第百三伝: 星の光たち
<魔道連邦フレイピオス・花の都ヴィシュティア>
その数か月後。
いよいよ決戦の日を目前に控えた、ある日の事。
雷蔵、椛、平重郎を含めたフレイピオスの特務行動隊は何事もなくヴィシュティアに凱旋し、国民の避難場所の確保や三国の合同訓練に当たっていた。
刻一刻と迫る決戦の日。
そんな中、春の温かみを感じさせるこの日に雷蔵は一人宿屋のベランダから青空を仰いでいた。
彼は木製の床に胡坐を掻きながら愛刀・紀州光片守長政を漆塗りの鞘からゆっくりと引き抜き、身に纏っていた灰色の胴着の懐から白い布を取り出す。
次に刀身に付着した古い油や汚れを手にした布で拭い去ると、今度は傍に置いてあった小物入れから幾つもの綿毛が一つになった打ち粉を取り、刀身に白い粉を丁寧に塗していく。
すると目には見えなかった汚れが露わになり、また別の拭い紙で付着した粉ごと汚れを拭きとる。
刀身の油が取れるまでその行動を繰り返した後、雷蔵は刀の切っ先を青空に向けて見据えた。
煌々と輝く太陽の光に反射し、愛刀の輝きを目の当たりにする。
よし、と呟きながら刀を右腿の上に寝かせ、小瓶に入った刀剣油を刀身に塗り始めた。
その後雷蔵は小さな木づちで目釘を抜き、赤い柄を取り外すと志鶴長政の名が刻まれた茎の部分を見つめる。
「長政……」
かつて己の手で殺めた親友の名を洩らした。
彼の操る愛刀は、敵として立ちはだかる長政が打った最後の一振り。
覚悟を宿したその双眸を茎から離すと、彼はまた汚れを取り除き始める。
鎺も外してから全ての清掃が済んだ後、薄く油を塗り終えた。
愛刀の手入れに夢中になっていたのか、呼吸をも忘れていた雷蔵は深い溜息を吐く。
柄を嵌め直し、目釘を差し終えたあとに愛刀を鞘に納めた。
納刀特有の甲高い金属の音が周囲に響き渡り、同時に彼の気も引き締まっていく。
その時だった。
背後から扉の開く音が聞こえ、靴底が床と触れ合う心地良い音が響く。
振り返ると其処にはまるで人形のような整った顔立ちと絹糸のような長い銀髪を揺らす少女が立っており、雷蔵を見るなり笑みを浮かべた。
「シルヴィ。起きたのか」
「はいっ。もう準備は済んでますか? 」
「うむ、今しがた刀の手入れも終えた。今日は確か、軍略会議であったか? 」
彼の問いに少女――シルヴィは頷く。
一年という時を経て背も伸び、身体的にも精神的にも成長した彼女の姿が眩しく映った。
「そうですね、集合の時間にはまだありますけど。……早めに出て、一緒に行こうかなと思ったんです」
「良い考えだ。では、早速出るとしようか」
「はいっ! 」
満面の笑顔で答える彼女の横を通り過ぎ、雷蔵は一足先に宛がわれた部屋を後にする。
シルヴィが出る際に扉を支え、彼女を通らせると二人は並んで宿屋の外に出た。
ヴィシュティアの通りに差し掛かったところでシルヴィが突然雷蔵の右腕に両腕を絡ませ、彼の顔を見上げる。
「お、おい? シルヴィ? 」
「えへへ、少しくらいエスコートして下さい。もうそういう関係、でしょう? 」
小悪魔らしく小首を傾げながら尋ねる彼女の姿に雷蔵は頬を僅かばかり赤らめ、照れ臭そうにそっぽを向いた。
ただ彼女の腕を離す事は無く、より一層彼女の手を握る。
「な、なんだか存外に照れ臭いのう……」
「いいじゃないですかっ。……それとも雷蔵さんは、嫌ですか? 」
「またお主はそうやって……。拙者をからかっておるのか? 」
「そんなつもりはありませんよーだ! こうしてまた雷蔵さんと歩けるのが嬉しいんですっ」
彼女からの100%の好意に対し、雷蔵はただ頬を紅潮させる事しか出来ない。
避難を済ませた住民が多いせいか日中にも関わらず人通りは少ないが、それでも気恥ずかしい。
「姫様ーっ! 雷蔵殿ーっ! 」
二人が大通りへと差し掛かった頃、彼らの背後から手を振る金髪の女性が一人。
レーヴィン・ハートラント。
彼女も特務行動隊として配属された内の一人であり、かつてシルヴィに仕えていた騎士だ。
胸元にレースが入った白いブラウスを身に纏い、黒いスキニーパンツを穿く彼女の姿は凛々しい。
「レーヴ! 来てたんですね! 」
「えぇ。騎士たるもの、仕える主よりも早く到着するというのが私の務めです。で、ですが姫様? その様子は……」
「……えへへ。ちょっと調子に乗っちゃいました。でも王女の位も無くなった訳ですし、普通の恋をしたっていいじゃないですか」
「そ、それはそうですが……」
困惑するレーヴィンを含めた3人は更に大通りの奥へと進んでいく。
歩き続ける事数分、彼らは政府官邸へと辿り着いた。
官邸の正門には既にヴィクトール率いるリヒトクライス騎士団の面々やシルヴィの執事であるギルベルトとクレアが集合しており、3人を見つけるなり駆け寄ってくる。
「おはようございます、雷蔵さん、シルヴィさん、レーヴィンさん」
「既に来ておったとはな、フィル」
「はい! 僕たちも昨日フレイピオスに着いたばかりなんですが、居ても立っても居られず来てしまいました」
「平重郎や椛は来ているのか? 」
「彼らなら会議室の方へご招待しております。少し時間は早めですがね」
「既にヴォルト陛下やミカエラ首相も来られています。参りましょう」
クレアやギルベルトの言葉に従い、フィルたちを含めた9人は招かれるまま正門を通る。
フィルやゲイル、ルシアは官邸に入るのが初めてなのかドアを開けた瞬間に感嘆の声を上げ始めた。
「すっげぇ……」
「ゲイル、置いてある物壊したりしたらダメだよ」
「す、するわけねえだろ! 」
「見つけたら給料から差し引いておくからなー」
「ひでえよ隊長まで! 」
和やかな会話を繰り広げるゲイル達を横目に、雷蔵たちは先に階段を上がり二階の会議室を目指す。
紺色の絨毯が敷かれた床を歩き続け、7人は目的の部屋へと辿り着いた。
先頭のシルヴィが装飾の彫られた扉をノックし、向こう側からゼルギウスの声が聞こえる。
「特務行動隊一番隊、シルヴァーナ=ボラット、並びにレーヴィン・ハートラント。リヒトクライス騎士団の方々をお連れしました」
「良く来てくれた。皆、座ってくれ」
彼に言われるがまま7人は各々の席に向かい、黒革製のソファに腰かけた。
「先ずは早めに集まってくれたことに礼を言おう。早速だが、只今より作戦会議を開始する」
「はい。先ずは、各部隊の分け方といった所でありましょうか」
ミカエラの言葉と共にゼルギウスは頷き、中央の机に射影媒体を起動する。
決戦の地であるヴィダーハ平原の全体図が映し出され、次にロイの研究ラボが表示された。
「先日、突如としてヴィダーハ平原の地中から奴のラボが姿を現した。連合軍の斥候によれば、ここが奴の根城だという事が判明した。この本拠点を中心に敵の人工魔獣軍が編成されているらしく、各部隊に指揮官クラスの知能を持った連中がいる」
「その指揮官とやらが、人型の人工魔獣である可能性は? 」
ヴォルトの問いに彼は首を横に振る。
「いずれも全て亜人の人工魔獣だという。スケルトンやゾンビの騎士などが多く見受けられている」
「つまりは本拠地に目的の連中が全員待ち構えている、という事か……。大統領、罠の可能性は? 」
「十分にあり得る。そこで、今回は突入班を護衛する部隊を編成した」
射影媒体から数名の名前がピックアップされた。
緑色の文字で表せられるヴィクトール、ゲイル、ルシア、クレア、ギルベルト、エヴァリィの名前。
6人に緊張の糸が張り巡らされる。
「まず、護衛部隊の隊長をヴィクトール。君に頼みたい。エヴァリィとギルベルトには彼の補佐役を任せ、クレア、ルシア、ゲイルの三名は彼らの指示に従ってほしい。また、君たちの方から希望する人員があれば用意しよう。ただし、人数は90名以下に絞ってほしい」
「任されました。大統領や陛下はどうするんです? 」
「私達は連合軍の各国本隊の指揮を執る。ヴォルト、それで良いな」
「異存はない。安心しろ、余の機甲隊で大半は殲滅してみせようぞ」
「頼もしい言葉だ。イシュテンの方はデフロット団長が総司令官で良いか? 」
「はっ。国を守るのは騎士の務め。粉骨砕身、僕たちがやらせて頂きましょう」
デフロットの力強い言葉にゼルギウスは頷き、射影媒体の宝玉に手を置いた。
「突入する際、最前線は各国の遊撃部隊が担当する。そこでだが、ヴィクトール隊長とギル、エヴァリィ副官から作戦の提案がある、よく聞いて欲しい」
ゼルギウスの言葉と共に雷蔵の隣に座っていたヴィクトールとエヴァリィ、シルヴィの傍に立っていたギルベルトが会議室の中心に姿を現し、彼が手にしていた宝玉をギルベルトが受け取る。
「まず敵本拠地へと向かう道中ですが、十中八九他の人工魔獣による妨害が予想されます。遊撃部隊の第一派が敵と交戦する前に予め罠を仕掛け、敵の戦力を削るという作戦です」
「味方に被害が出る可能性はありますか? 」
「ご安心を、お嬢様。その罠を発動する前にフレイピオスの魔導士部隊が魔法障壁で連合軍全体を保護します」
ギルベルトが説明を終えた途端、右隣のエヴァリィが口を開いた。
「其処で、フレイピオスと我が国の技術力を結集した破片機雷というものを使わせて頂く。魔法で透明化を施したこの地雷は、このスイッチを押す事によって起動する」
円盤のような模型を取り出したエヴァリィは中心にあったボタンを押し、地雷が起動する手順を全員に見せる。
「本来ならこのスイッチが押された瞬間に内蔵された火薬が炸裂し、同梱されている無数の小さな鉄球が周囲に飛び散る仕組みとなっている」
「……魔法効果を伴った攻撃でないと、人工魔獣は倒せないのでは? 」
「いい質問だ、ガラドミア。無論、この地雷には予め火属性の魔法付与がされているから、奴らにも効果的なダメージを与えられるのだ」
不敵な笑みを浮かべるエヴァリィに対し、エルは肩を竦めた。
そして彼女の隣に立っていたヴィクトールがようやく口を開く。
「この破片機雷を起動した後にヴァルスカの魔導砲を斉射、敵の部隊を細切れにするって訳。司令部を守る迎撃部隊はリヒトクライス騎士団とヴァルスカ帝国軍が担当し、遊撃部隊にはフレイピオスの魔導士部隊を宛がう。その後、俺達は突入班を連れて敵本拠地へと駆け抜ける。防衛部隊は彼らの到達を最優先にする事。これが突入作戦の概要だ、何か質問は? 」
「隊長、仮に防衛班の方々や突入班の方が敵の攻撃により戦列を離脱してしまった場合にはどうすれば良いですか? 」
「防衛部隊をお前たちが気に掛ける必要はない。ただ突入班が攻撃に遭った場合には俺たちが全力でサポートする。心配すんな、坊主」
フィルに笑顔を向けるヴィクトールを一瞥し、ゼルギウスは次に雷蔵たちへと視線を傾けた。
「突入班は奴の指名通り、雷蔵たち8人に任せる。……君たちだけにこの重大な任務を負わせてしまうのには遺憾だが、君たちだけが頼りだ。その道中を我々が全力でサポートする。決して振り返るな。君達は君たちだけの戦いに集中しろ」
彼の厳かな雰囲気と、決意を伴った言葉がこの場に居た全員の気を引き締めさせる。
「この数か月間、我々は今までの蟠りや規則を捨て、世界を救う事だけに全力を注いできた。新型魔導銃の訓練、連合軍の合同演習はこの為だけに行われてきたものだ。その成果を今、あの魔獣共に見せつける日がもうすぐやってくる。各自、後悔のない様に過ごして欲しい。健闘を祈る」
ゼルギウスが話し終わったと同時にその場にいた全員が国の伝統に沿った多種多様の敬礼を見せる。
その後彼らはゆっくりとした足取りで会議室を立ち去り、政府官邸を後にした。




