夏刻城殺人事件
以下の文章にネタバレは含まれておりませんので、安心してお読み下さい。
主な登場人物紹介。
渡生来 志起。読書部部員。
火牢 威紺。読書部部員。
芯葉 仁。旅行者。
夏!レジャー!旅行!
だから、行こう!ハッピーサマーバケーション!!
そんなわけでもないが。おれ達は、旅行に来ていた。
電車に揺られながら、向かいの席に座る女子を見る。火牢 威紺。クラスメートで、同じ読書部部員。今回の旅行に連れて来れたのは、奇跡。
読書部部員として、普通に書店に通っていた所、プレゼント企画を発見。ダメもとで応募すると、当たったのだな。2人分の宿泊券。
おれ、渡生来 志起、と火牢の関係は、本当にただの同じ部活の部員でしかない。誘ったら、2つ返事で一緒に来てくれる事に。
これは、期待しても良いのか。それとも、火牢がイイ性格なのか。
まあ・・良いや。同じ屋根の下寝泊りして、新しい一面を見られる。それで良しとしておこう。
もっと、仲良くなれるだろうしな。
行き先は、K県O村。おれ達の住んでいるK市からは、電車で1時間、そこから更にバスで1時間の距離にある。合計2時間の道程。暇潰しの用意は、十全。
こっそりと火牢の様子を伺う。旅行とは言っても、何十分も同じ車両の中に居ると、車窓からの景色にも飽きてくる。
山の中。市内を出ると、電車から見える景色は、ずっと山肌だ。木と、川。あとは、道路や、まばらに家。人間の姿は、ほとんどない。
旅行案内にもあったが、本当に僻地なのだな。
駅に到着。この駅も、駅員1人。売店はあるので、ちょっと買い物くらいは出来るか。
ここからバスに乗る。
と。同じバスに乗り込む人々も。恐らく、同じ電車から降りて来た。おれ達含め、全員で8人。まさか、この全員がホテルに向かうのではなかろうが。
バスでは隣の席に。ドキドキの1時間でした。
午前9時半。ホテル到着。
最終的にバスに乗ってたのは、5人。おれ、火牢、他3人だ。
何か・・・。アレな感じでは、ある。コート姿の男性、ポロシャツ姿の男性、着流しの男性。ポロシャツ以外、ヘンだろ・・。真夏に、コートて。着流しは、夏らしいけど、旅装束じゃあねえよ。ゲタまで。絶対、歩きにくい。
まあ、良い。しばし、同じホテルに泊まる者同士。
全員で、ゾロゾロ、ホテルのエントランスに向かう。ここには、このホテル以外の目的地はない。なので、全員が泊り客なのだな。もしかしたら、地元の人とか、業者の人とかも有り得るけど。
「すみませーん」
先頭に立っていたコート姿の男性がホテル奥に呼びかける。受け付けの人が、居なかった。
「はいはい!お待たせしました!」
おじさんがやって来た。
順番に受け付けを済ませて行く。その間、他の従業員が荷物を取りに来たりもしない。本当に、田舎のホテルなんだな。従業員少ない。
「はい。渡生来様ですね。こちらが鍵になります」
渡されたのは、鉄の鍵。カードキーとかじゃない、昔かたぎの奴だ。
ここは、ホテル、夏刻城。お城だ。
外観は、まさに西洋の城・・・でもない。どっちかと言うと、洋館?それでも、この鉄の鍵は、すごく雰囲気に合ってる。ずしりと重い。歴史の重みを感じる。・・・この城は、今秋正式オープンの新築だが。
おれの部屋は、2階の南東の端。火牢は、その西横。他のお客さんは、3階や4階。
かなりデカイ城だ。
2階に上がり、部屋に向かう途中。西部分を見ると、ブルーシートがかけられている。廊下が区切られている。ちょっとのぞいてみると、工具やら資材やら。建設途中か。
道理で、チケット同封の手紙に、「予定の宿泊スケジュールは変更になる可能性が有ります」、とか書かれてたわけだ。まだまだ、完成前か。
部屋に荷物を置いて、部屋の前で火牢と落ち合う。
「どうする?」
「うーん」
火牢は、パンフレットを開いている。
この夏刻城付近には、いくつかの観光スポットが有る。とは言え、大きなものではない。
まず、バーベキュー会場が有名か。これは、毎年夏に開催される、地元産の肉を盛大に使ったウルトラ焼肉大会だ。ひょっとしたら、この地方では最大のイベントかも知れない。だが、その時ではない今は、本当にただの場所でしかない。誰も居ないだろう。
あとは、風景か。殊更に有名な景勝地でもないが、自然の雄大さは十分。奥深い山の中、か細い川の流れは、しかし力強い。その水流が削り出した険しい崖。その崖の上に細く、頼りなく連なる道。
「お昼まで、お散歩でもしようか」
「おー」
夏刻城周辺だけでも、それなりに楽しめるだろう。
洋館そばには、ヒマワリ。バスが来た道を逆戻りするように歩くと、赤い花が道なりに咲いている。夏らしい華やかさだ。
てくてく歩く。急ぐ理由など、何も無いのだから。
・・・・デート・・・・!
こそっと、心の中だけで楽しむ。
12時前にホテルに帰る。お楽しみの昼食だ。
食堂には、普通の中の席と、外、屋外で食べれる席がある。外で食べても、良い気分転換だろうが。
空が、暗い。
台風が来ているのだ。
まだ降らないだろうが、いつ降るかは分からない。念のため、中で食べる。
メニューは色々あるが、やはりこの地方特有の食べ物が良いだろうか。山牛ハンバーグに山牛ハンバーガー。ううむ。どっちが良いんだ。
結局、ハンバーガー。サラダも付いて来た。火牢は山菜スパゲッティ。もちろん、山菜はO村や、この地方の野菜だ。
食べていると、受け付けの時のおじさんが出て来た。
「皆さん。おそろいですので、今少しお時間を頂いて、注意をお知らせします。台風が接近しております。恐らく、今夜は大雨大風でしょう。ですので、お部屋の戸締りはしっかりとお願いします。窓を開け放っておりますと、水びたしになってしまいますので」
あー。そっか。なんでこのタイミングで来ちゃうんだろうなあ。折角の旅行なのに。
「もしもの停電の際には、部屋の机の引き出しに、ロウソクとライターが有ります。火事にだけは気を付けて下さい」
火か。ケータイで十分かな。危ないし。ただ、ちゃんと充電してないと使い物にならない。昼の内にやっとこう。
「懐中電灯って、売店に有ります?」
「もちろんです。電池も有りますよ」
ポロシャツの人が質問。やっぱ、電気が楽だよなあ。火は怖い。
昼食後。外は雨が降りそうなので、部屋へ。晩ご飯まで自由行動だ。
こんな日。旅行先で、ゆるりとする時間。出来れば、芝生で寝っ転がって本でも読みたい所だが。
知らぬ部屋で、真新しい本を読むのも。これは、これで。
ぽつり
来たか。
ざあ、びゅう
吹いて来た。嵐が、来る。
こんな時は、海洋小説だ。より作品世界にのめり込める。ワトソンも、そう言っていた。
半分ほどを読み終えた頃、午後6時。途中昼寝もしたから、そんな読めてないな。でも、明日も明後日も、ここに居る。
明日は、火牢と一緒に過ごせるかな。
晩ご飯は、ハンバーグを選択。付け合せの山菜も、普段食べ慣れない味だから、新鮮で面白かった。
昼と同じく、火牢と同席。もう、これだけで来た甲斐が有る!
晩ご飯の最中。ホテルの受け付けに、声が響く。
「すみませーん」
「はいはい!」
受け付けのおじさん、と言うか、支配人さん?が走って行く。新しいお客さんか、業者さんか。
どうやら、お客さん。説明をして、鍵を渡している。
しかし、食堂からでもチラッと姿は見えたが。すげえヴィジュアルだった。
その人が客室に荷物を置きに行った際、おじさんが説明をしに来た。
「あの方は、持病のため、日光に当たれないのです。ですから、決しておふざけで、衣服にいたずらなどされませんようお願いします」
だそうだ。
新しい客は、黒マスクに黒装束。黒ずくめの、すっげえ怪しい人だった。だが、そう言う事情か。テレビで見た事がある。日光を浴びると、火傷みたいな症状になるんだったか。あの人は、そこまでひどい状態でもなさそうだが、それでも苦しいし辛くなるのだろう。気にするまい。
「大変な人も居るもんだな」
「ほんと」
そうは言っても他人事。病弱な人に対するのと同じく、大変だね、でオシマイだ。家族でも友人でもないのでな。
晩ご飯後、おやすみを言ってお互いの部屋へお別れ。
いつか。おやすみを、同じ部屋で言えるようになるぞ。
チ
お?電気が一瞬消えた。風も強くなって来たしな。そろそろ、停電も来るか。充電は完璧。いつでも来いだ。
それに、本も読み終えた。現在午後9時過ぎ。ちょっと早いと言えば早いが。お散歩もしたし、初めての土地での無意識の気疲れもあるだろう。早い目に寝ても良い。
フ
完全に電気が消えた。停電だ。隣の部屋から悲鳴が聞こえて来ないので、助けにかこつけて部屋に行く事は適わない。惜しい。
寝るか。やる事もなし。
・・・下が、騒がしい?
朝6時。朝食の準備中だろうか・・。にしても、客室に響いて来るとか。どうしよう。まだ、火牢は寝ているよな。
とりあえず、身支度をして、朝読書。朝は、モーニング恋愛小説。明るく、甘酸っぱい、希望たっぷりの味わい。
まあ・・・。外は、大嵐なんだけどね。
オ オ オ オ オ オ
気にすると、更に騒がしさに気が付く。やべー。こえー。新築の建物なら、倒壊の恐れは、まず無いだろうけど。
ん?西は、大丈夫なのか?もしかして、それで1階で従業員の人たちが話し合ってるのか?
それはないか。昨日の内に対処してるはずだ。
それにしても、夏の6時なら、もう明るいはずなのに。暗い。やっぱ影響大きいなあ、台風。
そして、8時。
そろそろ降りても良いかな?
火牢に声をかけて、一緒に降りる。
食堂は、ざわついていた。おれ達の他は、ポロシャツの人以外降りて来ていた。
「皆さん」
支配人さんが、すごい真面目な顔で言い始めた。
「昨夜。こちらにお泊りの、台場様がお亡くなりになりました。殺人事件です」
?
「警察にも連絡を取りましたが、来れるのはいつになるか分からないそうです。土砂崩れにより、道が完全に塞がり、2次災害も予想されるようなので」
??
「殺人?」
「らしいね」
おれにも、火牢の声にも、現実感はない。
殺人事件。よく、フィクションで見る。
だが、あくまでフィクションの産物。おれ達が、出会うようなモノじゃない。
怖くもないが、どうして良いのかも、分からない。頭が、動かない。
「犯人は分かりません。ですから、皆さん、お休みになる時は、必ず鍵をかけて下さい」
犯人は、分からない。そりゃそうだ。現行犯でなければ、証拠もないのに分かるわけがない。
朝食は、お腹いっぱいに食べれたけど。どこか、上の空だった。
いつも、人の死が頭の片隅にあった。会話を、楽しめない。
食後、火牢が、おれの部屋に来た。
「ごめんね」
「いや。おれは、全然」
ううむ。残念ながら、これは素晴らしい出来事ではなく。避難だ。1人きりで部屋に居るのは、怖い。ゆえに、おれの部屋で寝泊りする。
おれも、賛成だ。何者が犯人なのか知らないが、女の子1人で抵抗出来るとも思えない。て言うか、おれだって無理だ。殺すつもりで、本気で来る人間に抵抗なんて。おれは、格闘技を趣味にしてるわけじゃないぜ。
2人なら抵抗出来るとかじゃない。
ただ、心強い。
お昼。
2人で本を読みながら過ごした時間は、静かだけど、決して悪くなかった。帰ったら、また図書室で同じ時間を過ごしたい。・・・2人、無事に帰って。
昼食は、豪勢だった。まだ、電気が復旧していないので、冷蔵庫の物がダメになってしまう。なので、いっそ料理して食べてしまおう、と。
死んだ台場と言う人も、生きていれば、ご馳走にありつけた。
やっぱり。死ぬのは、嫌だなあ。
土砂崩れの方も、目処は立たない。警察、消防も、土砂の向こうまで来てくれているのだが、こればかりはどうにもならない。
食料には、十分に余裕がある。食事のバランスさえ考えなければ、売店のお菓子もある。切り詰めれば、1ヶ月だって食べられる。何せ、従業員含め、8人の人間しか居ないのだ。水道は壊れていないので、飲み水にも事欠かない。
だからって、殺人のあった場所で1ヶ月のバケーションは勘弁願いたい。
午後2時。
明るい内に、火牢はシャワーへ。もちろん、おれの部屋で。思わずベッドでゴロゴロしちゃう。
水風呂になるが、まあ夏だし。ちょっと寒い、だけで済むか。
コンコン
「すみません。渡生来様」
管理人さんの声だ。
「はい」
普通に扉を開ける。
「先ほど。また2人のお客様が、殺害されておりました。絶対に、決して、お1人にならないように気を付けて下さい。お連れの、火牢様と、出来るだけご一緒に」
・・・・待って。待って待って・・・。
「あ。それは、大丈夫です。火牢は、もうこの部屋に居ますから」
火牢は、大丈夫。
いや。そうじゃなく。
「そうですか。もし、火牢様もよろしければ、食堂にいらっしゃいませんか。はっきり言って、このホテルの部屋は、堅牢ではございません。賊から、お客様を守り抜ける構造では、ありません。食堂で、皆で守り合うのが、よろしかろうと思います」
「は、はい。火牢とも、相談して」
話は、それで終わった。鍵をしっかりかけるよう言われ、管理人さんは1階に降りてった。
風呂から上がった火牢とも相談。
「行こう。荷物を持って、靴をはいて」
いつでも、逃げられるように。言葉にはしなかったが、火牢の言いたい事は分かった。今までは、ホテルのスリッパをはいていたが、ちゃんと靴をはく。
部屋の外に出る時は、周囲を伺う。扉を開けて、周囲をきょろきょろしているおれは、さぞ滑稽だったろうが、そんなものはどうでもいい。命よりは、安い。
何事もなく、1階食堂に到着。
テーブルに着き、横の席に旅行カバンを置く。
食堂に居るのは、管理人さん達、全3名の従業員。それに、黒マスク。
この黒マスクが犯人なら、話は簡単なんだが。こんないかにもな人間が実行したら、あっという間にバレる。目立ち過ぎる。
とか思ってたら、目が合った。
「どうも。大変な事になりましたね」
「あ。はい。本当に、やばいですよね」
朗らかな人だ。表情は見えないけど、思いやりが伝わって来る。
「ああ。僕は、芯葉 仁と言います。まさか、こんなドラマみたいな展開に巻き込まれるなんて。お互い、何とか生き残りましょうね」
ドラマ。やはり、外に出れないと、どうしてもインドア趣味になるのか。読書部のおれが言えた義理じゃないけど。
「それは、もう。僕は、渡生来志起です」
「私は、火牢威紺。あの」
火牢も会話に混ざって来た。珍しいな。こんな時は、話しかけられるまで、喋らないのに。
「犯人の目的って、何だと思います?」
「目的ですか。そうですね。無差別殺人と仮定して。目的は、ないんじゃないでしょうか。こんな異常な事件を起こす犯人です。その目的も意識も、常人の範疇にはないでしょう」
「なるほど・・。ありがとうございます」
芯葉さんに礼を述べた火牢は、おれを伴い、他の人達にも同じ質問をして行った。
探偵ごっこ?でも、良い。何かしてた方が、精神の安定になる。
全員の話を聞き終えた火牢は、一旦席に戻り、お茶。そして。
「トイレ行って来ます。渡生来君、来て」
「ああ」
厨房に居る人達にも聞こえるように宣言。おれ達2人は、トイレに。
おれは女子トイレ前で門番だ。
「人、居ない?」
手を洗っている火牢が聞いて来る。
「居ない」
廊下を見渡しても、誰も居ない。
トイレから出て来た火牢が、廊下の壁に背を付け、喋る。
「犯人は、あの黒マスクで決まりだと思う」
「え」
なんで?
正直、会話の中にも何もヒントはなかったと思うけど。
「あの人、無差別殺人の前提で喋ってた。それが、意識的に考えた結果なら良い。私達に話す前に、頭の中で既に選択し終えてた。それなら、問題ない。でも、あの人。無差別殺人以外の事を、一切考えてなかったように見えた」
・・・なるほど。あの人、ドラマみたいなって言ってた。ドラマなら、怨恨による殺人の線が他人には見えないなんて良くある。それを暴くのは、名刑事とか名探偵だ。
それにミステリーなら、一見無差別に見えても、犯人にしか分からない動機は、ほぼ間違いなくある。
それを、ドラマを見るあの人が考えてないと言うのは。
無差別と、断定出来るのは。
犯人、のみ。
「も1個。あの人以外は、全員同僚。普段と様子の違う人が居れば、もう誰かが気付いているはず。だから、黒マスク」
ふむ。かなり目の粗い推理。証拠なし。話の中の、わずかな雰囲気とでも言うものでの決め付け。
「分かった。芯葉さんを捕まえよう」
それでも。ここまでが、おれ達の限界。警察ではないおれ達には、科学捜査が出来ない。指紋を取る事すら、不可能。増してや、遺体の様子から犯人を探るなんて。傷口見ただけで吐く自信がある。
全く無関係の赤の他人を拘束すれば、監禁罪かな?学校も停学で済めば、ラッキーか。
それでも。何かしないと、怖い。火牢の言っている事を全て正しいとは思ってない。が、実行する。
頼むから、あの人が犯人であってほしい。捕まえて、それで収まってくれれば・・・!
「戻ろう。おれは管理人さんに話を付ける。火牢は、キッチンで働いている人に」
「うん。合図するから、同時に動こう」
「ああ」
・・・・・・・
「戻、ろう」
「うん」
おれと火牢は、食堂の様子を伺うなり、すぐさま非常口の方に向かって走った。
食堂には、人が転がっていた。それも、包丁が突き立った状態で。
何も考えず、おれ達は逃げた。まだ生きてるかもとか、助けようなんて発想は全くなかった。ただ、逃げた。
非常口は、内側からなら開くはず。開いた!
先に火牢を出して、見られてない事を確認しつつ、外に出た。非常口が開錠されているのは、早期に発見されるだろうが。正直に表玄関から出るよりはマシだろう。
土砂崩れの向こうには、人が居る。管理人さん達が連絡を取り合っていたのだ。そこまで行けば、ひとまず安心。
行き着けば、の話だ。だから、そこまで何とか行かないと。
国道を真っ直ぐ走るのは、怖い。犯人が自動車免許を持っているかどうかは知らないが、乗れるなら、簡単に追いつかれる。
それでも、行くしかない。この地に不慣れな自分達は、道を逸れれば、すぐに遭難する。殺人犯からは逃げられたが、結局死んじゃった、とかなりかねない。
靴をはいていて良かった、と言うか。
こんな事態、あって欲しくなかったがな。
ゴ オ オ オ オ オ オ
風、だけではない。雨で増水した川の音だ。数十メートル下の川の音が、全身に響く。風、雨、音。全てが、体をきしませる。
火牢とは手をつないで走った。
お互いを結んでいなければ、飛ばされる。
塞がった地点まで、城からバスで15分。徒歩なら、1時間か。わずか数キロメートルの距離だが、ここは山だ。平地ほど走りやすくは、ない。だから、バスもスピードを出せないし、人間も、転びやすい。
ガクン
まず火牢。こけかけたが、おれが引っ張り起こした。
「ありがとう!」
「大丈夫!頑張ろう!」
あまりの音なので、大声を出さないと聞こえない。
普段のおれなら、無理だ。女の子の体重であろうと、支えきれない。片腕で、全体重なんて。
でも、今なら可能。走っていて勢いがある。その勢いで引っ張れば、人間1人くらい。
それに、転ぶのは分かりきっている。おれも、何度も足をもつれさせている。
30分経過。ケータイだけは持ち歩いていたので、今も持っている。
犯人は、追って来ない。何度も振り返って見ているが、一度も姿を見ていない。
犯人は、一体、誰なんだろう。走るだけでは暇なのか、何となく考え始めた。それが、疲労した肉体と悲惨な現実を忘れるための現実逃避の思考であっても。
黒マスクの死体は、なかった。ぱっと見だったが、確かに黒一色の死体は、なかったはず。もちろん、キッチンで殺されていたのなら、食堂入り口からは、見えないのだが。
しかし。犯人は、何者。警戒していたはずの3人の従業員を、悲鳴を上げる暇も与えず殺害してのけた。かなり手馴れている。鶏肉ででも練習して来たか。
それに。3人の泊り客をどうやって殺した。
まず1人目。ポロシャツの男性。これは分かる。何1つ警戒していない段階。後ろを取られたとして、まさか殺されるなんて思わない。
2人目と3人目が分からない。着流しの男性とコートの男性だ。2人は、警戒していたはず。頭では、まさか泊り客に連続殺人犯が居るなんて思わないだろうけど、怪しげな風貌の黒マスクには、ちょっと警戒心があったはず。少なくとも、おれにはあった。
・・・ノックをして、扉に近寄らせる。そして、支配人さんの話でも持ち出して、1階に集合とか呼びかける。そうして、相手が扉に触れた瞬間に、スタンガン。これで、肉体は動かなくなる。何せ、この城の鍵は、鉄。その鍵を差し込む扉も、もちろん金属製だ。それから悠々と扉を破壊したのか。どれほど頑丈だろうと、ねじ回しで開かない扉はない。そうでないと、閉じ込められてしまう。そして、2名を室内で殺害。その後、支配人のおじさんが呼びに来て、部屋の惨事を発見。こんな流れだろうか。2人の部屋は、3階か4階。発見には、時間がかかる。
かなり、考えている。それに、殺しに慣れている事からも、事前の準備の周到さを伺える。人間は、簡単に死にそうだけど、案外タフな面もある。人によっちゃあ、銃弾が頭蓋骨で止まったりする。そんな人は滅多に居ない。居ないが、それでも確実に殺せるよう、人体について勉強して来たのだろう。だから、従業員は抵抗の隙がなかった。即死して抵抗出来る人類は、絶対に居ない。
この犯人。かなりヤバイ。殺人犯でヤバくない人間なんて居るわけないだろうが、緻密さが違う。
人を、恨みや金銭目的で殺すのではない。殺すために、殺している。
狂ってる。人間じゃない。
こんな化け物と出会ってしまった不運を呪うしかない。
何でも良いか。逃げ切れたなら、警察が逮捕してくれる。逃げ道は、これしかないのだから。もしくは、山に逃げて、自然の裁きに身を委ねるか。
来た!土砂が見えた!登って、降りる!もう、それだけで良い!!
ズ
?
「行くよ!!」
火牢に引っ張られる。視界の端に、土砂に突き立った矢を見ながら。
矢。弓矢、だと。
どこから射た。いや、どうやって、来た。
黒が、見えた。反対の、山。まさか、山道を行ったのか?
なんで・・。なんで、無事なんだ?
まさか。登山靴に、周辺の山道の情報まで仕入れているのか。どこまで準備してるんだよ。
それでも、火牢と共に土砂を乗り越える。この大風の中、反対の山から数十メートルの距離で的中なんて、絶対不可能。流鏑馬の人間だって無理だろう。指でもくわえて見てろ!
ズコン
「ぐ!」
いてえ!!
火牢の手を握っている右手とは、逆。左肩に、矢が当たった。
クソ!!なんで当たるんだよ!!風はどうしたあ!!
その後も矢は、射られ続けたが、もう当たらなかった。
そりゃそうだ。風は巻いているのだ。いくら誤差修正しようが、当たるものではない。
さっきのは、まぐれか。
と、熱い肩を忘れるため思考を巡らせ続ける。
痛い、と自覚したら、終わる。もう、動けない。
走れ!もうすぐだ!生き残れるから、走れ!!!
降りた!車は、ある!人も居る!
「助けて下さい!!」
火牢の大声。火牢だって、おれを引っ張ってずっと動き通しなのに。声も出せないほど疲れているはずなのに。
助かる。お前と来てて、良かった。
そして。
その場に居た警察に保護してもらったおれ達は、とりあえずパトカーで病院へ。矢は、引き抜くと血を噴出すかもしれないので、刺さったままだった。
入院生活は、さほど退屈でもなかった。旅行に持って行ったカバンに入っていた本が、荷物ごと家に帰って来たので、そこから新しい本を病院に運んでもらったのだ。
火牢。彼女は、毎日見舞いに来てくれた。おれの本を持って来てくれたのも、彼女だ。週末は、ずっと病室に居たり。もちろん、ずっとお喋りをしていたわけではない。大体は、本を読んでいた。
それでも。ものすごく嬉しかった。
あの出来事。黒マスクによる殺人事件は、火牢に取っても、おれに取ってもトラウマ。おれと一緒に居れば、否応なく思い出すだろうに。
体が治ったら。告白しよう。
犯人は、やはり黒マスクだった。ただ、「芯葉仁」は、偽名。他人から奪った名前だった。本物の「芯葉仁」と言う人は、行方不明になっている。あいつが、殺したのだろう。
そして、奴は捕まっていない。
警察の捜査は進んでいるが、決め手がない。犯人の素顔を、誰も見ていないのだ。更に、遺伝子情報は手に入ったにせよ、前科がなければ意味を為さない。
やはり事前の情報収集を入念にしていたのか、山を自分の足で降り、簡単に逃げている。迷った足取りがないようだ。
犯人は、誰でもありうる。声から、男性と限っても良いが。ある程度以上に成長した男性全員が、黒マスクの可能性があるのだ。
これから先。顔を隠した人間は、顔をチェックされるようになるのだろうか。それとも、診断書を見せればオーケーか?だが、それでは解決にならない。今回の犯人は、前もって人から身分を奪っている。診断書ごとき、容易く持って来れよう。
殺人犯に相対する準備をするのが、そもそもオカシイのか。
そんな化け物と出会うなんて、台風の直撃した城でずっと過ごす羽目になるくらいの確率だろう。
気にしなくて良い。
ここからは、蛇足となるが。
おれ達は、来年1月に修学旅行に向かう。
その時。
泊まり先のホテルに、マスクをした人間は、居るのかなあ。