美奈子ちゃんの憂鬱 狐とお化け屋敷と告白と
「えっと……」
ある夜のことだ。
美奈子が数学の宿題に頭を悩めていた時、
「お姉ちゃん」
部屋に入ってきたのは葉子だ。
子供向けのテレビも終わって退屈なのはすぐにわかった。
「遊ぼ?」
「ゴメンね?私今、宿題してるのよ」
「しゅくだい?」
興味津々の顔で机の上に広げられた教材を見る葉子。
その仕草の愛らしさに、美奈子は知らずに目元をほころばせた。
「ふぅん」
何だかわかったような仕草をする葉子に、美奈子は戯れに言った。
「解ける?」
「うん」
くすっ。
何でもないという葉子の声に、美奈子は小さく笑うと、引き出しから便せんを一枚取りだし、サインペンと一緒に葉子に手渡し、教科書の練習問題を指さした。
「この、答えはなんでしょう?」
「ここに書けばいいの?」
「そうよ?もし当たったら、葉子が欲しがっていたあのクマのぬいぐるみ買ってあげる」
「本当!?」
「ええ」
「よぉっし」
サラサラサラ
4歳時の子供の文字とは思えないほど綺麗な数字の羅列が便せんの上に並んだ。
葉子はその便せんを自信満々に美奈子に渡した。
「はい」
「……」
当てずっぽうにしてはよどみがない。
その上、xやyの使い方も間違っていない。
それが、美奈子には不思議で仕方ない。
x=12 y=2
便せんにはそう書かれていた。
「ど、どれどれ?」
その便せんに書かれた答えと葉子の顔を何度も見比べながら、美奈子は次のページに書かれた答えを見た。
x=12 y=2
そう、書かれていた。
「お姉ちゃん」
葉子が答えを促した。
「当たっていた?」
翌日の明光学園教室。
「へぇ?」
凹む美奈子の前で感心したような声を上げたのはルシフェルだ。
「私は冗談のつもりだったのよ?それがああもあっさり解くなんて」
「適当な答えを書いただけじゃないの?」
「それならいいんだけど、違うのよ。次の問題解いたら、マウスランド連れて行ってあげるっていったら、それまであっさり」
「葉子ちゃんって、さすがに天才なんだね」
「さすがに?」
「だってほら。葉子ちゃんって」
「……最近、忘れてた」
そう。
葉子は九尾の狐の化身。
妖怪と数学の関係は不明だが、普通の子ではないのだから、数学の問題なんて楽勝なのかもしれない。
「それで?」
ルシフェルが訊ねた。
「ぬいぐるみとマウスランド、プレゼントしてあげるの?」
「うん……」
美奈子は机に突っ伏しながら頷いた。
「葉子ったら、そのままお母さんの所へ行って、“お姉ちゃんがぬいぐるみ買ってくれて、マウスランドにも連れて行ってくれる”っていったら、お母さんから“よかったわね。美奈子?お小遣いの増額はないからね?”って。10万円もどこで稼げというのよぉ!」
「お母さんから救いの手はなしってこと?」
「後で台所に呼ばれて、“美奈子?どこかで稼いでいるの?”とだけ」
「え?」
「つまり、私がどこかでアルバイトでもしているんじゃないかって、お母さんはそっちが心配みたい。“まさかいかがわしいところで体売ってるんじゃないでしょうね”とか言われた」
「う、売ってるの?」
「ルシフェルさん!」
結局、未亜に借りを作りたくない美奈子がとった手段。
それが、
「それはいいけどね?」
水瀬が困惑したように答えた。
美奈子は水瀬にアルバイトの口ききを頼んだのだ。
未亜に知られたら絶対に詮索され、葉子のことを疑われる。
未亜は葉子が捨て子だと信じて疑っていないはず。
そこに疑問を持たれる。
それだけは、姉として避けたいのだ。
「でも、葉子ちゃん、今度の日曜に連れて行ってもらえるって喜んでいたよ?」
「え?」
「ほら。僕の通学路って、幼稚園の前通るでしょ?今朝、幼稚園の前で葉子ちゃんと会ってね?嬉しそうにしていたよ?」
ちなみに日曜とは明後日だ。
普通の高校生のバイトで2日で10万は不可能に近い。
「……」
正直、美奈子は途方に暮れた。
「延期したら葉子ちゃん泣くよ?」
水瀬はそういうが、ではどうしたらいいというのだ?
「水瀬君」
美奈子は泣きそうな顔を水瀬に向けた。
葉子は泣かせたくない。
だが、そのためにはお金がいる。
自分に10万もの大金はない。
それなら、誰かに借りるしかないのだ。
「大丈夫」
そんな美奈子に水瀬は優しく言った。
「僕がなんとかしてあげるから」
とはいえ、今の水瀬は自由になる金がない。
ルシフェルも金の出入りを遥香に監視されている関係で援助が出来ない。
当初、「友達に貸した」とでもしようかとルシフェルが提案して来たが、
「病気の家族の治療費がなくて。とか、そんな理由でもなくちゃダメダよ。遊ぶお金なんて知れたら、そんな友達ならつきあうのやめなさいとか言われて終わりだよ?」
水瀬はそういって提案を却下し、結局、中等部の妹から金を借りた。
日本有数の財団の跡取りの所に住む萌子は、今や水瀬の大事な金ヅルだ。
「美奈子お姉さまと、あの狐のことだから支援してあげるわ」
事情を聞いた萌子は、そういって財布から金を出してくれた。
「ごめんね?絶対に返すから」
「でも」
萌子は不満そうに言った。
「今度は私も連れて行ってね?マウスランド」
日曜日
美奈子は約束通り、葉子をマウスランドに連れて行った。
二人の横にいるのは水瀬。
金を出してくれただけではない。
もし、葉子が何かしでかしたら、止める自信が美奈子にはない。
つまり、水瀬は葉子の止め役。
そういうことだ。
マウスランドのキャラクターが大好きな葉子はもう大はしゃぎだ。
「これっ!言うこと聞かないなら帰るわよ!?」
美奈子がどんなに注意しても回りに気を取られる葉子の耳には入らない。
あっちに走り、こっちに首を突っ込み。
その度に美奈子が走り回ることになる。
「お疲れさま」
ベンチでひっくり返った美奈子に水瀬が冷たい飲み物を手渡したのは、葉子が近くのきぐるみイベントを見ている側だ。
「わ、私……絶対、子供いらない」
絞り出すような声で美奈子はそういってストローに口を付けた。
「随分悲観的だね」
「そうなるわよ」
美奈子は憮然として答えた。
「どうして子供ってああもいうこと聞いてくれないのかしら」
「桜井さんは、子供の時、聞き分けのいい子だったの?」
「知らないけど」
近くのアトラクション会場が騒がしい。
「でもね?」
美奈子は弁護するように何かを言おうとして
「葉子ちゃん、嬉しいんだよ」
水瀬は遮るように言った。
「この世界は葉子ちゃんにとって玉手箱だもの」
「玉手箱?」
「びっくり箱ともいう。九尾の狐だった頃は世界の闇しか見てなかった子だもの」
「……」
「楽しいことばっかり。それがこういう所なんでしょう?」
「それはわかるけど……」
美奈子は言った。
「でも、それにつきあう身にもなってほしい」
「そりゃごもっとも」
突然、放送が鳴り響いた。
『ご来園のお客様にご連絡いたします』
「全くねぇ」
苦笑する中年の女性従業員の前で頭を下げているのは美奈子と水瀬だ。
従業員の横の椅子に座った葉子は、所在なさげに足をぶらぶらさせて遊んでいた。
「子供のすることですから、大目に見ますけど」
「よく、言い聞かせておきます」
美奈子はそう言って再度頭を下げた。
美奈子達の目が離れた間、葉子は着ぐるみ達のアトラクションにかぶりつく子供達と共に、アトラクションの行われている壇上に登ってしまった。
最初に登ったのは葉子と子供達4.5名。
それを観客参加型のイベントと勘違いした親たちが次々と自分の子供達を壇上に乗せてしまい、結果、アトラクションをメチャクチャにしてしまったのだ。
事態を収拾した従業員に首謀者として捕まったのが葉子だ。
「次は気をつけてくださいね?」
結局、名前と連絡先を、学校の生徒手帳のコピーと共に従業員に提示することで、美奈子達は解放された。
「も、もうイヤ」
半泣きになった美奈子の前で葉子は楽しげにあたりを見回した。
「どうしてこうなるの?」
「大丈夫だって」
水瀬は美奈子を労るように言った。
「いい思い出になるよ」
「暗い過去の間違いよ!」
「まぁまぁ―――あれ?葉子ちゃん?」
「あ、あら?あの子また!」
美奈子達は、葉子がまたいなくなったことに気づいた。
「あそこ!」
水瀬が指さしたのは、おどろおどろしい絵が掲げられた黒い建物。
「ち、ちょっと!」
それを見ただけで美奈子は怖じ気づいた。
「どうしたの?」
「あそこ、お化け屋敷じゃない!」
二人の前で、どこから入手したのか、葉子がチケットを係員に手渡してそのまま入っていった。
「あの子!」
「早く行こう」
水瀬にそう促される美奈子だが、どうあっても美奈子は入りたくないのだ。
黒い建物。
お化け屋敷。
ついでにいうなら、“日本一怖いと有名な”お化け屋敷だ。
冗談ではない。
オバケ嫌いの美奈子は絶対に入りたくない。
「葉子ちゃんがケガするよ?」
そう言われれば、やむを得ないのだが……。
「いくよ?」
水瀬は美奈子の腕を掴んで駆け出した。
お化け屋敷の中。
「ど、どうして暗くするの?」
涙声の美奈子が言った。
「転んでケガしたらどう責任とってくれるのよぉ」
「普通、転ばないから」
「でもぉ」
おどおどしながら視線を向けた先。
そこには立ちつくす人の影。
「ヒッ!?」
恐怖に息をのむ美奈子だが、すぐに別な意味でもう一度、息をのんだ。
そこにいるのは、抱き合うカップル。
慌てて視線をそらせた先。
そこにもいちゃつくカップルの姿。
ここはカップル喫茶か?
あまりの光景に美奈子は赤面して水瀬から離れようとするが、一人でお化け屋敷を抜けられる自信はどこにもない。
オバケはやはり怖いのだ。
そして―――
グウォォォォォッ!!
暗闇から突然現れるオバケ(の人形)に、
「きゃぁぁぁぁぁっ!」
悲鳴を上げて水瀬に抱きつく美奈子。
「さ、桜井さん。落ち着いて。あれ、オモチャだから」
「……ぐすっ。で、でもぉ」
きつくつむった目を開いた先。
そこには、自分を励ますように微笑む水瀬の姿があった。
「あっ!」
美奈子は、自分が水瀬に抱きついていることに気づき、一瞬、離れようとも思った。
しかし、
「……」
そっ。
水瀬を服を掴む指は逆に力がこもる。
そんな美奈子に
「七不思議の件以来だね。こういう所」
そう、水瀬は語りかけた。
学園の七不思議を探せ。
結局、未亜のでっちあげだったが、美奈子がオバケに殺されかかったのは事実だ。
いろいろ恥ずかしい思いもした。
でも、ずっと水瀬が側にいてくれた。
婚約者という瀬戸綾乃ですら経験していない役得もあった気がする。
二人だけの思い出。
記憶をかみしめるように、美奈子は言った。
「あれほど酷くないと思う」
いいつつ、美奈子は抱きついたままだ。
「そう?」
「でも」
美奈子は水瀬の服に顔を埋めた。
「楽しかった」
二人きり。
暗闇。
二人だけの思い出。
それが、美奈子に言わせたのだろう。
「ねえ。水瀬君」
「え?」
「瀬戸さんとは……どうなっているの?」
「どうって?」
「だから……その」
わかっていないのか、それとも言葉を濁しているのかわからないが、美奈子は訊ねた。
「瀬戸さんの代わり、私じゃダメ?」
なれはしない。
あんな綺麗な子の代わりなんて私には無理だ。
でも、
それでも、
水瀬君さえ見てくれるなら、
私は―――
「私は、瀬戸さんの代わりにはなれないの?」
「―――え?」
水瀬はきょとんとした顔で美奈子を見つめている。
「だ、だから、私、私ね?」
一生かかってもこれほどの勇気を総動員することはないだろう。
それほどの勇気がいる言葉が、美奈子の口から出た。
「私、水瀬君のこと」
その思い切った言葉を遮ったのは、やはり言葉だ。
「お姉ちゃぁん?何してるのぉ?」
つんのめるようになる美奈子を前に葉子が不思議そうな顔で見つめていた。
翌日
教室に入った美奈子に、周囲が奇異な視線を向けてきた。
ルシフェルが青くなって美奈子に走り寄ってくる。
「ど、どうしたの?」
ルシフェルによると、美奈子が小遣いほしさに水瀬に体を売ったという噂が流れているという。
原因は未亜だと美奈子にはすぐにわかった。
未亜を締め上げて全部を白状させた。
未亜は美奈子の母親に、ぬいぐるみとマウスランドのお金、どこから出たか調べて欲しいと依頼され、それをクラスメートに話してしまっていた。
その時の未亜の言葉である、「おばさん、美奈子ちゃんがエンコーでもしてないか心配してるんだよ」という一言が一人歩きした挙げ句、美奈子が水瀬に体を売ったという噂になっていたのだ。
火消しに奔走する美奈子だが、周囲の誤解が解けるまでに3日以上を必要とした。
それは、水瀬が集中治療室に入っていたのと同じ期間だったという。
ごめんなさい。仕事関係でしばらく執筆出来ないようです。それまでの記念にと思い、即興わずか1時間で書き上げた代物です。
美奈子&水瀬は久々ですけど、もっとドタバタさせたかったです。反省。