王宮の給仕係は知っている
給仕係のことなど誰も見ていない。
まるで空気のように思っている方も多いだろう。
けれど、何もないところから、突然食器が生えてきたり、ワインが降ってくるはずがない。
私たち給仕係がそれをテーブルまで届けているのだということを忘れないでいてほしい、と思う。
一方で、食事の邪魔をせず、空気のように存在に気づかれない給仕こそ一流だとも思う。
その日、王太子アルベルト・ローゼンハイム殿下とその婚約者のカタリーナ・アイゼンベルク侯爵令嬢が主催し、多くの貴族の方を招いた晩餐会が催された。
私、エマ・ヘルマンは給仕係の一人として、食器やナプキンを用意し、ワインを注いで回り、料理を配膳していた。
いつも通りの仕事だった。
「カタリーナ、残念だが、君との婚約は破棄せざるを得ないな。いや、婚約破棄だけで済む問題ではない」
突然アルベルト殿下がそう告げた。
私が殿下のグラスにワインを注いでいる最中だった。
カタリーナ様は少し驚いたようだったが、そこまで動揺はしていないようにも見えた。
私はその状況にも動じず、きれいにワインを注ぎ終えた。
「理由をお伺いしても?」
カタリーナ様は静かに口を開いた。
「しらを切るつもりか?」
「心当たりがございません」
そう答えるカタリーナ様に、アルベルト殿下が一枚の文書をかざした。
「この文書がおまえの控え室から見つかった」
「それは……何の文書ですか?」
「まだとぼけるか。これはおまえが、第二王子レオンハルトを国王として擁立しようとする計画書ではないか」
「なぜそんなものが……」
「なぜ……?」
アルベルト殿下は冷ややかな目でカタリーナ様を見る。
「それは俺が聞きたいことだ。この計画の中で、俺に近づいて、婚約者にまでなったのは、俺を暗殺する隙を窺うためだとか書かれていたぞ。どうにも俺を国王にはしたくないらしいな」
はて? 縁談を持ちかけたのは、王家の方からだという噂はでたらめだったのかしら。
「その文書を鑑定に回してください。誰かに捏造されたものです」
「鑑定となれば、アイゼンベルク法務卿の下で行われるではないか。おまえの父親に任せれば、虚偽の鑑定をされるに決まっている。そんなことが認められるか!」
ずいぶんと理不尽なことを仰る……。
「これは明白に、国家転覆を謀った反逆罪だ。法務卿に裁定など任せられん。おまえを拘束し、明日には処刑だ」
アルベルト殿下は、冷酷にその宣告を下した。
「そんな……」
「俺は次期国王なのだ。誰にも邪魔はさせん」
アルベルト殿下が大食堂の入口付近で待機していた衛兵に合図すると、衛兵がカタリーナ様に近づいた。
カタリーナ様は逃げようとも、助けを求めようともしなかった。ただ、静かに覚悟を決めたような表情をしていた。
※
王太子アルベルト殿下と、侯爵令嬢カタリーナ様は、はたから見れば、仲睦まじい婚約者どうし、という印象であっただろう。
カタリーナ様は足繁く王宮に通い、毎日のように殿下と晩餐を取られていた。
晩餐、である。
食卓につくのは二人だけ。
もちろん婚約者の二人で晩餐を取ることに何も不自然なことはない。
アルベルト殿下は、親密な女性と二人きりで食事をされることを好み、カタリーナ様と婚約する前は、別の女性の方を頻繁に招待し、晩餐を取られていた。
伯爵令嬢セシリア・フェルナー様だ。カタリーナ様が上品な美人なのに対し、セシリア様は可愛らしい雰囲気の女性で、殿下はセシリア様のような女性がお好みなのだと思われていた。
それが、国王陛下の容態が悪くなった途端、セシリア様を王宮に招待するのをやめ、カタリーナ様と婚約したのだ。
使用人の間では、カタリーナ様は歓迎された。
セシリア様が可愛らしいのはお顔だけで、特に私のような使用人を見下し、横柄な態度を取ることが多かった。それはアルベルト殿下も一緒で、セシリア様がいらっしゃると、殿下が二人いるみたい、とこぼす使用人も少なくなかった。先王陛下はとてもお優しい方だったのに、とも。
対して、カタリーナ様は使用人にも親切で控えめで、使用人たちは、これこそ本物の貴族の振る舞いだと口々に褒めるのだった。
アルベルト殿下も、最初のうちは歓待するようにカタリーナ様を王宮に迎え、そのたびに豪奢な食事を召し上がっていた。
カタリーナ様を大事にしたい、という気持ちが周りにも伝わっていた。ただ、私には何かそれがカタリーナ様への執着のように感じられたのだが。
そしてその様子を寂しげに見ている男性がいることも知っていた。
クラウス・ハルトマン騎士爵令息——アイゼンベルク侯爵家の騎士団長ハルトマンのご子息で、カタリーナ様の護衛騎士だ。
晩餐の帰りは夜になってしまうため、クラウス様は必ずカタリーナ様について、侯爵邸と王宮との往復を護衛していた。
「カタリーナ様のご様子はどうだ?」
当然、クラウス様が晩餐の席に同席するなどということは許されない。しかし、カタリーナ様のことが気になって仕方がないらしい。
この方がカタリーナ様に特別な感情を持っているのはすぐにわかった。お慕いしている方が、別の男性と婚約してしまって、それでもお側にいなければならないというのはどんな気分なのだろうか。
どんな気分かはともかく、カタリーナ様のご様子が気になって仕方のないクラウス様は、空気のように食堂に出入りができる給仕の私に、しきりにカタリーナ様の様子について尋ねてくる。
「特に変わりはございません」
それが私の回答だ。実際に変わっていようが変わっていまいが、給仕係がお二人のことを他の方に話していいはずがない。
給仕係は空気であり、何も知らないことにしなければならない。
例えば王太子殿下が話したことを外に漏らすようなことがあれば、それこそ即刻処刑だろう。そんな者は、王太子の給仕係などにはなれるはずもないけれど。
しかし、空気としてみなされていようが、私は人間だ。お二人の話は聞こえてしまうし、様子も見えている。
それだけではなく、お二人が召し上がった食事の跡が残る食器までも、給仕係は見ている。
アルベルト殿下は肉の脂身を皿の左端に除ける。カタリーナ様は右端だ。
カタリーナ様はパンを小さく千切って食べるので、少しパン屑が多めに落ちている。アルベルト殿下はパンを大きく千切るので皿に落ちるパン屑は少ない。
ちなみにセシリア様は、パンの柔らかい部分だけ食べるので、食後の皿にはパンの皮ばかりが残る。なお、肉は脂までお召し上がりになる。
そんなことまで見えているとは、ご本人たちもお気づきではないだろう。
そして、私はあるときから、異変に気づいていた。
初めはカタリーナ様を歓迎していたアルベルト殿下が、先王が亡くなった頃から、とても高圧的になったのだ。それはまるで使用人を扱うのと同じように。
会話は少なくなり、殿下が口を開いたと思えば、何かを強く要求するような口調になっていた。
「父上の書類はどうなったのだ。先王が亡くなった今、国王の代理を務めているのは俺なのだぞ」
何のことかはわからなかったが、そんなことをアルベルト殿下は口にしていたのを覚えている。
次第にカタリーナ様は食べ残しをするようになった。ナプキンには涙で湿った部分もあった。その食後の片付けの中でも、感情が伝わってきてしまっていた。
私は変わらずクラウス様には「変わりはない」と伝えていたものの、様子は大きく変わっており、長くはもつまい、と思っていた。
私の予想では、アルベルト殿下から婚約を破棄されるよりも先に、カタリーナ様が音を上げて婚約破棄を申し出ると考えていたので、そこだけは少し違った。
とはいえ、他の多くの方々には突然の婚約破棄と断罪だったかもしれないが、私にとっては驚くことではなかった。
※
私は仕事があったので、直接見ることはなかったが、カタリーナ様の処刑は、それは見るに耐えないものだったという。
髪は乱れ、顔は腫れ、服は擦り切れ汚れており、あの高貴なカタリーナ様とは思えないほどのお姿で、昨晩の拘束の後に、ひどい尋問を受けたことが窺えたという。
そして断頭台で処刑が執行されると、その様子を見ていた誰もが、国家反逆罪というものがどれだけの重罪なのかを理解したという。
処刑の場で、アイゼンベルク侯爵は、最後まで、中立な者による正式な審理と調査を行うよう求めていたようだが、それは果たされなかった。
カタリーナ様の処刑の後、アルベルト殿下は再びセシリア様を王宮での晩餐に招くようになった。
以前よりも態度が横柄になり、私たち使用人は辟易した。
「食事がまずい」「気が利かない」などの文句だけではなく、「あなたたちは私の使用人でもあるのよ。しっかりやってくださる?」とまで言い出し、まるで王太子妃にでもなったかのような態度だった。
その上、給仕係には食事を最初から多めにすべて配膳させ、その後は人を締め出し、二人だけで晩餐をお楽しみになるようになった。「誰にも二人の時間を邪魔されたくない」のだそうだ。
二人で何をしているのか知らないが、人を締め出しておいて、晩餐の後に「今日も気の利かない給仕だったわね」と言われても困ってしまう。
しかし、その二人のお食事のあと、食卓を片付けるときに、私は何か違和感を覚えるようになる。
食器が私に何かを語りかけているような気がした。
例えば、パン屑が多い気がする。セシリア様は、パンの皮だけを残す食べ方をするので、パン屑ももともと多かったが、アルベルト殿下は食器にはあまり多くパン屑は落とさないはずだった。
また別の日には、肉の脂身が皿の右端に残っていた。
あるいは、アルベルト殿下とセシリア様がお好きなワインだけでなく、お水を多く飲まれることもあった。
そもそも使われている皿の数も少し多い……。
何かが起きている、と思った。
あるいはアルベルト殿下の食卓に、何か変化が起きている。
※
「エマ! 何をぼーっとしてんだい」
私が考えごとをしていると、給仕長のマルタさんが声をかけてきた。
「ですが、お料理はすべてお出ししましたので、待つだけですよ」
私はそう応じる。ここのところ、アルベルト殿下は私たちを締め出してゆっくり食事をされるので、料理をお出しすると、しばらくすることがないのだ。
「いつ殿下がお呼びになるかわからないだろう。油断しているんじゃないよ」
それがないから油断しているんじゃない、と思った。
「……マルタさん。ちょっと気になることがあるんです」
言い訳代わりに、私はマルタさんに私が考えていたことを伝えようと思った。
「なんだい? 気になることって?」
「アルベルト殿下が、何か変なんです」
「そりゃあ、婚約者に命を狙われて処刑したとなったら変にもなるだろうよ」
「……そういうことではないんです。たとえ、人格が変わったとしても、食べ方は変わるものではないと思うのですが……」
「食べ方? あんた、そんなもの見ている暇があるなら仕事しな」
だから、やることがないんです……。
マルタさんは私の話には何の興味もなさそうに去って行った。
そのマルタさんと入れ替えに、衛兵の方が一人入ってきた。
「交代だ」
「ああ、そんな時間か」
「何か変わったことは?」
「何もない。あるわけがないだろう。新入りだからわからんかもしれんが、ここでは問題など起こらん」
変わったことがあるんだけどな、と思いながらも、私は黙っていた。
「エマさん」
名前が呼ばれ、一瞬、アルベルト殿下からのお呼び出しかと思ったが、次の瞬間に違うと悟る。
私の名前に「さん」などとつけるわけがないし、そもそも殿下が私の名前など知っているはずがない。
「僕だ」
声をかけてきたのは衛兵だった。
交代になった衛兵の方はおらず、そのとき、食堂の前には私とその衛兵だけだった。
けれど、衛兵にも、私をそんなふうに呼ぶ方はいない。そもそも衛兵と話をすることなどほとんどない。
が、衛兵が兜を上げ、顔を見せると、確かにその顔に見覚えがあった。
「クラウス様……?」
衛兵が頷く。カタリーナ様の護衛騎士だったクラウス様だ。
「なぜ衛兵なんてしているんです?」
「カタリーナ様がいらっしゃらなくなって、僕の仕事はなくなったのだ」
カタリーナ様が「亡くなって」ではないのね。
「それで王宮の衛兵に?」
「ああ。知り合いに頼んで、衛兵の制服を借りてな……」
「なぜそんなことを……?」
つい、そう小さく呟いてしまった。
私はクラウス様がどれだけカタリーナ様をお慕いしていたか知っており、敵討ちを考えているのではと恐ろしくなった。
「カタリーナ様のご遺体を返してもらえていないのだ」
クラウス様が私の疑問に答えるように言った。とても悲しそうに。
「……ご遺体を?」
「ああ。あんな無惨な処刑をされた上に、遺体までひどい扱いを受けているのかと思うといてもたってもいられなくて……。いや、本当のことを言うと、カタリーナ様の死を受け入れられていないのだ。処刑台に立たされたカタリーナ様もまるで別人のようだったので……」
侯爵令嬢らしからぬ、惨めな姿で処刑されたカタリーナ様。
右端に寄せられた肉の脂。
皿に落ちた多めのパン屑。
ワイン以外に飲まれた水の量。
私の頭の中で、「かちり」と何かがつながる音がした。
それは恐ろしい想像のようにも思えたが、様々な違和感の正体を考えると、ほとんど確信に近かった。
どうすべきか考えたが、周りに人もおらず、ここにはクラウス様がいる。
こんな機会はそうそうあることではない。
私は小声で私の考えをクラウス様に伝えた。
クラウス様は私の話に驚いたが、すぐに賛同を示した。
「やろう。僕は生きる希望もなくしていたのだ。どうなろうと構わない」
※
「曲者です! お逃げください!」
そう叫んで、私は食堂の扉を勢いよく開いた。
アルベルト殿下とセシリア様が驚いて、口を開けてこちらを見た。幸い食事は終わりかけのようで、口にものは入っていなかった。
「何事だ! 入るんじゃない!」
アルベルト殿下の顔が一気に紅潮し、私を怒鳴った。
「何なのよ! 出ていきなさい! 本当にここの給仕はひどいわ」
セシリア様も私を強い口調で責める。
「ですが、お命が危険です。曲者は殿下のお命を狙っているようです。早くお逃げください!」
「くそっ! 衛兵は何をやっている!」
殿下が怒りで喚く。
「その衛兵に曲者が紛れ込んでいたのです!」
私も負けじと、大声を張り上げる。
そこに一人の衛兵が雄叫びを上げて飛び込んで来た。
剣を振り上げ襲いかかってくるところを、私が抑えようと立ちはだかるが、衛兵は怯まず突っ込んできた。
「逆賊アルベルト! 覚悟しろ!」
衛兵が叫ぶ。
「早くお逃げください!」
私も負けずに必死に叫んだ。
「私は逃げるわ」
そう言ってセシリア様が食堂の入口ではなく、奥の方に走った。
「待て、セシリア!」
アルベルト殿下も衛兵を見て怯えたのか、やはり奥の方に走り出した。
二人が向かったのは、大きな壺の裏だった。その裏にたどり着くと、二人とも姿を消した。
——隠し通路だ。
王宮には非常時に備え、寝室や食堂などに王家の方々だけが知っている隠し通路があると聞いたことがあったが、それは本当のようだった。
私たちはアルベルト殿下とセシリア様を追うように、その隠し通路に入った。
私はテーブルの燭台を手にし、薄暗い通路をクラウス様と進んだ。
すると、通路の途中の壁に、扉を見つけた。
クラウス様が、その扉を開ける。
そこに、逃げた二人ではなく、いるはずのない、もう一人の人物がいた。
「……カタリーナ様。……ご無事だったのですね」
処刑されたはずのカタリーナ様を目にして、クラウス様の声が震えていた。
※
アルベルト殿下とセシリア様は、隠し通路の先から逃げ仰せ、曲者を拘束するように指示し、クラウス様は捕えられた。
私はというと、クラウス様が「エマという給仕係に襲撃を邪魔された」と証言したため、王太子殿下を救った者として賞賛された。そのことがとても心苦しかった。
一方で、カタリーナ様はすでに逃がされ、生きていたという事実が明るみになり、そのことが王都中に衝撃を与えた。
最初に人々の頭に浮かんだ疑問は、処刑台で確かに処刑された女性は何者だったのか、ということだ。
アルベルト殿下は、獄卒にカタリーナを連れて来させただけだと言い張った。
処刑人と獄卒は証言を拒んだのだが、そのことが、彼らの関与への疑いをより強めた。
そうして王城の地下牢から、一人の身元不明の女性がいなくなったことが判明した。近くの牢に収容されていた囚人たちは、刑期軽減を持ちかけられると、そこにいたはずの者が処刑の日に姿を消していたことを証言した。その容姿の特徴が、処刑された女と酷似していたため、まず間違いがないと結論づけられ、獄卒が観念し、王太子殿下の指示だったと告白した。処刑人も同じくそれを認めた。
そしてもう一つ。ご息女カタリーナ様の断罪を不服に思っていた法務卿アイゼンベルク侯爵が、彼女の無罪を証明するために独自に調査した複数の証拠を提出した。
誤った人物が処刑されたことが明らかになり、カタリーナ様の無実を示すとされる証拠が出されたため、王宮も動いた。
宰相ルドルフ・ヴァルデック公爵を中心とする、王太子殿下にも、法務卿の指揮下にもない臨時評議会によって裁定が開かれたのだ。
そして、私、エマ・ヘルマンも証人として裁定に参加することになった。
「これより、王太子アルベルト殿下、および伯爵令嬢セシリア・フェルナーにかかった嫌疑について、裁定を始めます」
ルドルフ閣下が宣言をし、嫌疑を述べる。
「主犯の容疑はアルベルト殿下にかかっており、セシリア様は共犯の嫌疑になります。主な嫌疑は、偽造文書によるカタリーナ様への冤罪、処刑の替え玉にされた囚人の殺害になります。殿下、申し開きはございますか?」
アルベルト殿下がルドルフ閣下を強く睨む。
「これは何の茶番だ? 戴冠式はこれからだが、俺は国王になるのだぞ。まず大前提として、おまえたちに国王を裁く権限はない」
それがアルベルト殿下の一言目の弁明だった。国王と言えば、もちろん王国の最高権力者だろうけれど、国王だったら無罪の人を殺していいのかという疑問が自然と湧いてきた。
「そのことは最後にお話ししましょう。この一連の騒動の最大の要になる事項です」
ルドルフ閣下は怯まずにそう返した。
アルベルト殿下は露骨に不満そうな顔をする。
「宰相、後でおまえの処分についても話し合うとしよう。俺にかけられた嫌疑がどれだけ不当で不敬なものかはたやすく証明できることだ」
アルベルト殿下が自信に満ちた表情でそう言った。
「まず、カタリーナだが、文書はあの女の控え室で見つかったもので、筆跡を見ればカタリーナ自身で書いたものであることは明確だ。俺の暗殺まで狙い、王位の簒奪を謀る内容であることも誰が読んでもわかる。だから冤罪などという判断が出ること自体がおかしい」
アルベルト殿下は続ける。すべての嫌疑を一方的に晴らすつもりのようだ。
「そしてなぜカタリーナが生かされていたか」
殿下が笑みを浮かべる。
「これは俺の慈悲によるものだ。国王位簒奪を謀ったとはいえ、もとは俺の婚約者で、侯爵家の令嬢だ。殺してしまうには惜しい。だが、反逆者を生かしては民衆が黙っていないだろう。だから処刑したことにして、王宮の隠し部屋で匿ってやっていたのだ。俺の慈悲が罪だとは誰も言うまい」
反省どころか、自分の立派な人格を自慢するような態度を殿下は見せた。
「代わりに処刑したのが、囚人の女だ。罪を犯した囚人が処刑されてなんの問題がある? しかも身元不明の女だ。いてもいなくても同じということだ」
その言葉を聞いて、私は、私自身がひどく傷つけられた気がした。殿下が名前も知らない人間は、いてもいなくても変わらないのだと言われている気がしたのだ。
「もう一つ、逆に俺のほうから追及しなければならないことがある」
殿下が証人として控える私を睨んだ。
「食事を邪魔した衛兵と給仕だ。貴様らが邪魔をしなければこんな面倒にはならなかったのだ。相応の処分を覚悟せよ」
やはり、殿下は私を名指しにしようとはしない。私の名前を覚えようと思ったこともないのだろう。
それを最後に、殿下の申し開きが区切りとなった。
「では、私のほうからよろしいですかな」
ルドルフ閣下が口を開く。
「宰相府を中心に、第三者として調査を進めました。それに加え、公平を期すため、本日は席を外していただいておりますが、アイゼンベルク法務卿からもいくつか証拠を受け取っております」
殿下はまったく怯む様子がない。
ルドルフ閣下が続ける。
「まず、カタリーナ様が作成したと言われる国王位簒奪の計画を記した文書ですが、偽造されたものであることが明らかになりました」
アルベルト殿下の眉がぴくりと動いた。
「何を言っている? 俺が本物だと言ったら本物なのだ」
「まず、筆跡がカタリーナ様とは異なりました。一生懸命似せたつもりのようですが、文字の端々に、カタリーナ様の癖がございませんでした。複数の鑑定人が鑑定しましたので、間違いございません」
「嘘……」
アルベルト殿下の隣に立っていたセシリア様がぽつりと言った。
ルドルフ閣下はその言葉を聞き逃さなかったようだ。
「なお、その筆跡にはセシリア様の癖がございました」
ルドルフ閣下がそう言うと、アルベルト殿下は閣下ではなく、セシリア様を睨んだ。
「それだけではありません。内容にも不自然な点が多々ございました。例えば、カタリーナ様のものとされる計画文書に、『私はアルベルト殿下を暗殺するために、殿下に近づき、婚約を申し出た』という箇所がございます。ですが、私も当時のことはよく覚えておりますが、婚約を迫ったのは殿下のほうですな。アイゼンベルク法務卿も、殿下からの婚約申し入れの書状を保管されていました。申し入れというよりは命令のような内容ではありましたが……。それ以外にも、殿下や王家の方でなければわからない内容が計画文書に散見されました。いずれも、カタリーナ様が知り得ない内容です。
なお、こちらの書状も筆跡鑑定を行なって、間違いなく殿下の筆跡であることが確認できております」
再びアルベルト殿下はセシリア様を睨み、歯ぎしりをしていた。
「重要な証拠の偽造までも人任せにするのであれば、せめて内容をご自身で吟味されるべきでしたな」
殿下はその怒りの視線をルドルフ閣下に向ける。
「それから、カタリーナ様の監禁についてですが……」
「監禁ではない! 保護していたのだ。慈悲だと言っているだろう」
ルドルフ閣下は構わず続け、私を見た。
「給仕係のエマ・ヘルマン。カタリーナ様の救出時の様子を教えてくれますか」
私の名前が呼ばれ、証言を促された。
——私の番だ。
「はい」
私は一歩、前に出る。
「まず初めに、アルベルト殿下とセシリア様以外にもう一人、料理を召し上がった方がいることに私は気づきました。それは、お食事の後の食器に、アルベルト殿下のものでも、セシリア様のものでもない、癖があったからです」
「給仕めも癖などと抜かすか! そんなものがあるはずがない。誰が食事をしようが大差あるわけがない!」
「それがあるのです。例えば、殿下はお肉の脂を除けて左側に寄せますが、カタリーナ様は右です。私が給仕している間、一度の例外もございませんでした。それで、私は殿下でもセシリア様でもない、誰かの存在に気づきました。それがカタリーナ様という確信はなかったのですが、カタリーナ様らしき誰かがいることには強い自信がありました。クラウス様は私を庇いましたが、食堂に乗り込むよう提案したのは私です」
「やはり貴様も共謀していたのか! 給仕の分際で! 不敬罪で貴様は処刑だ!」
「処刑」と言われ、私は一瞬怯んでしまう。
「王宮に勤める給仕が、食堂の扉を開けて食事を中断させたことがそこまで大きな罪になるのでしょうか? しかも、暴漢が迫っていて、殿下にその危機を知らせようとしたことには違いはありません」
ルドルフ閣下が私を擁護してくださったので、落ち着きを取り戻す。
しっかりしないといけない。
私ははっきりとわかっている。こんな方を国王になんかしてはいけない。
「私が食堂に入り、アルベルト殿下とセシリア様が隠し通路で逃亡された後、その通路を進んだ先の隠し部屋に、カタリーナ様がいらっしゃるのを見つけました」
「カタリーナ様はどのような様子でしたか?」
「カタリーナ様はひどく疲れているご様子でした。それから、私たちを見て、ほっとしたように泣き出されました。その部屋の扉は、外からは開けられても中からは開けられないような仕組みになっていました」
「つまり、人を閉じ込められるような構造だったということですな。とても『保護』していたとは言えませんな」
「勝手に出られたら、保護できるものも保護できないだろうが! いい加減にしろ」
「殿下がどういうつもりであったとしても逃げられない状況にしていた限りは、『監禁』です」
「そんなものが認められるか!」
「もう一つよろしいですか?」
私はどうしても言いたいことがあった。それこそ給仕係の私が言うべきことではないかもしれないけれど……」
「……どうぞ」
ルドルフ閣下が私を促す。
「私は……名前もわからない囚人の方が、身代わりに殺されてしまったことが納得できないのです。……許せない、と言った方が正しいかもしれません」
「貴様に俺を許す、許さない、など……どれだけ不敬なことかわかっているのか!」
「殿下にとっては名もない方だったのかもしれませんが、あの囚人の方にも名前があって、きっと大事な人や大事なものがあったはずなんです。その人の人生があるのです。それを『いてもいなくても変わらない』なんて理由で殺すなんて……あんまりです」
いてもいなくても変わらない——それは、私自身のことかもしれない、と思っていた。両親がおらず、孤児院にいた頃の私もそんなことを言われたことがあった。
だから、そんな人たちを蔑ろにするなんて、悔しくて仕方がなかった。
少なくとも、先王陛下はそんな方ではなかった。
「給仕ごときが何様のつもりだ! 貴様など俺に口を聞くことすらおこがましいのだぞ! おまえのような者こそ消えるべきだ」
怒鳴り続けるアルベルト殿下を横目に、ルドルフ閣下が口を開く。
「エマさん。ありがとうございます。私も同意見です。宰相府で、処刑された囚人についても調べました。名前はリーナ・フォーゲルというそうです。確かに名前がありました。住む家もない貧しい女で、一人の幼い子どもと暮らしていました。腹を空かせた子どもに食べさせるために、店先からパンを盗み、投獄されたようです。とても死罪に値するような罪ではない。そんな女を、『いてもいなくても同じ』だとして、殿下は殺したのです。一緒にいた子どもにとってはかけがえのない存在だっただろうと思います。そのかけがえのない存在を、殿下は無慈悲に奪ったのです。
一人一人の国民を大切にしない者が、人の上に立つことが正しいとは思えません。まして、国王になどなってよいはずがない。そして、それは先王のお考えでもあったのです」
「何だと?」
「殿下。あなたが国王になることはありません」
「俺が国王だ……」
アルベルト殿下の声が少し小さくなる。
ルドルフ閣下が一枚の紙を取り出し、掲げた。
「殿下。あなたが探していたものです。お分かりですね?」
「それは……」
「先王の遺言状です」
「あなたはこれの内容を確認し、場合によっては改竄するために、カタリーナ様に近づいたのです。この遺言状は、宰相である私とアイゼンベルク法務卿の立ち会いのもと、先王がお書きになり、法務卿が保管しておりました。殿下は執拗に、カタリーナ様にこの遺言状の内容と保管場所について、法務卿から聞き出すよう依頼していたようですな」
アルベルト殿下が改めてルドルフ閣下を睨む。
「しかし、カタリーナ様は必死にこの遺言状を守りました。だから殿下、あなたは遺言状の内容を知らない。裁定の日が本日になったのは、偶然ではないように思います。先王の崩御から三十日後に封を開けよ、との先王のお言葉に従い、本日その三十日後となったので、遺言状の封を開けることができました」
「ここにはこう書かれています。『アルベルトは横暴であり、国王には相応しくない。次期国王は第二王子レオンハルトとし、王家の財産を継承するものとする』」
「そんなバカなことがあるか! それこそ偽造された遺言状だ!」
「筆跡鑑定してもよいですが……。先王が信を置いてくださった、私とアイゼンベルク法務卿が立ち会っているのです。間違いなく、この遺言状は本物です。私はこの命を懸けて先王の意思を守りたいと思います」
「そんなものが認められるか!」
「殿下。あなたはなぜ、先王が遺言状を、崩御から三十日後に開くよう指示されたか、考えたことはございますか? 先王は、遺言状を書き換える時間こそなかったのですが、死の間際に、三十日だけあなたに国王代理を担わせるよう仰ったのです。その間に、もし殿下が国王に相応しいと、宰相の私と法務卿が判断したのなら、この遺言状を破棄し、アルベルト殿下を国王とするように先王は仰いました」
「なっ……」
「遺言状が書き換えられなかった以上、本来はその言葉に従うことはできません。ですが、先王があなたにかけた最後の温情を無視できず、私と法務卿は三十日待ちました。それなのに……。あなたは私にこの遺言状を開封させました」
アルベルト殿下の顔がみるみる青くなっていく。
「殿下。あなたは、素行の悪かったあなたを先王が選ばないだろうと考え、カタリーナ様に近づいて、先王の遺言を反故にしようとしたのです。それこそ不敬であり、反逆の意思と見做すべきものです。その時点で、まだ残っていた国王になる資格を、あなたは自ら捨てたのです」
殿下は顔を青ざめながら、体を震わせる。
「給仕係め、覚えておれ!」
震えながらも、殿下は私を恫喝した。
「覚えておく必要はない。最終的な判決はすべて調査してからだが、この方が王家に残ることはなく、二度と太陽の光を浴びることもないだろう。もう誰もアルベルト殿下の命令に従う者もいない」
ルドルフ閣下が私にそう声をかけた。
閣下が、二人の衛兵に合図をする。
衛兵たちは合図に従い、それぞれアルベルト殿下の両腕を掴んだ。
「放せ! 俺は国王だ!」
「いえ、あなたはただの罪人です。いえ、重罪人と言うべきですな」
ルドルフ閣下が冷たく言い放った。
そして、それまで黙って成り行きを見ていたセシリア様に向く。
閣下が口を開く前に、セシリア様が叫んだ。
「私は何もしていません! すべて殿下に命じられてやっただけです。私には何の罪もないのです」
そう言って目に涙を浮かべる。
まるで可憐な女性が同情を誘うように。
「セシリア、貴様! もとはと言えば、おまえが王妃になりたいと言うから……」
殿下の怒りは、今度はセシリア様に向けられる。まるでもう、王国中のすべてが敵に見えているのかもしれない。
「少なくとも、王国転覆計画の文書を作成したのはセシリア様だということは判明しています。その文書を侍女に持たせてカタリーナ様の控え室に忍ばせたのも、セシリア様だとわかっています。それから、隠し部屋のカタリーナ様に食事を運び、遺言状の内容や保管場所を教えるよう迫っていたことも。食器を何食わぬ顔で戻し、監禁を隠蔽していたことも」
ルドルフ閣下は顔色も変えずに淡々と話した。
「そうだ。そもそもこの女が俺を唆したのが悪いのだ。俺は何も悪くない!」
セシリア様の顔が青ざめる。
「ひ、ひどい……。殿下だけ責任逃れをしようなんて……」
「ご安心ください。どちらが主犯であれ、もう一方も共犯の罪を免れるのは無理でしょう」
セシリア様もアルベルト殿下と同様に、衛兵に腕を掴まれ、引きずられていく。
「う、嘘だ! 嫌だ!」
二人の喚きは、裁定の間から姿を消すまでずっと響いていた。
※
その後の追加の調査と審理により、アルベルト殿下は王太子位と王族としての身分、そしてすべての財産を剥奪され、終身幽閉となった。
セシリア様も、偽造文書作成、カタリーナ様の監禁、リーナ・フォーゲルさん殺害への加担が認められ、貴族の身分を失い、その後の生涯を牢で過ごすこととなった。
合わせて、獄卒と処刑人も共犯として裁かれた。
アルベルト殿下にも、セシリア様にも、これからは教育された給仕が運ぶ豪奢な料理や上等な葡萄酒ではなく、固いパンと水を与えられるだけの人生が待っているのだ。
殺害されたリーナさんの子どもは王家の保護を受け、先王が支援していた孤児院で暮らすことになった。私も同じ孤児院で育ったので、ときおり顔を見に行っている。
一方、クラウス様と私の行為については、カタリーナ様の置かれた状況についての緊急性と、救出に成功した功績を考慮され、罪に問われることはなかった。
こうして、晴れてカタリーナ様の無罪が認められた。
その後、お茶会のため王宮にいらしたカタリーナ様が、給仕の私を呼び止めた。その隣には、クラウス様も座っていらした。
「エマさん」
カタリーナ様は、水を注いでいた給仕の私を名前で呼んだ。
「は、はい。カタリーナ様」
私は驚いて、戸惑った。
「ありがとうございました。あなたのおかげで、無事に戻ることができました」
「いえ、私は大したことは……」
したか。だいぶ大それたことを。
王太子殿下に逆らうようなことをしたのだと思うと、今さらながら怖くなってしまう。
「あなたはよく食卓を見てくださって、私がお水を飲みたいと思ったときにはもう水を入れてくださっていました。今みたいに」
そう言ってカタリーナ様が微笑んだ。
「とても気がつくあなたなら、きっと気づいてくれると思ったの」
あの一連の騒動の中で、私は一つだけ疑問があった。監禁されていたカタリーナ様は、ものを食べる気分になどなれなかっただろうに、それでもカタリーナ様はしっかりと食事を召し上がっていたのだ。
カタリーナ様は無理をしてでも食べていたのだ。私に、処刑されたはずのカタリーナ様の存在を気づかせるために……。
「そうでしたか……」
私はそれだけ答えた。ともかく、何の罪もないカタリーナ様が助かってよかった。
「それにね、あなたのおかげで、私は、自分の気持ちに正直に生きようって、覚悟を決めることができたの」
そう言って、カタリーナ様は頬を赤く染めた。
その視線は、隣のクラウス様に向けられていた。
クラウス様も照れくさそうに、カタリーナ様を見つめ返した。
後から聞いた話だが、クラウス様は王位継承をめぐる混乱の拡大を防いだ功績により、子爵に叙爵されたそうだ。将来的に、アイゼンベルク侯爵家に婿入りする見込みだそうだ。
つまり、カタリーナ様とクラウス様が結婚するということだ。
何だか羨ましい話だと思う。私にも、そんなすてきなことが起きればと、少しだけ思う。
けれど、私は今の境遇にもまったく不満はない。
何しろ、私も功績を認められて、給仕長補佐に昇進したのだから。
孤児だった私を救ってくれたのは先王フリードリヒ陛下だった。
先王陛下は、孤児院や救護院を王国の予算で支援し、両親のいない子たちに、一人ずつ職を与えてくれていた。
そんなふうに一人一人の国民に向き合おうとしてくれる先王陛下が、私は大好きだった。だから、陛下が亡くなった後も、そのご意思がずっと王国に残ってくれればいいと思った。
「エマはよく気がつく良い給仕だと思っていたよ」
昇進した私に、マルタ給仕長はそんな調子のいいことを言って褒めた。
それだけでも、今の私には十分以上だった。
給仕係のことなど誰も見ていない。
けれど、給仕係はあなたたちのことをよく見ている。
食べ物の好みも、ふとしたときに出る人柄も、本人も気づかない癖だって知っている。
ときには何を隠しているかもわかってしまうのだ。
そして、もしふとしたときに、給仕係のことに気がつくことができれば、給仕はあなたの危機を助けることもあるかもしれない。
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