雲の幕間
縦長の窓の向こうに見える大きな雲を、魂の抜けたような目で見ていた。
正午を過ぎ、やがて夕焼けへと色を変える空に、その雲はまるで大陸のように広がっていた。
逆三角形の、中心を少し西にずれて内海。北西や南東に小さな半島がいくつかくっついている。所々に湖が見え、大陸を外れて島が多くある。
雲の縁は太陽に照らされて、平原地帯に見える。そして内側は、影が重なり森林地帯に見える。
自分が軍を率いて駆け回っていたのはどのあたりか、と考える。
南の平原での初陣は今でも鮮明に記憶に残っている。友や爺に守られながらも、初めての武功を挙げた。西の諸島を統一したのは自分の功績だ。ここからの商業利益が我々を覇者に導いたのだ。内海での海戦ではかなり苦労した。私自身も船酔いをしたが、決して部下には見せられなかった。雪原地帯では、友を討ち取られたが、弔い合戦を大勝に導いた。我ながら輝かしい日々だったと思う。たくさんの家臣に、正室と側室、そしてたくさんの子供たちに囲まれて、大変だったが幸せだったと言う他ない。
大陸の統一を目前に、家臣の謀反に遭った。優秀な騎士だったのでそれなりにかわいがってはいたが、どこかに不満があったのだろう、思い当たる節なんてものは挙げればきりがない。
結果として、私は死んだ。燃える城の中で、敵兵に刺されたのか切られたのかは覚えていないが、とにかく死んだのだ。そして私はつい先程ここへ戻ってきた。
認めたくはないが、戻ったと言うより、覚めたと言う方が正しいだろう。私は現実に失望するあまり、雲を異世界にして、自分を転生させる、という幻を見ていたのだ。
私の盾となり死んでいった親友も、お見合いから魂の伴侶となったあの妻も、コイツがいればこの家も安泰だと私を安心させた跡取りも、すべてが幻だったのだ。城壁のように大きな馬で駆けたあの大草原も、 不沈の旗艦の舵を取り風のように航走した海原も、弟との王宮闘争を繰り広げた城でさえも、全てはこの六畳の自室だった。
夢を見ていたような気分だった。それも長い長い夢を。
やがて風が吹き、雲は流れていった。それはまるで、主君や主人を失った人々に囲まれた棺を、ただひたすらにゆっくりと運ぶかのような風だった。
かつてパンゲア大陸が、今の大陸の形になったように、あの大陸も形を変えるていくのだろう。
私は雲が去ったのを見て、音も無く涙した。家臣はうまくやれているだろうか、妻や息子には苦労をかけてしまうだろう、などとあの世界のことを考えては、もう意味のないことだと我に返った。
私の数奇な異世界生活を文字に起こそうかとも考えたが、思い返すだけで苦しくなったのでやめた。
沈黙し、放心していた。
しばらくして、家の前を走るトラックの音で心が戻ってきた。体感数十年ぶりに死にたい気持ちがぶり返してきたが、つい先程死んだばかりなのでやめておいた。
私の心は空っぽになってしまった。いや、元より空ではあったが、それを幻で満たしていたのだ。
私は、真空の心に引き寄せられる苦しみを、なんとか口まで持ち上げて呟いた。
「是非に及ばず」
私はまた新たな雲に目を向けた。




