真夏の昼下がり
一応警告カテゴリーを設定しているのですが、あまりグロいと思えるような場面はありません;
それはからっと晴れた夏の日に。南風が海を渡って来る午後に開かれる。
陽光は空高くから、気分は上々。
風に吹かれるような足取りで、夢見がちな少女達はやってくる。
気分はどう?
向こうはどうだった?
なんだ、今回は三人だけ?
朗らかに笑う少女は三人。流れるような足取りで、古ぼけた木造建築の二階を目指す。
みしりとも音を立てずに階段を上り、物寂しい一室を目指すのだ。
襖を開けば、畳部屋。積み上げられた古本に、乱雑に並べられた古い蜜柑箱。
青いカーテンは……さあ開きましょう。
持ちよりの紅茶とスーコンで少女達の秘密のお茶会ははじまる。
さあどうしましょう?
誰から話す?
じゃあ、わたしから。
窓から差し伸べられた陽光を受けて、栗色の髪の少女はふんわり笑って申し出る。
まあ、あなたから?
テーマは覚えていて?
ええ覚えているわ。テーマは夏よ。
少女達のさざめきの間を、開かれた窓からの風が流れてゆく。
そうねぇ……わたしにとって『夏』とは恋だわ。二人共ちゃあんと聞いているのよ? とっても素敵なラブロマンス、なんだから………。
あれはねぇ……わたしが三十六歳だった頃。
当時、エステサロンの経営を任されていて順風満帆の人生を送っていたわ。
不景気だったのに凄いでしょう? それ程『美』に対する女性の欲望は凄まじかったってことよ。
とにかくわたしは日夜、女性を美しくすることばかり考えていたわ。造顔マッサージから痩身まで、あらゆる術を駆使してナンバーワンのエステティシャンになろうとしていたの。
……でもね。
そう言葉を切った栗色の髪の少女に、他の二人は顔を寄せる。のんびりと暖かな日差しの中で、まるで猫が丸まるように。
わたしにはライバルが一人いた。そいつはことあるごとに、わたしに突っ掛かってきたの。
そのせいで……サロン内で社員達が二分されちゃって、わたしのライバルが権力を握り出した。
そんな時よ、あの人に会ったのは。
………あの人って言うのはね、桂川健吾さん。有名な美容ブロガー主催の小さな集まりで出会ったの。女性誌の編集者さんらしかったわ、男なのによくやるわよね。
でもね、それも頷けたわ。健吾さんはびっくりするくらいの、美丈夫さんだったのだもの。
灰色の硝子玉の様な瞳に銀細工の様な髪。何でも数世代前から国際結婚が続いたとかで………色々な血が混じった結果の、芸術品みたいな人だったわ。
一目で恋に落ちて、そうして恋に溺れてしまった。
あんなに大切にしていたサロンも疎かになって、わたしは夢中で健吾さんとデートしたわぁ。
遊園地に喫茶店、高級レストランに夜景の綺麗な小高い丘まで。まるで夢を見ているようだったのよ? あれがわたしの最初で最期の恋。
うっとりと手のひらを合わせ、夢見がちに瞳を輝かせる少女を見て、他の二人も真似をする。
ふふ。あの頃は良かった。なぁんて愛惜しい、馬鹿なわたし。
デートにかまけてサロンを疎かににしているうちに、ライバルは……あっという間に経営権を剥奪していった。わたしはそれでも良かったの。けれどね? そうなった途端、彼はわたしに会うのを止めた。
電話もメールも拒否されてね、試しに手紙を送ってみたら、宛先不明で返って来ちゃったわ。
でも心配しないで? わたしは意外な所で、彼を見つけることができたの。
彼も失った、仕事も危うい。
わたしは何とか、仕事だけは取り戻そうとライバルの自宅へと足を運んだの。
ボロボロの小さなアパートの一つの窓からは………明かりが漏れていた。彼女の部屋は一階だったのに、無用心にカーテンは開かれていた。
覗くつもりはなかったわ、でも………見えてしまった。
赤いTシャツを着た健吾さんと緑色のパジャマを着たライバルとが……楽しそうに抱きしめあっている姿が。
それは間違いなく、恋人同士のそれだったわ。
真夏なのにね………、寒い寒い夜のことだった。凍てついた空ではきらきら星が、冷たくはためいていた。
わたしはね仕方なく、彼を待ち伏せることにしたの。
その晩はずぅっと出て来なくてね、明くる朝やっと、健吾さんは家路に着いたわ。
随分しばらく歩いて、電車で三駅過ぎた所に、健吾さんのアパートはあったの。
健吾さんが部屋に入ろうとした所で、わたしは背後から健吾さんにぶつかって差し上げた。
不意をついた行為だったし、昨晩仕入れておいた包丁もあったから、健吾さんは呆気なく玄関に倒れてくれたわ。
うめき声をあげる間なんて与えなかった。わたしは素早く健吾さんの喉を二つに裂いてあげたんだから。
多少切るのが難しかったけどね。そのあとちゃんと切断してあげたのよ?
血が滴って、美しい生首の出来上がり。
わたしはそれを冷凍庫保存してね、一生一緒に暮らしてあげたの。
うっとり話しを終えた少女に他の二人は感嘆を漏らす。
まあ素敵。でも痛かったのじゃないかしら?
何言ってんのよ、ハッピーエンドが一番じゃない。
頬をつねりあってはしゃぐ二人の少女に、栗色の髪の少女が満足そうに笑って質問する。
さあ、お次は誰かしら?
二人の少女は顔を見合せ、快活そうな少女の方が白い手を挙げて名乗りをあげる。
次は、あたしの番よ。
あたしにとって夏っていうのは………これ。
そう言って少女は室内に飾ってある、場違いな一枚の油絵を指差す。
蔦模様の丁寧な額縁の中には、淡いパステルカラーの草原が描かれている。草原の真ん中には広い未舗装のなだらかな道が延びていて、その道の向こうには、白い帽子に青いワンピースのお人形の様な少女がたっている。
あれが、どうしたっていうの?
二人の少女のさざめきに頷いて、快活な少女は嬉しそうに笑う。
この絵、この絵はね、聞いて驚かないでね? あたしのおばあ様を描いた絵なのよ。
おばあ様は戦前、何処かの小高い森で迷われたそうなのだけれど………その迷い込んだ森を抜けると、こんな草原が広がっていたらしいの。
赤とも白とも黄色とも……なんとも言えない淡く朧気なその草原を、おばあ様は大層気にいったらしくてね。迷い子になったのも忘れて、何処までも歩いて見ようと……思ったのですって。
風が気持ちよくて、夏の様にすっきり晴れた空に……春の様な雲が浮かんでいる。
あまりにも気持ちが良くて、どんどんどんどん先へ進んでいったんですって。
けれど歩いても歩いても景色は移ろわない。誰も居ないのに………なんだか視線まで感じる。
おばあ様の胸の中では、次第に奇妙な違和感の様なものがトグロをまきはじめた。
何かおかしい。
何がおかしいんだろうって……。
そして、気付いたの。
空に太陽が無いってことに。
まさかそんなはずあるわけない、そう思うわよね? でもどこを探しても、太陽なんて……光源なんて………一つも見つからなかったんですって。
おばあ様は急に気味が悪くなって、来た道を引き返そうとした。
でもその瞬間『誰か』に呼ばれたんですって。
見ると誰もいなかった筈の場所に、その『誰か』が立っていて、おばあ様にこの絵を微笑んで差し出したっていうのよ。
微笑んで、というのは覚えているのに『誰か』がどんな風貌の人だったかは全く覚えていないんですって。
ただ画家だったんじゃないかしら………って言ってらしたわ。
そうして絵を受け取るとね?何故か自分の御屋敷の前に立っていたんですって。
おばあ様は今も元気で暮らしているけれど……その出来事だけは忘れられないっておっしゃるわ。
オマケにね? おばあ様が迷われた森は、空襲で焼け野原になった……ってオチまでつくのよ。
まあこわい。
あら、メルヘンで素敵じゃない。
あたしもそう思うわ。
開かれたカーテンの裾を風が玩ぶ。
少女達が暫くさざめきあったのち、最後の一人……一番背の低い少女の話しが始まる。
夏、あたしの夏はねぇ……約束よ。
約束?
何よそれ?
栗色の髪の少女と快活そうな少女は、疑問符を浮かべて顔を見合せる。
ふふふ。あついあつい夜だった。あたしはねぇ、花火大会の帰り道で、夜道の心細さなんて忘れていたわ。
お酒も入っていたから、多少ハイになっていて……自分が何処を歩いているのかさえ、その内分からなくなっていったの。
下着でいたって汗ばむような夜よ? 浴衣はとってもむし暑くて………あたしはだらしなく、下駄を壊しそうなくらいに鳴らして歩いていたの。
そしたらね、ふよふよ………って。なんだか急に……体が軽くなったのよ。
ああ飲み過ぎちゃったかしら? そう思って下を向いたら………眼下にはすっかり遠退いた街並み。
焦ったわ。
そういえばさっきから下駄の音が聞こえなくなっていた………どうして早く気がつかなかったかしら、って。
酔いの回った頭で必死に降りる方法を考えた。その間にも、あたしの体は何かに引っ張りあげられるように容赦なく高度をあげる。
あたしは仕方なく身を任せて、夜風に吹かれているしかなかった。
そしたらね? 突然ぱあって、目の前が真っ白になったの。白くてまあるいふわっとした……そうね、例えるなら海月。まばゆいばかりに輝く、海月の様な発光体がね? 大きく口を開いて………あたしを飲み込んだの。
まあ恐ろしい。
いやだ、じゃあ貴方は何?
二人の少女は震え上がって互いに抱き合う。一番背の低い少女は、面白そうに笑って話しを続ける。
まあまあ、二人とも落ち着いて、続きをお聞きなさいって。
気がつくとあたしは、柔らかな光の中に居た。とってもとってもまぶしいのだけれど………不思議と目は普通に開けられた。……なんて言うのかしら? 目の前をガーゼで覆われている感じ? ……いいえ、それもちょっと違うわねぇ。
……とにかく……あたしはそこに居て、何故か『誰か』を待っていたの。
どのくらいか経った時、光の中に人の気配を感じた。眩しくて人影ぐらいしか見えなかったんだけれど………その姿が現れた途端、目の奥がじんわりとしてね。泣き出してしまったのよ。
『お帰りなさい』
ポロリとそんな言葉が零れたわ。何だか胸が締め付けられて……懐かしいような気持ちでいっぱいになったの。
ああ帰れる、これで帰れる。あたしはとっても嬉しかった……嬉しかったのだけれど……やっぱり帰れなかった。
この星に、この地上に………大切なモノが沢山出来すぎていたからね。
そんなあたしの気持ちを察したのか、その『誰か』はあたしにこう言ったの。
『また会おう……必ず迎えに来るよ』
女性みたいな男性みたいな、低くて澄んだ耳障りの良い声だったわ。あたしは悲しくて………あまりにも悲しくて。蝶を象った髪飾りを差し上げることにしたの。
翌朝目覚めると、あたしはちゃあんとベッドの上に横たわっていたわ。
夢だったのかしらって、残念だったけれど………でも……髪飾りはなくなっていました。
きっとあれは夢なんかじゃないわ。
そうよ、だってあれからですもの。不可思議なものが見える様になったのは。
不可思議とは?
快活そうな少女が怖いモノ聞きたさに口を開く。
だが残念なことに………背の低い少女はにんまりするだけだ。
さて皆様、本日も素晴らしい御話をありがとうございます。
栗色の髪の少女が両手を広げて二人を称える。
ええ本当に、素晴らしかったわ。
快活そうな少女もそれに続く。
ええ、ええ。それはもう。持ち寄り話しは終わったことですし、紅茶をいただいてお開きに致しましょう。
背の低い少女が、スコーンを片手にそう頷いた。
明るい午後の光の中で、絵画の様な少女達。爽やかな風にくすぐられながら真夏の茶会は盛りを迎える。
緑の匂いを孕んだ風に、ためらいがちな蝉の声。
真っ青な空に覆われた命は、短く強く……今を歌う。
ダンダンダン。
階段を『誰か』が登ってくる音がした。
まあ。
まあ。
まあ。
三人は、紅茶を片手に眉をひそめる。
きっちり閉めてある襖の外には、しっかりと何者かが立っている気配がする。
少女達は互いに肩を抱く。
いいえ怖がることはない。風がチリンと風鈴を鳴らす。………それが目覚めの合図だから。
そして……少女達は夢から醒めるのだ。
あら、嫌だわ。あたし達。
そうよ、あたし達が『夏』だったんじゃない。
すっかり忘れてた。
チリンともう一度風鈴が鳴る。少女達は夏風に溶けてしまって、畳部屋は静けさを取り戻した。
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「っしょっとぉ! あれ?」
先程まではびくともしなかった襖が開いた。馬鹿みたいにかたかったのに、いつも通りにスルスル開く。
「可笑しいな……?」
地味なショルダーバッグを掛けた、一昔前の学生の様な青年は、首を捻りながらも畳に腰を下ろす。
ねっころがると、風が心地よい。
「って窓開けっぱなしだったけ? 物騒だな」
独りごちながら空を眺める。もくもく膨らんだ重たそうな雲が、ぱらぱら影を落としたりしては過ぎていく。
『普段は開く筈の扉が、暫く開かないようだったら………待ってやりなさい。それは”夏”が遊びに来ている証拠だからね? もう暫く待てば、ちゃあんと開くから』
婆さんが、よく言ってたっけなあ。
流れる雲を眺めていると途方もないことを思い出す。
「そんなわけないって……」
眩しい日差しをその身に受けながら、青年は大きく伸びをする。
さて、一眠りするかな………。