第百伝: 償い
<交易都市ラ・ヴェルエンテ>
それから、約数時間の時が流れた。
フィルと雷蔵は訓練場で真剣を用いた模擬戦を繰り広げており、呼吸をするたびに白い気体が顔の周りを舞う。
彼と距離を取りながら息を整え、腰の鞘に愛刀を収めた。
「今日はもう遅い。ここまでとしよう」
「ありがとう、ございました……! 」
互いに頭を下げ、雷蔵はフィルにタオルを渡す。
くたびれたように彼は地面に尻餅を着き、顔中から噴き出している玉のような汗を拭い始めた。
「久々の鍛錬は疲れたか、フィル」
「はい、でもおかげで初心を取り戻せましたよ。ゲイルも平重郎さんと稽古してるし、ルシアも隊長に色々教わってるみたいですから丁度良かったです」
「そうか。ならば良かった」
一呼吸置いたところでフィルは立ち上がり、地面に脱ぎ捨てていた騎士団の防寒用ジャケットを羽織り直す。
「明日も同じようにここで稽古をしよう」
「それなんですが……しばらくまた会えそうにもないんです」
フィルの言葉に雷蔵は眉を顰めた。
「ヴィクトール隊長から直々に勧告がありまして。どうやら一度イシュテンに戻り、軍備の増強や国民の避難を行うとの事です」
「そうだったか……。お主も騎士としての務めがある、という事だな」
彼は頷く。
雷蔵を見つめるその双眸は既に幾多の戦場を駆け抜けた一人の騎士としてのもので、一層の成長を感じさせる。
ですが、とフィルは付け加えた。
「これから三国間での合同演習が何度もあると思います。ヴァルスカ製の魔導銃の訓練、互いの戦術の確認や隊列の編成などを組むのが主な目的ですね。近いうちにまたお会いできるでしょう。雷蔵さんはどうされますか? 」
「おそらく拙者はフレイピオスに一度戻る事になる。単身で行動すると言っても、シルヴィが離してはくれぬだろうからな」
「……惚気ですか? 」
「違うわ阿呆」
冗談交じりにフィルの頭を小突き、互いに笑みを交わす。
その時背後から二つの気配を感じ取り、雷蔵はその方向へ視線を傾けた。
「……盗み見とは感心せんな、ゼルギウス。レーヴ殿」
「その心算はなかったのだが。まあ良い、久々に滾る戦いを見させて貰った。なあ、レーヴィン」
「はい。フィル君があそこまで成長しているとは思いませんでした」
どこからともなく姿を現したレーヴィンとゼルギウスが二人の下へ歩み寄ってくる。
憧れた騎士に褒められた事が嬉しかったのか、彼女の言葉にフィルは微かに頬を赤らめた。
レーヴィンはフィルに近づくなり彼の肩を叩き、優し気な笑みを浮かべる。
「初めて出会った時から素質があるとは思っていたが……いやはや、ここまで立派な騎士に育つとは思わなんだ。君のような騎士がいる限り、リヒトクライス騎士団はまだまだ安泰だな」
「あはは、そう言ってもらえるなら幸いです。僕は二人に憧れて剣を握る道を選んだんですから」
「フィランダー君を見ていると我武者羅に剣を習っていた幼い頃を思い出すよ。その力、存分に奮ってくれ」
「恐縮です、ゼルギウス大統領」
ところで、と言葉を口にしながらゼルギウスは雷蔵へと振り向いた。
「私がここに来たのは君に言伝があるからだ。一緒に来てはくれまいか」
「此処で話せばよかろう? 」
「……国家の重要機密に触れる事だ、出来るだけ安全な場所で話したい」
フィルやレーヴィンに視線を傾けると、二人は首を縦に振る。
「行って来て下さい。丁度訓練も終わった所ですし、僕もレーヴィンさんに用があるんです」
「フィル君がそう言うのなら。雷蔵殿、行ってはどうか? 」
「分かった。ではゼルギウス」
「あぁ。私に付いて来てくれ」
二人に別れを告げ、雷蔵は先に歩き始めていたゼルギウスの後を追い始めた。
道に降り積もった雪を踏み締めつつ雷蔵は彼の隣に追いつく。
「君には苦労を掛けているな、雷蔵」
「突然どうした、ゼルギウス? 珍しくしおらしいな」
「からかうなよ。君が国を離れてから、ロイの調査は君に任せっきりだったと実感したのさ。時々思うのだ、君がもしフレイピオスに残っていたら……とな」
「仮に拙者があそこでお主からの依頼を断っていたとして、結末は同じものよ。長政の命を弄んだあの男を斬る事に固執していただろう」
そうか、とゼルギウスは人形のように整った顔を微動だにせず、レンガの上を歩き続けた。
「……君は、過去に囚われ過ぎている。今を見る気はないのか? 」
「過去の過ちこそ拙者の生きる目的。それを否定するのならば、拙者は拙者でいられなくなる」
「"首斬"という名の十字架を背負ってでもか? 」
沈黙と共に、二人は客人邸宅の扉を開けて赤い絨毯の上を歩き始める。
暖房の暖かい空気に包まれた彼らは上の階層へと進むエレベーターを待ちながら、雷蔵は深い溜息を吐いた。
「雷蔵。私は君を助けたいんだ。君の力になりたい。それなのに何故、頑なに拒もうとする? 」
「友を一度この手で殺めているからだ。もう一度誰かと親密を深める資格など、拙者にはあるまい」
「あるさ。それとも君は、今私との関係が偽りとでも言うつもりか? 」
「それは……」
思わず雷蔵は口をつむぐ。
彼の返答に呆れたゼルギウスは乗っていたエレベーターから一足先に降り、彼の宛がわれた個室に彼を招き入れた。
前面に温かみのある色合いの絨毯や壁紙が張られ、魔導核で稼働する暖房機が更に二人の身体を温める。
招かれるまま雷蔵は部屋へと足を踏み入れ、腰に差していた愛刀を机の縁に立て掛けた。
「……まあいい。それよりも、今後の話をしよう」
ゼルギウスは部屋に置かれたティーポットを手に取ると茶葉の入った茶漉しにお湯を入れ始める。
数分経ってから彼は二つのティーカップに漉し出された紅茶を注ぎ、雷蔵に渡した。
「フィランダー君の説明にあった通り、君の管轄はフレイピオスだ。一度こちらの方に帰って来てもらい、その後三国との合同訓練に参加する流れとなる」
「内容は? 」
「新型魔導銃のテスト及び実戦投入だ。剣術の方でも、帝国軍やリヒトクライス騎士団との演習がある」
「相分かった。その間シルヴィ達はどうなるのだ? 」
「君と同様だ。そして近々、雷蔵を含めた三国の特殊部隊を編制する事となった」
そう言うと彼は机の引き出しから一枚の書類を取り出し、雷蔵の前に差し出す。
「これはその部隊の一覧だ。君やシルヴァーナを中心に編隊してある」
「……ロイに指定された人間は全て入っておるな」
ゼルギウスは静かに首を縦に振った。
彼の手に取ったその紙には旅を共にしていた雷蔵の仲間たちの名前が記されており、顎を撫でる。
「無論だ。このメンバーに加え、君たちを援護するメンバー構成も後々組む予定だ」
「……そう言えば、椛はどうなる? 彼女はフレイピオスで罪人と扱われていた筈だが」
「減刑を交渉材料に入れた以上、刑期を終えるまでは罪人扱いとなる。基本的に動きは兵に監視させるが、訓練や君たちと行動を共にする際には監視役は付けない事にするよ。それで構わないか? 」
おそらく世論を取り入れた結果なのであろう、ゼルギウスの表情はどことなく渋いものとなっていた。
雷蔵は彼の言葉に頷き、紅茶を口に含む。
「……本題はここからだ、雷蔵」
ゼルギウスは深い溜息を吐いた後、机の上に両肘をついた。
「負の遺産について教えて貰おう。ヴォルトから聞いたところによると、魔導核で動く大量破壊兵器という代物らしいが」
「……否、そんな生半可なものではあるまい。あの代物は、文字通り世界を滅ぼせる力を持ち得るものだ。それも、人間が装備するという形のな」
「魔導砲のような巨大な人工兵器ではないのか? 」
雷蔵は首を横に振る。
「名を火之加具土命と言う。あれは、和之生国が偶然見つけ出した過去の遺物よ。動力源は拙者も存じ上げぬが、我が国ではその兵器に関して知る事自体禁忌とされていた。故に和之生国は世界の均衡を保つ為に閉国制度を取り入れ、その秘密を守り通していた」
「しかし、近年ヴァルスカが和之生国を支配下に置いた事でヴォルトや国の上層部が知る事となったのか」
「あぁ。それともう一つ、火之加具土命には注意すべき点がある」
古くから和之生国にはプロメセティアとは異なった神話が浸透しており、負の遺産はその神話の神の名を冠していた。
文字通り灼熱の炎を纏う武具であり、それを身に纏った者は絶対的な力を手に入れるという逸話がある。
「それは? 」
「あの兵器の動作を止める際に、一人の命を捧げなければならない事だ」
思わずゼルギウスの表情が固まった。
重苦しい沈黙が部屋全体を圧迫するが、雷蔵は眉一つ動かさない。
「そんな、そんなものがあってたまるか! 冗談も大概にしろ! 」
「だからこそ和之生国はその存在をひた隠しにしていた。だがロイに見つかってしまった以上、文字通り命を懸けて止めるしかあるまい」
「雷蔵、まさか君は……! 」
雷蔵は頷いた。
「その役目、拙者が引き受ける。奴を逃してしまった、せめてもの償いだ」
ついに100話を突破する事が出来ました。
作者ともども、宜しくお願い致します。




