第七話「夢からの使者」
ぼんやりとした意識があった。
まるで夢のような感覚。
いや、おかしい。
こう、下腹部から神経に、全身に電流が流れているのを感じる。
夢なのに意識があるのだ。
明晰夢などというメチャシコな夢を、俺は見たことがない。
「初めましてですな」
何やら声がした。
ああ、知っているぞ、このニチャっとした、滑舌の悪い声は。
「さっき撃て撃て煽ってきたおっさんだな」
「おっさんとは失礼ですな」
何というか、頭で、脳で会話している感じだ。
失礼なことにおっさんは姿も見せやしない。
「私は神ですな」
「あっはい」
キモイ声のおっさんはなんと、というかやっぱりちょっと頭のおかしい人だった。
さっさと退散しよう。
そう思ったら、下腹部から神経へ向かう電流のようなものが動いた。
それが脳に達して、ちょっとイきそうになった。
瞬間、全身が鈍痛に支配された。
アレだ、ずっと正座していて立ち上がるとなっちゃうやつ。
それが全身を駆け巡った。
ちょっとガクガクして、意識がシャットダウンされた。
「ハッ!?」
目を覚ますと、知らない天井があった。
天井高いな、星まで見えるぞ。
「なんだ、夢か」
肌寒い、レキの小ぶりだけれど良い具合の二子山に頭を埋めなければ、たちまちに風邪をひいてしまうかもしれない。
しかし俺のベッド、こんなに固かっただろうか。
ゆっくりと上半身だけ起こして周囲を見やる。
「何処だ此処」
さながら廃墟。
床に寝ていたようだ。
ゆらりと立ち上がり、ぼうっと見渡した。
「庭……? 此処、俺の部屋か?」
庭もある、廊下もある。
どうやら俺の部屋だけ瓦礫の山になったようだ。
「グローム……!」
「うおっ!?」
瓦礫の下から何か這い出てきた。
赤い眼光が軌跡を描き、鋭く光っている。
何これこわい。
「……」
その赤い悪魔はゆらりと立ち上がり、俺の小さな背を追い抜いて、鋭く見下ろした。
この世界、魔物とかモンスターの類がいたのか。
あっやばいちょっと漏れた。
「あっ……、あっ……」
視線を離さず、いや、離せず、ゆっくりと後退する。
フリックはいない、ルミネを呼ぼう、彼女ならこの赤い悪魔を倒せるかもしれない。
「グローム!」
瞬きの間に肉薄され、肩をむんずと掴まれた。
股間のダムが、決壊した。
「うあぁ……あばばば……」
「大丈夫ですか!? 怪我はありませんね?」
「へ?」
赤い悪魔にぎゅっと抱きしめられた。
何か柔らかいモノに頭が挟まれて、エロハッピーな気分になった。
あ、これレキだ。
「レ、レキ……? これ、何が……?」
ズボンに世界地図を作りながら、俺は問いかける。
俺の身体は穢れなきすべすべ愛らしボディを維持し、洪水のように生理現象も起こしている。
健康体そのものだ。
なのに、この惨状はなんだ。
一体何が起きたのだ。
「な、何って、グロームがやったんでしょアホー!」
レキが泣きそうな顔をしている。
凛々しい美人が台無しだ。
というか呼び捨てしてやがる。
メイドキャラ崩壊してる。
「ご主人様と呼べ」
「うるさいアホ! グロームのハゲ! ハゲーム!」
あ、それダメ、絶対言っちゃダメなやつ。
前の自分を思い出して頭が涼しくなっちゃう。
これはちょっとお灸をすえてやらねば。
「やーい、お前の母ちゃん貧乳魔人!」
「何で……知ってるんです?」
「え」
「え?」
その後しばらく、子供のように罵り合い、母……ルカが来たことで終結した。
「それで、何があったの?」
ルカの呆れた声。
しばらくの沈黙の後、レキはわざとらしい咳払いをひとつ、意を決したように話し出す。
「えー、ま……魔王の野郎が攻めてきまして、応戦した結果がこれでございます」
何言ってんだ。
「魔王ですって!? 本当に狙われていたのね、グローム」
ルカが俺を優しく抱擁する。
ちょっと待て、神ときて、次は魔王なのか。
存在するのか。
「この子が生まれた時、レキを雇っておいて良かったわ。それで魔王はどうなったの?」
「ええ、ええ。それはもう血で血を洗う死闘でございまして。千切っては投げ、千切っては投げの大乱闘でございました」
どんな状況だよ、さっき部屋が壊れたのは俺が原因って言ってたろうに。
血とか一滴も落ちてないぞ。
目は泳いでるし、何か揉み手して悪徳商人みたいになってるし。
というかレキがメイドになったのってこの日のためなのか。
「それでですね、魔王はボッコボコのギッタンギッタンにしたら逃げ帰って行ったので、しばらくは大丈夫だと思うんですよ。なのでお暇を頂きたいなと」
「そうねえ、解ったわ。明日にはフリックも帰って来るし、なんとかなるでしょう」
「そうそう奥様、魔王が来たなんて公言しない方が良いですよ」
「どうしてかしら?」
「狙われているのはグローム様個人のようですし、村の方々へ要らぬ心配をお掛けしてしまいます。それにもう見つかってしまった以上、グローム様が自身で対抗出来るようにしないと、遅かれ早かれ……」
レキの言葉を聞いたルカは、俺の頭を撫でながら思案する。
これってアレか、遂に正式に魔法とか教えて貰えるんじゃなかろうか。
「それで、私の師匠からグローム様の鍛錬法を教わって参りますので、どうか魔法など教えぬようにお願いします」
「え? 魔法は覚えた方がいいんじゃないかしら?」
「ダメです奥様、魔法を習得してしまうと、魔力を感知されて見つかってしまいますから」
レキは小動物なら殺せてしまいそうな眼力で俺を見据える。
あっ……これ俺が勝手に魔法を使ったから感知されたって事なのか……。
レキは一番に俺の事を考えてくれていたんだ。
それを俺は無碍にした。
一言言ってくれれば言いつけは守ったけれど、普通の子供が「狙われている」なんて知ったら正気ではいられないかもしれない。
謝ろう、これは俺が悪い。
「ごめんなさい、レキ」
「い、いいんですよグローム様。私も説明せずにいましたから」
あれ、というか今回の件はどこまで事実なんだ?
神と名乗るキモイ声のおっさんとは会話した。
しかし魔王とやらには会っていない。
俺が寝ている時……、違う、俺は気絶させられたんだ。
あの時は初めての魔法で朦朧としていて不確かだったが、あの一撃が魔王のものだったのかもしれない。
レキがいなければ、俺は死んでいたのか……?
魔法を使おうとした時の、吐き気や頭痛、血がスポイトされ、全身の皮膚が剥かれる感覚。
あの時確かな感覚があったのに、何でか外傷はないが……。
もしレキがいない時に戦闘になったら、俺が受けるダメージはあんなものではないかもしれない。
最悪拷問のようなことをされてしまうかもしれない。
気持ち良いのは好きだが、痛いのは嫌だ。
身震いと共に、ひとつの覚悟を決めた。
身を守れる力を付けよう。
その後、別の部屋に移った俺は、レキから真相を聞かされる。
魔力の事だ。
「グローム様がアホ面晒して浪費しようとした魔力とはなんだと思いますか?」
「MP」
「あ?」
「すいません調子こきました。血潮……血液ですかね」
今宵のレキさんは血に飢えております。
ただでさえ鋭い眼光が、いつも以上に爛々としております。
「そうですね。血の他にも、魂を削っているなどと考えられています。どれが正しいのかは私には解かりませんが」
「へえ。レキ先生、それってしばらくすると回復したりするんですか?」
「しません。消費した魔力が戻ってくることはありません」
「全部使い切るとどうなるんですか?」
「良い質問ですね、グローム君。魔力とはその生物の根幹を担っているとされています。髪の毛で例えれば、毛先を切ったくらいではまた伸びてきますよね。そこで毛根を引き抜いたらどうなるでしょう?」
「……ハゲます」
「そうです、魔力を行使するというのは、自分の意思で肥沃地帯から不毛地帯に突き進んで行くという事です。太古には“命を棄てる業”の一端と謳われていた恐ろしい呪術なのです。ですから魔力を全消費すると良くて廃人、普通は死にます」
「oh……」
衝撃の事実である。
俺はまたハゲるのは嫌……じゃなくて。
とにかく、魔力はぽんぽん消費していいモノじゃないのだ。
髪をも恐れぬ所業なのだ。
……あれ?
「ルミネお姉ちゃんは普段からぽんぽん使ってますけど、いいんですか?」
「良くはありません、しかしそれが今のヒトという種の生き様ですから、私がどうこう言うものではないのです」
「そんな……! 教えてやめさせよう!」
「ダメです」
レキは、部屋から出ようとする俺の前に立ちふさがる。
何を考えている?
人の命、ましてや家族の命がそんな軽々しく削られて、黙って見過ごせる訳がない。
「レキ! 俺に姉を見殺しにしろというのか!?」
「そうではありません」
「じゃあ何で……」
「愚かにも、ヒトは覚悟しているからです」
覚悟?
死ぬ覚悟か?
違うだろう、魔力枯渇で死ぬということは、自殺に等しい。
もしかしたら命を棄てている事実を知らないかもしれない、だからそんなことを容認してしまったら……。
「魔法使いにおいて」
レキは話し出すと同時に俺を睨み据えた。
「短命は名誉であるとされています」
ああ……聞いた気がする。
それもルミネ本人の口からだ。
“そういうもの”だったか。
知っていたんだ、命を削っていると。
この世界では当たり前で、普通のことなのだ。