第十伝:銀騎士推参
<森林>
雷蔵たちはが定めた旅路を歩き続けてから、約二日の月日が流れる。休息を取る度に雷蔵はフィルとの鍛錬を行い、彼に剣の基礎を教えるという日々が続いていった。現在彼らは紺色に染め上げられた木々が並ぶ森林の中で腰を落ち着けており、雷蔵たちの周囲は既に空の色と同じように薄暗い紺に染まりかけている。薪木が積み上げられた先にオレンジ色の火が火の粉を散らしながらパチパチと音を立てて燃え盛り、夜風に冷えた身体を雷蔵は暖めた。
「それじゃ、武器を貸してください」
「はい」
シルヴィに言われるがまま、フィルは腰に差していた両刃剣を彼女に手渡す。その様子を見かねた雷蔵が焚き木の前に建つシルヴィとフィルへ向けて、口を開いた。
「なぁシルヴィ。本当に大丈夫なのか? お主が珍しくフィルと鍛錬をしたいと言うから任せたが……」
「ふふん、雷蔵さんは心配性ですね。私だって剣の腕には自信あるんですよ」
いつも雷蔵とだけ鍛錬をしてもつまらないだろうという彼女なりの思いやりなのだろう、ここに着いてからこの申し出があった事に雷蔵は内心驚きつつもシルヴィを見つめる。戸惑ったようにフィルも彼女を見つめているが、相変わらず当の本人は自信ありげに胸を張った。
「フィル君は……私と一緒に修行するのは嫌ですか? 」
「うっ……嫌じゃありませんけど……その……」
上目遣いで顔を覗き込まれるフィルは彼女の吸い込まれそうな青い瞳に心を奪われつつ照れ臭そうに後頭部を掻く。あなたみたいな美少女にそんな事言われたら断れませんよ、と言いかけた言葉を彼は胸に仕舞った。そんな様子を見ていた雷蔵は「ほら! やっぱり大丈夫ですよ! 」とシルヴィに言われ、呆れたように肩を竦める。
「分かった分かった。ならその防護魔法とやらを掛けるが良い。もう既に日が暮れかけている、時間もあまりないぞ」
分かりました、と握ったフィルの剣に視線を落としシルヴィは右手を剣腹に翳した。
「汝を屠る凶刃。定められた理と共に其れを包み給え。隠せ、刃の斬撃」
シルヴィがそう言い放った瞬間、剣腹に翳された彼女の掌から青白い光が溢れ出す。間もなくの光はフィルの剣を包み込み、白く発光し始めた。その後彼女は腰に差していた自身の細剣と短剣を引き抜き、同じように魔力の膜を貼った。
「ふむ。いつ見ても圧巻なものだ。まさか実剣で鍛錬を出来る日が来ようとはな」
「最近開発された魔法ですけどね。棒きれよりも実戦経験はつきやすいと思いますよ」
彼女の施した魔法は武器の表面に薄い魔力の膜を貼り付けるものであり、どんな事があろうとも効能が続く限り刃が人間の身体を傷つける事は無い。故に騎士学校や士官学校での訓練に重宝され、見習いの生徒たちが最も目にする魔法の一つであった。
「……では。両者、構えよ」
対峙するフィルとシルヴィの間に雷蔵は右手を掲げて立ち、両者を一度だけ見やる。フィルは剣を右手に握り腿の前で構え、対するシルヴィは左手に短剣の柄を握り胸の前へ移動させ、右腕を伸ばしつつ細剣の切っ先をフィルに向けた。
「始め」
雷蔵の言葉によりシルヴィは右足に力を入れ、向かい合っていたフィルとの距離を一気に詰める。剣先が撓る感触を掌に感じながら彼の首元を狙い、細剣を突き出す。雷蔵との鍛錬で戦闘での落ち着きを得たのか、フィルは彼女の刺突を剣腹で受け流した。その後フィルは剣を左方に傾け、柄頭を左手で握ると横一文字にシルヴィの顔面目掛けて薙ぐ。
「甘いですよっ! 」
しかしその剣撃を読み切っていたのか左手に握っていた短剣でフィルの斬撃を受け止め、隙が出来上がったフィルの胸部目掛けて再び右腕を伸ばす。
「……ッ!? 」
本能的に彼女の殺気を感じ取ったフィルは鍔競り合っていた剣の柄から左手を離し、身体を翻えさせてその刺突を肉薄した。その状態のままフィルはシルヴィの短剣と火花を散らしながら右手のみで剣を引き、腰を捻転させて彼女の左方へ振り抜く。
「きゃっ……! 」
辛うじてフィルの剣を防御するもシルヴィの身体はそのまま左へと押し返された。彼女はその状態から後方へと飛び退きつつ、短剣を握った左手を大きく掲げそのまま腕を振り抜く。幾ら魔力で保護されていると言っても投擲されたのは鉄の塊。極度の殺気を感じ取ったフィルは剣を傾けると同時に身を屈め、そのまま前方へと左足を踏み出した。投げられた短剣は彼の背後の木の幹に当たり、音を立てて地面に落ちる。しかし、その短剣はブラフに過ぎない。フィルが隙を晒したその瞬間、既にシルヴィは大きく前方へ飛び上がりながら彼との距離を一気に詰める。
「ッ! 囮か! 」
シルヴィは飛び上がった勢いで右腕を伸ばし、レイピアをフィルの剣を握る腕へ目掛けて突き出した。完全に無力化した、と確信したシルヴィの腕に弾かれた感触と鋼がぶつかり合う金属音が聞こえ、彼女は後方へ体を一回転させながら飛び退く。
「……母なる風……我が敵を討たん為に汝の疾走を与えよ……」
地面へ着地するまでにシルヴィはそう小さく呟き、そして地に足が着いた瞬間に左手に小さく展開した魔法陣を胸の前に突き出した。直後緑色の光が彼女の両脚を包み込んだと同時に再びシルヴィは一歩前へ前進する。
「与えよ・刹那の敏捷! 」
先ほどよりも遥かに速い刺突に、思わずフィルの表情が歪んだ。さっきまでは受け止められていたのにという焦りが彼の顔から見て取れ、シルヴィは不敵に笑みを浮かべる。ハーフエルフという彼女の属する種族がこの戦闘スタイルを行える第一の理由であり、もう一つは純粋なシルヴィの戦闘での適正能力の高さであった。プロメセティアに広く分布しているエルフの大半は彼女のように戦闘を行える人物が少なく、人間のように強靭な肉体を持つことによって戦士のように前線に立ち戦闘を行う事が難しい。故に魔法の技術と能力が人間よりも卓越しているのだが、人間とエルフのハーフである彼女は鍛えるほど肉体が前線向きになり、魔術を学ぶほど魔法適正が増していく。前線で戦いながら魔法の詠唱を行う事などシルヴィにとっては朝飯前だった。
「これ……もしかして……」
「ご明察! 魔法ですよっ! 」
フィルの焦りを誘発するようにわざと彼の脇腹や肩口を目掛けて剣を突き出すシルヴィの細剣が、苦し紛れに放たれたフィルの横薙ぎによって弾かれる。しかしシルヴィは防御される事を予測していたのか体内に有り余った魔力を使い、左手に青い魔法陣を展開した。
「引き戻せ・虚空の刻」
彼女がそう呟いた瞬間、フィルの背後にあった短剣が動き始め魔法の力によって宙に浮く。シルヴィから繰り出される無数の刺突を避ける事に必死なフィルは、その短剣に気づく事なく彼女の剣戟を躱し続けていた。完全に短剣を握る準備ができた彼女は、反撃として放たれた袈裟の方向の剣戟を避け故意的に自らの隙を作り出す。
「貰ったっ! 」
この鍛錬に打ち勝つ絶好の機会だと言わんばかりに彼の剣はシルヴィのがら空きになった左方へ剣を振り下ろした。――しかし、剣を振り下ろしたフィルが感じたのは肉を叩く鈍い感触ではなく金属を叩いた固い感触。フィルが彼女の短剣によって渾身の一撃を受け止められたと気づく頃に、シルヴィはすかさず右手に握っていたレイピアの切っ先をフィルの首元へ突き付けた。そこまで、という雷蔵の声が二人の動作を止め、シルヴィは笑みを浮かべながらフィルと距離を取り始める。
「う、嘘だ……さっきまで投げてたダガーがどうして今手元に……」
「これも魔法ですよ、フィル君。オプトニール・ツァイト。時空魔法の一種で、魔法陣で指し示した対象の時間を戻す魔法です。なので私の左手には短剣が戻ったわけですね」
気が抜けたようにフィルの身体は地面に倒れ込み、手にしていた剣を音を立てながら落とした。その様子を笑い声を上げながら雷蔵は見つめ、フィルの下へと座り込む。
「まあ、これでお主もまだまだという事だ。それにシルヴィの策にこうも簡単に嵌るなど戦士としてはまだまだ未熟よな。シルヴィは魔法を使う相手に対して良い練習相手になる、今後は気を抜くなよ」
「は、はいー……。まさかシルヴィさんがこんなに強いなんて……」
「伊達に一人で旅してませんからね。見くびってもらっちゃ困ります! さぁて、まだまだ続けますよ! 雷蔵さん、ご飯作っておいてもらってもいいですか? 」
「分かった分かった。ただあまり気の利いたものは作れんぞ。そこは分かってくれ」
額に浮かんだ汗を拭い、シルヴィは地面に置いたリュックサックから調理器具と食材を雷蔵に手渡す。地面に寝転ぶフィルに水筒を渡してから立ち上がらせると、二人は再び鍛錬を続けようとすぐ先の開けた土地に消えていった。
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<セブナック街道>
翌日。シルヴィとの鍛錬は雷蔵が夕餉を作り終えるまで続き、疲れ切った様子のフィルは朝日に照らさせるレンガ造りの街道を寝ぼけ眼で歩いている。被った笠の縁を傾け、雷蔵は隣に歩くフィルの肩を叩くと口角を吊り上げた。
「どうしたフィル。昨夜はよほどシルヴィに絞り上げられたと見えるが」
「意味深な言い方しないでくださいよ、雷蔵さん。それに私は剣の基礎を教えただけですし、これくらいは会得して貰わないと困るんです」
「そ、その割には物凄くスパルタだった気が……」
「厳しくするのは当たり前です。フィル君に死なれてしまったら目覚めが悪いですし、何より今は一緒に旅する仲間なんですから」
彼女の言葉を嬉しく思ったのか、フィルは照れ臭そうに頭を掻く。つくづく彼女は思いやりのある人間だ、と雷蔵は皮肉交じりに肩を竦めた。三日前の暑い気候とは打って変わり、涼し気な風が吹き抜けるこのセブナック街道はトランテスタが既に目と鼻の先である事を示す重要なファクターでもある。整備された街道はトランテスタを通して魔道連邦へ交易に向かう商人や貿易を行う国の役人に使われており、事実雷蔵たちも何度か共和国の国旗が記された荷車を見かけていた。
「今どのくらい歩いた? 」
「うーんと……セブナック街道の中間地点を過ぎたあたりですね。このまま歩き続ければ昼にはトランテスタに着ける筈です」
「ようやく、ですね。なんだか長い様で短い旅でした」
「左様。だからこそ拙者たちとの訓練を忘れてはならんぞ」
雷蔵の言葉にフィルは頷き、照れ臭そうに鼻を啜る。彼はフィルの頭を乱暴に撫で、笑顔を浮かべると再び歩き始めた。
「僕、雷蔵さんたちに沢山の事を教えて頂きました。その……改めて、ですけど。ありがとうございます。雷蔵さん、シルヴィさん」
「…何、礼には及ばんさ。拙者はお主に貰った恩を――」
フィルの言葉に返答をしようと背後を振り返った直後だった。彼の背後には粗削りな棍棒を手にした毛むくじゃらの亜人、コボルトが今にもフィルの後頭部目掛けて手にした武器を振り下ろそうとしている。
「フィル!! 伏せろっ!! 」
「……えっ? うわぁっ!? 」
「させませんよッ! 」
フィルの隣にいたシルヴィが間一髪でコボルトの首元に一瞬で抜き払った細剣を突き刺し、フィルに攻撃を届かせない。だがもしあのまま攻撃を受けていたかと思うと雷蔵は気が気でなかった。安堵の溜息を吐きながら腰に差していた愛用の刀"紀州光片守長政"の赤い柄巻の巻かれた柄に手を掛け、雷蔵は周囲を見回す。
「既に尾行されていたか……拙者ともあろう者が、獣人共の追跡に気づけないとは情けない……。フィル! 聞いておるな! 」
「はっ、はい! 」
「これは鍛錬ではない! 殺し合いだ! お主は自分が生き延びる事だけを考えろ! 良いな! 」
「わ、わかりました……! 」
街道の両端の茂みから続々と茶色い毛に覆われた魔物が姿を現し、雷蔵たちを獲物と捉えた瞬間に鼻息を荒々しく噴出させた。獲物を狩る時間を待っていたのだろう、狼の頭をした獣人たちはとても荒々しい気配を纏っている。2種族の睨み合いの中で沈黙を破ったのはコボルトたちの方であり、抜刀の体勢に入っていた雷蔵へ四方から飛び掛かった。まず雷蔵は神速の居合で正面のコボルトの胴体と下半身を斬り離し、その次に腰に差していた鉄製の鞘を左手で素早く抜き取ると自身の後方へ思い切り左腕を伸ばす。掌に肉の塊を殴りつけた感触を感じた後に雷蔵は両腕を前方と後方に伸ばしたまま身体を反時計回りに回転させ、彼の左右にいたコボルトたちを撃退した。
「腕は大したことはない……だがこうも数が多いと……」
「雷蔵さん! 後ろに飛んでください! 」
背後にいたシルヴィの声が聞こえたと同時に、雷蔵は言葉のまま後方へ飛び退く。直後、彼女の詠唱と共に絶大な魔力の気配を背後から感じ取った。
「遍く風、我が声と共に魔の者を切り裂く必殺の刃と化せ! 放て・疾風の刃! 」
幾つもの魔力の刃が風を纏いながら段々と速度を上げていき、集団で固まっていたコボルトの群れへと魔法で出来上がった鎌鼬が殺到する。身体の部位を斬り落とされた魔物は死の咆哮を上げながらその体を溶かし、辺り一帯に獣臭い死臭が漂い始めた。仲間を殺された事に腹を立てたのか、魔物たちは怒りの声と共に三人へ再び飛び掛かっていく。雷蔵は背後にいたシルヴィとフィルを守るように立ちはだかり、真っ先に雷蔵の下へと辿り着いたコボルトの頭部を横一文字に薙ぐと紫色の返り血と共に斬り落とされた狼の頭がフィルの足元へ転がっていった。
「うっ……! 」
「フィル! 余所見をするな!! 」
「は、はい! 」
一瞬だけ凄惨なコボルトの死体に吐き気を催したが、フィルは雷蔵の声と共に自身に喝を入れ対峙した魔物へ斬りかかっていく。獣人の手にした棍棒によって一度だけ剣は弾かれたものの、その防御はフィルのとって予測できたものだった。隙を突いたかのように棍棒を振り下ろしてくるコボルトに対して彼はその攻撃を肉薄し、がら空きになった胸部へ向けて右手の中の剣を突出させる。
「次ッ! 」
心臓を貫いた心地の悪い感触を右手に感じながらフィルは剣を引き抜き、周囲を見回す。彼は地面から地震のような揺れを感知し、その揺れは次第に大きくなっていった。そして振動が止まる頃に、フィルは揺れの正体を目の当たりにする。
「お、オーガだって……!? 雷蔵さん! 新手です! 血の匂いを嗅ぎ付けたのかオーガがやって来ました! 」
「ちぃっ……! こんな時に厄介な……! 」
オーガ、と呼ばれたミントアッシュ色の体毛に身を包んだ亜人は雷蔵たちよりも2倍以上ある身体をゆっくりと動かしながら彼らを見つめていた。どうやらある程度の知能はあるのであろう、彼らとコボルトたちの戦いをじっくりと観察しているように腕を組んで両者の戦闘から視線を離さない。肩から伸びた腕と背中から生えた腕はまるで丸太のように太く、その巨躯を支えている足も鋼のように固い様子が窺える。雷蔵はコボルトたちを処理しつつ二人を自分の周りに配置させ、オーガと対峙した。
「シルヴィ! あのデカブツの動きを止めれる魔法の準備を! フィル! お主は彼女の護衛を頼む! 」
「任せてください! ――土。岩。この世の全ての祖なる大地よ……」
「ら、雷蔵さんは!? 」
「拙者が時間を稼ごう! 」
一度鞘に仕舞っていた刀の柄に再び手を掛けながら抜刀の体勢を取り、彼は向かい合っていたオーガとの距離を一気に詰めた。胸の前で組んでいた両腕を離し、鉄塊のような二つの拳を構えるとオーガは常軌を逸した速さで向かってくる雷蔵へ向けて拳を突き出す。被っていた笠に拳が掠り、笠紐が千切れながら飛んでいったが気にしている余裕はない。雷蔵は出来上がった隙を見逃さずに伸ばされた右腕を目掛けて刀を抜き払った。
――しかし。
「……硬い……! 」
隙を晒した様子を嘲笑うかのように、オーガの口角が吊り上がる。深い体毛と想像以上に硬かった皮膚によって紀州光片守長政の刃は弾かれ、刀がオーガの右腕を切断するには至らない。ただ切り傷を付けたのみで、大したダメージは目の前の巨躯の魔物には入っていないようである。これまでか、と死期を悟り目を瞑った瞬間、彼の耳にはオーガの絶叫が響き渡った。
「させるかァァァァッ!!! 」
雷蔵へ向けてオーガの拳が放たれるよりも早く、フィルがオーガの掌へ向けて剣を突き立てる様子が彼の目に映る。痛みに暴れる大型の魔物からフィルと共に距離を取り、シルヴィの下へと舞い戻った雷蔵は背後の彼女へ視線を向けた。どうやら時間稼ぎに成功したようで、魔法の詠唱を完璧にさせる為に彼は今にもシルヴィを殺さんとしていたコボルトを斬り捨てる。
「出来ました! 砕け・大地の怒り! 」
雷蔵とフィルとの闘いに夢中で気づかなかったのか、オーガの足元には全身を覆うほどの大きな橙色の魔法陣が敷かれていた。その円陣からシルヴィの詠唱によって地面が盛り上がっていき、突き刺さる程の鋭い岩片となってオーガの全身に突き刺さる。後方へ吹っ飛ばされたオーガは地面に叩きつけられたまま動かなくなり、撃退を確認したシルヴィはその場にへたり込んだ。
「な、なんとかなったぁ~……あぁ、でももう無理……魔力が……」
「シルヴィさん!? 大丈夫ですか! 」
「案ずるな、ただの魔力切れだ。残っていたコボルトたちも魔力を感じて逃げていったのだろう、周囲には見当たらない」
雷蔵の言葉にフィルは深いため息を吐き、その場で膝を着く。初めての魔物との闘いに緊張していたのだろう、今の彼は雷蔵の目にひどく疲れて見えた。
――だが。
「フィル!! 」
殺気を感じ取ったと同時に雷蔵は地面に座っていたフィルの身体を胸の内に抱きしめ、彼を庇うように地面へ座り込む。直後彼の背中から激痛と共に大きな衝撃を受け、フィルを腕の中に抱いたまま後方へと吹っ飛ばされた。倒したと思ったオーガの拳をまともに受けてしまっては、さすがの雷蔵でも無事では済まない。巨人からの背後の一撃を雷蔵が庇ったとフィルが理解する頃には、二人の身体は木の幹に叩きつけられていた。
「ら、雷蔵さん……? 雷蔵さん!! しっかりしてください!! 」
「う、嘘……だ、ダメ……こんな時に……魔力切れなんて……ッ! 」
口から喀血し、衝撃を吸収した左肩が外れた事を察知した雷蔵はそのままフィルを退かして立ち上がり、使いものならなくなった左腕を捨てて右手だけで刀の柄を握る。投げ飛ばされたお陰で視界が安定しないが、朦朧とした意識の中で彼には背後にいる仲間を守るという事だけが本能的に脳に刻み込まれていた。
「来い……! 化物がッ……!! 」
口元から溢れ出る血などいざ知らず、雷蔵は再び目の前の巨人と対峙する。旅をしてきた仲間を守れるなら本望だと、確かに雷蔵はシルヴィに言った。今がその時なのかもしれないと、彼は自嘲気味に口角を吊り上げる。そしてオーガはゆっくりと雷蔵の下へと近づき、瀕死の獲物に止めを刺す様に拳を振り上げた。刀を振り上げ、目を瞑りながら自身に迫る死の痛みに腹を決める。その時だった。
「第一部隊! 撃ーっ‼ 」
彼の背後から矢を射る幾つもの音が聞こえ、思わず雷蔵は閉じていた目を開く。先ほど卑しい笑みを浮かべていたオーガの顔面には幾つもの矢が伸びており、痛みに彼は顔を両手で覆っていた。激痛を紛らわせようと発狂するも、再び放たれた無数の矢によって額を撃ち抜かれる。
「撃ち方、止め! 」
唐突に勇ましい声が雷蔵の背後に響き、彼は目の前のオーガを無視して後ろを振り向いた。トランテスタへと続く街道に7名ほどの騎士が弓を手にしており、そして馬に乗った3騎の騎馬兵たちが死にかけているオーガの下へと一斉に駆け始めている。荘厳な銀の甲冑に身を包み、金の刺繡が入った白いマントを翻しながらリーダー格の騎士が傷ついた雷蔵とフィルの下へと歩み寄ってきた。そして彼――否、彼女は被っていたフルフェイスの兜を脱ぎ捨て、ウェーブがかった美しい金の長髪を揺らしながら地面へ座り込む雷蔵へと手を伸ばす。
「リヒトクライス騎士団第四番隊隊長、レーヴィン・ハートラントだ。僭越ながら助太刀に入った。其方は無事か? 」
その名前を聞いた瞬間やけに中性的な顔立ちが脳裏に残りながら、雷蔵の意識は安堵の溜息と共に薄れていった。




