第百十五伝: ワンダラーズ
<研究所・屋上>
雷蔵は、ゆっくりと長政の胸から刀を引き抜く。
血濡れた刃が姿を現し、目の前の親友は膝から崩れ落ちた。
何故自分の命が再び失われようとしているのに、こんなにも安らいだ顔をしているのか。
雷蔵にはそれが分からなかった。
「長、政……? 」
「は、は、はは……お前は、強い、な……」
「長政様っ!! 」
二人の背後から藤香の悲鳴が聞こえる。
彼女はシルヴィや椛を相手にしても一歩も退かなかったようだが、それでも彼女の白い肌には無数の傷が出来上がっていた。
「敵に背を向けるのは、言語道断です」
「お覚悟を、義姉上……! 」
瞬間、椛の小太刀とシルヴィの細剣が藤香の腹部を貫く。
その攻撃を受けながらも藤香は二人を突き放し、地に伏す長政の下へと辿り着いた。
倒れる長政の身体を抱え上げる。
長政は、彼女の頬に弱々しく触れた。
「藤、香……。また、君には、迷惑を……かけるな……」
「いいんです……長政様……。私は貴方の妻なのですから……」
「血が、出てるじゃないか……。治さない、と……」
腹部の傷に手を伸ばそうとする長政。
だが彼女はその手を払いのけ、雷蔵に振り返った。
「……雷蔵。貴方には、最大限の感謝を申さねばなりませんね。有難う、私達を解放してくれて」
「やめろ、藤香……拙者は……! 」
「お前、は……俺達の命、を……背負って、背負い続けてくれ、た……」
「もう喋るなっ!! 長政……! 」
雷蔵の両目から自然と涙が零れ落ちる。
シルヴィは憂い気な視線を彼らに向け、椛はただ俯いていた。
「殺したくなかったんだ、本当はっ! 今も、あの時だって! こんな俺と友達でいてくれたお前をこの手には、掛けたくなかった……ッ!! 」
「……いいんだ、よ。俺、は、お前が……幸せな、だけ、で……」
「藤香だってそうだ! 幸せそうなお前たちを見るだけで、俺は救われた! なのに俺は、俺は……!!」
「仕方が無かったんです。私達の命を超えて貴方が生きているのなら、それで良い」
雷蔵は血濡れた手で長政の白い手を握る。
生気を感じられない程冷たいその手ひらは、彼の死を決定づけていた。
「こいつ、を……」
長政は苦し紛れに自身の腰に手を伸ばし、鞘と落とした刀を拾い上げる。
黒塗りの鞘に、赤い柄巻きが巻かれた長刀。
今雷蔵が腰に差している物と、全く同じ装飾をしている。
だが、刃の透明度と美しさは違った。
「お前に、渡したかったんだ……。俺、自身の、手で……」
紀州光片之守長政・真打。
彼が没後に打った、最期の業物。
ロイの使役を打ち破り、自身の記憶を辿って出来上がった名刀を雷蔵は受け取った。
言葉にならない嗚咽が、雷蔵から発せられる。
長政から受け取った新たな刀を震える手で鞘に納め、腰に差した。
「許せ、許してくれ長政! 俺は、お前の死を乗り越えなければならないんだ! 仲間が今も戦っている! 友が、愛しい人が危険に晒されているんだ! 」
「……最初、から……許してた、よ……」
その言葉を聞いて、雷蔵は言葉を失う。
ずっと、許されないと思っていた。
一生、彼らの命を背負うつもりでいた。
唯一自分の親友を殺した咎を、その命を以て償うつもりでいた。
それでも、長政は許した。
「あの時、貴方はああするしかなかった。私達を殺すしかなかった。それでいいんです。今も私達の命を背負っていてくれていた事が……嬉しいんです。そして、御免なさい。貴方をずっと、苦してしまって」
「藤、香……」
「兄上ぇっ!! 」
耐えられなくなった椛が大粒の涙を流しながら彼の下に駆け寄る。
シルヴィもゆっくりと近づいており、涙を流す雷蔵の肩に優しく触れた。
「も、みじ……こんなに、大きくなって……。お、兄ちゃんな……嬉しい、ぞ……」
「私は……ッ! 私はっ……! 兄上と義姉上の妹で……幸せでした……! 」
血濡れた手で椛の頬を長政と藤香は撫でる。
嗚咽を噛み殺しながらも椛は二人の手に振れ、その感触を懐かしむように顔を埋めた。
「……シルヴィさん。このまま私達は逝きます。どうか、どうか二人の事をお願い申し上げます。椛と雷蔵は、寂しいと言わない人だから……」
藤香はシルヴィにそれだけ告げると、共に眠るように長政の隣に横たわり目を閉じる。
そして、永遠に二人が目を開ける事は無かった。
雷蔵は涙を拭い、椛は惜しむように動かなくなった二人の手を離す。
直後、奥に居る災厄の元凶へと視線を傾けた。
「はは……ははははははッ!! 殺した! やっぱり殺しましたねぇッ!? そうだと思っていたんだ! 僕の予想は当たっていた! 人間は所詮、他者を食いものにして生きるしか術はないんだ! 」
狂喜。
長政たちが息を引き取る一部始終を目の当たりにして、ロイは両手を大きく広げながら笑い声を上げる。
長政と藤香の身体を雷蔵と椛は抱え上げ、火之加具土命の装置から離れた場所にそっと置いた。
「……待っていてくれ、長政。藤香。俺も、直ぐにそっちへ行く」
「雷蔵……? 」
不安げな視線を向ける椛を一瞥し、雷蔵は二本の太刀を引き抜く。
二振りの紀州光片之守長政の刃が、魔力の光に照らされ輝いた。
「ようやく僕と戦う気になってくれましたか、雷蔵さん。待ちくたびれて欠伸が出てしまいそうでしたよ」
「…………」
言葉に出来ない怒りが、彼の胸の内から沸々と沸き上がる。
目の前の邪悪な笑みを浮かべるこの男さえ居なければ、親友とその妻の命を弄ばれることも無かったのかもしれない。
長政と藤香の死を乗り越えた雷蔵の双眸に、覚悟が宿る。
「既に言葉は要らぬ。俺は貴様を殺す。俺の親友と彼の愛した女を掌の上で弄んだその罪、貴様の命で償ってもらう」
「また、殺すんですね? 良いでしょう、既に貴方の手は血で染まりきっている。その内、椛やシルヴィさんも殺すんじゃないですか? 」
へらへらと笑みを絶やさないロイ。
そんな彼の姿を見て怒りを耐えられるほど、椛は甘くは無かった。
等身大の殺意を身に纏いながら、その目に宿しながら藤香の薙刀を手にロイへと急接近する。
「へぇ? 」
横殴りに振るわれたその刃を軽い動作で避け、即座にロイの両手に魔力で形成された刀が彼女に襲い掛かった。
咄嗟に薙刀を構えると紫色の禍々しい刃が火花を散らし、両者は刃を交えつつ睨み合う。
「君のお兄さんとお義姉さんはとても良い実験体だったとも! 誇りに思うといいさ! 」
「黙れェッ!! 黙れ黙れ黙れ黙れェッ!! 外道め、殺してやるゥッ!!! 」
「椛さん!? 」
憤怒を露わにした敵ほど戦いやすい相手などいない。
そう告げるかのようにロイは彼女の薙刀を弾き、魔力刀の刃を椛に叩き付ける。
肩と腕の肉を抉られた椛はそのままロイに蹴飛ばされ、鮮血を周囲に撒き散らしながら地面に倒れた。
すぐさまシルヴィが彼女に駆け寄り、傷を負った箇所に回復魔法の魔法陣を展開する。
「ご生憎様、貴方がたと遊んでいる時間など無いんですよ」
「ッ! させるかァッ!! 」
そう告げるとロイは火之加具土命が安置されている装置へと近づいた。
彼の行動を阻止しようと雷蔵が一気に駆け、ロイに愛刀を振り翳す。
紀州光片之守長政・真打の刃は確かにロイの胴体を捉えた。
勢いを伴った刀はロイの肉を切り裂く。
筈だった。
雷蔵の手には得体の知れない物質を切り裂いた感覚だけ残り、思わず言葉を失う。
直後、彼は膨大な魔力の奔流を全身で受け止める事となった。
衝撃を殺し切れず、そのまま後方へと吹き飛ばされる。
そして、3人は衝撃の光景を目の当たりにした。
「……!? 」
「う、嘘……」
「あの、男……ッ!! 」
白い光の中から姿を現したのは、普段通りの白衣ではなく黒の鎧と白いサーコートを身に纏ったロイだった。
その姿さえ見れば騎士甲冑に身を包んだ男と見えるかもしれないが、彼の背中には白い魔力で形取られた天使のような羽が六枚伸びている。
火之加具土命の鎧に身を包んだロイは、雷蔵たちの前に降臨した。
その姿は不気味なほど美しく、そして同時に禍々しい魔力の流れをシルヴィだけは感じ取る。
「なんて魔力……!? こんなの、人が抱えていいものじゃない! 」
「――――そうですとも」
穏やかな笑みを浮かべるロイは両手を広げながら3人と対峙した。
「僕はこの火之加具土命を起動する為に、僕自身の命を懸けた。僕はこの魔装具と同調し、そして人智を超えた力を手に入れた」
「神にでも、成ったつもりか……! 」
火之加具土命を起動するのには文字通り魂をこの武具に売らねばならない。
それをロイは自らの命を捧げる事で成し遂げ、身に纏う事に成功した。
「人工魔獣の実験が、こんな所で役に立つとはね。人間、ふとした事が役に立つ事もあるものです。あぁ、既に僕は人間じゃありませんでした」
高らかに笑い声を上げ、ロイは片手で顔を覆う。
既に正気は失われている。
否、この男に正気など既に無い。
「少し、僕の昔話でもしましょうか。死ぬ前の土産話とでも思ってください」
「何を……!! 」
雷蔵は再度立ち上がり、愛刀たちを片手にロイへと向かって行く。
だがロイはその場を動く事無く雷蔵の身体を押し戻し、再度彼の身体は地面に叩き付けられた。
「殺すだけしか能のない狗は黙っていなさい。目障りだ」
「雷蔵さん!? しっかりして……! 」
地に伏した雷蔵にシルヴィが急いで駆け寄り、彼の身体を起こす。
そうして、ロイは口を開いた。
「僕はフレイピオスのある家庭に生まれました。何の変哲もない、平凡な家族だった。父が居て、母が居て、兄も居ました。貴方達脆弱な人間から見たら、一般的で幸せな家庭に思えるでしょうね。でも、こんな平和な時間なんてあっという間に崩れ去るんですよ」
体勢を立て直す事だけに集中した雷蔵たち三人は、全身に力を込めながら立ち上がる。
ロイの言葉は止まる事を知らない。
「リヒトシュテイン家のクーデターが国中で巻き起こった時、僕は20歳でした。そのクーデターに巻き込まれ、僕の家族は皆死にました。えぇ、シルヴィさん。貴方のせいですとも」
「……それは……」
「でもご安心ください。彼らは国家の戦火で死んだんじゃない。僕が殺しました。クーデターの混乱に乗じて、ね。邪魔だったんですよ、あんな家族なんて。僕の実験の邪魔しかしなかったですし。始末する手間が省けました」
一人ロイと対峙するシルヴィは、驚いたような表情を見せる。
「思えば、あの頃からでしょうか。僕が人間を実験動物としか見れなくなったのは。そこからヴィルフリートに取り入り、フレイピオスの幹部になるのは簡単な事でした。魔導研究所の技術顧問として世界を飛び回り、魔法技術を与える為に他国に干渉するのもね」
「何……? 」
肩で息をしながら雷蔵は再び立ち上がり、凶悪な笑みを浮かべるロイに視線を向けた。
「僕が行った最初の国は……ああそう、和之生国でしたね。雷蔵さん達の生まれ故郷でしたっけ? 今は既にヴァルスカの領土内ですが。世界には極悪人がごまんと居るものですねぇ……。己の私欲を欲したのか国を捨ててあっさりとこの魔装具を渡してくれましたよ。まあ貴方に無残にも殺されましたが」
かつて人として生を成していた長政と藤香は、和之生国の役人に外国人との接触した罪を擦り付けられ雷蔵に処刑された。
当時和之生国では海外との外交を断つ閉国制度を導入しており、掟を破れば極刑が言い渡される。
長政たちは役人の囮として殺されたのだと、雷蔵は勘違いをしていた。
だが、それも全てロイが仕組んだもの。
雷蔵やシルヴィ、椛たちを実験体とするための計画だった。
「そうして、僕はここまでの計画を練る事が出来ました。感謝していますよ、皆さん。僕の人生全てを懸けた実験、人間はどこまで他人を食い物にして生きるのかというテーマがようやく達成されました。この世界を犠牲にして、ね」
リヒトシュテイン家の事件を引き金に、今の大戦が勃発した。
そんな口ぶりを見せるロイは、シルヴィの浮かべる絶望的な表情を見て更に口角を吊り上げる。
「あのクーデターさえ起こらなければ、今頃皆さん幸せに暮らしていたかもしれませんねぇ? シルヴィさん? 」
真実を突き付けられたシルヴィは、手にしていた二刀を地面に落とす。
全て、自分の生まれた家が原因で起きた事態。
その事実を知れば、世界中で彼女の死を願う人間が現れる事だろう。
苦境を共にしてきた仲間たちでさえも、彼女を呪うであろう。
そんな恐怖が、シルヴィに襲い掛かる。
しかし彼女の隣に立つ雷蔵と椛の目は、まだ死んではいなかった。
「――――それは違う」
雷蔵は立ち上がる。
友の託した、剣を握り締めて。
「俺は、彼女からたくさんの事を教えられた。人を頼る事、共に逆境に立ち向かう事、人を愛する事。全てシルヴィが教えてくれた事だ。今までの事件が、全て彼女のせいだと? 全て、シルヴィが原因だと? 笑わせるな。――――笑わせるなァッ!!! 」
シルヴィをロイから守るかのように、雷蔵は力強く立ちはだかる。
「シルヴィは俺に第二の人生を与えてくれた。人の近くに立ち、衛る。それがこの名の……近衛たる名の由縁よ」
「暑苦しいのは好きじゃない。だが……こいつの人生を否定するのなら私が貴様のような外道を否定してやる。かかって来い、三流。人間の底力を、見せてやる」
シルヴィの瞳から涙がとめどなく溢れる。
そして涙を拭い去り、今一度二人と出会えた事に心から感謝した。
「ロイ・レーベンバンク! 貴様のような人間に、この世界は好きにさせない! 私の……私の愛する人たちがいるこの世界をッ!! 」
一度地に落ちた愛剣を手に、切っ先をロイに向ける。
ロイは三人の言葉を聞いた瞬間笑い声を上げ、そして怒りを露わにした。
「この……っ! この僕が一番腹立たしいものを見せてくれるとはねェッ!! つくづくおめでたい連中だ! もういい、消えろォッ!! 」
そう声を上げると、彼の六枚羽が3人の下に伸びる。
雷蔵たちは各々の得物を構え、彼の攻撃を防ごうとしたが背後から突如として現れた若い騎士によってロイの攻撃は防がれた。
「間に合いましたね! 雷蔵さん、シルヴィさん、椛さん! 」
フィランダー・カミエール。
雷蔵達が放浪の旅を続け、最初に出会ったイシュテンの少年。
初めは頼りなかった彼が、今は二人が背中を預けられる頼もしい騎士として成長した。
フィルは迫り来る二枚の羽を亡き父から譲り受けた両刃剣で弾き返し、雷蔵たちの前に立つ。
「私を忘れて貰っては困るなッ!! 」
レーヴィン・ハートラント。
同じくイシュテンで巡り合った、シルヴィに忠誠を誓い続けるの女騎士。
銀騎士の名に恥じないその甲冑は、火之加具土命の魔力に反応して光り輝いた。
「楽しそうな事してるじゃねえか! 俺達も混ぜろよォッ!! 」
「相手が炎を司るのなら、私はそれを凍らせるだけ。任せて」
ラーセナル・バルツァーとディニエル=ガラドミア。
フレイピオスで出会った、オークの戦士とエルフの魔法使い。
シルヴィの守護騎士としてその生を全うする彼らの背中は、とても心強く見える。
「こいつァ随分とでけェ化け物だねェ。でも斬り甲斐がある」
そしてゆっくりと雷蔵達の隣に歩み寄る盲目の老人、霧生平重郎。
卓越した居合を以て、幾度となく彼らを救ってきた老練の侍。
苦楽を共にした戦友たちが、雷蔵達三人の下に再び集まった。
笑みを浮かべていたロイの表情がやがて怒りを伴ったものへと変貌し、同時に白い魔力が溢れ出る。
「遅いぞお主ら! 待ちくたびれて死にそうになっていた所だ! 」
「馬鹿言え、こっちだって死に物狂いで来たっての! 」
「そう。ラーズが転んだ時は大変だった」
「ばっ、それ言うなっての! 」
強大な敵を目の前にしても尚、軽口を叩き続けるラーズ達を目の当たりにして雷蔵とシルヴィは視線を交わした。
たとえ自分が元凶となってしまっていても。
たとえ自分の存在が目の前の巨悪を生み出す原因となっていても。
自分たちには背中を預けられる人間が居る。
それだけで、得物を握る力は強まった。
「ロイ・レーベンバンク! 貴様を討ち、俺達は未来へ進む! その命、貰い受けるぞッ!! 」
「せいぜい足掻くが良い、放浪者共めェッ!! 」




