決めたんです。だから僕も、覚悟します」
それだけ告げ、フィルはゆっくりと屋上の出口へと歩き始める。
「……雷蔵さん。貴方の事、決して忘れません。貴方の教え、貴方の信念。僕は、貴方を忘れませんから」
「……ありがとう、フィル。達者でな」
「……馬鹿野郎が……」
「馬鹿は死んでも治らねェさ。――――あばよ、首斬」
先に立ち去るフィルに感化され、椛と平重郎も同じように踵を返した。
「……雷蔵。感謝してもし切れないけど、ありがとう。貴方が居なければ、私達はもっと早く死んでいたかもしれない」
「エル殿の魔法には何度も助けられた。礼など要らぬよ」
「……レーヴィン、シルヴィ。俺達も行こう。俺達が死んじまったら、あいつが浮かばれない」
「……ラーズ……恩に着る」
その場から動かないシルヴィを無理やり引き剥がし、ラーズはレーヴィンとシルヴィを連れて崩壊が始まった屋上を後にする。
仲間たちが去った所で、雷蔵は正面の火之加具土命に視線を向けた。
「――――さぁ。始めようか。俺の命とお前の魔力、どちらが持つのか勝負だ」
それだけ呟くと火之加具土命の魔力が彼の視界を包み、やがて雷蔵の身体をも包み込む。
そして近衛雷蔵は、崩れゆく研究所と運命を共にした。




