第百十四伝: 二刀絢爛、この一撃は友の為に
<研究所・屋上>
そして、同刻。
ハインツたちを任せて先に進んだ雷蔵、シルヴィ、椛の三名はただひたすらに階段を駆け上っていた。
白を基調としたラボの廊下には、生気を感じられない。
人工魔獣でさえもこの一帯にはおらず、3人は我武者羅に足を動かしていた。
会話も無い。
それ程彼らは不安と緊張、覚悟を抱えていた。
果たして自分たちはロイを倒せるのだろうか。
自分たちは世界を救う事が出来るのだろうか。
そんな重圧が、全身に圧し掛かる。
「……」
雷蔵は階段を登っていく最中で、脳裏に自身の親友とその妻である長政と藤香の姿が思い浮かんだ。
ロイという純然たる悪を討ち取るのには、二人を手に掛けねばならない。
もう一度、親友を殺す事が出来るのか。
否、殺さなければならない。
最愛の人であるシルヴィや、弟のように思ってきたフィル。
そして背中を預けて共に今まで戦い抜いてきた何人もの仲間を守る為に、彼の現在を守る為に彼は過去を斬らねばならない。
やがて薄暗い廊下の先から、屋上へと続く光が差す。
一目散に3人は階段を駆け上がり、白い魔力の奔流を目の当たりにした。
「ようやく来られましたか、雷蔵さん。それにシルヴィさんや椛も」
莫大な魔力が流れ出る装置を背に、宿敵であるロイが気味の悪い笑みを浮かべながら両手を広げる。
その装置は筒状の巨大な硝子で諸悪の根源たる負の遺産、火之加具土命を包み込んでおり、其処から魔力が溢れ出ていた。
プロメセティアには魔装具と呼ばれる絶大な力を持った装備が幾つも存在している。
火之加具土命は武者甲冑を形どった鎧で、装備した者の命と引き換えに全てを焼き尽くす灼熱の炎を有する事が出来る代物だ。
そしてこの武具は過去の大戦で悪名高い一国の将軍が使っていたとされるもの。
故に、世界の脅威としてこの地に君臨していた。
「ロイ……! 」
「既に火之加具土命は起動しました。後は僕が此れを纏うだけ……」
「そんな事はさせません! 貴方なんかに、この世界を好きにさせる訳にはいかない! 」
そうシルヴィが豪語した所で、ロイの両隣から和装を纏った一組の男女が姿を現す。
志鶴長政とその妻、志鶴藤香。
二人は一振りの太刀と薙刀を手にしながら、雷蔵達の前に立ちはだかった。
「兄上……! それに義姉上まで……! 」
「雷蔵、椛。それにシルヴィさん、と言ったかな? 彼の邪魔をさせる訳にはいかない」
「何故だ! その男がとうに狂っている事もお前は知っているのだろう!? お主らが手を貸す道理はない! 」
雷蔵がそう言い放つと、長政は手にした刀の切っ先を彼らに向ける。
同じように藤香も薙刀を構え、戦闘態勢に入った。
「運命は、変えられません……。既に、時は動き出しました……」
「……雷蔵。一つだけ聞く。俺を、俺達を殺す覚悟はあるか? 」
長政の問いに雷蔵は息を呑む。
そして腰に提げていた愛刀・紀州光片守長政の柄に手を掛け、腰を深く落とした。
「無い。だが、お主らを救う覚悟はある」
瞬間、雷蔵は地面を蹴った。
まるで跳ぶかのように速さを伴いながら刀を手にする長政へと近づく。
「椛! シルヴィ! 藤香を頼む! 」
「任されました! 」
「兄上の事、頼んだぞ! 雷蔵! 」
左右の別方向へ向かって行く二人を一瞥しながら雷蔵は長政を鍔競り合い、刃を通して視線を交わす。
彼らの背後にいたロイがその光景を楽しむかのように凶悪な笑みを浮かべ、雷蔵の怒りが沸々と沸き上がった。
「まさかお前と剣を交える事になるとはね、雷蔵」
「抜かせ! そうさせたのは、お主の背後にいるあの男だ! 」
「生きていた頃はお前に剣で敵わないと思っていた。だが――――」
直後、長政の両腕が変化し緑色の太いオークの腕へと変貌を遂げる。
瞬く間に鎬を削っていた雷蔵の力が押し戻され、身体ごと後方へ吹き飛ばされた。
「雷蔵さん! 」
「――何処を見ているのですか? 」
隣で藤香の薙刀と鎬を削っていたシルヴィが雷蔵に気を取られ、横薙ぎの一撃を食らう。
刃にさえ当たらなかったものの、華奢な女性とは思えない力で同じように彼女も衝撃を殺し切れなかった。
「兄上、義姉上……! 」
「椛、言ったろう。俺達はお前たちを殺す気でいる。その手にした刃を向ける覚悟が無いなら……」
一人取り残された椛の下に藤香と長政が襲い掛かる。
「――今ここでお前は死ぬ」
「させないッ! 」
二人の刃が触れようとしたその瞬間にシルヴィが即座に体勢を整え、両者の間に割って入った。
彼女の握る宝剣リヒトシュテインと短剣がそれぞれ薙刀と太刀の刃を受け止め、火花を散らす。
「シルヴィ!? 」
「椛さん! 迷っちゃダメ! 私がいます! 」
「強いね、シルヴィさん。流石、王女なだけはある」
そう長政が吐き捨てたが直後、シルヴィの剣を易々と弾き返した。
同じようにして藤香の薙刀も拘束が解け、二つの銀刃が彼女の首を刈り取らんと襲い掛かる。
二人の攻撃を読んでいたのか、シルヴィは空中に飛び退く事で凶刃を肉薄した。
その瞬間、彼女の左手に小さな魔法陣が展開される。
「建てよ! 炎の円柱! 」
長政と藤香の足元から轟音と共に業火の柱が突如として立ち上り、二人の隙を無理やり作り出した。
その瞬間長政は脚部を馬の脚に変化させ、天高く飛び上がる。
変化。
人工魔獣のプロトタイプとして得た彼の力は、体の一部を動物や魔物のものに変化させる事が出来る。
人間離れした速さで飛び退く彼を横目に、藤香は薙刀で炎を払うのみで魔法を解除した。
「無駄です、王女よ」
「ええ、そんな事は分かっています! 」
藤香の問いに対し、シルヴィは不敵な笑みを浮かべる。
振り払われた火の粉の間から先ほど吹き飛ばされた雷蔵が真正面から突進しており、彼の愛刀は薙刀とかち合った。
「……! 」
瞬間、彼女の双眸が妖しく光る。
雷蔵の身体は瞬く間に動かなくなり、突然の出来事に彼は思わず言葉を失った。
その隙を突くかのように両足を狼のものに変化させた長政が雷蔵に飛び掛かる。
だが彼の刀は雷蔵を貫く事はなく、鋼のぶつかり合う音だけが周囲に響いた。
「椛……」
「兄上! もう貴方に人殺しはさせない! 兄上は死んだんだ! 雷蔵に殺され、そして人ならざるモノとして甦った! そんなものは兄じゃない……! 私の大切な人間を殺めようとする、魔物なんだッ!! 」
「良く言った、椛」
椛の小太刀と長政の長刀が鎬を削る。
敢えて彼女は得物を握る力を弱める事で均衡状態を崩させ、同時に身を屈めた。
体勢を崩した長政へ向けて振り上げた右脚の踵を下ろし、彼の身体を床に叩き付ける。
彼女の怒涛の勢いに気圧され、床に押さえつけられたまま長政は少しばかり身体を硬直させた。
しかし。
「これが人間相手なら俺は死んでいただろう。――――でもね」
地に伏したまま長政の腕がゴムの様に椛の首根っこを掴み、そのまま空中に固定する。
息が出来ない程の力で締め付けられ、悶絶した表情を椛は浮かべた。
そんな光景を黙って見ている二人ではない。
すかさず雷蔵とシルヴィは長政の下へ駆け、彼の一撃を阻止しようとする。
そんな二人に振るわれる無慈悲な薙刀。
雷蔵はその攻撃を空中に飛んで回避する横で、シルヴィは薙刀を受け止めた。
「長政ッ!! お前に椛を殺させはしないッ!! 」
「いいぞ、雷蔵……ッ!! 」
椛への拘束を解除し、再び火花を散らす長政と雷蔵。
彼が本気になった事が嬉しいのか、長政は死闘を繰り広げているのにも関わらず笑みを浮かべていた。
一合。
鍔競り合った状態から互いの剣を弾き返し、再度ぶつかり合う。
二合。
横殴りに振るった愛刀を受け止められるも、雷蔵は長政の刀を受け流し身体を回転させる。
三合。
両者の薙いだ刀が互いの肩と腕を切り裂き、鮮血が周囲に舞った。
「げほっ……ごほっ……! 雷蔵……! 」
彼の背後にいた椛が咳込みながら立ち上がる。
そんな彼女を一瞥すると雷蔵は血の滴る肩を無視し、再度長政と睨み合った。
「お主はシルヴィの下へ行け。彼との決着は拙者が……俺がつける」
「……分かった。死ぬなよ」
「無論」
それだけ交わし、雷蔵は再度刀を握り締める。
正眼で愛刀を構え、背後で藤香とシルヴィ達が戦う音だけが鳴り響いていた。
直後。
二人は同じタイミングで走り出し、やがて距離が詰まる。
長政の袈裟斬りを受け止め、衝撃を殺す事で両者の距離は再び開いた。
すぐさま長政が追撃として刀を突き出し、彼の腕を雷蔵は掴み取る。
腕を固定し刀を振らせないようにした彼は柄頭で長政の鼻を殴りつけ、その後腹部に一撃を加えた。
「ぐゥッ……」
よろめきながらも倒れずに足を踏ん張り、長政は再度雷蔵との距離を詰めた。
刃を交える事で火花が周囲に舞い、砂埃が立ち上る。
そんな視界が悪い中でも二人は幾多にも及ぶ剣戟を繰り広げ、視線を交わし合った。
言葉は要らない。
ただ、唯一無二の親友として彼を止めるのみ。
二振りの刀が鍔競り合う。
「はァッ!! 」
長政の突きを肉薄した後、彼の刀の剣腹に愛刀を乗せて雷蔵は一気に振り抜いた。
紀州光片之守長政の切っ先が長政の頬肉を掠り、赤い雫が周囲を舞う。
それでも長政は止まる事なく剣を振り抜き、雷蔵の腕の肉を抉った。
「ぬゥっ……!! 」
両者は止まらない。
ある者は、過去を断ち切る為に。今を生きる為に。
そしてもう一人は、最初で最後の死闘を唯一無二の親友と繰り広げる為に。
長政の全身に熱い痛みが襲う。
彼は間違いなく、今を生きている。
人間らしい痛みが、長政を人としての意識を取り戻させていく。
それを成し得るのは彼の前に立つただ一人の男、雷蔵だった。
「長政ァッ!! 」
「雷蔵ォッ!! 」
互いの名を叫び、両者は再び刀を打ちつけ合う。
刃が肉を裂こうとも、痛みを与えようとも二人には関係が無かった。
今を生きている。
過去と今の境界線に、二人は立っている。
たったそれだけの事実が、二人を突き動かした。
雷蔵は鍔競り合った最中で腰に差していた脇差を空いた左手に握り、一気に突き出す。
長政の肩口を抉るが、対する彼も空いた腕を槍のように変化させた。
雷蔵の脇腹を同じように抉り取る。
その隙を逃さぬまいと長政はもう一歩踏み出したところで雷蔵の頭上高く飛び上がり、刀を縦一文字に振り下ろした。
「でェェィッ!! 」
それでも、雷蔵の致命傷にはならない。
彼は長政の一撃を受け止め、その勢いのまま刀を薙ぐ。
互いに再び距離を取り合うも、雷蔵は長政を逃がさない。
「はァッ!! 」
右手の太刀を縦に振ると見せかけ、雷蔵は瞬時に身を屈める。
左手の脇差を横薙ぎに振るうもそれを躱され、空中に跳んだ長政からカウンターが迫った。
脇差を捨て、愛刀の柄を両手で握ると長政の銀刃が眼前にまで及んでいる。
歯を食いしばり、足に力を入れると吐息で愛刀の刀身が白く濁った。
直後、全身に力を込め雷蔵は長政の身体を押し返す。
其処で長政には大きな隙が出来た。
だが、彼は自身の身体を守ろうともしない。
ただ両手を広げ、笑みを浮かべて雷蔵の攻撃を待っていた。
微かに彼の口が動く。
「やってくれ」
その時、雷蔵の脳裏に懐かしい景色が浮かんだ。
首斬として人々から疎まれていた雷蔵に分け隔てなく接し、屈託のない笑顔を浮かべている。
共に遅くまで酒を飲み交わし、好きな相手がいると照れ臭そうに告げる人懐っこい笑顔を浮かべている。
これから自分が死ぬというのに、彼を最後まで案じていた優し気な笑顔が浮かんでいる。
長政は、最期まで優しかった。
「う――――」
振り切らねばならない。
断ち切らねばならない。
この因縁を。過去を。
未来へ進むために。愛する人たちを守る為に。
彼は、近衛雷蔵は進まねばならない。
「――――うおおあァァァァッ!!! 」
涙を浮かべながら、雷蔵は愛刀を長政に突き刺した。




