第百四伝: 情熱
<花の都ヴィシュティア・中央広場>
軍略会議を終え、一足先に会議室を抜け出した雷蔵は単身広場のベンチに腰かけている。
直前に迫った最終決戦が起因し、あれだけ華やかだったヴィシュティアの市場はもぬけの殻だ。
三国に住まう国民全員が指定された地下のシェルターに避難し、今や軍部の人間のみが都市部に身を置いている。
雷蔵は再び空を仰いだ。
何度目かは分からないが、青空に飛び立つ小鳥たちが視界に入った。
泣いても笑っても、3日後で全ての命運が決まる。
彼ほどの腕の立つ剣客でさえも、胸の中に不安が生じるのは必然の事だった。
「雷蔵さんっ」
「そんなシケた顔すんなよ、雷蔵」
ふと彼の耳に響く、小鳥の囀りを聞き間違うほどの美しい少女の声と優し気な男の声。
声のした方へ視線を向けると其処にはラーズを連れたシルヴィが笑顔を浮かべながら傍に立っていた。
有無を言わさず、二人は雷蔵の隣に腰かける。
「ラーズ、それにシルヴィも。どうした? 」
「どうしたじゃありませんよ、私達雷蔵さんを探してたんですから」
「そうだぜ。ったく、雷蔵はふらっと何処かに行っちまうからな」
「はは、すまんな。生憎性分が流浪人なもので」
瞬間、ラーズの手が雷蔵の肩に乗った。
力強くも優しさを感じる彼の手に僅かばかり表情を引き締める。
シルヴィの手も彼の右手に乗せられ、より人の温かみを感じた。
「……不安か? 」
「違うと言えば、ウソになる。この戦いに負ければ今まで積み重ねてきた全てのものが無下にされてしまう。その責任を負うのは、怖い」
だろうな、とラーズは言葉を洩らす。
隣のシルヴィも彼の不安に気づいたかのように視線を俯かせた。
「何もお前ひとりに負わせるつもりもねえさ。俺が、シルヴィ達がいる。前なら任せとけよ、身体の丈夫さには自信があるんだ」
「ラーズ……」
「ラーズさんの言う通りです。私は雷蔵さんの強さを知ってます。戦っている時にはいつも、貴方が隣にいました。その安心さを、暖かさを私達は知っています。だから、乗り越えられる。雷蔵さんの過去が貴方に牙を剥くなら、私達は雷蔵さんの今を守ります」
力強い二人の言葉と共に、雷蔵の肩が僅かばかり軽くなった気がした。
笑みを浮かべながらラーズと拳を合わせた後、隣のシルヴィの肩へ手を回す。
その時、ラーズが静かに立ち上がった。
「……そうだな。シルヴィの言う通りだ。俺も、過去と向き合わなきゃいけねぇ」
「ラーズ……お主、まさか……」
「あぁ。俺も人工魔獣軍の中に、俺の身内がいる。親父だ。死んだはずの親父があの野郎に蘇生されてるって情報をさっき、な」
先ほどの優し気な表情とは裏腹に、怒りが篭っているのが見て取れる。
自身の過去が敵として刃を向けてくる。
その恐怖と苦しみは、想像以上のものだ。
「……ラーズさんは、戦えるんですか? 」
「安心しろ、今更怖気づいてちゃ話にならねえ。今は親父以上に守りたいものがたくさんある。その為なら俺は親父だってぶん殴ってやるさ」
「強いな、お主は。拙者は受け入れるのに膨大な時間が掛かった」
「ロイの思惑は知ってるしな。戸惑ったらそれこそ、あいつの思い通りになっちまう」
だから、とラーズは続ける。
「乗り越える強さを持つんだ。今が正しいって言える勇気を持つんだ。そうすりゃきっと、お前だって乗り越えられる」
「励ましてくれているのだな、お主なりに」
「おう。こんな事は滅多にねえぜ、取っときな」
明快な彼に似合わない不敵な笑みを向けたラーズに、雷蔵は拳を合わせた。
「それによ、お前にゃシルヴィもいるだろ? そんな可愛い彼女いたら、誰だってカッコつけたくなるぜ」
「ら、ラーズさんっ! 恥ずかしい事言わないでくださいよ! 」
「へへ、悪い悪い。んじゃ、俺は先に帰ってるぜ。二人も頃合いになったら来いよ、待ってるからな」
そう雷蔵とシルヴィに告げるとラーズは一足先に広場の奥へと消えていく。
突入班の滞在する迎賓館へと戻っていった彼を見守ると、隣のシルヴィが雷蔵の肩に寄り掛かった。
「なあ、シルヴィ」
「はい? 」
「君は、戦うのが怖いか? 」
人形のように整った彼女の顔が雷蔵を見上げる。
少しだけ笑みを浮かべた後に、シルヴィは首を横に振った。
「いいえ。さっきも言いましたけど、私には信じられる仲間がいます。それに、雷蔵さんも。きっとこの戦いだって乗り越えられると思っています」
「その仲間が、自分のせいで傷ついてしまうと分かっていてもか? 」
シルヴィは頷く。
「傷なら癒せます。それに私も、彼らの為ならどんな痛みだって受け入れられる。前のフレイピオスの戦いだって、私は雷蔵さん達に救われました。だから、今度は私が貴方達を救う番です」
「シルヴィ……」
彼女の答えが、雷蔵の胸に突き刺さる。
周りの大切な人間が傷つくのを一番恐れているのは雷蔵自身だった。
なぜなら嘗て自分は友をその手で殺めているから。
だから雷蔵は、自分の身を挺して彼女を救った。
そしてシルヴィの下を去った。
「大切な人の為なら傷つくのは怖くありません。たとえなんと言おうと、私が雷蔵さんを守ります。もう過去を恐れる必要は無いんです」
「ありがとう……シルヴィ」
直ぐ近くにあった彼女の顔を見やると、雷蔵はそっと口づけをする。
一瞬驚いたような表情を見せるが、直ぐにシルヴィは彼を受け入れた。
「……君は俺が守る。もう逃げたりはしない。俺は過去に打ち勝ってみせる」
「そう言ってくれるの、待ってました。雷蔵さん」
「済まないな、随分と時間を掛けた」
「いいんですよ、待つ事は慣れてますから」
悪戯な笑みを浮かべるシルヴィの事が愛おしく見える。
そう思った瞬間、雷蔵は彼女の身体を抱き締めていた。
柔らかく、そしてどこか優し気な空気が二人を包む。
「この決戦が終わったら、雷蔵さんはどうするんですか? 」
「……決めていないな。君と一緒にいる事は確実だろうけど」
「なら、もう一回一緒に世界を回りましょう。雷蔵さんと私が初めて出会った頃と同じように」
「また放浪者へと戻る、か。悪くない」
雷蔵は今一度ベンチから立ち上がり、再び青空を仰いだ。
「ならば、此度の戦いは勝たねばな。共に行こうか、シルヴィ」
「――はいっ! 」
二人は固く手を繋ぎ、ラーズが向かった方向へと歩みを進んでいく。
もう迷いはない。
現在を、未来を取り戻す為に二人は再度歩き始める。
そうして雷蔵たちは、決戦の日を迎えた。




