第百十三伝: 影と陰の騎士
<ヴィダーハ平原・砦跡>
深紅と紺碧のマントが荒野の風に靡き、二人の騎士が両者の間に立ちはだかる。
ハインツ・デビュラールとステルク・レヴァナント。
かつて彼らに刃を向けた二人の男が、今度はヴィクトールたちを守るかのように立っていた。
「す、ステルク……!? それに、あんたは……? 」
思わずゲイルが溢した一言に、ステルクは振り返る。
赤い双眸が彼と倒れるヴィクトールを見据え、ゆっくりと口角を吊り上げた。
「安心しろ、ゲイル。俺達は味方だ。フィルとレーヴィンが、俺達を説得してくれた」
「れ、レーヴが……? 」
「隊長。今までの御無礼、どうかお許し下さい。俺は間違っていた。貴方達という大切な人間がいながら、俺は甘えていたんだ」
「坊主……レーヴ……やったん、だな……」
彼ら全員を包み込む青い防護幕が迫り来る魔獣の侵攻を妨げる。
今まで応戦していたエヴァリィ達の部隊も負傷したルシアやギルベルト達の救助に向かっており、徐々に体勢を立て直しつつある。
そこで彼女は、驚くべき光景を目の当たりにした。
「傷が、塞がっている……? 」
「私も驚きましたが、どうやらこの防護幕のお蔭のようですな。腕の傷もすっかり治っています」
「あの男の……ハインツ・デビュラールの能力とでも言うつもりか? 」
ギルベルトが傷を負った左腕を回し、問題なく動けることを確認する。
同じようにルシアも腹部の刺し傷から血が流れる事は無く、ゆっくりと立ち上がった。
「少女よ、大丈夫か」
「は、はい……。その、ありがとうございます」
「礼には及ばん。人工魔獣の能力がこんな所で役に立つとはな」
「貴方様も人工魔獣として蘇生されていたのですね……ハインツ様」
クレアの言葉にハインツは頷く。
剣を地面に突き刺した状態から立ち上がり、ステルクの名を叫んだ。
直後、何時の間にか両刃剣を手にしていた彼が右手に魔力を集中させ一気に解き放つ。
「失せろォッ!! 」
大喝と共に右腕から青白い波動が放たれ、防護幕の外にまでその魔力が放出された。
彼の放ったオーラは周囲にいた人工魔獣の活動を止め、一瞬にして辺り一帯を静寂に包み込む。
「……ほう」
彼らの様子を見つめていた骸の騎士は周囲の魔力が激減していくのを感じ取った。
故に声を上げ、今までにない笑みを見せる。
「それが改造を施された人工魔獣の力という事か。だが良いのか? 貴様らの仲間を癒していた魔法陣でさえも消すぞ? 」
彼の言葉に対し、ステルクは同じように笑みを浮かべた。
既に彼の周りには回復を終えたヴィクトールたちが立ち上がっており、各々の得物を手にしている。
ステルクの隣にいたヴィクトールが槍の穂先を騎士に向けた。
だが、ステルクの能力によって消滅させられたのは魔導核を動力にして動く人工魔獣のみ。
軍勢の中にいた魔物は依然として生きており、今にも彼らとの距離を詰めようとしていた。
「構わねえよ、化け物。こっちだって準備は出来た。それに……良い所を見せられっぱなしってのも性分じゃない」
ヴィクトールの言葉と共に、彼の背後にいたエヴァリィ達が魔物との交戦を再開する。
その光景を背にして、ステルク、ハインツ、ヴィクトール、ゲイルの四人が残された。
エヴァリィ達の防衛網を潜り抜けた数体のリザードマンとガーゴイルが4人に襲い掛かる。
だが彼らはその群れを一瞬にして斬り捨て、再度骸の騎士と対峙した。
「こっからは反撃開始だ。人間様の底力、見せてやるよ。化け物」
「面白い……! 」
骸の騎士は手にした剣を高く掲げ、口を開く。
「我が名はフェリクス=クリューガー=ヴァルキッシュ! 我が一族の誇りを懸け、この剣を振るおう! 来い、人間共! 存分に死合おうぞォッ!! 」
騎士――――フェリクスは大喝の後真正面から4人に突進してきた。
だがそれは人間が出せる速度ではなく、瞬きをする間に一気に距離が縮まる。
まず最初に剣を交えたのはハインツだった。
「やるなァ、人工魔獣とやら! 」
「この力……!? 」
その瞬間、フェリクスの脳が彼に警鐘を鳴らす。
ハインツの背後にしたヴィクトールが槍を構えながら飛び上がっている光景が映り、盾を横に振るう事で彼の攻撃を妨げる。
しかし、捉えたのは魔法で創り出した幻影でありフェリクスに僅かばかりの隙が生まれた。
(幻影魔法……!)
直後、再び彼は背後から殺気を感じ取る。
いつの間にか移動していたステルクとゲイルが各々の得物を振り上げており、刀と両刃剣の刃がフェリクスの両肩口を切り裂いた。
「ぬうッ……!? 」
「隊長! 」
ゲイルの呼び声に応えるかのようにヴィクトールが槍の穂先を突き出した。
フェリクスの頬肉を抉り取り、周囲に緑色の血液が飛び散る。
その状態のままヴィクトールは彼の身体を蹴飛ばし、後方へ吹っ飛ばす。
「ゲイル! ステルク! お前たちはルシア達の援護に回れ! 」
「隊長たちは!? 」
「こいつをどうにかする! 行け! 」
戦線へ向かって行く二人を守るかのようにヴィクトールとハインツがフェリクスの前に立ちはだかり、痛みに悶える彼を見据えた。
顔に傷を付けられた事が癇に障ったのか、フェリクスからドス黒い波動が立ち昇る。
「貴様らァ……ッ! 」
「ようやく本性を見せたな? 」
「所詮は魔物の端くれ、という訳か」
二人の言葉に憎悪を剥き出しにするフェリクスに対し、ヴィクトールは不敵な笑みを浮かべた。
そのまま彼らを殺す勢いでフェリクスは再度地面を蹴る。
「ハインツ! 」
「分かっているッ! 」
フェリクスの剣が地面を砕き、石ころが周囲に舞う直前に二人は空中に飛び退くとその勢いのまま得物を振り下ろした。
ヴィクトールの槍はフェリクスの二の腕を捉え、ハインツの剣は下腹部の肉を抉り取る。
返り血を浴びるも二人は臆することなく一歩前へ踏み込み、更なる追撃を加えようとした。
「魔族を……我を嘗めるなよォッ!! 」
大喝と共に放出される魔力の圧に両者は気圧され、フェリクスから再び黒い魔力の奔流が溢れ出る。
血を流しながらも剣と盾を握る彼の姿にヴィクトールは思わず息を呑んだ。
だが、彼の隣には頼れる騎士がいる。
彼の背中には守るべき部下たちや仲間たちがいる。
逃げるわけにはいかなかった。
あの惨劇を二度と、起こさない為に。
「ハインツ。俺が先に仕掛ける。後ろは任せたぜ」
「無論だ」
初めて出会った男なのにも関わらず、不思議とハインツには妙な安心感を覚えていた。
気が合う、というのは違う。
性格も真反対だ。
だが、不思議と彼には背中を任せられる戦友のような感覚を感じる。
「逝ねェッ!! 」
先ほどの高潔さはどこにやら、フェリクスが声を上げながら真っ直ぐに二人の方へと距離を詰めてきた。
横殴りに振るわれた直剣を身を屈めて避け、石突を振り上げる。
その攻撃を盾で受け止められるも、勢いを殺し切れずに胸部ががら空きになった。
すかさずヴィクトールの背後にいたハインツが距離を一気に詰め、体当たりを食らわせる。
体勢を崩したフェリクスに追撃を与えるかの如くハインツは身体を捻転させて剣を振り上げ、彼の肩口に斬撃を叩き込んだ。
「ぐゥッ……!? 」
激痛に顔を歪ませるフェリクスを一瞥し、ヴィクトールとハインツは更に一歩彼の懐に入り込む。
だがやられたままで黙っている彼ではないのか、先に踏み込んでいたハインツは盾で殴りつけられた。
後方へ吹っ飛ばされるハインツを横目に、ヴィクトールは手にした槍を突き立てる。
勢いよく突き出された槍の穂先は確かにフェリクスの腹部を貫いた。
人間のものではない色をした鮮血が周囲を舞い、槍を伝って地面に流れ落ちる。
悶絶した声が、目の前のフェリクスから発せられた。
「人間風情が……! ここまでやるとは、褒めてやろう……! 」
だが、と彼は付け加えた後に槍の柄を握り締めていたヴィクトールの身体を蹴飛ばす。
その勢いで槍はフェリクスの腹部から抜け落ち、同時に彼も地面へ叩き付けられた。
尋常ならざる力で距離を離されたヴィクトールの視界は揺らぎ、血を滴らせながらゆっくりと歩いてくるフェリクスの足音を耳にする。
「ヴィクトール!! 立て!! 」
「良くぞ我にこんな傷を負わせた……! せめて、一太刀で……! 」
ハインツは再び体勢を崩したヴィクトールを救おうと駆け出す。
だが彼との距離は無慈悲にも人の足で追いつけるような距離ではない。
「受け取れェッ!! 」
得物を落とした状態のヴィクトールに対し、ハインツは自身が手にしていた剣を投げる。
このままではどの道彼は殺されてしまう。
一か八か、彼が受け取るか剣を落とすかに考えた末の行動だった。
朦朧とする意識の中でヴィクトールは呼吸を整えながら地面に足を着け、目と鼻の先まで近づいたフェリクスを見上げる。
彼に向けて、銀の刃が振り上げられた。
それでも、ヴィクトールは不敵な笑みを崩さない。
彼の命を刈り取る剣が勢いよく振り下ろされた。
鮮血が舞う。
二人の様子を目の当たりにしたハインツは思わず絶句し、恐る恐る近づいた。
「……危ねぇじゃねえか、こんなもん投げやがって。なぁ? 」
「貴、様……。今、のは……! 」
先ほどの行動が嘘のように、ヴィクトールは軽々と立ち上がり差し迫っていた凶刃を退かす。
ハインツから投げ渡された剣は確かに彼の手に握られており、そしてその剣はフェリクスの腹部から伸びていた。
「人を騙すのは元から得意なもんでね。良く引っかかってくれたよ」
ゆっくりと地面に倒れるフェリクスを見下ろし、ヴィクトールは懐から煙草を取り出すと口に咥えて火を点ける。
咥えたままヴィクトールは腰を下ろし、地に伏す彼と目線を合わせた。
「この借りは……必ず……! 」
「次なんて無ェさ。意識が飛んだ振りに騙されたお前が悪い。卑劣だ何だとか言うつもりなら……」
ヴィクトールはそのままフェリクスの首目掛けて振り下ろす。
身体と頭部が切り離された彼は完全に意識を失い、二度と口を動かす事は無い。
「出直してきな。ここは戦場だぜ」
そう吐き捨てると、彼は剣を一度だけ振り緑色の血を振り払う。
ハインツが歩み寄ってくるのを確認すると、柄頭をハインツに向けた。
「助かった。良いタイミングだったぜ、色男」
「……つくづく食えん男だな、貴公は」
「褒めるなよ、照れるぜ」
煙草の煙を吐きながらヴィクトールは地面に落ちていた槍を担ぎ上げ、背後を振り向く。
自身の部下や教え子たち、共に戦場を潜り抜けてきた戦友たちが未だ押し寄せる人工魔獣の群れと交戦していた。
休んでいる暇など無い。
「……ハインツ。一つ、聞いて良いか? どうして俺達を助けた? お前さんにゃ何の義理も無い筈だが……」
隣に立つハインツは同じように剣を担ぎ、ヴィクトールよりも先に歩き出す。
「惚れていた女に頼まれた。これ以上の理由があるか? 」
普段見せないハインツの不敵な笑みに、思わず彼は虚を突かれた。
そしてヴィクトールは再度、同じように口角を吊り上げる。
嘗て自分がレーヴィンを助けたように。
彼もヴィクトール達に手を差し伸べた。
ただそれだけの事だ。
「ある訳無ェな。んじゃ、もうひと踏ん張りと洒落込みますか、ハインツさんよ? 」
「無論だ。背中は任せたぞ、戦友」
煙草を地面に捨て、先を走るハインツを追うようにヴィクトールも駆け始める。
今、二人の騎士が戦場に舞い戻っていった。




